ぼくのしょうらいのゆめ
けつ喰らえ、夢なんかなくても生きていけるよ。だいたい夢だの希望だの、あとなんだ、輝いているだの、NHKのタワゴトみたいで、安っぽいし甘くて薄っぺらで気持わるいんだよ。というようなことを言ったかも知れないなあ。
いやさ、プチグラパブリッシングの編集者、高野麻結子さんから最新作の『ぼくのしょうらいのゆめ』という本が送られてきて、ついていたカードに、「甘く薄い本にならぬよう努めましたが……」と書いてあった。それで、そういえば飲んだとき、進行中のその本の話を聞いて、嫌悪の情をこめてケチをつけていたような気がする。酔っていて正確に覚えていないが、ま、夢や希望なんて、けつ喰らえというようなことを言っていたなと思い出した。
が、しかし、この本、パラッと開いたら、ちょいと何枚かひきずりこまれる写真もあったり、困ったな、いまこんな本読んでいるときじゃない読まなくてはいけない資料があって大変なのだ、と思いつつ、いくつか読んでしまった。
いくつかというのは、「大人になった今、ふりかえる、あのころ、夢みていたこと」と帯にあるように、市川準、内田裕也、大竹伸朗、関野吉晴、祖父江慎、高橋悠治、田中泯、谷川俊太郎、野口聡一、吉本隆明、和田誠らのインタビューで構成されているのだ。
NHK番組みたいに、夢と希望を持ってがんばる君は輝いている、がんばれば夢や希望はかなうといった、成功モデルが語る薄っぺらな一本調子じゃなくて、十人十色が出ていてオモシロイ。それに、それぞれの話は、昔をふりかえるだけじゃなくて、いまどんなことを考えてどんな仕事をやろうとしているか、っていう話があっていいね。
市川準は「これから先、いつかはわからないけど、僕は日本の中だけで映画に関わっている状況を抜け出したいと思っています」と語る。ま、そうだろうなあ。内田裕也は「だけど福沢諭吉じゃあるまいし、ガキの頃から「今に俺はこれを!」なんていう明確なビジョンはないよね。あとはシンプルにさ、格好良くステージをやるだけ」って、そうだろうなあ。
大竹伸朗は「「次を作りたい」って気持ちが起きるってことの方がずっと信じられる。それは、まだ「自分の中の思いに決着がついてない状態」だと思うんだ。長くやっていると、どうしても効率のいい、燃費のいい方向に行くでしょ」と語るね。これは、まるで編集者の高野さんを代弁しているようだ。
関野吉晴の旅と探検に関するウンチクは、ヨシッおれも63で探検やるぞ、って気にさせるね。「過去も未来も、むやみに信じ込むのはつらいよね。明日ぐらいまではイメージできるけど、明後日のことは知る必要もないし考える必要もないし」と言う祖父江慎さんの書棚の写真は、ゲッ、夏目漱石の『坊ちゃん』だけで、こんなに……。
と、いまは全部は読んでられないから、とりあえずあと吉本隆明のジイサンは、どんなこと言っているのかなと思って見た。するとやっぱり、このジイサンにとっては、夢より幻想なのだな。「よくテレビを見ても、「夢を持たなくてはいけない」とか先生方が言っていますけど、持つことは大変結構なことだと僕は思います。だけど、夢なんて持ったって持たなくたって、実現なんてできるかどうかわからない」と、最後に例によって「共同幻想」「対幻想」「自己幻想」を述べるのだった。このジイサンは、これで食ってきたし、あと余生もこれで食うつもりらしい。
ま、おれのような夢も希望も将来もないオチコボレの酔っぱらいの、だけど純粋で穢れを知らない美しい心のジジイが読んでもオモシロイ。
ってことで、そういえば紹介するの忘れていたけど、高野さんが担当した「あたらしい教科書」シリーズの3『ことば』は、牧野伊三夫さんのイラストレーションであります。高野麻結子さんは、前に交通新聞社にいて、おれがお手伝いさせてもらった『東京定食屋ブック』や散歩の達人ムックなどを担当していた編集者ですね。交通新聞社とは違って弱小出版社ゆえ、増刷したら2冊目をつくれるそうだから、みなさまの清いゼニを、この一冊に、よろしく~。
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