ロハスはチョイ気になる
ここ数年の食関係の重要なキーワードというと、「食育」「スローフード」「ロハス」ということらしいけど、「ロハス」の最近の動向は気になる。というのも、「ロハス」は当初の動きと、まったく違った様子を見せているからだ。アメリカにおける元来の意味や意義から離れて、日本人の勝手な解釈や気分が支配するところとなったようだ。そして、なにか「よい」を志向しながらも、イマイチ「食育」や「スローフード」に積極的になれなかった気分も、「ロハス」だとしっくりくる関係も見られる。
もともと、「食育」「スローフード」は、その成り立ちからして生産者志向や国家志向が強いコンセプトで、たとえば「地産地消」や「手をかけるほどよい手作り」といった考えは、とくに圧倒的多数の都会の消費者の日常生活とは矛盾が多い。
その矛盾を、消費者は怠け者の堕落者で「感謝」が足りない大バカ者と断罪することで、押し付けがましく説教臭く、それぞれの生活に干渉しながら成り立つ面があった。生産者の団体や栄養士のセンセ、その上に、政権党の諸センセ方や官僚が偉そうに旗を振っている…こんなぐあいにね。クリック地獄。
都会の消費者が、より自由な感覚や発想を働かせる余地は、ほとんどない。ところが、「ロハス」は最近とくに、それぞれの勝手な解釈で、自分なりのロハスというかんじで広がっているようだ。そこには、押し付けがましい居丈高の声高の主張はない。
「ロハス」って、なーに?というと、「アメリカ生まれの造語でね、Lifestyle of health and stainability
という英語の略。「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」ということのなのよ」という答えが返ってくるあたりは共通しているが、ほかはてんでばらばら雑多なのだ。とくに「地産地消」のような強固なモデルが頑張っているわけでもなく、それは望ましいかも知れないけど、「食育」や「スローフード」のように、そうじゃなきゃいけないという教えに従う必要はまったくない。「手をかけ、時間をかけるばかりが、おいしい料理の秘訣ではない。忙しい、時間がない、そんな制約があるからこそ、工夫し知恵を絞って、新しいおいしさを発見する」といった主張も通用する。
そのように消費者の自由な感覚が通用しやすいということは、マーケティング的にもやりやすいということになるから、ますます「ロハス」は普及する。という関係もあるようだ。そこは、いいことばかりじゃやないようだが、ようするに、それぞれが「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」を送っているという「感覚」や「気分」が、あるかどうかなのだな。そこに、少なくとも、生産者志向の色濃い押し付けがましい「食育」や「スローフード」との違いがあり、自立的なライフスタイルの志向が強いほど、「ロハス」に向う可能性がある。
なーんてことを思考しつつ、きのうは締め切りの原稿を仕上げてメールで送った。書いたのは、ロハスのことではなく、オススメ本の紹介だけど。金曜日締め切りというのは、本当は月曜日の朝までに送ればよいというわかっているのだが、「健康と持続可能な社会に配慮したライフスタイル」からすれば、おれのような「作文芸人」ではない「作文労働者」は、締切日は守っておいたほうが健康と持続可能の社会のためによいという判断なのだ。というぐあいに「ロハス」をつかうことも可能か?
ま、ロハスについては、まだ書く、つもり。
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コメント
詳しいことは知りませんが、商品化や商売にしようとすると、いろいろあるようですね。
「ロハスクラブ」の様子をみると、ロハスは環境省の利権下にもあるようだし。
投稿: エンテツ | 2006/08/27 10:24
ロハスを勝手に使うと、三井物産と雑誌「ソトコト」にえらい怒られるって聞いたのですが、どうなんでしょう。
投稿: でれすけ | 2006/08/26 23:37