『明治西洋料理起源』の見どころ
8月25日に「今日締め切りの原稿のために、明治期の西洋料理店の資料を見ている」と書いたが、これは『散歩の達人』の「掘り出し本に一本!」のコーナーに、『明治西洋料理起源』(前坊洋著、岩波書店2000年)を紹介するのだ。
本当は、『マチノロジー 街の文化学』(望月照彦著、創世記1977年)にしたかったのだが、いま読者が簡単に購入できる本じゃないといけないと却下。古本屋には比較的よく出回っているようだから散歩がてら古本屋をまわって探せばよいじゃないかと思ったが、そうもいかないらしく、この本にしたのだった。
『マチノロジー 街の文化学』については、このブログでも何度か断片的にふれている。簡単にいってしまえば、都市を「マチ」から、その最初単位として「屋台」から見直していこうという、「ヤタイオロジー」から始まる「マチノロジー」がとてもおもしろい。ようするに、屋台は、最小単位の街的な「空間(地理)」と「時間(歴史)」を有しているということから出発している、と言っていいだろう。
で、『明治西洋料理起源』は、街について語っているわけじゃなく、タイトルの通り丹念に明治西洋料理起源を掘り起こしているのだけど、あきらかに「空間(地理)」と「時間(歴史)」と、そこに生きる人びとが意識されている。結果、文明開化の東京の街が、浮かび上がってくるのだ。
それはトウゼンといえばトウゼンのことで、ま、拙著の『大衆食堂の研究』や『汁かけめし快食學』でも、とくに街の飲食店やカレーライスの歴史などを語るときに欠けている、「空間(地理)」と「時間(歴史)」を意識している。しかし、コンニチの飲食談義の世界では、そういうことから離れ書誌学的な衒学趣味文芸趣味的な、まちがいデタラメの多い、そしてマニアックな言説がマンエンしている。
『汁かけめし快食學』で何度もふれているが、料理の歴史は、とくに料理は、食べればなくなるものだから、台所での再現のくりかえしの歴史なのだということだ。つまり、その時間その空間にいる人びとのあいだに、その料理がくりかえしつくられ食べられる必然がないかぎり、あこがれの西洋人が持ち込もうが、軍隊で経験したおいしい料理だろうが、くりかえしつくられ食べられることはない。
そのことについて、『明治西洋料理起源』の著者、前坊さんも意識していて、このようなことを随所で述べている。「はじめての西洋料理屋の成立は、西洋料理を自分の意志でくりかえしたのしもうとする人々の存在を前提とする」そして、ことこまかに、ふんだんにめったやたらスゴイ資料を駆使して、その「人々の存在」を探る。
そして、アレコレ考察し、「伝統にないものが忽然と出現したわけでは決してなく」という結論に達する。ま、トウゼンといえばトウゼンだけど、こういう本がふえて、いつまでもカレーライスの「元祖」はイギリスだインドだ、軍隊から広がった、と言っているような飲食談義の風潮は、はやくなくなってほしいですね。
はて、ところで、この原稿は、いつ発売の『散歩の達人』に載るのだろうか? 無事に掲載なるのだろうか。
そうそう、それから、先日届いた、セドローくん制作の「古書現世」の目録には、『マチノロジー 街の文化学』が載っていた。A5 411頁、1800円。説明に「屋台の都市学的考察、街の占い師たちの実態調査ほか」とあるが、屋台をつくれそうなほど詳細な図解やら、渋谷などの飲み横のサーベイが載っていて、オススメ。古書現世……クリック地獄
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