食文化ぬきの食育、栄養教諭制度に関する資料
チト自分が原稿を書くための資料を整理しているんだけどね。
●そもそも栄養所要量とはなにか
http://nihn-jst.nih.go.jp:8888/nns/owa/nns_main.details4
「 栄養所要量は、国民が身体を十分に発育させ、健康保持増進させるために、どのような栄養素をどれだけ摂取したらよいかを、性別、年齢別、生活活動強度別、妊婦、授乳婦等に1日当たりの数値で示したもので、国の健康増進施策、栄養改善施策、食料施策等を樹立する際の基本となるものです。また、国民に対する食生活改善指導、集団給食施設指導、学校給食等各方面での指導基準としても利用されているものです。」
●栄養改善法なるもの
http://law.e-gov.go.jp/haishi/S27HO248.html
戦後の惰性の「栄養役所」を、どうするか考えたほうがよいのではないか。
●食生活を栄養に矮小化する戦後の厚生行政
厚生白書(昭和34年版) 二 国民生活の現状と厚生行政 2 健康の状態 (四) 栄養の状態
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpaz195901/b0009.html
●「食」は「栄養」なりの栄養教諭制度
「栄養指導」を「食指導」と称する、「栄養教諭に関する意見」社団法人 日本栄養士会
http://www.dietitian.or.jp/topics/topics031108.html
栄養教諭制度について
http://www.fwu.ac.jp/nh/eikyo-og.htm
「栄養教諭は,栄養に関する専門性と教育に関する資質を併せ有する教育職員」と……「食」に関する専門性は、いらんのか、それとも栄養だけが食の専門性だというのか。
●石毛直道さんは、こう語っている(『講座 食の文化』第一巻 人類の食文化 1998年発行、「なぜ食の文化なのか」)……かなり各学会に配慮しながらの発言だけど、ようするに「栄養学」などは、「化学と生理学の方法におんぶして」自立してないのだ。
「 従来の学問分野で食生活にいちばんかかわりをもったのは、家政学であろう。試みに家政学のテキストを何冊か読んでみた。どうやら家政学でとりあつかう食の問題は、文化・社会科学としての一般性をもつ性質のものではないようである。大学の家政学科の内容をみると、栄養学、調理学、食物史などといった講義分野があるが、それらは個別の問題をあつかったものである。
たとえば調理学では、料理するということは、どのような行為であるか、といったことにはふれていないようである。あるいは、栄養学では、望ましい献立はあっても、世界の食生活における日本人の食品や献立の特色はなにか、それはどういう食事への価値観に支えられているか、といった文化的な人間の生活像についてはあまり考えずに、生理的な人間のメカニズムと食品の化学的組成とを直結した理論に支えられているもののようにもみえる。民族学、民俗学、農学……などにおける食の研究も同じことで、それぞれの学問の方法論の枠をのり越えたひとつの新しい分野を形成するものにまではいたっていない。
それは、食の文化の研究が既存の学問の方法の応用問題あるいは既存の学問の出みせ店としての地位にとどまっていることを示すものである。食物史(あるいは食事史)は食の文化の研究のなかでひとつの学問分野としての市民権をまがりなりにも得た例外的なものであるが、それでさえも歴史学的方法を食に応用し、食の歴史記述をしたもので、歴史学の一分野の枠のなかにとどまっているのが現状である。残念ながら食物史独自の方法論の開拓に成功するまでにいたっていない。栄養学では、化学と生理学の方法におんぶして、両方の学問の応用編としての地位にある。」
●しかし、食育基本法や栄養教育制度は動き出した
栄養士や栄養教諭に唯々諾々したがうのではなく、仕事ぶり発言を、優しく厳しくみつめよう。うふふふふ。
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