マニアというよりフェチ
密度の濃い日は過ぎ、フツウにもどりつつある。これが、おれのフツウで、なぜ夢中でシゴトをするかというと、はやくフツウにもどりたいだけなのだ。であるから、締め切り前に、自主締め切りを設定し、はやく仕上げるようにする。締め切りギリギリまで粘り、七転八倒のクリエイチィブで最高の品質のものを、なんてことは考えない。
そんなことしたら、フツウの生活が失われるからだ。フツウの生活を失って、なにが最高の品質だろう。フツウの生活の感覚ぬきの、最高の品質って、幻想じゃないかと思う。ま、おれのフツウとは、かぎりなく失業に近く、そして税金の督促がくる、でも、なぜか、毎日、少々の酒を飲み、少々のめしを食べ、少々のクソをして、楽しい。むひひひ。
フェティシズムってのは、ヤマザキ・クニノリさんお得意のことで、もう文章からフェチしている。でも、おれだってフェチを考えるのだ。とくに最近考えるようになった。ちかごろの、酒好き、日本酒好き、それも純米酒じゃなきゃダメッ!という人の話からだ。ま、「純」ですね。
それで振り返って思うに、ちかごろのグルメはフェチ化しているような気がした。あのスィーツブームのころからか? カレーのインド原理主義者などは、フェチじゃないか。ラーメングルメにもフェチがいるぞ。ちかごろの「趣味」は、本の世界もそうだと思い始めたが、みんなフェチ化しているのだ。そう、断定することにした。
「純」な酒、「純」なラーメン、純なイイ……そういうところへ「純」に溺れていくフェチだね。これはマニアあんどコレクターな趣味とは、また違う。それで思い出したのが、内田春菊さんの漫画に、赤ん坊って、みんなフェチなんだという話があったはずだ。赤ん坊が最初に反応するのは、乳首という部品だけなのだと、つまり乳首フェチなのだと。しばらくして母親の顔と、その乳首が関連づけられる。それまでは、乳首フェチ。ちかごろの「うまいもの好き」や「よいもの好き」や「よいこと好き」の話は、この状態に近い。つまり、部品サイズの好みであり、無限・広大サイズは目に入らない。
おれが軽蔑する広辞苑によれば、「フェチ」とは「特定のものに異常な愛着を示すこと」。
高付加価値化を追求する「市場競争原理」が関係していると思う。市場でフェチになる。
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コメント
おっ、ヤマザキさん、さすがウンチクが深いですね。やはり色っぽさがないといかんでしょうかね。なんかでも、好きもの同士本人達は、細部をなでまわすようにメロメロに語り合いながらボッキしているように見えなくもなく。オモシロイ。
投稿: エンテツ | 2006/02/08 13:30
ヤマザキです。フェチの専門家のように扱っていただき、光栄この上ありませんが、わたしはどちらかと言えば、フェチの注視者に傾いているようで、本格派のフェチ諸氏からすれば、わたしの書くものなぞ、笑止千万ではないでしょうか。もちろん、時に、掃除機や炊飯器にムラムラすることはありますが、いまだ掃除機で吸引したり、艶やかな釜に発射したことはありません。エンテツさんの「部品サイズの好みであり、無限・広大サイズは目に入らない」というご指摘は重要であり、「マニアック&コレクター」が、どちらかと言えば体系や、総合を目指しがちなのに比べると、フェチはどこまで行っても断片的で、人に誉められることはまったくありませんが、わたしはやはりフェチの性的誘因を重要視するものであり、エンテツさんの批判される、グルメ系の「フェチ」諸氏には、そうした色っぽさが決定的に欠けているように思われるのです。もっとも、これはわたしのフェチ観であり、一般化するつもりは毛頭ありません。
投稿: kuninori55 | 2006/02/08 03:04