株式市場の大衆化とB級グルメ
チョイと忘れないように書いておく。
きのうの東浩紀さんの変化のスピードとコンベンションの関係だけど、これは堀江騒動の背景、「新しいメディア」とくにネットやIT革命の中で生まれていることについての発言の、ほんの一部だ。
おれは思うに、大衆化とIT革命のなかの株式市場の構造と、B級グルメブームの構造は、ほとんどおなじだ。時間的な経過まで似ている。
日本の株式の売買は、ここ20年ばかりのあいだに激しく変化した。たしか以前は、1000万円ぐらいの単位でないと取り引きできなかったのに、いまは堀江ライブドアがやったように数百円からの取り引きも可能な状態をつくれる。つまり株式市場は、大金を動かせる特殊な人や団体のものだったが、B級グルメのような市場になった。それが成り立つには、ネットとIT革命による、早い大量の情報処理そしてコミュニケーションが必要だった。
一方のB級グルメは、やはり約20年前の80年代後半から、コンニチのブームにつながる動きが始まるが、インターネットとウインドウズが普及する1990年代中ごろから、とくにラーメンブームは一段と加熱する。ネットで話題になった店に客が集中するなど、中野の某ラーメン店などは、その構造の中で一気に有名店に成長する。
B級グルメ市場は、もともと大衆的市場だったが、金融つまり銀行の格付けからは、まったく相手にされていなかった世界だ。しかし、その状況が変わる。金融の動向も、B級グルメに熱くなる。それは、大衆化された株式市場を背景とする金融だ。
実際すでに、B級グルメ市場を背景にした飲食サービス業の上場は、「大衆食堂チェーン」を含めて続々だ。立ち飲みといった、きわめてニッチだった分野にまで、金融が動く。
大衆化された株式市場には、堀江のような「スター」が、B級グルメの分野では「カリスマ」と呼ばれる人たち、呼び方はともかくジャンルやカテゴリーごとに何人かのリーダー格がいて、その周辺に「オタク」や「マニア」と呼ばれる人たちがいて、ネットを利用し市場を形成し動かす重要な役割を担った。
株オタクあるいはマニアは、おれの知り合いにもいるが、一日中「ひきこもり」のようにパソコンに向ってキーでカネを動かしている、B級グルメ「オタク」や「マニア」は店まで出かけて行ってカネを市場に渡すことをしている。その違いはあるが。そうしてカネが集まる株や店がつくられる。株のほうのスターは、堀江のように文化の香りがしないから胡散臭く見られたりするが、B級グルメのほうの「ライター」などのリーダー格は、堀江よりデタラメを言っていても「文章」を書くがゆえによいイメージの「文化人」である。そういう違いはあるが。
B級グルメの世界では、ラーメンやカレーライスなど先行した分野は少しサマ変わりしている面もあるが、「新規」の分野では「ライター」という人たちが、株式市場における格付けやランキングと同じように、サービスや商品を評価する役割を担い、その周辺に「オタク」や「マニア」が集まる。実際に、その内容となる評価基準も、経営コンサルタント的な視点で、いわゆる「おいしい繁昌する店」というかんじだ。
そこでは、食文化的な視点あるいは、まさにコンベンション(このコトバについて、おれは、とりあえず社会規範や文化規範、習慣といった意味で考えているが)など関係ない。
では、なにがあるかというと、市場や人を動かす、より早い情報処理とコミュニケーションなのだ。食文化的な視点あるいは、新たなコンベンションの形成の視点が欠落した「B級グルメ」は、食文化現象というより、大衆化された株式市場の情報処理とコミュニケーションのシステムなのだ。それは、「あのひとがよいと言ったから」「あのひとがいるから」(あるいは、その反対)、また世間的伝統的に評価が決まっている自ら苦悩して生み出す必要がない価値観に、依拠するようになっていく。
実態として、ま、かりにB級グルメは「娯楽」「レジャー」「趣味」「エンターテイメント」だからいいじゃないかとして、だから食文化なんかどーでもよいじゃないかとして、仮にそうだとしても、それがネットやIT革命がもたらす環境変化に見合った、なにかよりよいコンベンションの形成につながっているだろうか。ただただ、さまざまな分野の祭り騒ぎ「騒動」が早く凝縮化し、移り変わりすぎているだけではないのか。
そして荒野が残るのだ。
チト時間がないので、備忘録的な殴り書き。あとで書き直すか、別の日に書くかするかも知れない。
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