自然に還る土地でキビ入りおこわ
低執着高倦怠性のせいか、2日ばかりパソコンにむかわないでいると、ブログもうっとうしくめんどうでどうでもよくなる。ケセラセラセラ、セラセラケセラ。
25日、新宿下層の民との飲み会へ行く前に、高田馬場の古書現世に寄る。二代目セドローくんこと向井透史さんの『早稲田古本屋街』(未来社)が今日発売なのだ。食べ切れない、はすみふぁーむの巨峰一房を土産。ウチを出るのが遅かったので、アタフタ本だけ買って、急ぎ新宿へ。
ありゃりゃ、待ち合わせ場所の長野屋食堂は、28日まで内装工事のため休み。しかし、いまどきの下層の民は、携帯電話だけは持っている。無事に合流、1年以上すぎてしまったが、みな下層のまま。本代より酒代一円でも大事の連中、おれはこういう連中と付き合っているから本が売れないんだよなあ、もっと本を買いそうな連中と販促な人間関係を築かないとなあ、ヤイッおめえらたまにはおれの本ぐらい買え!と、ここに書いてもパソコンなんか関係ない連中ばかり。それもいいだろう。だがね、なら、どうして携帯電話を持つのよ。携帯電話は下層の民の必需品か。酩酊。
26日、やや酒が残るなか、朝9時半出発。むははは、ウラ総理から電話があり森林再生機構内閣に入閣の要請があったのだ。
ますます山は美しい自然に還っている。オモテの内閣が「美しい日本」なんていわなくても、政治から捨てられ放棄された山村は、年々人間が住めない、真に美しい自然そのものに還りつつあるのだ。イノシシ、ハクビシン、シカ、そして今年は、久しぶりに、とりわけクマが活躍だ。
7、8年前に、クマがバス道路のすぐ近くのクリの木まで「侵出」してきたときの、クリの木の無残の写真は、以前にザ大衆食のサイトに掲載した。「小鹿野町藤倉の秋とクリとクマ」……クリック地獄。今年は、そのとき以来の出没だ。残っていたクリの木は全滅。
イノシシは、もういまさら言うまでもなく、ジャガイモなど人間様が肥料代を出して育てた作物を、ぜんぶ食べてしまい、さらに畑の小屋に堂々と子供を生み育てている。人間様はスゴスゴと引き下がり、食べるのに困り、ガソリン代をつかって町まで買出しに行く始末。
やつらは食べては大量の水を飲む。家の裏10メートルほどのところにある井戸も荒らされた。まさに獣たちが自由にふるまう自然に還りつつある。
ま、とにかく、キビとクリとアズキが入ったおこわを食べた。とくに祝祭や行事のおこわではなく、秋の日常の食だ。写真も撮ってきた。画像クリック地獄で拡大。
黄色いキビがタップリ入っている。むかし子供のころは、キビばかりのメシを食べさせられて嫌だったというバアサンがつくるおこわだ。これでもキビはひかえめなのかも知れないが、とてもこうばしい独特の味わいで、うまい。
むかしは自家製のキビだったが、いまは買ってくる。国産は輸入モノよりかなり高いが、やはり味がよいそうだ。美しい青い空、おいしい空気おいしい水……獣に囲まれ自然に還りつつある家で食べる、高価なキビ入りおこわである。
北浦和の家にもどると、牧野伊三夫さんから、サントリーの『WHISKY VOICE』25号と専用のハードカバーのファイリングフォルダーが届いていた。ありがとね、また飲もうね。
あと、右文書院から南陀楼綾繁さんの『路上派遊書日記』が届いていた。ホントウに出たのだなあ。冒頭の一月、「どーせ儲からないんだから好きにやろう」の見出し、「ノーテンキ文芸の詩人」の妙名に恥じない。だが、読めばわかる、これはなかなかの芸、計算ずくのノーテンキ私事仕事戦略なのだ。
ま、とにかく、おれが書いた注だけでも、立ち読みしてね。と、パラッと見ると、いきなり6ページ目に、おれ「エンテンさん」の注を、浅生ハルミンさんが書いている。
いまやめったに知る人がいないはずの「逸話」。この話を、どこで仕入れたのか察しはつくが。逸話というのは、実話とちがい、どんどん広がるにしたがって変化していくのがオモシロイ。「飄々とした風貌でありながら大胆かつ豪快。大手編集企画会社に勤務時代、出張で出向いたアメリカで、西部開拓時代に使われていた本物の幌馬車にひと目惚れして即購入。会社に運んでしばらく愛でていた、という逸話をもつ」
逸話というのは、逸話だから楽しい。ここに真相を暴露するような野暮はしないでおこう。いや、真相のほうが、オモシロイか……。
今日は、こんなところで。あといろいろなモノや、メールなどいただいていますが、ありがとうございます。返事などは、遅れるかも知れませんが、悪しからず。
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