「四月と十月」そして貝塚紀行
牧野伊三夫編集長の美術系同人誌「四月と十月」14号、本年四月号が届いた。これには、1月15日「牧野伊三夫編集長『四月と十月』古墳部と、古墳貝塚大衆食三昧」などに書いた、おれも参加した「古墳部活動記 いにしえの美術を訪ねて」が載っているのだ。古墳部長にして帽子デザイナーの須曽明子さんのレポートがオモシロイ。
「遠藤さんが大衆食堂だけではなく古代の食事情にも博識であることがわかったので、今後の古墳部での活躍がとても楽しみになった」って、あらら、おれはもう古墳部になってしまったのか。それもいいだろう。しかし、酔っていて、何をしゃべったか覚えていないよ。
千葉市の加曽利貝塚について、須曽さんは、このように書いている。「数千年にわたり食べて残った貝のほんの一部分を見ただけだが、全体の量を考えると、ここに住んだ人たちを加曽利貝族と呼んでもいいと思えてくる。貝族は肝臓が丈夫で酒が強いとか、手先が器用で細工が上手いとか、鼻が悪いので悪臭に耐えられるというようなことまでわかってくると、もっと具体的に暮らしが見えてくるはずだ。土器の造形が大胆で派手な中部地方と比べ、おとなしくてあっさりしていることも加えて想像すると、貝族はやや地味だがコツコツ働き、争いを好まない静かな人々、とも思えてくる。イメージを膨らませすぎだろうか。」
加曽利貝塚では、暮らしと食について、イロイロ考えさせられたと思い出し、ザ大衆食のサイトに、「食の原点を考える貝塚紀行 千葉市加曾利(かそり)貝塚でビックリした」を掲載した。……クリック地獄
しかしなんだね、先日の横須賀風呂会のとき牧野さんと話したのだが、あのとき富津岬荘で入った露天風呂、スゴイ雷雨なかで、忘れられないね。なんてバカなことするんでしょ。
「四月と十月」……クリック地獄
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