「食べること」と戦争観
チト忙しいのだけど、きのうの「ひょうたんの残暑見舞いが届いた」に吸うさんのコメントがあって、戦後の教育では、そういう見方が一般的かなと思ったので、簡単に、このことだけ書いておきたい。
戦争というのは、いろいろな見方があって戦争観によって、まったく違ったとらえかたになり、日本では、先の大戦についても「敗戦」ではなく「終戦」であるという考えもあるようだし、詳しくは知らないが、とてもマニアックな細かいイキサツについて議論される。
んで、おれは、とにかく「食べること」をぬきの戦争観には、あまり興味はない。そして、「食べること」を中心に見ていくと、先の大戦というのは、日本も含め大部分の国が農業国だった。つまり一時的にせよ、国土が占領されたり戦場になって荒らされたりすることは、「食べること」においても産業構造上においても、そして文化的にも大変なダメージを受ける。
どうやら、そういうことに日本の戦争指導者は、あまり関心がなかったらしい。「武士は食わねど高楊枝」の政治であり戦争だった。そのことは、「[書評]のメルマガ」vol.267で取りあげた、『肉食文化と米食文化』(鯖田豊之著、中公文庫)などにも詳しい。
単なる政治的な権力闘争的な勝ち負けの戦争観なら、連合国は単純に「戦勝国」だけど、ヨーロッパ大陸では、一度はドイツとの戦闘に負け占領下におかれた国々がある。しかも、国によっては、国土が戦場と化した。
ドイツも含めヨーロッパ諸国は、戦争準備にあたっても「食べること」の計画は周到だったが、とにかく占領という敗戦下で、「食べること」をしなければならない経験をしている。戦後の食糧難は、「敗戦国」の日本特殊のことではなく、最後は連合国側に身を置き「戦勝国」であったヨーロッパ諸国でも深刻だった。
戦争の影響や本質を考えるなら、そういうことも考えるというのが、おれの見方なのだ。実際に、歴史の流れを「勝ち負け」の最新結果情報から見ないで、歴史の流れにしたがって向こうから見てくれば、連合国にも「敗戦国」はあった。しかも、その被占領状態は、農業国にあっては、直接「食べること」に影響する。
どこかの国の指導者たちが勝手に勝ち負けを決めて、勝てば官軍で戦争犯罪人などを裁く戦争観など、とくに庶民とっては、戦争のほんの一部のことなのだ。
とりあえず、いじょ。
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コメント
いやいや、戦後教育は関係ないっすよ。だって先生様だって戦後教育世代でしょ。
アルコール摂取量の問題でして、ああ、おいらも先生様のようにもっともっと大量摂取しなければ、と思う今日この頃。
しかし、酔ってる時と酔ってない時では、やっぱり思考や読解力に誤差が生じますな。うふふふふ...
あ、メール返事しました。来月はちょいと忙しいんすけど、基本的にはいつでも。
いきなり「今日、○時から××で呑むから来い」ってな脅迫電話や迷惑メールでもかまいません。
投稿: 吸う | 2006/08/22 13:06