司馬遼太郎と池波正太郎の違い
気になることがあって、司馬遼太郎さんの『街道をゆく 9』(朝日文芸文庫)に収録の「潟のみち」を読んだ。
「農業というのは、日本のある地方にとっては死物狂いの仕事であったように思える。」で、はじまるやつだ。新潟県の、いまでは新潟市か周辺の市にのみこまれたしまった亀田郷と、その上流奥地を旅している。
気になっていたことは、かなりわかったが、別に気になることができてしまった。司馬さんは、食料としての食べ物に関心を示しているだけで、味覚としての食べ物には、あまり関心を示していない。
もちろん、テーマが味覚とは関係ないのだが、それにしても、日本有数の穀倉地帯で、「越の寒梅」の蔵元がある地方で、海のものも畑のものも山のものも、新鮮なものが豊富な地域を旅しているのだ。
約100ページの文章のうち、わずかに、ここだけ味覚としての食べ物にふれている。……「いろりのある部屋に招じられ、お茶がわりだということで、野菜のみそ煮のふるまいをうけた。やがてたくあんの鉢もまわってきたし、握り飯を盛った大鉢もまわってきた。」……それを「お口に合いますかどうか」といってだされ食べたら……「お口に合うどころではなかった。ひさしぶりにうまいものを食った感じで、汁などは何度もおかわりした。たくあんもうまかった。」
おれが、あの地帯をイメージし過剰な期待をして読むのがいけないのかも知れないが、その汁の具はなんだったのだっ、どんな味だったのだっ、ほかにも道中なにか食わなかったのかっ、酒は飲まなかったのかっ、といいたくなるぐらい書かれてない。んで、ふと、池波正太郎さんなら、もっとちがっただろうなと思った。
これは単に「芸風」のちがいなのか? 司馬遼太郎さんも池波正太郎さんも、おなじ1923年生まれ。おなじように軍国の時代を生き、男子厨房に入るべからず、男子が食べ物のうまいまずいを口にするものじゃない、という時代を生きている。どこから、こういうふうにちがっちゃったのか。
でも、それだけに、司馬さんの「ひさしぶりにうまいものを食った感じで、汁などは何度もおかわりした。たくあんもうまかった。」というウンチクぬきの表現は、じつにうまそうだし、「おいしい」とか「いただいた」という言葉をつかわずに、ズバリなかんじで、これはこれで、これらの料理にもふさわしいかんじがした。
こういう文章を読むと、池波正太郎さんは、チト東京者の通ぶった饒舌が過多かという気がしないでもない。ま、でも、それが読者サービスなのかも。
しかし、両極端だよなあ。
ともあれ、この掌編で司馬遼太郎さんがえぐりだした、日本の土地農業問題を、「食育」バンザイ推進論者に、ゼヒ読んでほしいものだ。それに、東京の再開発問題の根幹にもかかわるな。強大な中央集権下で、東京=中央のノホホン繁栄のために地方や農業が犠牲になる困難は、まあしばらくは続くわけだ。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント