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2006/09/30

まな板 木製かプラスチック製か

原稿締め切りが10月6日の「書評のメルマガ」では、『まな板』(石村眞一著、法政大学出版局2006年3月20日)を取りあげようと思い、持って歩いて読んでいる。まな板の起源から、写真や資料も豊富、調査も入念で、おもしろい。こういう歴史的な著述は、とかく伝記と伝説と伝承と神話などがゴチャゴチャになりやすいが、そのへんの混乱がないよう書かれている。

近年のまな板で気になっていたのは、プラスチック製のまな板の普及だ。あれはいつごろだったか、伝統主義日本料理の飲食店にまで急速に普及した。伝統主義が、どうしてプラスチックなのだと思ったことがあったが、「板場」というぐらいの日本料理の厨房に、白いプラスチック製は、リクツぬきにヘンで違和感があった。

この本では、そのあたりの事情までおいかけている。その事情が、いかにも日本的だ。おれの記憶でも、「お上」のほうから、プラスチック製のほうが衛生的だから、なるべくこれを使うようにという指導があったように思うが、そこんとこを著者は「厚生労働省食品保健課に業務用まな板に関する規格と使用方法について問い合わせた」

いけねえ、時間がない。簡単に書いておくと。

厚生労働省は、まな板に関する法的な規格はないし、まな板に関する正式な指導とか通知は一切してない、ただし、「一九七三年三月に「なるべくプラスチック製のものを使って下さい」というマニュアルを出した」と答える。これだ。

著者は、さらに都道府県レベルの保健所から市町村レベルまで追跡調査し、「厚生労働省の見解としては、具体的指導はないとしているが、市町村レベルでの監督内容は、実質的には指導に近いという見方もできる」と書く。

日本の政治と行政は、万事が、この調子なのだ。まな板にまで口出ししたうえ、はたして法律の問題なのか行政指導の問題なのか、わけがわからなくなる仕組みになっているのだ。それは政治家や役人が責任をとらずに生きのびたり、法の目をくぐって業者と癒着するための「知恵」なのだが。

おれは自分のウチの台所では一回だけプラスチック製を使ったが、木の方が良いという判断で、ずっと木を使っている。

【10月1日って日本酒の日だって知ってました?】というメールがきた。知らんかった。とにかく、考えたら9月は、予定していたことがほとんどできずに過ぎた。スケジュールをたてようとしてもキチンと収まりつかないところまできた。流れにまかせるよりしょうがないな、それでもなんとかなるものだと腹をくくりつつ、明日の日本酒の日はトウゼン飲むのだ。これも美しい日本の伝統を守るため仕方ないのだ。やれやれ。

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2006/09/29

いづみや西川口店新装披露

0609izumiya_kawagutiチト今日は忙しいので、写真掲載だけ、あとで書き足すツモリ。もしかすると明日、もしかすると明後日、いや明後日はもっと忙しいか、ま、とにかく、そういうことで。メールいただきながら、急ぎの用件ではない方には、返事が遅れています、すみません、悪しからず、すみません。

きのうは、いづみや西川口店の新装披露に招かれて行った。以前の状態は知らないが、テーブルのサイズなどは大宮と同じ、例のビミョーなサイズ。つまり内外装を白っぽい系にしただけかも。しかし「若い女ギャルは近寄れない店」というコンセプトは一貫しているようだ。若い女たちよ、恐れずに入れ。ここに真の男たちの姿がある。ま、とりあえず、そういうことで。

10月1日にオープン。埼玉県川口市並木2丁目19-6、048-251-2392。

ザ大衆食「いづみや」……クリック地獄

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2006/09/28

自然に還る土地でキビ入りおこわ

低執着高倦怠性のせいか、2日ばかりパソコンにむかわないでいると、ブログもうっとうしくめんどうでどうでもよくなる。ケセラセラセラ、セラセラケセラ。

25日、新宿下層の民との飲み会へ行く前に、高田馬場の古書現世に寄る。二代目セドローくんこと向井透史さんの『早稲田古本屋街』(未来社)が今日発売なのだ。食べ切れない、はすみふぁーむの巨峰一房を土産。ウチを出るのが遅かったので、アタフタ本だけ買って、急ぎ新宿へ。

ありゃりゃ、待ち合わせ場所の長野屋食堂は、28日まで内装工事のため休み。しかし、いまどきの下層の民は、携帯電話だけは持っている。無事に合流、1年以上すぎてしまったが、みな下層のまま。本代より酒代一円でも大事の連中、おれはこういう連中と付き合っているから本が売れないんだよなあ、もっと本を買いそうな連中と販促な人間関係を築かないとなあ、ヤイッおめえらたまにはおれの本ぐらい買え!と、ここに書いてもパソコンなんか関係ない連中ばかり。それもいいだろう。だがね、なら、どうして携帯電話を持つのよ。携帯電話は下層の民の必需品か。酩酊。

26日、やや酒が残るなか、朝9時半出発。むははは、ウラ総理から電話があり森林再生機構内閣に入閣の要請があったのだ。

ますます山は美しい自然に還っている。オモテの内閣が「美しい日本」なんていわなくても、政治から捨てられ放棄された山村は、年々人間が住めない、真に美しい自然そのものに還りつつあるのだ。イノシシ、ハクビシン、シカ、そして今年は、久しぶりに、とりわけクマが活躍だ。

7、8年前に、クマがバス道路のすぐ近くのクリの木まで「侵出」してきたときの、クリの木の無残の写真は、以前にザ大衆食のサイトに掲載した。「小鹿野町藤倉の秋とクリとクマ」……クリック地獄。今年は、そのとき以来の出没だ。残っていたクリの木は全滅。

イノシシは、もういまさら言うまでもなく、ジャガイモなど人間様が肥料代を出して育てた作物を、ぜんぶ食べてしまい、さらに畑の小屋に堂々と子供を生み育てている。人間様はスゴスゴと引き下がり、食べるのに困り、ガソリン代をつかって町まで買出しに行く始末。

やつらは食べては大量の水を飲む。家の裏10メートルほどのところにある井戸も荒らされた。まさに獣たちが自由にふるまう自然に還りつつある。

06_okowaま、とにかく、キビとクリとアズキが入ったおこわを食べた。とくに祝祭や行事のおこわではなく、秋の日常の食だ。写真も撮ってきた。画像クリック地獄で拡大。

黄色いキビがタップリ入っている。むかし子供のころは、キビばかりのメシを食べさせられて嫌だったというバアサンがつくるおこわだ。これでもキビはひかえめなのかも知れないが、とてもこうばしい独特の味わいで、うまい。

むかしは自家製のキビだったが、いまは買ってくる。国産は輸入モノよりかなり高いが、やはり味がよいそうだ。美しい青い空、おいしい空気おいしい水……獣に囲まれ自然に還りつつある家で食べる、高価なキビ入りおこわである。

北浦和の家にもどると、牧野伊三夫さんから、サントリーの『WHISKY VOICE』25号と専用のハードカバーのファイリングフォルダーが届いていた。ありがとね、また飲もうね。

あと、右文書院から南陀楼綾繁さんの『路上派遊書日記』が届いていた。ホントウに出たのだなあ。冒頭の一月、「どーせ儲からないんだから好きにやろう」の見出し、「ノーテンキ文芸の詩人」の妙名に恥じない。だが、読めばわかる、これはなかなかの芸、計算ずくのノーテンキ私事仕事戦略なのだ。

ま、とにかく、おれが書いた注だけでも、立ち読みしてね。と、パラッと見ると、いきなり6ページ目に、おれ「エンテンさん」の注を、浅生ハルミンさんが書いている。

いまやめったに知る人がいないはずの「逸話」。この話を、どこで仕入れたのか察しはつくが。逸話というのは、実話とちがい、どんどん広がるにしたがって変化していくのがオモシロイ。「飄々とした風貌でありながら大胆かつ豪快。大手編集企画会社に勤務時代、出張で出向いたアメリカで、西部開拓時代に使われていた本物の幌馬車にひと目惚れして即購入。会社に運んでしばらく愛でていた、という逸話をもつ」

逸話というのは、逸話だから楽しい。ここに真相を暴露するような野暮はしないでおこう。いや、真相のほうが、オモシロイか……。

今日は、こんなところで。あといろいろなモノや、メールなどいただいていますが、ありがとうございます。返事などは、遅れるかも知れませんが、悪しからず。

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2006/09/25

目黒のさんまの伝統を考える

日にちは忘れたが、8月のおわりごろの夜、目黒へ行った。歩いていると「目黒のさんま祭り」というのぼり旗が何本も立っていた。芸のない名前だが、ちかごろ気どっている目黒にしては、庶民的なクサイ名前の祭りだなあと思った。

きのう1尾100円のさんまを3尾買って来て焼いて、一度に2人で全部たべた。1年に1度でもいい、こんなに好きなだけさんま焼きをたべられるなんて、シアワセだなあ、とか思いながら。

落語の「目黒のさんま」のセンで考えると、さんまを食べることは「日本料理」の伝統ではない。「日本料理」の伝統は、さんまなどの大衆魚は、「下魚」「雑魚」と軽蔑し料理につかわなかった。だから、「目黒のさんま」は、庶民文化である落語だからできた。

大衆が食べるうまいさんまを知らない殿様の存在は、さんまを軽蔑してきた偉そうな「日本料理」の存在でもある。落語の「目黒のさんま」で笑うことは、そういう殿様的「日本料理」を笑うことでもあるのだな。

しかし、いま「食育」なんぞで、殿様的「日本料理」の一部の担い手が、いかにも自分たちが伝統の守り手であるがごとくふるまい、さんまの伝統を楽しんできた大衆にむかって、「四季のある日本は美しい!」「旬!旬!旬!」とか申して伝統を説く。いやあ、ははははは~

しかも、いまの大衆が、こんなにさんまをくって「旬」を味わえるのは、あの例の、日本は便利になって心が失われたと「日本料理」の一部の担い手たちが嘆く、近代文明の豊かさ便利さのおかげでございます。いまじゃ、かつては、めったにたべられなかった、さんまの刺身までくえるぞ。

殿様的「日本料理」は相変わらず、たいの刺身じゃなきゃ刺身じゃねえとでもいうのだろうか。「伝統」にしたがえば、そういうことだろうな。

ま、とにかくね、近頃は、むかしはよかったと現代を呪うような言説ばかりが、とくに「食育」の周辺では目立ち、「食生活の怖さ」が強調されるけどさ、そんな怨みや恐怖心を煽って、むかしはよかった、むかしのようになれば、って、そのむかしというのは、さんまを軽蔑するような殿様的「日本料理」の板前たちがもっと威張っていられたということなんだろうけど、そんなむかし帰りばかりを言っているより、もっとイマの日本を肯定的にとらえ、イマの日本人がもっている知識や技術や個性などの可能性を、よい未来づくり社会づくりのためにどう発揮するか追求したほうがよいんじゃないの。けっきょく、自分が未来を構想できないがゆえに、むかしはよかったと言っているだけじゃないのかなあ。なんか、そんな気がする、さんまの味わい。

しかし、なんだね、その目黒のさんまの殿様は、大根おろしや醤油をつかって食べたのだろうか? どうやって食べたのだろう? いまじゃ、さんまに、レモン汁やゆずポンなどをかけたりもするね。いわしの場合はひらいて、ハーブやチーズをのっけてオーブンで焼いたりするけど、さんまの場合はどうかな。うまく食べるために、それぞれ自由にやることで、また新しい魅力が育つのさ。そこに伝統が息づいていくのさ。

タイが一等でサンマは下等なんていう伝統じゃ、未来はないよ。だから、そういうのは衰退する。伝統にも盛衰があるのさ。滅びの伝統を押し付けられちゃ、たまんないよ。

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2006/09/24

食品商業の連載がおわったので

ザ大衆食のサイトの「食品商業連載」のページを更新し、チト感想めいたことを載せた。おおよそは、ここに転載しておく。詳しくは……クリック地獄


連載は9月15日発売の10月号で無事に終了。全10回、食生活にかかわる普遍的なテーマばかりだった。

言い方を変えれば「重い」テーマばかり、ということになるかも知れない。しかし「重い」と思うとしたら、食について、日本の日常は、あまりにも狭量かつ軽すぎるからであって、これぐらいは誰でも自分の考えを持って、ヘンな酒場やウマイ料理のウワサ話をするように、茶飲み話ていどの気軽さでオシャベリできるのがトウゼンだと思う。

ようするに、いまの日本は、人間の生命も一生も、軽く扱われているということなのだ。また軽く扱うフリをしてアソブことが「粋」な生き方であるかのような風潮もある。ゲーム感覚の食べ歩きやグルメもいいが、それはやはり、人道から外れているがゆえの密かなタノシミであるという自覚の後ろめたさを多少は持ってやってもらわないとおもしろくでもないし、マジメに食品を考えたりつくったり楽しい食事を追求するのは、ますますバカバカしいことになる。そして、一方で押付けがましい説教くさい「食育」や、科学的な装いのペテンのような栄養諸リクツがはびこることにもなる。

連載の最後には、「自由に書かせていただいて感謝しています。そのわりには、他のお2人の執筆者に比較して、私の立場はややアイマイで、思い切り暴走できなかったのが心残りです。とにかく、ご愛読ありがとうございました」と書いた。

■各号のテーマ

06年10月号 最終回のテーマ 食のこころ こころの食
06年9月号 第9回のテーマ  飢餓はこの世からなくせるか
06年8月号 第8回のテーマ  食料自給率「40%」は危機か
06年7月号 第7回のテーマ  健康「ブーム」は行き過ぎか
06年6月号 第6回のテーマ  「魚食べない」も時代の流れか
06年5月号 第5回のテーマ  「階層社会・日本」の食
06年4月号 第4回のテーマ  食を支える仕事の誇り
06年3月号 第3回のテーマ  家事労働 炊事 女と男
06年2月号 第2回のテーマ  必然か おせっかいか 食育基本法
06年1月号 第1回のテーマ  「食の豊かさ」ってなんですか

要約は、第4回まで掲載してあるが、後日、順次、そのうちタブン掲載する。

この連載は「食のこころ こころの食」という通しタイトルのもと、毎月編集者から頂くお題について、決まった3人の筆者が書くというものだった。しかも、その筆者の、一人はスーパー業界の長老格リーダー、一人は生産者の方、そしておれは消費者寄りというか、ま、大衆食の立場であり、かつ年齢もテキトウに離れているという、三者三様の顔ぶれというのがおもしろい。

あらためてほかのお二人を、雑誌に掲載のプロフィールから紹介しよう。

●清水次信(しみず つぐのぶ)さん
1926年4月三重県津市生まれ。43年12月、大阪貿易学校卒業。45年9月、清水商店設立。56年9月、㈱ライフコーポレーション設立、代表取締役社長に就任。06年3月、代表取締役会長兼CEOに就任。99年7月、日本スーパーマーケット協会初代会長に就任。

●渡辺征治(わたなべ せいじ)さん
1965年宮城県石巻市生まれ、現住。フリーライター兼米農家。仙台でコピーライターを勤めた後、ルポを志向、代々のコメ作りも手伝う。自然と農林漁業、そのまわりの衣食住を主題に、月刊『家の光』(JAグループ家の光協会)、季刊『住む。』(農文協)等に執筆。
渡辺さんのブログ「川の畑雑記帖」…クリック地獄

●食品商業の出版社、商業界のサイト…クリック地獄

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2006/09/23

小沢信男「池袋今昔物語」と白っぽい再開発

小沢信男さんの著書に『いまむかし・東京逍遥』(晶文社1983年)がある。白っぽい装丁、本文のデザインも余白をとって白っぽい。だけど、内容は、白っぽいわけじゃない。ただ、むかしから、晶文社のような文化っぽい出版社の本は、白っぽかったのだなあと思った……そのことじゃない。

この本に収録されている「池袋今昔物語」という小作品だ。83年3月雑誌『現代の眼』が初出。そのころ、著者の小沢さんは、東池袋の一角に住んでいた。「東池袋の現住所に、私が世帯を持ったのが二十年前で、当時は町名を西巣鴨と言った」。同じ町内に、サンシャイン60に化けた巣鴨プリズンがあった。狭い路地が入り組み、ボロな家屋が密集する一角だ。

この小作品の最後は、こうだ。

引用……

 ところが、あちらには、おのずから別な見方があるようで、家屋密集地帯を見おろすと取り払って再開発がしたくなるらしいのだ。往昔の西口マーケット街とほとんど同様に、嘆かわしい、遅れた地域と見えるのだろう。はたせるかなつい先頃もまた、東京都が、東池袋四、五丁目を再開発地域に指定したが。彼らはそれを恩恵のように思っているから世話はないのだ。そのうち池袋がもっと接近してきて、拙宅あたりも”文化的”にされてしまうのだろう。やれやれ。

……引用おわり

「あちら」とは行政やサンシャイン60をおっ建てたものたち。「池袋」とは再開発された”文化的”な街のことだ。

すでに新聞などで何度も報道されていると思うが、いま、この東池袋四、五丁目は、再開発の真っ最中だ。都電東池袋4丁目駅周辺の景色は、まったく変わった。まさに、あの黒っぽい密集した家屋は姿を消し、白っぽい街が生まれつつある。

東京都が再開発地域に指定して、約20年。その間、なにがあったのだろうか。

少なくとも再開発にからんでいえば、借地借家法など、ほか地権者に有利な法改正が行なわれ、実際に住んでいる人や利用者より地主が有利であるようになった。つまり、そこに住んでいなくても土地の権利を持っている地権者さえまとまれば、再開発は、ほとんど行政と地権者の意のままに進められる状態になった。また従来とは比べものにならない、ずっと大きな容積の、つまり収入の多いビルを建てられるようになった。法律的にいえば、そういうことで、これによって最後は、よほどの抵抗でもないかぎり、押し切られてしまう。どんなに借りたり住んだりで、利用している人が多くても、無力におわる。

が、しかし、一方で風俗的文化的な面では、レトロブームなどが盛り上がったわけだ。その東池袋四、五丁目の、すぐそばには、レトロ趣味を象徴するようなナンジャタウンまでできた。じつは、それは再開発されたビルの中にできたものであり、グリコのおまけのレプリカを買って喜ぶような消費的なアソビ文化にすぎない。

家や街を、自分たちの手でトコトン使いつなぐという文化とは無関係だし、消費的なアソビ文化は、けっきょく現実に対して無関心か傍観者でしかない。

グリコのおまけのレプリカを買ってよろこぶようなレトロブームが、多少でもいいから、再開発問題への関心や、家や街を自分たちの手でトコトン使いつなぐ文化などに、むかえば、少しは事態は変わったかもしれないなあと思うことが、あったねえ。

しかし、そういうことに無関心か傍観者でしかないレトロブームは、かえって再開発推進の外堀としての役割を、いまも果たしているように思う。

と、もうすでにアキラメているのに、またミニバブル到来で白っぽい再開発の黒い腹が、大口開けて喜んでいるのをみて、性懲りもなく書いてしまった。やれやれ。

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2006/09/22

白っぽくなった「散歩の達人」に「1本!」そして「白黒評論」

きのうのことをチト日記風に。

「嗜好と味覚の「白型」と「黒型」」をアップして出がけにポストをのぞくと、『散歩の達人』10月号の掲載見本誌が届いている。電車の中で見る。P60の「掘り出し本に一本!」に、『明治西洋料理起源』(前坊洋著、岩波書店)を紹介したのだ。

なんだか、どうってことない文章だが、うまく見えるぞ。なぜかなと思ったら、誌面が白っぽいせいのようだ。最近は、やたら白っぽい誌面が多い、白っぽいほうがウケがよいのだな。吾妻ひでおの『失踪日記』だって、やたら白い。あれを、東陽片岡さんのように、めったやたら黒っぽく描いていたら、そうは人気は出なかったにちがいない。エッセイだのなんだの、文芸っぽいのは、みな白っぽくなり、白っぽいことで文芸的なのだ、ヘタな文章もクダラナイ内容も誌面のイメージでうまく見える寸法だ。

そういえば『散歩の達人』は二年ほど前だったか、かなり誌面イメージを変えた。ようするに白っぽくなった。おれが最初に「大衆食堂の逆襲」を書いた1997年ころは、ハッキリ黒っぽい系だったが。そのあと何度かリニューアルというか変わって、どんどん白っぽくなった。もうおれのような黒っぽい系には、原稿の依頼などないだろう思っていたが、あった。黒っぽい原稿も、白っぽい誌面に入れてしまえば、なんとかなるのだな。

なーんて「白黒評論家」になったような思考をしながら、6時半中野駅着。先月は忙しいのと暑いのとで、なんとなくサボってしまった、やどやの飲みーてぃんぐ。2か月ぶりぐらいということか。1名ポルトガルへ逃走中。

この夏のゲストハウスの客は、これまでと違った傾向が見られたらしい。とくに目立ったのはフランス人客が多かったことで、みなオタクたち、「萌え」系。セーラー服を買い込んで帰国したらしい。ふーむ。ま、国内の客も含め、単なる観光遊びというより、テーマ性のある旅のひとが増えているということのようだ。

バチカン法王の失言「陳謝」問題は今後の世界情勢にかなりの影響が出るとの観測も。カソリックの相対的低下か、あいだをぬってユダヤの影響増すか、ロシアの動き、資源をめぐる動き、安倍と官僚の動向そしてカラーズ連携なるか、そうだホワイトとカラーズだ、ここでも「白黒問題」が。日本はカラーズだけど、カラーズからは仲間に思われていない、そしてホワイトからはもちろん仲間とみなされていないが、かといってカラーズ扱いではない、ホワイトでもなくカラーズでもなく、ホワイトでもありカラーズでもあり、都合のよい女としてしか扱われない日本の立場を利用して、どう稼ぐかだな、団塊の世代から選挙権を取りあげてしまうという案はおもしろいがやどやの事業としてはできないからなあ、そうかまずは長野の攻略か、では10月に長野視察にまいろう。と、世界情勢日本情勢からどんどん飛躍しマジメに検討しつつ当面のビジネスイベントは長野でということに落ち着く。そうそう、あと、対リッチ戦略だな。これは長野とリンクさせながら考えてみる。そんなところか? なんだか、またまたおもしろくなりそう。当面は、一戸まるまる借りられる貸しビルが、はやく見つかるとよいのだが。

夏のあいだ暑くてサボっていたことをやらなくてはならないうえ、ここんとこミニバブル現象もあってか、いろいろ動きがあって、なにやらいろいろ重なってきてしまった。

中野45番街、地上げがすすみ、ひどい状態に。不動産屋と土建屋、それを支える金融、この連中をしばりあげないことには、街は力を失う。この連中をしばりあげての市場原理ならよいのだが。まだまだ規制が強いうえに行政とつるんだ再開発が横行しているうちは難しい。

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2006/09/21

嗜好と味覚の「白型」と「黒型」

嗜好は味覚と密接だ。食べ歩いて店の味を評価し紹介しているような場合でも、じつはそれは自分の嗜好で評価し述べている場合が少なくない。

で、このあいだからときどき、嗜好あるいは味覚の「白型」に「黒型」を、アレコレ思考している。それは、たまーに行く小さな居酒屋食堂で厚揚煮を食べたとき、フラッと思いついたのだった。

厚揚煮が、すごく甘辛いのだ。甘露煮のような。そして、かぎりなく醤油ナマの色つまり黒に近い。最初一口食べて、ウヘッこれはかなりのものですなあと思いながら、それをツマミに飲んでいると、あとから来た、30代ぐらいの男が同じものを頼んだ。んで、オヤジと話をしている内容で察するに、オヤジは栃木県の出身で、男もそうなのだ。男はこの厚揚煮を食べるのが楽しみで来ているのだった。つまり、これは、どうやら「ふるさとの味覚」ということらしい。

しかし、ほかの料理は、そんなに甘辛くないのにねえ。厚揚煮だけがそうなのか。まだ全部のメニューを食べてないからわからない。

よく関西風と関東風の味覚を比較する。うどんの汁など顕著だが、関西風は「白型」で関東風は「黒型」といえるだろう。塩気からすれば、どちらも同じようなものであっても、白型は薄味とみなされたりする。で、ちかごろは関西風が優勢のようだけど、これは味覚の違いというより、「白」と「黒」に対する嗜好の違いや優劣観の歴史が、味覚に影響していると考えてみると、なにかオモシロイなと思ったのだ。そういえば、西でも、九州だと「黒型」っぽいかんじもある。

つまり関西風の味覚が優れているということではなく、「白」と「黒」に対する嗜好が背景にある。んで、なんらかの理由で「白」の優位から、「白型」の味覚のものが好まれ広がったというふうに考えてみる。

日本人が「黒型」の玄米や雑穀米より白米を食べるようになったのも、「白」と「黒」に対する嗜好が関係しているかも知れない。そういえば、東えびすに京おんなは、「黒」と「白」のイメージだろう。西のタイ、東のマグロも、「白」と「黒」だ。

とか、考えて、まだ何が出てくるかわからないが、味覚の背景には、そのような嗜好がはたらいているかも知れないなあ、これは、ザ大衆食のサイトにも紹介した「料理分類学研究所」があったら、おもしろいネタになりそうだと思っているのだ。

チョイと前だが、雑誌『談』編集長によるBlogに「以前立ち上げた料理分類学研究所、再出発させようか」があったけど、やってくださいよ。

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2006/09/20

嗜好からみたその人の性質

 さて、いろいろな嗜好が、ある程度その人の状態をみせてくれることは以上でおわかりいただけたと思う。しかし、これは、いつまでも続くものではない。その人が食べ方を変えれば、当然であるが、性格も変わってくる。
 織田信長が、のちに薄味でゆっくり食べるようになると大将らしくなったのをみても、嗜好は変わらないということではない。実は、嗜好は、環境や心構えでずいぶん変動するものなのである。ただ、そこにはある程度意志の力が必要であることには違いないが。

 次に、嗜好性と、その人の性格の傾向を今まで述べた分も含めてまとめておこう。
 塩味の強い物の好きな人はよく怒る。つまり少しのことで激しく腹をたてる。
 味もみないで調味料を料理にかける人は、他人が信じられない。あるいは思いやりがない。
 熱いもの好きは気短かである。反対に猫舌はのんびりやか、じっくり型である。
 早めしでないと気がすまない人はよく気が変わる。また自分中心的である。自分の考えたことはすべてよいが他人のことは気に入らない。
 野菜嫌いは情緒不安定である。
 薄味好きの人は物事を考える人、策略のきく人である。
 めん類の好きな人、特に、汁のあるめん類やそばのように、たれをつけてするする食べるのが好きな人は気短かか、せかせかしている。
 肉好きは強気で自分本位。
 お菓子など甘い物好きは、仕事を一日のばしにする傾向がある。
 料理の味の甘み好きは発想の貧困、甘えん坊だ。
 砂糖をべろべろなめるのは、欲求不満が渦巻いている。試験の前などにこれをする学生がよくいる。
 ひき肉しか食べない、つまり硬い肉の食べられない人は甘えん坊で根気がない。
 卵焼きの好きな人も同様だし、骨のある魚が嫌いな人も甘えん坊である。
 朝食ぬきがよいと思っている人は、仕事がしめくくれない。
 料理を隠すようにして食べる人は、嘘つきの傾向がある。
 料理の最後に必ずお茶漬を食べないとおさまらない人は、物事を一日のばしにする。
 やたらとお茶を飲む人は欲求不満であり、また他人の持つものが気になる。
 タンパク質の不足の人はスタミナがない、また根気が続かない。
 ピタミソA不足の人は、細かい仕事ができないし根気がない。
 ビタミンB1の足りない人は忘れっぽい、イライラしている、他人のことが気になる。
 ビタミンB2不足の人は、物事をやる気がない、セックスが弱い。


……長い引用だが。以上は、河野友美さんの『たべもの嗜好学入門』(中公文庫1988年、もとの単行本は毎日新聞社1978年)の最初の章「食嗜好と人間の生活」のまとめ的な「嗜好からみたその人の性質」だ。

ここだけ読むと、ぐへっ、ア然、ボー然だ。そして、たぶん、ここだけ読んで、そうだそうだと引用したり、もの知り顔に人に話したりということが、けっこうあるのではないかと思う。「神話」や「伝説」は、そのようにして生まれるようだが、食の話には、そのテのことが多い。

ま、こういう話は、けっこう読者が興味を持つ。だから著者は、「たべもの嗜好学」に興味を持ってもらおうと、こういう話を最初にしたらしい。

最後まで読むと、「文庫のあとがき」に、こう書いている。以下引用……

 本書の最初には、栄養的な偏りが、結果的にその人自身の表面的な性格に見間違えることに触れている。しかし、実際は、その人がよい栄養状態なら、もっとその人本来のよい性格が出てくるはずだ。そこで、栄養の偏りをなくするには、どうすれぽよいかということになる。それは、結局上手に食べるしか方法がない。といっても、心理的な要素の多い食事で、うまく食べうといっても、それは無理である。そこには、食嗜好学的な配慮がどうしても必要である。となると、たべものの嗜好は、どのような構造であるのか、その点を追究していかねばならない。
 このことは、食事はあくまでも人間がおいしく食べることであって、栄養が満足出来ていればそれでよいというものでは決してないのだ。もし、人間であるということを忘れたら、それは、食事ではなく、単に食べるだけのこと、あるいは、食事ではなく、飼育するための飼料的存在になってしまうことになる。これでは、生きる喜びも大幅に減少するという事だ。

……引用おわり

嗜好は、栄養状況だけではなく、色彩、香り、気候風土、ムード、ストレス、イメージ、などいろいろなことに左右され、それがまた人の精神状態や性格などいろいろなことに関係する、「食嗜好学的な配慮がどうしても必要である」ということを述べているのだけど。でも、最初の部分だけ読んで信じやすいよなあ。

おれなんか、ヨシッ、ビタミンB2を食べればよいんだな!と思ったもんな。やれやれ。

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2006/09/19

浅草竜泉の不二食堂は閉店

忘れないうちに。
先日堀内恭さんから手紙があって。「竜泉の不二食堂は7月末にて閉店しました。店はこわすようです。あの、まったりとした空間とご夫婦も今となってはなつかしいです」と。すでに更地になっているらしい。

ザ大衆食「不二食堂」…クリック地獄

常連さんも含め、まったり度のよい食堂だった。ご苦労さまでした。

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「食育」言葉のルーツ、誤解あるいは奇怪

とにかく古い、有名人が使った言葉だ、それだけで「権威」になり、祭壇に飾られる。

たとえば「食育」について、全国料理学校協会理事をやり料理専門学校の校長をしているような人が、こんなふうに書いている。

「明治三十六年、村井弦斎が新聞のコラム『食道楽』の中で”知恵・徳育・体育のほかに、いまひとつ「食育」が大切だ!と述べている。この深みある言葉が明治・大正・昭和と目まぐるしく変わる時流に、いつしか忘れ去られてしまった」

なんだかこの書き方、自分だけは忘れていなかったかのような感じだけど、これは『食道楽』からの正確な引用ではなく、この人の勝手な解釈がすでに入っているが、明治三十六年に新聞のコラムで!というあたりで錦の御旗ゾ土下座せよ、というかんじで、へへーっと頭を下げさせてしまいそう。

が、しかし、すでにかなり知られているが、「食育」という言葉は、村井弦斎の『食道楽』で始まったのではない。明治31年(1898年)石塚左玄が『食物養生法 通俗食物養生法』で使用した言葉を、その内容に従って村井弦斎が使った。そのへんのことは、「食育・食生活指針の情報センター」のサイト「食育といっても広範囲で、どこまで入るのですか」にもチトあやふやだが書いてある。……クリック地獄

そして、この情報センターの解説では、「そのルーツは大変古い物です」と説明しているが、現在の「食育」という言葉は、ルーツを継承しながら継続的に使われてきたわけではない。

モンダイは、石塚左玄がその本を出したころは、「食物養生」つまり「食養」は、明治になってからの近代的な「栄養(当時は「営養」と表記していたが)」を批判する立場の用語であり、石塚左玄も自ら「酷評」という言葉を使って「営養」をこきおろしている。そういう言葉として、「食育食養法」という言葉が登場するのだ。つまり近代栄養学とは、まっこう対決の言葉として登場した。そして、「食育」という言葉は広く使われることなくおわる。

その「食育」を、服部センセなど、近代栄養学の人たちが使って「食育」を推進している。この構図は、じつにおもしろいものがある。

とにかく、石塚左玄さんが「酷評」した一方の営養論はどんなアンバイだったかというと、日本の家政学の創始に貢献した下田歌子さんの著書『家政学』(東京:博文館,明26.5)が有名だから、そのあたりから。

以下引用……

人身に、滋養となるべき飲食、種々ありと雖も、其原質を大別すれば、三種なり。其第一は、含窒素物、即ち、成形質にして、肉類の繊維、鳥卵の蛋白、乳汁の乾酪素、及び、豆類等なり。其二は、無窒素物、即ち、燃焼質にして動植物の脂肪、米、麦、蔬菜等の澱粉、果実の糖類の如きものなり。其三は、常用の食塩、動植物等の食品中に含有する、燐酸塩、石灰塩、苦土塩の類にして、是等は、食品燃焼の際、残留する所の灰なり。此各種の滋養品は、身神の動作を保持する基礎なり。其第一の、人身に必要なるは、云ふ迄も無けれど、其第二は、人身中の薪炭の如く、専ら、体温を発生し、第三は、専ら、骨格の構成を挙げるものなり。此三種を、適度に併せ食して、身体の営養を取るべし。

……引用おわり。と、まあ、こんな調子で、西欧から翻訳輸入の近代的な流行の理論だった。

前文は国会図書館の電子ライブラリーで閲覧できる。
「家政学」下田歌子 東京:博文館,明26.5→「飲食」「食品の選定」

に対して、おもしろくないのは、東洋思想つまり漢方の養生法を継承してきた、陸軍薬剤監従六位勲四等の石塚左玄。『食物養生法 通俗食物養生法』(東京:博文館,明31.1)。これも国会図書館の電子ライブラリーで閲覧できる。

ま、しかし、この本は漢文調で難解のうえ、その主張は感情的、ご都合主義的で、そもそもその漢方の「食育食養法」を説くのに「化学的食養法」と称し、すでに言葉の上では近代化に押されている。そして、言葉では近代的な装いをしているが、述べていることは、要約すると「肉類を貪食せんとする欲情に駆らるるがゆへに釈尊も孔子も古今東西聖人は、これをつつしめといった」というようなことで、反肉食で、陰陽五行説をもとに、近代的あるいは西欧的な営養を「酷評」する。

ただし、営養論者の弱点は突いていた。つまり食べ物の営養成分と消化吸収はちがうと、営養論者の主張に欠けているところを突いたのだ。一か所弱点をみつけると、そこにくらいついて全否定をするのは、どうやら日本の伝統的狭量的たくましさであるようだ。

ま、じつは、こういう対立は、いまでも続いていて、折衷みたいなものもたくさんあって、それはそれはオモシロイのだが、今日はこれぐらいで。

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2006/09/18

「チョンの間」撮影、天井裏隠れ部屋

Tyonnoma1で、出窓の上を見上げる。クリック地獄で拡大。

上から下のハシゴを引き上げて天井板のフタをすると、部屋は消える。
上は天井の低い屋根裏部屋。

この屋根裏部屋は、手入れがあったときに逃げ隠れる部屋だったのか、それともそこが「営業用」の部屋だったのか。はて、詳しいことは、わからない。

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西荻で飲み「ちょんの間」撮影

うーむ、飲んだ。ほかに言葉がない。

Tyonnoma2しかし、1年ぶりぐらいに会うと、若い連中ばかりだから、結婚したり、子供が生まれたりで、なかなか賑やかだ。結婚は3組目か? そのうち2組は日本男とタイ女。チェンマイあたりの結婚式の様子を聞いたが、おもしろいなあ。知らない通りすがりのひとも参加し、食べたり飲んだり歌ったりらしい。

おれぐらいの年齢の連中の集まりは、誰が死んだという話が多いが、そういうこともなく。転職もあり、40歳までに財産をつくり、あとは悠々自適をめざす若夫婦もいたり、ま、おれだってあと一度ぐらいは……と思うこともなくなったなあ。ま、赤ん坊のうちから坊主のような顔して大僧都のような名前をつけられた3か月のガキとは、63歳ちがいというわけだ。ま、そういうことだ。

そりゃそうと、飲んだ西荻のへんは、戦後はチョンの間地帯だったらしい。という話を聞きながら飲んだ。

写真を撮ってきたぞ。
まずは2階の座敷の床の間の横の出窓を開けると、障子のかげにハシゴが見える。クリック地獄で拡大。

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2006/09/17

こんな文章を書きたいなあ

顔をしかめる野糞のなかにキラリとひかる宝石のクズ一粒。ひろってみれば、ただのガラスクズ。なーんていうかんじの文章を書きたいものだ。

と、肉体作文労働者のおれだって、それぐらいのことは考える。

これを読んで、野糞からガラスクズをひろうのは臭かっただろうなあ、その手はどうしたの、とか突っ込みを考えたやつは、……単なるバカ。

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2006/09/16

サツマイモの味噌汁の複雑

おれはガキのころから、ジャガイモやサツマイモの味噌汁を食べて育った。小学校以前には、ウチの前の畑でも、ジャガイモやサツマイモを、作っていたし。

だが、ジャガイモやサツマイモの味噌汁など知らない、あんなもの味噌汁の具になるのか、愚じゃないかという、おれより一回り以上も若いやつがいる。聞くと、育った周辺では、ジャガイモやサツモイモを作っている家はなかったらしい。その地域には、スーパーも、ほかの店もない。ジャガイモやサツマイモは「町」の食べ物だったようだ。

うーむ、そんなことがあるのか。ジャガイモやサツマイモの味噌汁は、うまいのにねえ。

しかし、そいつは、ジャガイモの味噌汁なんかうまくない、サツマイモの味噌汁なんか信じられないというのだ。秋の味噌汁の具といえばナスだと。ナスは自分のウチで作っていたと。

うーむ、正しく地産地消すると、そういうことになるのか。
ということは、正しく地産地消すると、地域ごとに食べ物は偏向し、偏りがひどくなるということではないのかな。
とか、考えながら、コ忙しいなか、10数分歩いてC級スーパーで、1個100円のサツマイモを買ってきたのだった。

はて、これでサツマイモの味噌汁をつくるかどうか、はて、どうしようか。
そうそう、そいつは、そういう正しい地産地消の生活を懐かしいとも、そこにもどりたいとも思っていない。

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2006/09/15

10月2日発売、南陀楼綾繁著●『路上派遊書日記』!

いま見つけた。この記事のタイトル、そのまま、クリック地獄リンク先の書肆アクセスからコピペ。このあいだから、何度かここで悪態ついてきたが、まだ悪態つきたりないかんじの、この本、ほんとに10月2日発売らしい。ほんとうか?えっ? できあがったやつを見るまでは信用しないぞ。

おれは、この本の注書き、20項目ほどやっている。このへんにおれを起用するあたり、南陀楼綾繁さんは計算ずくの油断ならぬやつなのだ。中身は上っ面見た目、とくに、見出しなどは、もうマジメに生きて仕事するのがイヤになるぐらい、脱力優しそう系というか、世間なめなめ大甘系、なんだけど、これも計算ずくの油断ならぬやつなのだ。

とにかく、編集者や出版業界人というのは、決して気を許してはならない油断ならないロクデモナイやつらだってことを、この本で理解するには、海千山千の人生をくぐった結果でないと難しいかも知れないが。

だが、しかし、この南陀楼綾繁さんは、のほほ~んホノボノお人よしうらぶれだらしないかんじでフラフラしながら、そして鋭くはないが、二枚腰十枚腰の眼力と根性を持った、かなりしたたかな油断ならない男だと、この本で読むことは可能だろうし、そう読めたあなたは、有能な、儲けられるかどうかはわからない、編集者になれるかも知れない。とにかく、二枚腰十枚腰の眼力と根性が、どう街を人を本をモノを見ているか、なかなか油断ならない。と、注に書きたかったが、書くところがなかったので、ここに書いておく。この本と南陀楼綾繁さんについて、このように書く人はいないだろうという自信を持って、本文は読まなくてよいから、おれの注だけ立ち読みすべきであると、オススメする。

そうそう、どうやら題字・イラストは、古墳部で一緒に千葉へ行ったnakabanさんですよ。

いじょ、コ忙しいときに、臨時緊急ニュースでした。急ぐことはないのに。

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食品商業10月号そして尖石縄文考古館で「食うこと」

15日発売の『食品商業』10月号が届いた。1月号から続いた連載「食のこころ こころの食」は今回10回目が最後。ってことで、「食のこころ こころの食」そのものがテーマというかんじで、食べ物や食べることへの気持を書いた。

んで、この書き出しが、去る6月3日4日の「諏訪を訪ねる」古墳部の旅で行った、八ヶ岳西麓にある「尖石縄文考古館」で感じ考えたことなのだった。つまりは、「食べ心」ってことなんだけど。

それで、そうそうと思い出し、このコ忙しいときに、ザ大衆食のサイトに

食の原点を考える縄文紀行
八ヶ岳西麓「尖石縄文考古館」で縄文人と会う
縄文人は意外に身近な存在なのだ

というながーいタイトルのページをつくり掲載したのだ。いやあ、こうやってあらためて写真を見ると、ほんとこの考古館はスゴイし、いろいろ考えさせられる。

と、また別のことを考えちゃいそうだが、そうはしていられないのだ。今日が締め切りの原稿、編集者を脅迫し、連休明けの朝まで延ばしたのだが、考えたら、この連休は以前から飲み会の予定が入っていたのだった。そういえば、その飲み会の話のとき、15日の締め切りのシゴトが片づいたあとがいいと言って、連休にしてもらったのだった。やれやれ。

故郷のクボシュンさんからは、稲刈りやって、そのあとイッパイやろうという強烈に魅力的な誘いがあったが、残念の涙。ああ、原稿締め切りを抱えていても出かけていける、剛毛の生えたプロの心臓を持ちたい。

まま、そのザ大衆食のサイトの尖石縄文考古館を、写真だけでもご覧くだせえ。…クリック地獄

食品商業10月号、今回は最後ということもあってか、ほかのお2人の方も、熱がこもっている。そのことは、また後日。ぜひ書店で手にとって見てほしいなあ。

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2006/09/14

ダシと貧乏と絶望

ザ大衆食「リンクの花園」からリンクしている藤原素子さんの「貧すれど鈍せず」は、最近更新が重なっている。読むと、なるほどなあと思うことが多い。

たとえば、「昆布の佃煮」では、「特にドレッシングとか何々の素とかの類は買うことがない」が「こんな私も使い続けているものがある。そう、ダシの素だ」と。そのワケは、こうだ。

引用……

これはズバリ、経済の問題につきる。
昆布など手が出ない時代が続いた。かつおぶしは毎朝ひとつかみずつ使えば積もり積もって結構な出費だ。
それならば、ダシの素を使ってでも他の食材を買いたかった。

……引用おわり

このあたりは、毎日ダシを使っていないものにとってはピンとこないことだろう。であるから、そういうひとは杓子定規の知識で、カツオ節や昆布でとったダシ以外はイケナイ、ニセモノといったりする。

おれは、もともと貧乏家庭の煮干しのダシで育っているから、カツオ節や昆布のダシは高級な、そして中流意識のものと思ってきた。ま、ようするに、自分が成長してのち、カツオ節や昆布のダシを使うようになって、うーむ、これは正しい中流生活だなあと思ったことがあった、ということだ。

ここ20年ぐらいは、自分の「ダシ」に対する考え方が変わってきたので、ふだんは混合の雑節、ほかにいろいろなものでダシをとる。やはり経済の問題からそうなったのだが、どうしても高額なカツオや昆布じゃなきゃいけないということは、ほとんどなくなった。そもそも貧乏ゆえ、それほど素材にこだわった料理をしないからだな。貧乏人が、中流風見栄をはって、カツオ節だ昆布だという必要はないのだ。

しかし、おれは、最近気がついたというか、シミジミ思ったが、ここではモチロンどこへ行っても貧乏を恥ずかしいと思わず、貧乏丸出しで、貧乏くさいことを書いているし、つねに貧乏くさく、そもそも貧乏くさいのが好きだし、貧乏なのだが、はたと気がついたら、60歳すぎてこれは、世間では人生の落伍者なのだ。

知り合い関係を見れば、死んだか、生き残っているやつは優雅な退職人生に入っている。優雅な退職人生は、パソコンだのネットだのというミミッチイものには向わない。バーチャルではなく「生(ナマ)」の、旅だの料理だの田舎暮らしエトセトラを楽しんでいる。だから、おれは、もっとみじめな気分で、もっとみじめなことを、ここに書かなくてはならない境遇なのだ。

それが、ネットのバーチャルな世界には、探せばけっこう貧乏か貧乏くさいやつがいる。ま、リアルに付き合っているなかにも、そういうやつは少なくないが。それで、ヤアヤアお仲間らしいのがけっこういるじゃないかとヨロコンデ、こうして書いていたのだが、ふと気がつくと、そういう貧乏か貧乏くさいやつは、たいがいおれより年下で、ずっと若いのだ。

そうだよなあ、若いうちは貧乏がふつうだもの。

そして、おれはトツゼン、暗黒の宇宙の果てで野糞をするジジイのような、果てしない絶望的な孤独な気分に襲われているのだ。ああ、もう、ダメだ。先がないのに、この貧乏。「食育」や「グルメ」にケチをつけているばあいではない。とかね。

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2006/09/13

株式市場の大衆化とB級グルメ

チョイと忘れないように書いておく。

きのうの東浩紀さんの変化のスピードとコンベンションの関係だけど、これは堀江騒動の背景、「新しいメディア」とくにネットやIT革命の中で生まれていることについての発言の、ほんの一部だ。

おれは思うに、大衆化とIT革命のなかの株式市場の構造と、B級グルメブームの構造は、ほとんどおなじだ。時間的な経過まで似ている。

日本の株式の売買は、ここ20年ばかりのあいだに激しく変化した。たしか以前は、1000万円ぐらいの単位でないと取り引きできなかったのに、いまは堀江ライブドアがやったように数百円からの取り引きも可能な状態をつくれる。つまり株式市場は、大金を動かせる特殊な人や団体のものだったが、B級グルメのような市場になった。それが成り立つには、ネットとIT革命による、早い大量の情報処理そしてコミュニケーションが必要だった。

一方のB級グルメは、やはり約20年前の80年代後半から、コンニチのブームにつながる動きが始まるが、インターネットとウインドウズが普及する1990年代中ごろから、とくにラーメンブームは一段と加熱する。ネットで話題になった店に客が集中するなど、中野の某ラーメン店などは、その構造の中で一気に有名店に成長する。

B級グルメ市場は、もともと大衆的市場だったが、金融つまり銀行の格付けからは、まったく相手にされていなかった世界だ。しかし、その状況が変わる。金融の動向も、B級グルメに熱くなる。それは、大衆化された株式市場を背景とする金融だ。

実際すでに、B級グルメ市場を背景にした飲食サービス業の上場は、「大衆食堂チェーン」を含めて続々だ。立ち飲みといった、きわめてニッチだった分野にまで、金融が動く。

大衆化された株式市場には、堀江のような「スター」が、B級グルメの分野では「カリスマ」と呼ばれる人たち、呼び方はともかくジャンルやカテゴリーごとに何人かのリーダー格がいて、その周辺に「オタク」や「マニア」と呼ばれる人たちがいて、ネットを利用し市場を形成し動かす重要な役割を担った。

株オタクあるいはマニアは、おれの知り合いにもいるが、一日中「ひきこもり」のようにパソコンに向ってキーでカネを動かしている、B級グルメ「オタク」や「マニア」は店まで出かけて行ってカネを市場に渡すことをしている。その違いはあるが。そうしてカネが集まる株や店がつくられる。株のほうのスターは、堀江のように文化の香りがしないから胡散臭く見られたりするが、B級グルメのほうの「ライター」などのリーダー格は、堀江よりデタラメを言っていても「文章」を書くがゆえによいイメージの「文化人」である。そういう違いはあるが。

B級グルメの世界では、ラーメンやカレーライスなど先行した分野は少しサマ変わりしている面もあるが、「新規」の分野では「ライター」という人たちが、株式市場における格付けやランキングと同じように、サービスや商品を評価する役割を担い、その周辺に「オタク」や「マニア」が集まる。実際に、その内容となる評価基準も、経営コンサルタント的な視点で、いわゆる「おいしい繁昌する店」というかんじだ。

そこでは、食文化的な視点あるいは、まさにコンベンション(このコトバについて、おれは、とりあえず社会規範や文化規範、習慣といった意味で考えているが)など関係ない。

では、なにがあるかというと、市場や人を動かす、より早い情報処理とコミュニケーションなのだ。食文化的な視点あるいは、新たなコンベンションの形成の視点が欠落した「B級グルメ」は、食文化現象というより、大衆化された株式市場の情報処理とコミュニケーションのシステムなのだ。それは、「あのひとがよいと言ったから」「あのひとがいるから」(あるいは、その反対)、また世間的伝統的に評価が決まっている自ら苦悩して生み出す必要がない価値観に、依拠するようになっていく。

実態として、ま、かりにB級グルメは「娯楽」「レジャー」「趣味」「エンターテイメント」だからいいじゃないかとして、だから食文化なんかどーでもよいじゃないかとして、仮にそうだとしても、それがネットやIT革命がもたらす環境変化に見合った、なにかよりよいコンベンションの形成につながっているだろうか。ただただ、さまざまな分野の祭り騒ぎ「騒動」が早く凝縮化し、移り変わりすぎているだけではないのか。

そして荒野が残るのだ。

チト時間がないので、備忘録的な殴り書き。あとで書き直すか、別の日に書くかするかも知れない。

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2006/09/12

味覚の蛸壺化はたまたフレーバリング

久しぶりにドクターペッパーを飲んでコーフンしている。やはり生活は自分の狭い味覚の習慣に流れやすいから、ときどき攪拌が必要だ。

それで思い出したが、かなり以前に、調べたら02年12月20日だが、「フレーバー系」というタイトルで「フレーバー系料理」を考えている。アジノモトをベースにしたものに限定しているが、そのときにはドクターペッパーのことはすっかり忘れていた。

ドクターペッパーもフレーバー系食品と考えると、また9月5日に書いた「その他の醸造酒(発泡性)①」も同系と考えられるだろう。

「フレーバー」については、例のあてにならないウィキペディア(Wikipedia)にも項目があって、「フレーバリング」も解説されている。

香料や甘味料や調味料、酸味料、香辛料などを混ぜ合わせる味覚のフレーバリング技術や文化は、表面上は、ということは気どったマスメディアや大手のメディアではということだが、気分的な「自然主義」「素材主義」に押されているが、現実は幅広い分野を担っている。これがなければ食生活は大変混乱するかも知れないほどだ。気分的な「自然主義」「素材主義」は、フレーバリングによって安定的に支えられている食生活から生まれた、安心と不安という両面であるがゆえに、「気分的」なのだ。といえる。

で、話は飛躍するのだけど、いまやそういう味覚は情報と密接な関係にある。んで、その情報となると、いまやこのネットの世界をはずせない。最近のトラックバックにある月球儀通信さんに、コメントで教えてもらったのだが、「ドクタペッパー倶楽部」なんてものまである。

んで、『文学界』4月号だが。「徹底討議 ネット時代と溶解する資本主義」で討議するのは東浩紀+鹿島茂+佐藤優+松原隆一郎。ま、エリートたちの気楽な放談だが、それぞれの「味」は出ている。「被告」の立場の佐藤さんは、東京拘置所の食い物は「本当にうまいんです」と。

こういう討議は、かけあいが面白いから、特定の発言だけを抜き出すのはキケンだが、チョイと東浩紀さんの発言に、このフレーバリングと気分的な「自然主義」「素材主義」をからめて考えるとおもしろそうなことがあったので忘れないために、ここに抜粋しておくのだ。

いずれも東さんの発言から……

今回の堀江騒動で明らかになったのは、ネットやIT業界のコンベンションがいかに未成熟か、ということだと思うんです。

僕自身も含め、団塊世代ジュニア以降の世代は、仕事上から友人関係まで含め、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログのようなインターネット上のツール、あるいはケータイで管理するようになっていて、とても早いコミュニケーションで現実を動かすようになってきている。……本来なら、そのスピードに合ったコンベンションを作っていかなければならないはずですが、結局それがあまりできていない。

いずれにせよ、みんなスピード感のあるヒーローを待ち望んでいるんですね。

ネットの書き込みって、好き嫌いの振幅がすごく極端でしょう。熱狂的に讃美するか、とことん攻撃するか、どっちしかない。まるで心理学者メラニー・クラインのいう「良い乳房 悪い乳房」理論みたいですね。乳幼児は母親に乳を与えられている間は安心感を得ることができますが、そうでない時間は不安感を覚える。

インターネットの普及による情報量の爆発は、言語の蛸壺状態をむしろ強める可能性があるんじゃないかと思っているんですよ。

……これぐらいで。
こうしちゃいられない、食育を解説する項目は選び出したから、一気に書き上げなくては。でろでろでろ

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2006/09/11

飲んでしまった、右の味覚か左の味覚か

やははははは、なーんだ、燈台下暗しか、いま午前9時半過ぎ、コピーをとるので近所のコンビニへ行ったら、ドクターペッパーがあるではないか。これは、スゴイことだぞ。しかも500mlボトルだ。税込147円。

で、買って来て飲んだ。いろいろなことが一気に頭をかけめぐった。つまり、このクソジジイのアルコール系老人性ボケ頭が、一気に活性化されたのだ。これは、ドクターペッパーに含まれるカフェインのせいか? いやいや、どうやらそれだけじゃないぞ。

で、とつぜんおれは、水道の蛇口に口をつけて水を飲むときのことを思った。あれをやるとき、おれは、蛇口の位置から右側に顔を置いて、蛇口にかぶりつく。ということは、左手を栓にかけてねじるわけだ。このカタチだと、口からあふれた水はホオをつたい右耳に達する。どうも考えると、その逆をやった記憶がない。つまり、顔を基準に考えれば、「右派」であり、手を基準に考えれば「左派」だ。

とにかく、久しぶりにドクターペッパーを飲んで、いろいろ考えがめぐったが、いま書いているヒマがない。15日締め切りの食育の原稿に取りかかっているのだ。こっちの方も、ぐわーっとイロイロ湧いてきたので、忘れないうちに急いでメモしなくてはならない。と書いておくと、もしかしてこれを見た編集者はアンシンするかも知れない。ウソだよ。じつは、ドクターペッパーと一緒に買ってきた、ワンカップオオゼキを飲んでいるのだ。フン。

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2006/09/10

いつだってテロル

ドクターペッパーの発売が何年だったか気になるから検索してみたら、ウィキペディア(Wikipedia)には、1973年とあった。おお、ちょうどおれが30歳のことだ。

何月だかわからないが、ということは……十分思い出せないまま記憶を整理してみる。とにかく、そのクライアントを担当するようになったのは、転職してすぐの1971年秋。最初は、経験者とウソをついて入社したけど、右も左もわからない見習いみたいなものだったからいろんなことをやりながらだった。72年のいつごろからか、クライアントからの発注も増え、ほとんど専任担当になった。

最初のころは、新丸ビルにあった宣伝課と市場調査課、それから少し離れた三菱本社の前の角を曲って堀端に出たところのビルにあった販売促進課をウロウロしていた。あと八重洲のほうに、食品メーカー大手10社ぐらいが共同出資の調査会社というか、あった。当時は大型コンピュータが高額だったから、そのように共同使用の体制をとっていた。ま、そのあたりを自分の会社のように毎日ウロウロしていた。

印象的な記憶というと、72年2月28日、連合赤軍が篭城の浅間山荘に機動隊突入のテレビ実況放送を、クライアントのどこかの部屋で見ていた。

するとそのころからドクターペッパーの準備は始まっていたのだろうか? ほかにもレトルトごはんやらユーフー、冷凍食品のアレコレ、あのころは新商品が目白押しだったから、もうわからん。

んで、74年に入ると7月7日投票の参議院選挙の政権党候補のキャンペーンに関わっていた。んで、選挙投票日の3か月前には、新宿高野の前の通りを靖国通りに出て突き当たったところにあったビルの(歌舞伎町の入口で、いまでもある)、候補者の事務所へ出向になって、そのクライアントに顔を出す時間もなくなった。

秘書、総務と遊説の責任者をやらせられて(うわ~っ、こんなにたくさんの部下をつかうの始めてだ、うれしい~。というかんじで、毎朝朝礼に遅れる)。公示1か月前には、一日おきに泊まりこみという状態になった。高級乗用車をあてがわれ(運転は若い秘書がしてくれる)、党本部の総務会長室(総務会長は後に首相になった東北田舎オヤジ)や幹事長室(幹事長は葉巻を離さない長髪田舎オヤジ)、世田谷の候補者自宅、溜池の派閥の事務所と山王の派閥のボス事務所(ボスは大臣で後に首相になったアーウーオヤジ)、九段の企業後援会本部、公示後はオモテの選挙事務所になる上野の事務所、それにさらに担当する地区の岐阜・滋賀・京都……、ま、そのあたりを激しくウロウロ。大マスコミの威張り腐った政治部記者やタカリ脅迫のミギ団体ゴロツキの相手も。泊まりじゃない夜は歌舞伎町で飲みまくった。

はあ、やれやれ7月7日でおわり、フツウの生活に戻れると思ったら、数日前に事務所の責任者から、「われわれ(ほかの4人ほどの幹部たち)は、投票日には日本にいないから、君あとを頼むね、「わかりません」でいいからさ」といわれ。はあ? ってことで7月7日すぎて1か月以上残留し後片付け、捜査はなく無事に済んだ。もとの会社の事務所に戻ったのが8月の中旬だったと思う。

そして、8月30日、昼飯を食べて、午後1時10分ごろだろう、東京駅丸の内南口を出て中央郵便局の角を曲がり、その先にある三菱重工の手前角を右へ曲がり、堀端のビルにある、そのころには市場調査課も宣伝課も吸収していたはずの販売促進課へ、何か月ぶりで行った。

で、課長とアレコレおしゃべりしていると、「ズーン」という地響きのような。「あれっ、いまの音、なに?」「地震じゃないですよね」 「どこかでガス爆発かな」 まもなく電話鳴り出し、どうやら近所で爆弾が爆発したらしい。つまり、三菱重工本社爆破ジケン。

クライアントにいたときの思い出というと記憶に残るのが、この2件だ。あのころは、いまよりもっと街はテロルで騒然だったけど、なんだか、いまのほうが街は整然と息苦しい。

で、ということは、江原恵さんに初めて会ったのは、1973年の晩秋のことか? 
そうそう、「マグロの鉄板焼」なるものを、その新宿の選挙事務所にいるとき、歌舞伎町のスナックで食べて気に入って、何度も食べにいったな。その事務所のあったビルから数軒、大ガード寄りの酒屋の立ち飲み、アリスウイスキーがあったところ、ここもよく行った。

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さらにまたドクターペッパーと食育のこと

ドクターペッパーについて、最近のトラックバックに、「月球儀通信」さんからトラックバックをいただいた。拝見すると、30年前、ドクターペッパーを飲み、しかもCMまでご覧になって覚えておられる。すごいなあ。あのCMは、ユーフーのときもそうだったが、予算がなくて、スポットでちょこちょこやっただけなのに。

しかし、その30年前にはまったく赤の他人、いまだって見ず知らずの方と、こうして、そのわずかなことでコミュニケーションができてしまうインターネットって、なんてまあスゴイのでしょう。

それはそうと、その30年前ぐらいというと、ドクターペッパーよりちょっと前だったと思うが、マイク真木をつかって「ごはーん」とやったレトルトごはんのCMをごらんになって、アノ商品を食べた方もいるだろうか。あのときも死にそうなほど徹夜しました。

アレも、商品開発から販売まで関わったのだけど、撤退。思い出してみると、1971年に食品のマーケティングのシゴトに関わって、中ごろのドクターペッパーやユーフーのころまで、新商品新市場開発に関わった商品がいろいろあるけど、少ない予算ながらもCMまで打って派手にやったのは、ほとんど撤退になって、残っているのは、地味にやっていた冷凍食品のエビフライとコロッケ、それに最近はあまり見かけないけどエビ缶詰というあたりかな。ま、新商品開発は、1割ぐらい生き残ればよいといわれていたから、フツウというところか。

70年代中ごろの食品マーケットは、まだ半分以上は問屋―食料品店チャネルに依存していて、スーパーの売上シェアは半分に満たなかったと思う。マーケティング的には非常にやりにくい時代で、けっきょくいま考えると、冷凍食品のエビフライとコロッケやエビ缶詰あたりは、給食や業務用ルートを開発できたから定着しやすかったということになるか。

あのころの農業なんて、農薬漬けですごかったね。ようするに、農水省は、いつだって生産者の味方で消費者の立場になんか立ったことはなかったのさ。

たまたま、きのうのヤフーニュース(毎日新聞) - 9月9日19時15分更新に、「<BSE>発生から5年 この間、何が変わったのか…」という記事があって、「生産者保護に偏りがちな」農水省の施策を、やっといまごろになって指摘している。

「 BSE発生を防げなかったことに対して、責任は農林水産省の肉骨粉規制の遅れにあるなどとする批判が渦巻いた。「BSE調査検討委員会」は02年4月、同省の対応を「重大な失政」と指摘した。
 この反省から、農水省、厚生労働省から独立した立場で、食品の安全性を科学的に評価する食品安全委員会が、03年に設置された。同時に、生産者保護に偏りがちな農水省に消費・安全局が新設され、消費者重視の行政を担うことになった。」とね。

「生産者保護に偏りがちな農水省に消費・安全局が新設され」たのは、たしか2002年のことだったと思うが、その年11月に、自民党の食育調査会はスタートした。BSE以外にも、消費者の食品への不安が高まる事態が続き、やっと政治と行政は、ちったあ消費者対策をしないと大変なことになると認識したのだ。しかしその結果が、食育基本法とは、自らの責任の消費者への転嫁ではないか。

生産者と、その管轄にあたってきた農水省の責任は問われないまま、国民の食に対する「感謝」の気持が足りないと、生産者に対する「感謝」を押し付ける食育基本法は、あいかわらず「生産者保護に偏りがち」だといえる。消費者はふんだり蹴られたり説教たれられたり。

服部センセほか食育論者は、国民に向って「選食力」の食育を説教たれるが、行政や政治にむかって責任ある食料政策を迫ることはしない。穴のあいたコンドームを性教育で対策しようというのか。これは無責任な食料政策を保護しているようなものだ。ほんとうに食生活のことを考えるなら、逆だろう。

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2006/09/09

「珠玉」や「ふるさと」という言葉を安直に使わないために、坂口安吾のイマシメ

ちかごろ、「珠玉」や「ふるさと」という言葉が安直に使われすぎていると思う。あるいは自分でも、気づかないうちに、そうしているかも知れない。

とりわけ、「文学系」のひとたち、それを志しているかのような文章を書く人たちも含め、「珠玉」や「ふるさと」を安直に、まるで朝晩のあいさつ社交辞令のように使う傾向が見られ、気になる。また、自分の文章に安直に「珠玉」や「ふるさと」を持ち込もうとしているかのようにもみえる。

たとえ「文学系」をめざしているわけではない、一介の作文労働者のようなおれでも、文章を書くかぎりは、そういうことはイマシメなくてはいけないと、最近しくしく思う。

なので、わがイマシメのために、ここに坂口安吾さんのイマシメを、忘れないよう書いておく。ちくま文庫版『坂口安吾全集』18「『炉辺夜話集』後記(昭和15年12月12日)」から、自分が気になるところだけ抜粋。

これは、表現技術以前のことだと思う。そして、想像力のモンダイだと思う。

以下抜粋(太字はおれ)……

 元来、私は、文学とは、人の心をすこしでも豊かにすればいい、人の生活をすこしでも高める力となればいい、そう考えていました。昔も今も、この考えに変りはありません。
 かりにあなたが、いま、戦場にいるとします。あなたはいま戦ってきました。まぢかに、戦友の戦死も見ました。そうして後方へ帰ってきて、久方ぶりに夜をてらす燈火の下に辿りついて、安息のひとときを得ました。
 そういうとき、疲労につかれて、ぐっすり眠るのでないとすれば、人々は娯楽をもとめると思います。宗教の本を読む人もあるかも知れません。戦争文学を読む人もあるかもしれません。然し、なかには、大きな人性の底にふれた、静かな、ゆたかな物語が、読みたいという人もあろうと思います。
 私は、そういう時にも堪えうるような、人性の底からにじみでた珠玉のような物語を書き残したいと思っています。

 すぐれた魂の人々が、生も死も忘れた曠野から帰ってきて、燈火の下で、許るされたわずかの時間に、はるかな心、はるかな虚しさをいやそうとする。――それに堪えうる物語が、どんなに深くなければならぬか。わが身のまずしさを考えて、私は、うんざりしています。
 けれども、とにかく、私が書き残そうと意図してきた物語は、その意図に於て、常にそのような物語でありました。戦場のみとは申しません。あらゆるとき、あらゆる虚無の深淵にのぞんで、読まれうる物語が書きたいという、私の念願はただそれのみでありました。

 私達の生きる道には、逃れがたい苦悩があります。正しく、誠実に生きる人に、より大いなる苦悩があります。そうして、ひとつの苦悩には、ひとつずつのふるさとがあります。苦悩の大につれて、ふるさとも亦、遠く深くなるでしょう。そのふるさとが、私の意図する物語のただひとつの鍵であります。

……抜粋おわり。

あまり「苦悩」して「苦悩」そのものが目的になっちゃあいけないけどな……。それじゃあ、糞づまりのアル中になりそうだ。

「すぐれた魂の人々」とは、殺人の戦場や労働の戦場にかりだされる、ふつうの人々のことであり、その「人の生活をすこしでも高める力となればいい」。人々の、あらゆるとき、あらゆる虚無の深淵にのぞんで力となりうること、と解釈すればよいか。

近頃は、どうも、ふつうの人々のすぐれた魂のことは眼中になく、自分がすぐれた魂の持ち主であることを表現し読ませようという傾向が強いように思う。あるいは自分の魂の押し売り。そのために「珠玉」や「ふるさと」に連なる言葉を、表現技術として使う。それをまた褒めあう。そういう流れに流されないように。イマシメイマシメ。

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「残しておきたい店度」とドクター・ペッパーのこと

「ぼうずコンニャクのうまいもん日記」さんのブログを見て。

2006年09月08日「千住四丁目大衆食堂「美冨士」のカレーライス」に、「遠藤哲夫さんの「大衆食堂の研究」からすると「いかがわしさ」に欠けるものの」……「この「美冨士」遠藤哲夫さんの真似をしてボクが勝手に「残しておきたい店度」というのを作ったら★4で高得点となった。」とあった。おもしろいねえ。こういうの、それぞれ勝手に「ナントカ度」とかつくってやるの、どんどんやりたいねえ。

「いかがわし度」
「残しておきたい店度」
ほかには……、まだまだあるだろう。

そして、その前日の09月07日の記事のタイトルは「ドクターペッパーだけはダメなのだ」

おおっ、ドクターペッパー。ああ、くそっ、ドクターペッパー。忘れもしない、ドクターペッパー。って、おれはその名前を忘れかけていたが思い出して、当ブログ2004/11/24「大衆も大衆食も、エライ!の「ミート・トーフ」」に書いたのだ。タイトルは、駄目さんと行った鶯谷は信濃路の「ミート・トーフ」だが、話の内容は、ほとんどドクターペッパーのこと。そして、続いて、11/28「ドクターペッパー飲むと、どうなる?」も書いた。

おれは、このドクターペッパーを日本で初めて発売するときのキャンペーン企画、全部やったのだ。もう大変だったぞ。どの販売チャネルをつかうか、などの調査から、広告販促の企画まで。なにが大変といったって、こんなもの、最初に試飲させられたときから、ウゲッこんなまずいもの、いくらなんでも売れっこないだろ、というもので、クライアントの関係者一同も、少しでもいいから商売になるていどには市場に定着するとは、誰も思っていない。そういう中でやるのだからなあ。しかし、イチバン大変というか可哀そうだったのは、クライアント側の担当にさせられた人だよなあ。もう成功しっこないのは、わかっている。わかっていても、責任はとらされる、それもわかっている。逆にいえば、いかに担当にさせられないように立ち回るかなのだが、かならず貧乏くじをひく人がいる。

このドクターペッパーと、チョコレートドリンクの「ユーフー」、どっちが先だったか、とにかく両方やって、どちらも撤退。担当者は左遷。ユーフーも、最初に試飲したときは、ドクターペッパーよりは売りやすいかなと思ったけど、やはりダメだったね。ま、この二製品は、そのクライアントが、当時総合食品メーカー化への取り組みを強化していて、アメリカとの開発輸入ルートを拡大したい一心で、そのためのものだから、上層部にとっては、アメリカ側と契約し「やりました」という実績をつくって次へ進むための踏み台にすぎなかったのだろう。ま、そういうことは、よくあるね。「捨て石」というやつ。担当者も「捨て石」、泣いて本社を去っていきました。

しかし、この二製品、いま、どれぐらいのマーケットなのか知らないけど、売られているんだよね。ドクターペッパーは、コカ・コーラが販売。最初は、自販機チャネルだけだったようだけど。ユーフーは、どこがやっているのかなあ。先日、御茶ノ水駅近くの喫茶店の前を通ったら、「瓶入りユーフーが冷えています」という貼り紙があって、ガラス冷蔵庫のなかに、瓶入りユーフーが見えた。

それはともかく、ぼうずコンニャクさんは、ドクタペッパーについて「初めてお目にかかったのは上京してからだから1975年以降のこと」と書いているから、これは、もしかして、おれが関わった時代のものかも知れないなあ。おれが30歳ぐらいか。

はあ、あのころ、そのクライアントは丸の内だったから、新丸ビルのなかのコックドールや東京駅丸の内南口の精養軒で、よくめしくったりサボったりしたなあ。それから意外に穴場だったのが、いまはどうなっているか知らないが、いまの天皇が皇太子だったときのご成婚記念の公園、あそこで昼下がりのビールを飲みながらボケッとしているのがよかったねえ。ぐふふふふふ、いろいろなことを思い出してきたぞ。クライアントの女の子に惚れられてねえ。ぐははははは。丸の内不倫事情とか、手切れ金の相場とか、いろいろな話を聞いたが。ああ、あの美しい70年代は、下痢クソのように流れ去った。

しかし、ドクターペッパーとユーフー、あれを好きというひとは、どれぐらいいるのだろうか。その人たちは、どんなものを食べているのだろうか。

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2006/09/08

いやはや、消せばすむ問題なのか

↓下の記事を掲載して、関連の「あけすけゼニ儲けの服部食育に感動す」を、また読み返した。うーむ、「あけすけ新聞」とは、なかなかのものではないかと思い、ここのところね、

「これは、その法律施行後、にわかに巻き起こった食育ビジネスの一つである、YAHOO!インターネット検定「食育エキスパート」で、監修者である服部某が、冒頭に書いた「食育とは」の出だしのセリフである」。ここで、服部某のオコトバをあらためて拝もうと「食育エキスパート」をクリックしてみた。

すると、なんと、おれがマチガイを指摘していた、この言葉が、そっくり消えてなくなっているのだ。なんとまあ。

「食育」は、心と体のケアに運動を加えたものです。
「食」という字を分解すると『人』に『良』いとなります。人の心も体もよくし、育むのが『食』の役割です。

この単純なマチガイは、「あけすけゼニ儲けの服部食育に感動す」をクリックし読んでもらえばわかる。

こういうとき、このWebとやらは、まことに便利だね。しかしだよ、ここで消しても、すでにほかのところで、印刷物でだって、たくさん引用されているのだ。たとえば、「「食」という字を分解すると『人』に『良』いとなります」を検索してみてごらんよ。消せばすむことなのか!

でも、服部栄養専門学校のサイトの「食育メッセージ」には、「家庭でも友達・恋人同士でも、コミュニケーションの仲立ちをするのが『食』です。食という字を分解すると『人』に『良』いとなります」とあるのだ。これも、そのうちに消されるのだろうか。オレていどのイイカゲンなものがいうことならともかく、これをもって人を指導し教育してきた食育基本法の推進者が、消せばすむことなのか。

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「食育利権集団ができつつあるようだ」とな

「今日の一貫」に「食育学会準備会に出るが、、自分たちの居場所づくりに必死な栄養士さん達」とあるのを見た。……クリック地獄
(いま8日午後1時50分ごろだけど追記。この記事を掲載した8日の深夜というか早朝に、「今日の一貫」を見たときは、タイトルは「食育学会準備会に出るが、、自分たちの居場所づくりに必死な栄養士さん達」であり、本文には「食育利権集団ができつつあるようだ」とあったが、さきほど見ると、こうした文言はなくなり書きかえられている。おれも最初読んだときは、大泉さんはどちかといえば政府のシゴトもしている方だから、こんなに書いていいのかなあ「正義」のひとなんだなあという感想を持ったのだが……、ま、表現を軟らかくしたということですね。もとの原文は、ちゃんとコピーしといたが、Webの場合は、原文がわからないように訂正されたばあい、ちょいとした表現のことならよいけど、いろいろ困るね。引用したほうが、ウソを書いていると思われたりしたらなあ、だいたいおれのような人間より、学者研究者センセ方の言うことが、世間では信用されるし。どうか学者研究者センセ方は、一度書いたことは、訂正がわかるようにしておくか、訂正しないようにお願いしますよ。)

ま、「食育基本法」は政策問題だから、特定のリーダー格の人をのぞいて、あまり個別の人たちをどうのこうの言いたくはないが、「食育基本法」が施行されてからの露骨な利権タカリ行為は目にあまる。日本の政治は各種様々正義をタテマエ隠れ蓑にした「既得権」の争奪戦だから、当然といえば当然だが、「食育基本法」は、食という文化を、そういう争奪戦のネタにする道をひらいた。

おれだって、服部ナントカさんが、あんなに露骨じゃなければ、これほど「食育」に噛みついたりはしないのだが……かもしれないのだが、とおもうのだが……の、こらさっさだが。ようするに、ていどの悪い連中ほど法をかさにきて、ひとの箸の上げ下げから食べているものにまで、はてはココロのひだにまで、干渉し口をはさもうとする。そういうていどの悪い連中に、食育基本法は、お墨付きをあたえたのだ。

しかし、この大泉一貫さんのような方がいるのは、まだ救いであるね。

関連、
当ブログ「栄養教諭と食育問題」04年5月16日……クリック地獄
当ブログ「「栄養学批判序説」の序の幕下の前座のふれ太鼓」06年2月22日……クリック地獄
当ブログ「あけすけゼニ儲けの服部食育に感動す」06年4月6日……クリック地獄

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2006/09/07

「はすみふぁーむ」を応援するのは「地産地消」の精神に反するか?

ザ大衆食「リンクの花園」からリンクしている、「長野県に移住してワイナリー&ブリュワリ-を造りたい。頑張れ日本の農業ビジネス&田舎暮らしを楽しもう!」という若者、ニック蓮見さんの「はすみふぁーむ」では、今年も、巨峰の注文の受付をしている。

うまい巨峰だからね~、よろしく頼むよ。贈答用と自家用があって、自家用はカタチが不揃いなだけで割安だ。「はすみふぁーむ」へクリック地獄

このように、通販制度を利用して注文することは、食育基本法からすれば、「地産地消」の精神に反するのだろうか。しかし、一方では、このように通販制度を利用しての販売活動は活発だ。

こういう事態に対して、食育は、「地産地消」とは、国産のものを国内消費することだと、正当化するだろう。しかし、一方では、給食などの食材は「地元産」でというふうに「地産地消」というコトバを利用している。

そして、その「地産地消」の農業は、地元消費ではなく、大都会への出荷を前提に成り立っている。野菜の某名産地へ行けば、オイシイところはみな大都会へ行ってしまうので、地元では安くてうまいものは食べられないというウワサもある。

ま、ぐちゃぐちゃ言わずに、「はすみふぁーむ」の巨峰を食べましょうか。

兼業農家について調べていたら、こういうのがあった。「兼業農家減らすのぅ?」……クリック地獄

いまの新農基本法が制定されるころ、某国営放送のニュース番組では、「意欲のある農家を育てる」のだと、まるで兼業農家は「意欲がない」かのような印象を与えるキャンペーンをはった。それは、あきらかに食育の「地産地消」や「自給」の精神に反するのではないか。そもそも食育基本法と新農基法は、かなり矛盾している。

当ブログ7月16日「食料自給率「40%」は危機か」に書いた、新農基法と政府が2015年まで達成しようという「45%」と、食育の精神である「自給」の関係は、いったいどうなっているのだ。国民の食に対する「感謝」が足りないから、自給率は下がるし残飯が出る、なんていう食育の言い草は、根本のところにおいて、まったくオカシイ。

本当に、日本の農業をなんとかしようという気があるのか!

ま、とにかく、イイカゲン大好きということで、けっしてイイカゲンではない、「はすみふぁーむ」の巨峰を、よろしく~。

しかし、なんだね、今年のはじめごろまでだと、こういうふうに「食育」というコトバを使っていると、「食育論者」のブログから、どかどかトラックバックをぶちこまれたのに、そういうことがなくなったね。

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2006/09/05

食育上どうなのか「その他の醸造酒(発泡性)①」

Sonotanojyouzouおれのことを「孤高」ではなく「孤底に沈むヘドロヤロウ」という知人のクソヤロウから、「その他の醸造酒(発泡性)」などを飲んだか、あれは食育上は、どういう扱いなのだ、というメールがあった。

それで、近所のD級スーパーへ行って、「その他の醸造酒(発泡性)①」と表示のあるレギュラー缶350mlを2種類を買って来て飲んでみた。どれも、単価113円税別。

一つは、「アサヒ新生3」。原材料は、ホップ、糖類、酵母エキス、大豆ペプチド、カルメラ色素。アルコール分5%。炭酸ガス含有。

一つは、サントリージョッキ生。原材料は、ホップ、コーン、糖化スターチ、醸造アルコール、植物繊維、コーンたんぱく分解物、酵母エキス、香料、酸味料、カルメラ色素、クエン酸K、甘味料(アセスルファムK、スクラロース)、苦味料、炭酸ガス含有。アルコール分5%。

総合的に比べると、やはり、こういう「合成」モノは、サントリーが圧倒的に上手だね。味のうまいマズイではなく、いろいろなものを混ぜてNHKのど自慢のような味覚に難なくまとめあげるワザというのかな、上手だね。

アサヒは、味がバラバラで統合がとれていない。苦味が突出したり、サイダーのようなシュワシュワが突出したりで、とにかくバラバラ。グラスに注ぐと、サイダーのように泡が出て、サイダーのように泡がひいてゆくし。

しかし、これ、材料がずいぶん違うね。それにアサヒには、醸造アルコールの表示がないけど、まさか発酵でアルコールを得ているわけじゃないよな。そのへん、よくわからんが。

食育的には、とてもよい教材じゃないかね。サントリージョッキ生も、注意深く飲むと、それぞれ材料の味をかんじることができるし。やはり、日本の文化は、こういうものが得意なのであるという教材、貧しい日本ならではの味覚の教材として、オトナの食育の時間に試しましょう。

こういう味覚を、ニセモノと非難するのは簡単だけど、日本の「豊かさ」は、高度経済成長によるものだと思うが、それは、こういうものをつくりだす工業力によって担われたのだ。これが、日本の「豊かさ」の味覚なのだ。どこの国でも酒は、農業風土から生まれ育ったものだけど、残念ながら、安くてうまい酒を育てなかった日本の農業は、貧しい。そこんところを反省しない農業は、衰退しかない。食育基本法によりかかって、「地産地消」や「旬」や「感謝」を食育していれば、農業が再生するかのようなことは幻想だ。現実は、もっと厳しい。そう、食育しましょう。

しかし、これ、甲類焼酎をウーロン割りで飲むのと、どちらが安くつくのかなあ。

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2006/09/04

食育に飽きてWikipediaのカレーライスに絶望しながら校正のこと

食育ばかりで飽きる。しかし、「教育」が好きなやつがたくさんいるなあ。「教え」を下痢クソのようにたれ流したくて仕方ないらしいね。ワレワレ大衆を便所と間違えているんじゃねえのか。ちったあワレワレ大衆から「学ぶ」ことをしなさい、ね、センセ方。

でまあ、飽きるんで、戯れに、「信頼性は「ブリタニカ百科事典」に匹敵する」と一部では言われているらしい、Wikipediaの「カレーライス」を見る。すると、それは「カレー」という項目にある。……クリック地獄

そのなかに、「カレーライス」という項目があって、そのなかに「日本のカレーライス」という項目があって、例によって、「日本には、インドからイギリスを経由して紹介された」とありまして、すぐさま「軍隊とカレー」の話であり、「日本国内においては、軍隊がカレーの普及に大きな役割を果たした点では間違いないだろう」なのだ。しかし、どんな料理が、どう普及したかについては書かれてない。

どうやら、これを書いている人は、『汁かけめし快食學』を読んでないか無視しているね。Wikipediaは、誰でも書けるようになっているが、しかし、ここまでフレームワークができあがってしまっていると、そもそも、そのフレームに問題があるのだから、訂正をいれるなんて不可能だね。

ま、こういうことはよくあって、イマの頭で現在の「カレー」に関するフレームワークをやり、それに関する用語を文献からひろって、それを年代順に組み立て直して、そこに解釈を加えるというやり方だな。これだと、歴史の向こうからの流れが、つまり、まだ「カレー」の概念がなかったときに、カレーライスが誕生するわけだが、その向こうからの流れが抜け落ちてしまう。なんていうのかなあ、歴史を考える空間と時間の捉え方の根本が違っているかんじがするなあ。カレーライスの歴史に限らず、こういうことはよくある。とにかく、これは料理史には、なっていないよ。

しかし、それにしても、これで、書いた人も、見た人も、みな納得しているのだろうか。イマイチ解せないなあ。うふふふふふ、おれの考え方のほうが「孤高」すぎるのだろうか、ああ、先駆者は辛いなあ、ガリレオさん、辛かったでしょう。

孤高は絶望へつながるね、ああ、もう絶の望だと思っていると、FAXだ。見たら、『散歩の達人』の校正だ。8月31日に書いた『明治西洋料理起源』の紹介だね。もう校正ということは、今月発売の号に掲載なのかな? ま、気分転換に見るかと、本を取り出して引用をチェックしながら思い出したが、この本は、そういえば、南陀楼綾繁さんから預かっている本だよな。

なんでかな、彼が、この本を、どこかの古本屋で買った日だったか、ちょうど会って、それで「先にどうぞ」とかいわれて。きっと彼の家は本だらけで置く場所がないから預かっておいてくれという意味だろうと思って受け取った、あれだな。

おれのウチは狭いけど、本なんかあまりないからな。本なんか読むやつはバカなやつだからな、頭がよくて孤高なおれは本なんかいらないのさ。で、預かっておいたのが、こんなときに役に立って、……ああ、そうして、南陀楼綾繁さんの本の校正、先日届いた、なんてタイトルか忘れた「路上派」だの「遊書」だのなんだのというNHKの番組みたいな、だけど、だから、いかにもイマこういうゆるい遊びな感覚が受けるんだよねとマーケティングされたかんじのタイトルの日記本の注、おれが書いた分の校正を、思い出してしまったじゃないか。

ということで、食育は飽きたから、校正をしながら絶望を癒すのだった。って、じつは酒飲みながらだから、はあ、校正なんかどうだかわからんぞ。だいたいね、Wikipediaのカレーライスだって、あんなにイイカゲンなんだからさ、おれの校正に間違いがあってもトウゼンだろう。お互いにマチガイを楽しみましょう。

アレが間違っている、コレが間違っているなんて細かいことはいわず、まま、いいじゃないですか、イイカゲン大好き、だらしないの大好き、大いにココロザシもって、食育を蹴散らし、つぎはカレーライス伝来説と軍隊から広がったなんていうヨタを、カンペキに蹴散らすことにしよう。どうでもよいことだけどね。ふわあああ、夕飯の仕度だなあ。そういえば、ウチのホーロー鍋だが、焦げ付きクセがついてしまって、困ったなあ。

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食育と産業、とくに食系企業の動向

引き続き原稿を書くための資料。

Yahoo!カテゴリー 食育
http://dir.yahoo.co.jp/Education/Shokuiku/

マクドナルドの「食育の時間」
http://www.chantotaberu.jp/
news release 日本マクドナルド、CSRの一環として食育支援をスタート
http://www.mcd-holdings.co.jp/pressroom/news/2005/csr/syokuiku.html

モスバーガー「食育への取り組み」
http://www.mos.co.jp/social_activity/shokuiku/

カルビー食育情報
http://www.calbee.co.jp/snack-school/

グリコの食育コーナー
http://www.glico.co.jp/shokuiku/

キッコーマンの食育活動
http://www.kikkoman.co.jp/shokuiku/

乳の食育 雪印 食コミュニティ
http://www.snowbrand.co.jp/shokuiku/

大雑把にいえば、これらの企業に共通しているのは、「食育」をマーケティングのチャンスとしてとらえていることだ。その点については、正直だ。

ここには、学校給食を提供する「給食産業」などは含まれていない。いずれ「学校給食と食育」というタイトルで、学校と給食産業と栄養士と食育のアヤシイ関係について資料がそろうかどうか、やってみたい。

食育と産業の関係では、給食産業とならんで、もっとも関係深い最大規模の組織はJAつまり農協だろう。食育あるいは「食農教育」というと聞こえはよいが、その内容のほとんどは、産業側のマーケティングや販売促進に関係すること、つまり経済活動であり文化性は極めて希薄だ。

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食育基本法成立までの自民×民主の論点

食育基本法は、最終的に、自民、公明、共産の賛成、民主、社民の反対で成立した。その前の国会では、反対なしで成立する見通しだったが、郵政をめぐる国会情勢もあって民主と社民は反対にまわったと思われる。

が、やはり、みんな揃ってバンザイ賛成ではなく、反対があったことで、たいした国民的議論にはならなかったが、食育基本法の問題点あるいは論点は、すこしは明らかになった。それは法律が成立したからもういいという話ではなく、むしろ施行のなかでどうなっていくか、注目すべきだろう。

ってことで、

自由民主 食育基本法制定と今後の展開
http://www.jimin.jp/jimin/closeup/2202/closeup.html

参議院議員 円より子 Blog ●食育基本法って本当に必要!?
http://www.election.ne.jp/10017/archives/0001116.html

エンテツのザ大衆食「食育ナンダロアヤシゲ」
http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_asahi.htm


では、現在、どのような推進状態であるのか

内閣府 食育推進担当ホームページ
http://www8.cao.go.jp/syokuiku/

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2006/09/03

食文化ぬきの食育、栄養教諭制度に関する資料

チト自分が原稿を書くための資料を整理しているんだけどね。

●そもそも栄養所要量とはなにか
http://nihn-jst.nih.go.jp:8888/nns/owa/nns_main.details4

「 栄養所要量は、国民が身体を十分に発育させ、健康保持増進させるために、どのような栄養素をどれだけ摂取したらよいかを、性別、年齢別、生活活動強度別、妊婦、授乳婦等に1日当たりの数値で示したもので、国の健康増進施策、栄養改善施策、食料施策等を樹立する際の基本となるものです。また、国民に対する食生活改善指導、集団給食施設指導、学校給食等各方面での指導基準としても利用されているものです。」

●栄養改善法なるもの
http://law.e-gov.go.jp/haishi/S27HO248.html
戦後の惰性の「栄養役所」を、どうするか考えたほうがよいのではないか。

●食生活を栄養に矮小化する戦後の厚生行政

厚生白書(昭和34年版) 二 国民生活の現状と厚生行政 2 健康の状態 (四) 栄養の状態
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz195901/b0009.html

●「食」は「栄養」なりの栄養教諭制度

「栄養指導」を「食指導」と称する、「栄養教諭に関する意見」社団法人 日本栄養士会
http://www.dietitian.or.jp/topics/topics031108.html

栄養教諭制度について
http://www.fwu.ac.jp/nh/eikyo-og.htm
「栄養教諭は,栄養に関する専門性と教育に関する資質を併せ有する教育職員」と……「食」に関する専門性は、いらんのか、それとも栄養だけが食の専門性だというのか。


●石毛直道さんは、こう語っている(『講座 食の文化』第一巻 人類の食文化 1998年発行、「なぜ食の文化なのか」)……かなり各学会に配慮しながらの発言だけど、ようするに「栄養学」などは、「化学と生理学の方法におんぶして」自立してないのだ。

「 従来の学問分野で食生活にいちばんかかわりをもったのは、家政学であろう。試みに家政学のテキストを何冊か読んでみた。どうやら家政学でとりあつかう食の問題は、文化・社会科学としての一般性をもつ性質のものではないようである。大学の家政学科の内容をみると、栄養学、調理学、食物史などといった講義分野があるが、それらは個別の問題をあつかったものである。
 たとえば調理学では、料理するということは、どのような行為であるか、といったことにはふれていないようである。あるいは、栄養学では、望ましい献立はあっても、世界の食生活における日本人の食品や献立の特色はなにか、それはどういう食事への価値観に支えられているか、といった文化的な人間の生活像についてはあまり考えずに、生理的な人間のメカニズムと食品の化学的組成とを直結した理論に支えられているもののようにもみえる。民族学、民俗学、農学……などにおける食の研究も同じことで、それぞれの学問の方法論の枠をのり越えたひとつの新しい分野を形成するものにまではいたっていない。
 それは、食の文化の研究が既存の学問の方法の応用問題あるいは既存の学問の出みせ店としての地位にとどまっていることを示すものである。食物史(あるいは食事史)は食の文化の研究のなかでひとつの学問分野としての市民権をまがりなりにも得た例外的なものであるが、それでさえも歴史学的方法を食に応用し、食の歴史記述をしたもので、歴史学の一分野の枠のなかにとどまっているのが現状である。残念ながら食物史独自の方法論の開拓に成功するまでにいたっていない。栄養学では、化学と生理学の方法におんぶして、両方の学問の応用編としての地位にある。」

●しかし、食育基本法や栄養教育制度は動き出した
栄養士や栄養教諭に唯々諾々したがうのではなく、仕事ぶり発言を、優しく厳しくみつめよう。うふふふふ。

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2006/09/02

遠藤哲夫を礼賛しよう

今朝は、浅草は木馬亭の玉川美穂子さんの「玉川美穂子のおはようライブ ほとばしる浪花節!」へ行こうと思っていた。なにしろ「たまみほ日記」を見たら、「重大発表アリ」とあったからなあ……と思っていたが、朝めしを食べながらウーロンハイを飲み、まだ時間があるので、ゴロリ横になって本を読んでいるうちに寝てしまった。宅急便に起こされて目がさめたら10時半。ああ、もう11時開演に間に合わない。しょうがねえなあ。

届いた宅急便は、右文書院の青柳さんからで、南陀楼綾繁さんの日記本『路上派遊書日記』のゲラ。げっ、まだ、この本出ていなかったのか! って、知っているけどね、知らなかったふりして、いまおどろいて見せる。

この本の注書きを頼まれて、たしか、そのときは今年の4月かなんか発行の予定で、いつごろだったか2月かなあ、早いうちに原稿の締め切りで、いつも締め切りを守るバカなおれは、そのようにやったのだったが。ま、ほかの人の原稿でなにやらあったこともあったらしいが。著者の日ごろが、こういうときにあらわれるのだろうなあ、やはり、「酒とつまみ」並に遅れている。

しかし、こういう連中の本が世に出て、おれのような律儀に仕事をして生きているものは、ふりむきもされない。ああ、それが出版業界というものだ、世間というものだ、だらしなく要領よく生きるほうが得だよなあ~、9月8日までに連絡がほしい旨同封の手紙に書いてあるが、いまさら無視!無視! うーんと遅らせてやろうと決め、「処理いつでもヨシ」の箱に投げ込む。(そんな箱はないが)と書いておくと、ちったあ本気にして心配するだろうか。そんなことはないよなあの連中は心臓に剛毛が生えているから、遠藤の注なんかどうでもよいから進行しましょうとなるに決まっているんだよな。なにしろ「9月下旬~10月初旬」発行予定だそうだ。刊行なったら、そのときはヨロシク、本屋で、おれの注だけ立ち読みしてね。

んで、もう、このやろう、じゃあもう一杯とウーロンハイをつくり、パソコンに向って、たまには「遠藤哲夫」を検索してやるかと、やってみた。

すると、ナヌッヌッヌッ、こ、ここここ、こけこっこ~じゃない、これは、あとで後悔して消されないように、そっくり転載してしまおう。うわっ~、おれは「人間国宝」だぞ「人間文化財」だぞ、「私的」でもいい、私的な「縞子」さんて、名前だけからすると女だもんな。

でも、これは2006/07/02登録 で、まだおれのサイトは「つまみ食い状態」で見ているだけのようだから、そのあと丁寧に見て、いまごろは後悔しているかもなあ。

ま、一瞬でもいい、遠藤哲夫を礼賛する気持になったひとは、アルコール度の高い多難かつ仕合せな人生を送れることでありましょう。

みなのもの、恥ずかしがらずに、もっと遠藤哲夫を、このように堂々と礼賛せよ!そして地獄に堕ちよ!天国はいらない。

縞子の空間 / キーワード /
遠藤哲夫 (エンドウテツオ)
大衆食の会代表、通称「エンテツ」、「大衆食堂の詩人」と書いてあります。
まあいいからページを見て下さい。私もまだつまみ食い状態ですがちょっとこの方大変に素晴らしいです。尋常でない。こんな大人に私はなりたい。私的人間国宝もしくは人間文化財。

「縞子の空間」は、こちら……クリック地獄

ああ、今日は、失敗な寝過ごしと不機嫌なゲラのあとに、これで素晴しい気分になった。もうイッパイ飲もう。げははははは。おれのような大人が増えることは、少なくとも塩山芳明や南陀楼綾繁のような大人が増えるよりは、おれはウレシイ。しかし、塩山芳明さんと南陀楼綾繁さんをネタにしているときは、なぜか楽しいなあ。あの2人……ああ、もう昼だ。もうイッパイ。

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2006/09/01

アサリ大根鍋ぶっかけ

きのう、どうしてもアサリの味噌汁が食べたくなり、近くのD級スーパーで愛知県産パック入りを買って来て食べた。やはり、どうしても食べたいものを食べると大満足だったが、食べながら、そういえば最近、もう昨年から一年以上か、「アサリ大根鍋ぶっかけ」をやってないなあ、うれはうまいんだよなあ、と思い出した。

「アサリ大根鍋ぶっかけ」は正式の名前ではない。「アサリ鍋」とかテキトウに呼んでいる。そのことを『ぶっかけめしの悦楽』のあとがき「かけめしはこれからだ」には書いたが、『汁かけめし快食學』では省略したので、ここに転載しよう。

以下………

 六月、この本の出版の打ち合せで、四谷ラウンドの社長の田中清行さんに、編集の堀内恭さんとお会いしたとき、「おすすめのかけめしは?」ときかれた。
 ちょうど安いアサリがでまわっている時期だったので、すぐさまアサリ鍋の汁をかけるやつとこたえた。
 卓上のコンロにかつお節かなんかのだし汁のナベ、アサリ、たっぷりのダイコンの千切りを用意する。
 煮立っただし汁に、アサリとダイコンの千切りをたべる分量ずつ入れ、サッと熱を通して汁ごとめしにかけ七味をふりながらたべる。あるいはアサリとダイコンだけたべながらイッパイやって、あとで汁をめしにかけてたべる。
 これは、たしか似たようなものがめしにかけることはしなかったかもしれないが、池波正太郎さんの『剣客商売』のどこかに出てきたような記憶がある。けっこうやっている隠れファンがいるのではないか。
 うちでは、アサリをむきみにしてやるめんどうはしない。殻ごと入れ、バカっと口があいたところでとって身をとりだしながらたべる。この作業がまた楽しい。
 「塩あじはどうするの」ときかれたので「アサリに塩あじがあるからいらない」とこたえた。最初はそうしたほうがアサリのダシあじと塩あじの加減がわかってよいからだ。不足があれば、たべるときに醤油をもちいる。
 だし汁に醤油と味琳を入れたものを用意してもよいのだが、最初から濃い汁でやるとクセになるので、はじめは味つけをできるだけおさえ、季節や体調により調節するようにするわけだ。
 お二人にはさっそくやってみてもらって満足していただいた。

………以上

うーむ、この秋には、これをやるぞ。これで、やっぱ、清酒かね。燗酒かね。うーむ、ヨダレ。

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