味覚の蛸壺化はたまたフレーバリング
久しぶりにドクターペッパーを飲んでコーフンしている。やはり生活は自分の狭い味覚の習慣に流れやすいから、ときどき攪拌が必要だ。
それで思い出したが、かなり以前に、調べたら02年12月20日だが、「フレーバー系」というタイトルで「フレーバー系料理」を考えている。アジノモトをベースにしたものに限定しているが、そのときにはドクターペッパーのことはすっかり忘れていた。
ドクターペッパーもフレーバー系食品と考えると、また9月5日に書いた「その他の醸造酒(発泡性)①」も同系と考えられるだろう。
「フレーバー」については、例のあてにならないウィキペディア(Wikipedia)にも項目があって、「フレーバリング」も解説されている。
香料や甘味料や調味料、酸味料、香辛料などを混ぜ合わせる味覚のフレーバリング技術や文化は、表面上は、ということは気どったマスメディアや大手のメディアではということだが、気分的な「自然主義」「素材主義」に押されているが、現実は幅広い分野を担っている。これがなければ食生活は大変混乱するかも知れないほどだ。気分的な「自然主義」「素材主義」は、フレーバリングによって安定的に支えられている食生活から生まれた、安心と不安という両面であるがゆえに、「気分的」なのだ。といえる。
で、話は飛躍するのだけど、いまやそういう味覚は情報と密接な関係にある。んで、その情報となると、いまやこのネットの世界をはずせない。最近のトラックバックにある月球儀通信さんに、コメントで教えてもらったのだが、「ドクタペッパー倶楽部」なんてものまである。
んで、『文学界』4月号だが。「徹底討議 ネット時代と溶解する資本主義」で討議するのは東浩紀+鹿島茂+佐藤優+松原隆一郎。ま、エリートたちの気楽な放談だが、それぞれの「味」は出ている。「被告」の立場の佐藤さんは、東京拘置所の食い物は「本当にうまいんです」と。
こういう討議は、かけあいが面白いから、特定の発言だけを抜き出すのはキケンだが、チョイと東浩紀さんの発言に、このフレーバリングと気分的な「自然主義」「素材主義」をからめて考えるとおもしろそうなことがあったので忘れないために、ここに抜粋しておくのだ。
いずれも東さんの発言から……
今回の堀江騒動で明らかになったのは、ネットやIT業界のコンベンションがいかに未成熟か、ということだと思うんです。
僕自身も含め、団塊世代ジュニア以降の世代は、仕事上から友人関係まで含め、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)やブログのようなインターネット上のツール、あるいはケータイで管理するようになっていて、とても早いコミュニケーションで現実を動かすようになってきている。……本来なら、そのスピードに合ったコンベンションを作っていかなければならないはずですが、結局それがあまりできていない。
いずれにせよ、みんなスピード感のあるヒーローを待ち望んでいるんですね。
ネットの書き込みって、好き嫌いの振幅がすごく極端でしょう。熱狂的に讃美するか、とことん攻撃するか、どっちしかない。まるで心理学者メラニー・クラインのいう「良い乳房 悪い乳房」理論みたいですね。乳幼児は母親に乳を与えられている間は安心感を得ることができますが、そうでない時間は不安感を覚える。
インターネットの普及による情報量の爆発は、言語の蛸壺状態をむしろ強める可能性があるんじゃないかと思っているんですよ。
……これぐらいで。
こうしちゃいられない、食育を解説する項目は選び出したから、一気に書き上げなくては。でろでろでろ
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