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2006/12/29

本気で考える「好食」

じつに、ひさしぶりに風邪をひいた。が、医者にかかるほどではない。生活は普段どおりで、ちゃんと酒も飲んでいる。医者にかからず健保に貢ぎ、健保から毎年表彰されること、たしか7年連続で、この冬を無事に越せば8年連続になるはずだ。この風邪も普段どおりのままねじふせてやりたい。

先日、体重を量ったら、66キロ。高校卒業したとき身長172センチに体重62キロだった。高校は、授業に通うというより山岳部に通うかんじですごし、熱が38度ぐらいあるときでもトレーニングだけは休んだことがなかった。3年間に、たしか身長が10数センチに体重が10キロぐらい増えたはずだと思う。そのあとは、あまり大きな変動はない。いや、一度、21歳か22歳のとき、大阪へ一年間出張で、仕事を一生懸命やりすぎて身体をこわした。そのとき体重が55キロぐらいまで落ちたことがあったが回復し、山もかなりやるようになって、もとにもどった。65キロをこえたのは45歳のころだったと思う。数年前に、いっとき69キロになったことがあるが、とくに意識しないでいるうちに、また66キロにもどってしまった。これぐらいがベストで、じつに快調だね。

ただし、ウエストが太くなった。これは、筋肉の衰えが関係しているようだ。最近は、まっとうに山にも登ってないし、そのためのトレーニングをすることもない。首から肩、胸についていた筋肉、それはマッチョというほどではなくバランスがとれていて、女が見ると惚れ惚れとしたらしい。おれの肩から胸をなでまわして、この感じ好きよ、なーんていう女もいたが…。って、うそうそ。とにかく筋肉は、みるかげもなく衰え、そして胴のまわりにみな垂れ下がって貯まってしまったのだ。ふん。

それはそうと、なかなか頼もしいブログをみつけた。

北海道発・生活問題を考えるブログ》というタイトル
《家政学・生活科学を学んだ立場から、最近の生活問題について本気で考えていきます。》と説明がある。

検索でみつけたのだけど、12月27日に、《『現代用語の基礎知識』の「さまざまな食育」》というタイトルで、おれが書いた「さまざまな食育カタログ」について、《栄養教諭を目指す人たちや実際、食育に関わっている人たちに是非、目を通してほしい2ページである。》と紹介いただいている。ぐふふふ、うれしいね。……クリック地獄

おれはシロウトだが、こういう「家政学・生活科学を学んだ」人たちにこそ、本気で考えて欲しいね。

おれは、来年は、「好食」というコンセプトを考えている。ま、そのとおり、「好色」からの思いつきなのだが、ここのところ、江戸の料理文化史から江戸文化がらみのいろいろな本をパラパラみていたら浮かんできた。

「好色」は、江戸期には、イヤラシイ後ろめたい不健康なイメージではない。それが近代になって変わる。近代思想の影響のようだ。性欲だけではなく食欲についても、つまり人間の欲望を、「愛情」と「生理」で統制しようという。それは、ある種の快楽主義の否定であり、また「殖産日本」「軍国日本」にとっても、都合のよいものだった。そして、料理というと「愛情」と「栄養」になる。

もう一つ、「食通」つまり「通文化」なるものがある。江戸期には、「好色」と通じていた。根っこは同じなのだ。では、こんにちの「グルメ」は、どうか。ということになるのだなあ。「うまいもの好き」というのはよく聞くが、はたして「食べるのが好き」つまり「好食」といえるか?

ってことで、「好食」になったわけだ。根っこに「人生が好き」「生活が好き」「生きるのが好き」ってなことが関係するような気がする。

ま、この話は、書くと長くなるから、これぐらいで。
来年は、「好食」で。
うふふふ、「好色」は?……うふふふふふ

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2006/12/25

「和」の伝統

クリスマスの今日から正月に向う年末の風景はオモシロイ。「洋」なクリスマスの飾りつけから、そのなかに「和」の正月の飾りがまざり、そして「和」の正月へと変わる。というぐあいに見える。

クリスマスというとメインの料理はトリだが、近年はイブの食卓に刺身や手巻き寿司なども混ざった「オードブル」がのるようになり、スーパーの店頭にも昨夜などは豪華刺身の盛り合わせなどが大量に並んでいた。これが明日あたりからは、ますます「和」のオセチっぽくなる。しかし、そのオセチにハムなどの肉類も欠かせない。

ここで、「洋=欧米」と「和=日本」の関係をどうみるか。日本人は元来「和」の伝統であるべきで、クリスマスの「洋」なんてのは、日本人の堕落だ。と、とにかく「日本型」はよくて、なんでも「欧米型」は悪く、「欧米型」になびくのは日本人の堕落とする言論は、食の分野で根強いものがある。

しかし、「洋」も「和」も混ぜて飲み込んでいる、この現実こそ日本の文化であり伝統の姿なのかもしれない。そのようになんでも「和」していくところに「和」の文化と伝統があるのかもしれない。「日本料理は、純粋な伝統文化ではないということである。雑種文化なのである。」と江原恵さんは、『まな板文化論』に書いている。

その話のために江原さんは「和漢のさかいをまぎらかす」を引き合いに出している。『まな板文化論』よれば、「和漢のさかいをまぎらかす」は「茶の湯の祖」といわれた村田珠光が説いたことだそうだ。この江原さんの話は、いまひとつわかりにくいのだが、ようするに茶の湯は日本の創始でも、中国から伝来の物や文化が多く関係している。それを「和」だの「漢」だのとイチイチ識別することなく、その「さかいをまぎらかす」ところに日本の伝統芸である茶の湯の美学が成り立っていた。「さかいをまぎらかすことを尊ぶ伝統的な思想」があって、日本の文化とくに料理文化は発達してきた。という主張で、これがつまり江原さんがいうところの「雑種文化」なのだ。

ま、たとえば日本語だが。日本で広く普及した「文語体」は、「和漢混淆体」といわれるわけだけど、そしてそれは現在の口語体にも生きているのだが、実際の暮らしの中で使われているときに、イチイチここは「和語」の伝統ここは伝来の「漢語」といった識別はしない。つまり、「さかいをまぎらかす」ところに日本語は成り立っている。日本人の生活とは、そういうものである。それを、イチイチわけて識別し「純粋」な「日本型」の「和」の伝統だけを残し、他を排除しようとすると、たちまち現実は崩壊してしまう。「さかいをまぎらかす」ことで「和」を生かすことが「伝統的」な生き方なのかもしれない。「和洋折衷」は「和漢混淆体」と同質の文化であり、「和」のみが伝統なのではなく「和洋折衷」の姿そのものが伝統なのだ。

クリスマスから年末の風景をみていると、そんなことをスルドク感じるのであるよ。

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今年も、はいつくばって生きていく者たちへ

ことし、おれの周囲では不幸は少なかったような気がする。2006/12/11「ことし亡くなった人のブログ」に書いた、たつ!さん。それに、ミナベさんがいた。

ミナベさんの死については、2006/05/16「某大衆食堂の常連の死を知る」に書いている。……クリック地獄

彼とは、よく飲んで、じつはこのブログには何回か登場しているのだが、名前や場所などはアイマイにしている。たとえば、去年の12月18日「年の瀬、今年の年賀状、来年の年賀状」に、「牛乳配達男は、もう転々としたあとで、これを辞めたらあとがない。ホームレスしかないからなんとか続けているようだ。そういや彼が牛乳配達をやり始めたとき、このブログに書いたと思うが、ワレワレは彼が何日間続くか賭けたのだった。最長で一ヵ月、おれはたしか20日ぐらいに賭けたのだったかな? みんなハズレ」というぐあいに登場する牛乳配達男とはミナベさんのことだ。

おれが彼と始めて会ったのは10年前ぐらいだったと思う。そのとき彼は都内の某中堅ゼネコンの社長の運転手ということだったが、その仕事はもうやめたかクビになっていたのが実態だったようだ。そして日中から碁を打ち酒を飲んでフラフラしているときに出会ったのだ。とにかく碁が好きだった、それから女が好きで、というか好きな女に、バカじゃないかと周りのものに笑われるぐらいつくしてしまう男だった。寒い冬に自分はサンダルをはいていても、女におごってしまう。そんなわけで、奥さんと娘が二人だか三人いたのだが、追い出されてしまった。彼を知っているひとは、彼に才気や才覚を認め、なにか仕事を世話しようとするのだが、本人は月の半分は働きたくないというポリシーにしたがい、ま、18日間ぐらいは働いたことはあるが、そんな調子で職を転々とした。一時は住まいもなくなったこともあったが、ホームレス(野宿生活者)になることはなく糊口をしのぎ、最後はちゃんと自分のアパートの部屋で死んでいたのだ。おれが18年生まれ、彼は28年生まれ。栃木県の出身。まだまだ書きたいことはあるが、今日はこれぐらいで追悼としよう。

昨年12月19日に「はいつくばって生きていく者たちへ」を書いている。……クリック地獄
そこに説明したが、これは2001年12月26に書いたものだ。

地面にはいつくばって生きていくさ
ダニのように毛嫌いされても
それがいったいどうしたというのだ
糞をまきちらし顔をそむけられ
同情されることなく
暖かくむかえられることなく
優しい言葉ひとつない
罵詈雑言をあびても
はいつくばって生きていくさ
自分の人生だ
文句あるかクソッタレ
文句あるやつは前にでろ
屁をかけてやるわ

ということで、今年もおわりです。
わたくし遠藤哲夫ことエンテツことエロテツは、
本日をもって今年の営業を終了します。
来年の営業開始は1月3日からです。

来年の世情はさらに悪くなると思いますが、
そういう時代に生まれたことを喜びとし、
どうかみなさまよい年をお迎えください。

2001.12.26


今年は、営業つまりオシゴトは、本日でオワリ。
そして来年の営業開始は1月3日から。

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2006/12/24

大宮いづみやで泥酔暴走

加筆最終版

昨夜。吸うさん、浅原さん、近藤さん、今年の暴飲ベストメンバー、といっても男だけ(女じゃ武井さんてことになるがキケンなので誘わず)、で飲んだ。大宮のいづみや本店に6時集合。いきなりトップギアーで飲む。

なにしろ業界も仕事も趣味も共通点がほとんどないから、話はめちゃくちゃにとぶ。軽薄なバカばかりだし、深い話など一つもない。たしか、あちこちの街の街娼のことから、その客引きのセリフのすごいこと、それを中国語でいうとどうなるか、英語だと……といった高度な実践的教養を必要とする話あたりから盛り上がり、近藤さんの鼻の手術の話から、ガンで片方のオッパイをとって悲観している女をどう励ますかの実践的な優しい話、おれはシリが好きだからオッパイはなくてもいいよってやつがいたな、ああ、それから、そうそう本日の重大発表、あっ、これは書いちゃいけねえのか、書きてえなあ暴露したいけど、書いちゃいけねえ内緒ないしょの楽しい話をけっこうしていたか。谷根千とくに谷中あたりの悪口を、めちゃくちゃいっていたけど、うふふふふ、それも公開したらまずいよなあ。

8時過ぎ?酔った浅原が三味線は取りに行かなかったけど、電話したのか?おれに携帯を差し出す、電話のむこうは大沼ショージさん。女3人と男1人で浦和にいるという、それなら来い。大沼さんに妹と弟、それになんとミユキ店長があらわれる。本店は混雑で8人一緒にすわれない。となりの支店に移動。

とにかく、よく飲んだ。店の人も、まわりの客も、あいつらバカだなあという顔をして笑っていた。吸うさんは「おれはショージは大嫌いなんだよ」といいながら、うれしそうな顔をして大沼姉の隣にすわって愛を表現していた。おれは、大沼一行は、なぜ浦和に来たのかを3回ばかり聞いてしまい、「だから、映画を観に」と、おなじことを何回も聞くなコノバカヤロウという調子で大沼妹にいわれたあたりから記憶がない。近藤がうたっていた。近藤、自分の前に、ビールと清酒とホッピーだったか梅割りだったかを並べて飲んでいた。みんな、ただのバカだった。しらふでもバカだけど。バカは楽しい。

大宮駅で、どう別れたかわからない。気がついたら朝だった。

コメントによると、近藤さんは駅の階段を転がったらしい。死なずにすんだようだ。ミユキさんは、この日、誕生日だったとのこと。ショージさんは21日だったそうだ。ということは、近藤、吸う、みなほぼ同年代か。げっ、あまり付き合いたくないクセのあるやつらばかりだね。

吸うさん、浅原さん、ショージさんとは、いま調べたら2月22日に飲んでいるな、この日も、まあすごかった。2006/02/23「春の夜山谷の乱痴気騒ぎ」……クリック地獄

吸うさんのブログ…クリック地獄
浅原さんのサイト…クリック地獄
ミユキさんのブログ…クリック地獄
まぼろし洋品店×大沼ショージ コラボ写真館…クリック地獄

そうそう、今夜は「聖夜」じゃないか。では、今夜は一人で静かに飲むとしよう。「きよしこの夜」を口ずさみながら。

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2006/12/23

はじめての「さいぼし」

Saiboshiこのトシ63歳になっても、まだ食べたことのないものは、いくらでもあって、そっちのほうが多いわけだけど、今年初めて食べたもので印象深いといえば、この「さいぼし」ですね。画像クリック地獄拡大。

これは、馬肉の燻製。写真でわかるだろうか、牛のようにサシが入った馬肉をつかっていて、燻蒸独特の香りや味はあまり強くなく、かめばかむほど馬味じゃない旨味がでる。

こんなにうまいものが、複雑な歴史を背負っているのだから、食べ物の歴史というか、その背後にあるニンゲン様の根性というのは、なかなか複雑だな。ニンゲンというのは、偏見にみちた、めんどうな動物よ。

関連…2005/11/07「せんじがら、いりかす、あぶらかす、みやさん食堂etc.」…クリック地獄

このさいぼしは、タカスさんからいただいたもので、その夜、タカスさんが冷凍をとけないようにと丁寧に包装して来てくれたこれを持って、新宿を三軒も飲み歩いたのだった。去る10月14日の日記に書いてある。泥酔帰宅し、翌朝は深く二日酔いのまま、故郷へ呑みに行ったのだった。……「新宿・万盛庵・魚野川連日連夜の泥酔ふわふわ」クリック地獄


ああ、また1年がおわるが、ああ、また1年よく呑んだという感想しか残らない。それでいいのだ。酒を呑んでいれば、いいことがある。たぶん。アルコール芸術家協会泥酔教教祖エンテツ。って、こいつは、朝から酔っている。

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2006/12/22

なんだかオカシイ「食糧自給率」報道

asahi.com > 暮らし > 暮らし一般 > 記事
http://www.asahi.com/life/update/1221/020.html

食糧自給率「低い」7割 6年前より17ポイント増
2006年12月21日23時01分

 日本の食糧自給率が「低い」と感じている人は大幅に増え、7割に達したことが、内閣府が21日に発表した「食料の供給に関する特別世論調査」で分かった。国際情勢の悪化によって輸入が不安定になる恐れがあることなどから、4人に3人は将来の食糧供給への不安を感じている。

 調査は、11月に全国の成人3000人を対象に実施、1727人(57.6%)が回答した。

 日本の食糧自給率は、98年度から8年連続40%と横ばいが続く。この数値が「低い」「どちらかというと低い」と答えた人は合わせて70.1%で、6年前の前回調査に比べて17.3ポイント増えた。逆に「高い」「どちらかと言えば高い」は、計5.6%で、前回(10.8%)から半減した。

 「外国産の方が安い食料は、輸入する方がよい」と考える人は7.8%で、調査を始めた87年以降で最低を記録。逆に「高くても国内で作る方がよい」という人は86.8%で過去最高だった。

 将来の食糧供給に「不安がある」という人は76.7%。不安の理由は「国際情勢の変化により、輸入が大きく減ったり止まったりする可能性がある」が61.6%と最も多く、前回より約18ポイントも増えている。農林水産省食料企画課は「北朝鮮の核問題やイラクなど中東情勢への不安のほか、急速に経済成長する中国に食糧が多く買われていることを反映しているのではないか」と分析している。


……以上は、記事の全文。

「食料の供給に関する特別世論調査」って、なにを目的の調査か、名称からは判断つかない。この記事からすると、ようするに「意識」調査らしいが、内閣府と朝日新聞が、この調査結果をもとに、なにをやりたいのかは、なんとなく伝わってくる。「将来の食糧供給への不安」を煽り、「高くても国内で作る方がよい」という方向へ世論を導きたいということが見え見えだ。つまり、より高負担を消費者に強いる、高負担も仕方がないと思わせる世論づくり。

こういうふうに「食糧自給率」を利用してよいものだろうか。そもそも、この調査では、食糧自給率が高すぎるか低すぎるかの基準をどこにおくべきか、といったことについては質問をしてないだろう。バクゼンとした不安を、数値化したにすぎない。そのことによって、不安はより顕在化し深刻になる。すくなくとも、この記事ではそうだ。

だいたい、「外国産の方が安い食料は、輸入する方がよい」「高くても国内で作る方がよい」といった回答を用意するなんて、あたかもそのへんに食糧自給率の改善の分かれ道があるかのような誘導でもある。このように「質問」「回答」という形式のなかで、一つの方向をPRしてしまう悪賢いことは、さまざまな調査でよくやられる手だ。

調査をした内閣府も、報道する朝日新聞も、そのようなことで「食糧自給率」をコントロールできるとマジメに考えているとしたら、まったくおかしい。いや、もしかしたら不安を煽り、強固な「保護」というタテマエの統制経済をひいて、食糧自給率のコントロールが可能だと考えているのだろうか。

食糧自給率の数値だけを取り上げて、不安を煽っても、よいことなどない。なんども書いてきたように、食糧の輸出入は、それだけで成り立っているのではなく、他の貿易や金融の需給とも密接で、たとえば東京などはガスの輸入がとまったら食糧はあっても食事のしたくができなくなってしまう状態で日々の生活をしている。食糧自給率さえ上げれば食生活は保障されるという考え自体がマチガイなのだ。そして、おそらく、「国際情勢の変化により、輸入が大きく減ったり止まったりする可能性がある」としたら、食糧だけではなく、大混乱になるだろう。それに日本の農産品だって、より高い収益のあがる市場を目指してきているではないか。

食糧自給率の数値は、それ自体が低すぎるか高すぎるかではなくて、その数値を危機にしてしまわない方策を追求することが重要なのだ。不安を煽ることは、まちがった選択、まさに「外国産の方が安い食料は、輸入する方がよい」か「高くても国内で作る方がよい」かといった、現実的ではない選択肢のなかに陥ってしまうことになる。

それに、資本主義という市場経済で生きていくには、それなりの不安やリスクはつきまとう。ま、どんな社会になったところで、不安やリスクはなくならないだろう。そんなことはトウゼンという考えをシッカリ持って、よりよい現実的な選択のために、さまざまな調査や立案の手法も開発されてきたのに……。もっと、知恵や知識や技術を生かすことで、不安やリスクをすくなくしていこう、ということにならないのかね。

しかし、この朝日新聞の報道は、まったくヒドイなあ。これを「客観的」というのだろうか。「食育」もそうだが、ひとの不安を煽って稼いでいるニンゲンが多すぎる。

●追記…読売新聞の記事。全文。

YOMIURI ONLINE 読売新聞
ホーム>政治
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061221i311.htm

「将来の食料供給に不安」が7割以上…政府世論調査
 内閣府は21日、食料供給に関する世論調査の結果を発表した。

 7割以上の人が日本の現在の食料自給率40%を「低い」とし、76・7%の人が将来の食料供給に不安を感じていることが分かった。

 食料自給率は65年度の73%から、おおむね低下傾向が続いている。40%を低いと感じる人は70・1%で、2000年の前回調査より17・3ポイント増えた。望ましい将来の食料自給率は、「80~60%」と考える人が49%、「50%程度」が20・4%だった。

 将来の食料供給を不安と考える理由を複数回答で尋ねたところ、「国際情勢の変化で輸入が大きく減ったり、止まったりする」(61・6%)、「長期的に見て地球環境問題の深刻化などにより食料増産に限界がある」(56・5%)などが多かった。

 調査は11月、全国の成人3000人を対象に行い、1727人が回答した(回収率57・6%)。

(2006年12月22日9時51分 読売新聞)

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2006/12/21

「ヨッパライ」は平和な日本文化の象徴として観光資源に

「旅人文化ブログなんでも版」の「忘年会シーズン、ヨッパライ」っての、おもしろい。
http://blog.tabibito-bunka.com/?eid=322748

以下、引用……

ヨッパライ!!

外国の人たちはこの単語がなかなか好きみたいで、酔った人を見ると、Oh!ヨッパライ、ヨッパライ!とか言ってケラケラ笑っています。

日本の酔っ払いの人たちの無防備さは、他の国の人にはなかなかまねのできないものなのかなあ、と思います。

……引用おわり

以前、「やどやゲストハウス」に長期滞在していたスコットランド人は、スコットランドの名前を忘れたが大きな都市の出身だったと思うが、夜はとても危険で外で酒飲んで酔って帰るなんてトンデモナイといっていたな。

「ヨッパライ」を日本の観光資源として、世界文化遺産に登録し保護し、世界中に「ヨッパライ」を広め、世界中から「ヨッパライ」のいる街を見物に来る観光客を集めよう。そうすれば世界平和は実現するだろう。

って、ことで、まずは、このワタクシを世界文化遺産に登録し、酒代の保護を、よろしく~

ヨッパライ、ばんざーい。ヨッパライ天国日本、バンザーイ。こんな日本の愛国心を大切に。

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2006/12/20

ケン・イトウさんのクリスマスカード

ちかごろサッパリ更新してないが、ザ大衆食のサイトに、「カウボーイめし物語」というコーナーがある。1960年代に某エリート有名大学を卒業すると、さっさとアメリカに渡りカウボーイになってしまったケン・イトウさんからの手紙がネタになっている。彼から、毎年クリスマスカードが届く。今年も届いた。

そこに、「来年、日本に行きます。●●にある●●●●という大衆食堂に行きませんか」と書いてある。知らない大衆食堂だ。検索してみたが、いまのところみつからない。彼は、これをどうやって知ったのだろうか。前回日本に来たときも会った。そのときは滞在している都内のホテル周辺の、「うまいラーメン屋」の話をしてくれた、おれの知らない店ばかり。もともとおれは、そんなにたくさん店を知っているわけじゃない。彼は、日本語を忘れないために、日本の雑誌や本を読み手紙も書いたりしているということだが。ま、とにかく、来年の楽しみが一つできた。

必要があって、商法と会社法のオベンキョウをしている。Webで読んでいるだけだけど。商法については、平成になってからの改正は大体あたまに入っていたが、会社法の最近の改正については、まったく知識がなかった。どちらもザッと通読して思ったのは、改正の眼目の一つは、文語体を口語体にかえて「わかりやすくする」ということだったのに、口語体になったからといってわかりやすくなった印象はない。そのことについて、アレコレ思うことがあったが、そのうち書くとしよう。とりあえず、酒を飲みたいもので、酒にする。

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2006/12/19

ひさしぶりに遠太

きのう。久しぶりに遠太へ行った。上野でチョイと用を足して地下鉄で三ノ輪へ。6時待ち合わせが5時40分についた。戸をあけて、内側にかかっている暖簾のあいだから首をなかに突っ込んだ瞬間にもう、おばさんが「おやぁ、久しぶりです」と。そんなに久しぶりだったかなあと思い、手帳を出してみると1月23日以来だ。なるほど、久しぶりだ。

ほかに客がいなかったので、おばさんと浅草の飲み屋の話などをあれこれ。おばさんが浅草へ行ったときに偶然はいって、それから寄るようになったという飲み屋に、おれは今年の春だったかな?初めて入り、カウンターで連れの男2人ばかりと遠太の話をしていたら、店を仕切っているおねーさんが、アレ遠太のおばさんは見えますよ、ってんでおどろいたこと。この広い飲み屋がたくさんある東京でそんな偶然があるのだなあ。

その飲み屋は、カウンターだけで7、8人ぐらいしか入れない。おばさんは、ウチも一人でやるようになったから、あそこぐらいの大きさの、カウンターだけのほうがよいのだけど、あれなら一人でもうまくやれそう、という。たしかに、数年前におじさんが亡くなって、一人で切り盛りするには広すぎる大きさだ。それでも、おばさんは一時よりは慣れたのか、表情や動きに余裕が出てきた。

遠太で一緒に飲むのは、堀内恭さんと南陀楼綾繁さん。あいついで6時ごろにあらわれる。先日、堀内さんと電話で話していたら、こんどの月曜日、遠太で南陀楼さんと会うのだけど一緒にどうですかと誘われた。一瞬、2人が遠太で飲んでいる姿を想像した。ボソボソ暗いマジメな顔で2人が本や映画についてマニアックな会話をしている姿、そこだけ頭上にどんより雨雲が。

では、おれが行って雨雲を払いのけるかと誘いにのった。しかしやはり2人は、ときたま本や映画に関して、おれにはサッパリわからないマニアックな会話をしていたが、そしてそういう会話をしている彼らというのは、ものすごくうれしそうなのだな。しかしそういう話にならないと雨雲どんよりで、明るくうれしそうにならないというのが、おかしな連中だと鑑賞しつつ楽しく飲めて、けっこう飲んでしまった。

そういえば、前回、遠太へ行ったのは、1月16日に南陀楼さんと三河島の豚太郎から遠太へハシゴをしたときで、このときおれは遠太に手帳を落として、また一週間後の23日に行ったのだった。ってことで。

関連、2006/01/17「豚太郎→遠太→豚太郎、いなかっこいいオムライス」……クリック地獄
2006/01/24「遠太と高利貸とアソビ」……クリック地獄

「ナンダロウアヤシゲな日々」にも、きのうの記述あり。そういえば、おれは酔って、よいアイデアを出したのだった。……クリック地獄
酔うと、よいアイデアが出たり、よい文章を書けるというのは、アル中か? 酔うとね脳のクオリアが立ち上がるのですよ。

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2006/12/18

「明治快女伝」の女たちは、なにを食べていたのか

このあいだからボチボチ読んでいた、『明治快女伝』(森まゆみ著、文春文庫)を読み終えた。幕末から明治大正期に生まれた女の人生は、おもしろい。ここに登場するのは、みな「有名人」の部類で、なんらかの「突出」した人たちだが、そうではなく、コツコツ名もなきライターたちが自費出版や地方出版などにまとめた名もなき女であっても、オモシロイひとが多いという印象はあった。あるタウン誌の女編集者は「いま80歳以上の女たちが、イチバンおもしろいのよ」と言っていたが、たしかに、そういうかんじがしないでもない。王子の福助のアグ婆さん、リーベのママ婆さん、おせん婆さんも大正生まれだろう。

それはともかく、こういう本を読んで気になるのは、その女たちが、どんな料理をつくり、何を食べていたかだが、これが例によって、あまり書かれてない。登場人物約50名のうち、食事や食べ物の話があるのは二人だけ。

1900年生まれの山内みなのばあい。上京後の東京モスリンの工場での生活。「仕事が終わると、宿舎の大部屋はおしゃべりやけんかで大騒動である。卑猥な話も飛び交う。千人以上の女工が入る風呂は混雑して、垢でどろどろの湯だった。ぼそついた南京米に味噌汁、たくあん三切、それに、時折サバかイワシの煮付けが出ればいいほうだった。寝るだけが楽しみの生活である。」

1874年生まれの山室機恵子は、「日本救世軍の父といわれる」山室軍平と結ばれる。「二人は心を合わせ、神の摂理を信じて運動ひとすじに生きていた。理想はあっても金はなかった。ほとんど家にいる間もない軍平の手当が一ヵ月七円、そのうち家賃が三円五十銭、それとて畳の数を数えてみても十一枚半の小さな家である。煮炊きは七輪一つ、たきつけは朝、表を掃除するときに道端で拾い、安上がりの臓物料理が唯一のごちそうだった。」

これは、おそらく「特殊な食生活」ではなく、かなり多数の大衆の日常も反映しているのではないかと思われるが、著者の書き方では主人公たちの「貧しい生活」を際立たせる道具立てという印象だ。

この貧しい食生活、そして書き手の食生活への無関心というか、それは大新聞を頂点とする日本の活字文化の底流にある事大主義に関係すると思うが、なかなか根深いものがあると思う。いまでは、物書きが何か書くというと、すぐ食べ物の話をするが、陳腐な話がおおい。それは活字文化に生きるものが克服しなくてはならないコトを意識せずに、ただ食べ物のはなしをすればウケルからという安直があるせいではないかとも思われる。

いったい、食べ物のはなしを、なぜするのかということを、この本書の例では、貧しさを際立たせる道具立てというかんじがしないでもないが、そうでもよいから、食べ物のことをナゼ書くのか、ウケルから以外の理由を、もっと考えたいものだね。とくに男が書くものは、あいかわらず、書誌的なペダンチックなはなしや道楽に流れやすいようだ。ま、ウケルならウレルなんでもよいじゃないかという「メディアの事情」もあるかもしれないが、食文化の貧困だね。

はなしがズレてしまったが、とにかく、「魚食の伝統」というと、むかしから日本人は毎日のように新鮮な魚を食べてきたかのように述べるひとたちがいるが、そんなことはない。不足のおおい貧しい魚食の伝統だったからこそ、臓物料理があり、こんなにも簡単に肉食が普及したともいえるわけだ。それに、いまじゃ、どこどこの煮込みがイチバンだのなんだのと、なんでも「グルメ」談義にしてしまうが、「臓物料理」の歴史というか、家庭での臓物食の実態は、まだまだあきらかでないことがたくさんある。

関連、当ブログ2006/07/07「「青鞜」の「新しい女」たちは、どんなめしをつくったのか?」……クリック地獄

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2006/12/17

金魚絵師 深堀隆介さん

きのう、玉川奈々福さんの会で、あまりゆっくり話はできなかったが、金魚絵師の深堀隆介さんに会った。30前半の若い方。もちろん、その素晴しい金魚絵も見た。後援会から奈々福さんに贈った、演台の上にかける、テーブルかけのようなものに、全面的に描かれていた。とくに漂うように流れている和金の尾に、ココロを打たれた。

なんていうのかな、深堀さんは、「なにを描いてよいか迷っているときに目にとまったのが金魚だった」とおっしゃっていたが、そして「僕にとって女性なのかもしれません。(女心はつかめない、そんなところが・・)」とブログに書いているが。

最近の更新はないけど、自己紹介のブログがある……クリック地獄

こちらに作品が……クリック地獄

あとで続きを書く、かもしれない。

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玉川美穂子改め玉川奈々福

Tamamiho2_1もう、きのうになったか。16日は、よい日だった。このブログでも、たまーに書いてきた、たまみほさんこと玉川美穂子さんが、浪曲師としての名前、玉川奈々福を名乗り披露する日だったのだ。玉川美穂子は、浪曲の曲師つまり三味線の名前であり、近年は浪曲師としても活躍してきたが、ついにというか、浪曲師としての名前を玉川奈々福として出発することになったのだ。

奈々福さん、初めて会ったときは20ン歳で、いまは30ン歳になったと思うが、トシなんか関係ない、ぎゃお~燃えろ~イイおんな~、というかんじで、浅草木馬亭で、その改名披露。そして、やった浪花節は、「千人斬の女」つまりオトコを千人斬った、あの小沢信男さん原作の明治の歌人の千人斬一代記の第二話六人斬りまで。

会場は、通路にイスを足しても間に合わず、舞台の上にまで客が座る大盛況。東家浦太郎さん、澤孝子さん、国本武春さん、そして奈々福さんのボス、玉川福太郎さん揃っての口上は、めったにこういうメデタイことがない浪曲界のことだから、ドジもあったが、それも愛嬌で、ほんと涙が出たねえ。

そのあと打ち上げ飲み会にも参加。『産業新潮』の田之上さん、『下町酒場巡礼』の大川渉さん、それに、なんとおれが惚れこんでいた三味線の佐藤貴美江さんの亭主、うーむ、にっくきやつ……ほか、いろいろなみなさまと、ようするに、飲んだのだな。ようするに、飲んだ、それでいいじゃないか。

木馬亭へ行くときに浅草寺の境内を通ったが、羽子板市の屋台の準備の最中だった、羽子板市、今夜から? 明日から? 

あとで、つづきを書く。たぶん。

画像クリック地獄拡大は、木馬亭前、玉川奈々福さんの後ろ姿の先に、浅草寺西門。
やっぱり、浅草は、いい。

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2006/12/16

太田尻家と談四郎独演会

きのう。今年最後149回目の談四郎独演会、下北沢の北沢八幡へ。太田尻家夫妻、野崎夫妻、わかちゃん。呑みながら、よく笑った。

あとで、つづきを書く。たぶん。

以下18日に追記。

まずは3人の前座。開口一番は三四楼。続いて登場の「らくB」は、快楽亭ブラックの弟子だったが、ブラックがああなっちまったので、談四楼に引き取られたらしい。この人がうまい、かなり期待できそう。そしてキウイ。前座で15年?16年目?に突入とか、以前は、なかなか昇進できないことがウリのおもしろさもあったが、同輩はみな真打ちで活躍しているだろうし、大変な前座の修行を10数年も続けて、40歳ともなると、切ないかんじになる。

枕はおもしろくて、枕だけならよいのだが、それじゃ落語にならない。噺になると、本人もいっているし重々承知なのだろうが、教えられた通りにできない、マジメにやればやるほど、型から逸脱し型が崩れてしまう。それであせって、さらにおかしくなる、それはそれでおもしろいのだが、やはり業界的には昇進できないのだろうし、客も業界基準で評価するのがフツウだろうからなあ。おれは、こういうタイプは嫌いじゃないので、これからどうなるか、残酷なタノシミ。

そのあと談四楼が一つやって、中入り。中入り後に登場は、声帯模写の丸山おさむさん。名前だけは知っていたが、初めて。この独演会に限らないが、だいたい一般の寄席とはちがい、かなり毒のある噺を聴けるのが楽しみの一つだが、この独演会の場合は、ゲストに強烈に毒のある芸をする人が登場する。

ちょうど一年前には、松元ヒロだった。松元ヒロさんは、私はコレをやるのでNHKには出させてもらえないのです、とやった芸の毒はすごいものがあったし、丸山おさむさんもそうだが、ちょっとここに書くのもはばかられる、猛毒の権威権力世相批判をおりこんで笑い飛ばす。

当日のプログラムに談四楼さんが紹介しているところによれば、「さだまさしを最初に真似たのはこの人で、一時売れかかったのですが、使い捨てのテレビ界に疑問を持ちケンカ、以降ケンカの丸山と言われるようになります」。毒舌を吐きながら、すぐテレビやマスコミに出たがる「作家」「評論家」たちとは、かなり腰のすわりかたが違うのだな。

談四楼が生まれたころに流行っていた美空ひばりの「悲しき口笛」から始まって、談四楼が真打ちに昇進したころだったかな?に流行っていた、尾崎豊の「I LOVE YOU」までの主な流行り歌のモノマネをギャグや一人芝居など多様な芸をまじえて、毒と笑いをふりまいた。

最後に談四楼が「らくだ」をやった。時間が押していたせいか、ちょいとはしょったり急いだところがあったようなかんじがしたが、それがかえって噺のリズムをつくり、今年きいた落語のなかでは「上」の部類の快調だった。

6時15分開演で、おわったら10時10分前ぐらい。これから経堂のバー太田尻家で飲むというが、そこへ行ってしまうと帰れなくなるので、さようなら。前日、太田尻家には『散歩の達人』の取材があったとか、来月発売号に掲載か?

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2006/12/14

いまはない新宿「日本晴」の写真が

なんと、むかし30歳前後によく安酒を飲んだ新宿の「日本晴」の写真がWebにあった。ここでは、ほんとよく飲んで、いつも頭痛だったが。写真には、「このあたりは、かつては一般人は近づいてはいけない危険な場所として知られていたという。 」説明がある。うーむ、そう見られていたか。

しかし、この写真集、よくできているなあ。ポイントすると、むかしの風景が現在の風景にかわる。すごい!

二邑亭駄菓子のよろず話」→「東京 昭和の記憶」→「新宿駅南口~東口

おれと「日本晴」については、当ブログ2005/09/21「70年代新宿「五十鈴」ほか、ふがふが」……クリック地獄

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ダイコンの憂鬱

ここのところ、ダイコンの食べ続けだ。とにかく安いから、スーパーへ行って安い野菜を見ると自動的に手がのびるもので、ウチにまだあるのに、また買ってきたりして、とにかくダイコンを食べている。

ダイコンは今年は豊作で、「生産調整」が行なわれた。いわゆる「廃棄処分」だ。キャベツもハクサイも豊作で、先日、廃棄処分がニュースになった。こういうときは「好天の影響」の説明でおわる。

しかし、そこには「地産地消」とは、ほど遠い農業の構造がある。大都市大消費地を相手にした産地指定方式がもたらした大量生産農業だ。好天の影響は、高いシェアを有する集中化した産地を直撃するから、それだけ影響が大きく出る。こういうことは、「食育」だの「スローフード」のときには、関心にも問題にもならない。

「野菜価格が低迷した場合、過去9年の平均価格の7割を下回れば廃棄処分し生産調整できることになっている。この時期にキャベツを廃棄処分する場合、全国野菜需給調整機構の「野菜供給安定基金」から1キロあたり27円が生産農家に交付される。」

交付金の半分は国庫つまり税金だ。トウゼン、こういうカネの使い方は、おかしいのではないかという意見も出る。農家の収入を保証するためのカネだからだ。最低賃金制の最低賃金で働いても、昼だけの労働では食べていけないから、夜は別のところで働く「二重労働」で、やっと成り立つ生活は、いまやとくに地方ではめずらしくない。農家の収入というが、その基準は適正なのかというギモンも出る。

こういう不満は、産地に近い地方都市あたりで耳にすることが多いのだが、隣の芝生が気に入らないということもあるにしても、もっと別の方法で、需給のバランスをとる方法はあるだろうという考えがあってトウゼンだ。しかし、あまり議論にならない。そして、とくに東京のような大都会あたりでは、「食育」だの「スローフード」だのといっていれば、コトが片づくかのように時間がすぎていく。現実的な解決策にならないオシャベリは、つまり無能無策であるのと同じだ。いまや大都会に極端に富と文化が集中しているのに、そこに暮すニンゲンはオシャベリだけが上手な愚鈍な消費者にすぎないのか。


対象野菜だけが国から交付金を助成されるっておかしいだろ。
保護されてんだから高値上限を決めて、それを超えた分は国に返せよ。
これだから年収ウン千万いくわけだよな。


売れねえもん作ってるからだろ、ちっとは頭使え百姓。


ボケが、首吊って死ね。今すぐ。
農業ってのは、工業生産とはワケが違うんだよ。
電気止めて生産ストップてワケにはいかんのだ。
豊作防止で作付け減らして、高騰したらブースカ文句言うくせに、
偉そうな口利くんじゃねぇ。今すぐ頚動脈切って死ね、この低脳が。


食糧自給率がえらい低いとかいってるんだから、国で買い上げて低温貯蔵、後に放出とかできないものか。
豊作のときの農産物は質が高いから、冷蔵品でも売れるだろ。


全然別物になってるのに
路地物高いからってわざわざ食うかよ


大根は太千切り、小分けにして冷凍保存。
味噌汁、サラダ、フードプロセッサでおろし等に使っている。
白菜は皆がよくやる、新聞紙に包んで霧を吹き、
ポリ袋に入れて外の日陰に置いておく。後は
白菜の水分で作るスープ、鍋だね。これも残れば冷凍保存。

……こんな発言も、例の巨大掲示板にはあるが。食べ歩きグルメだ、食育だスローフードだなんて、脳天気なオシャベリばかりじゃいかんよな。それに、もっと、ウチで楽しくたくさんダイコンを食べることを考える脳も必要ではないの。

しかし、「ダイコン」って名前は「大根」だから、みもふたもない呼び方だねえ。正月の七草のときだけは、お上品に「すずしろ」といったりするのに。「すずしろ」じゃ、「大根役者」「大根足」が困ってしまうしなあ。

某巨大掲示板関連スレ
【農業】白菜・大根豊作で値崩れ、今年初の産地廃棄…気温が高めで鍋物用の需要が低迷 [06/11/21]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1164119121/l50
【農業】涙の廃棄 ダイコン200トン 萩の出荷組合 好天で安値に[11/30]
http://live14.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1164904680/

「アサリ大根鍋ぶっかけ」も忘れずに……クリック地獄

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2006/12/12

「四月と十月」の濃密

先月は、いただいた雑誌や本などを紹介する間もなくすぎてしまった。今月も、いろいろいただいている。どうもありがとうございます。

東京商工会議所から『ツインアーチ』。表紙と表2の「わが秘(うち)なる東京」に鎌田實さんが登場だ。漫画屋の塩山芳明さんから『記録』12月号(アストラ)。産業新潮社から『産業新潮』12月号、これは以前ここで紹介の北九州市の『雲のうえ』の記事に登場する「北九州市角打ち文化研究会」の会長、須藤輝勝さんが寄稿されているもので、当ブログをご覧の編集さんが送ってくださった。たばこ総合研究センター(TASC)から『談』76号、特集「情動回路…感情、身体、管理」、3日の「わたしはわたしよ」に「「なぜ溜飲を下げるのか」、情動のコントロールが始まっている!」ってことでリンクをはっている、その話で、とてもオモシロイが、おれのアタマでは内容把握に、もう少し時間がいるので、後日くわしく紹介したい。

そして、きのう、牧野伊三夫さんから、豪華、『四月と十月』の10月号が遅れて発行分と、『WHISKY VOICE』26号と『WHISKY VOICE』2007年カレンダー、の三点が届いた。ぐわーい、すごーい。

『四月と十月』には、すでに当ブログとザ大衆食のサイトで紹介の、「古墳部活動記 いにしえの美術を訪ねて 第6回」の「諏訪・八ヶ岳を訪ねて」が載っている。書いているのは、古墳部長にしてイラストレーター・帽子デザイナーの須曽明子(スソ アキコ)さん。

下諏訪の松崎緑さん店主のすみれ洋裁店での宴会も楽しかったなあ。「遠藤さんは踊りを披露してくれて」とか書いてあるけど、酔っ払って、まったく覚えていない。←左サイドの内澤旬子画伯作のアステアエンテツ犬踊りをやっていただけじゃないだろうか。

うーむ、それにしても、読んでいると、あのときの興奮が思い出される。それはそのあとスソさんの個展のときにスソさんと、先日は門前仲町の落語会で瀬尾さんと、諏訪には何かある、また行かねばならぬと盛り上がったように、何かあるのだ。

スソさんは書いている。「諏訪には古代に起源があると考えられる、ミシャグチ様を祀る信仰がある」「神社の多くは古事記や日本書紀に登場する神々を祀っていて、諏訪大社も建御名方命(タケミナカタノミコト)が祀られているが、もっと根のところに、ミシャグチという神がいたというのは興味深い」

諏訪大社の御柱祭も「奇祭」といわれる一つだが、あの地域の、どんな小さな祠にも、祠を囲むように4本の柱が立っているのはオドロキだった。「ミシャグチは土地や巨石、大樹を神降ろし場とする信仰」と関係あるかも知れないし、もしそれが「本当に古代からの信仰だったとすると、縄文時代の土器や土偶の表現にもきっと関わっていたに違いない」とスソさんは書くのだが、たしかにそういうかんじがあるし、それらは食と深い関係がありそうなのだなあ。

そこんところは、たとえば縄文の文様を見て、自然の模様をモチーフとして読みとるのはわりと簡単なことであって、それだけではない、「信仰という精神世界」それも単なる自然を恐れての信仰ではなく、食べること生きることに積極的に関係する精神世界を想像する手がかりがあるような気がした。

それはまた、古事記や日本書紀に始まる歴史からすると「奇」であり、いわゆる純粋な日本料理の伝統という伝聞などは、根本からくつがえるようなことでもあるようだ。6月6日の「肉食文化と米食文化と古墳部の旅」に写真も紹介したが神長官守矢史料館で、そのことをとりわけ強く感じたのだが。

それにしても、『画家のノート 四月と十月』は見ごたえ読み応えがある。絵などの作品とある文章は、いずれも短いのだが、古墳部で同行の同人のかたも、その周辺の美術系のかたも、観察や思考や想像が、なかなかスゴイのだなあ。だから、内容が濃密なのだ。

稲村さおりさんの、二種類のオリーブの木を買った話。ベランダに置いて、オリーブを摘む自分を想像する。が、毎日のように風で倒れるので部屋に入れて育てる。「しかし冷静になって考える。風もないところでどうやって受粉し、実をつけるのだろうか? まだ花は咲いていない。調べればいいのだろうけど、答えが分かってしまうのもつまらない」

大熊健郎さんの「生活のピアノ」。「住宅街の細い道をぼんやり駅に向って歩いていると、突然ピアノの音が聞こえてきた。思わずハッとしてその場に立ちすくむ」。小さいころの思い出。「ただの郷愁だろうか。いやそれだけじゃない。僕が聞いたのは、本当に聞きたかったのは、なんということのない普段着のピアノの音、「生活のピアノ」だったのだ」。料理も「生活のなかの」をつけなければならないほど、生活離れしている傾向もあるのだが。

川原真由美さん。古墳部で一緒だったが、「天国行きの写真」で、おばあちゃんの一周忌の写真から、おれがきのうの日記に書いた「記憶の関係」のようなことを考え述べている。「ひとが死んだあと残っていくもの、消えていくもの。作家達が残した物体。誰が創ったかなんて知らない物体、目には見えないことがら。それらはだれかの心の中に残り、次の大事なもののためにいずれは消えていくのかもしれない」。川原さんはまだ若いのに、「子供のころは、あまりに遠いことのようで実感のわかなかった自分の人生の期限を、最近はじんわり感じることができる」などとおっしゃる。

写真家の久家靖秀さんも、古墳部で一緒だったことがある。「アラ」のタイトル。ひらめ、たい、しまあじの高級魚のアラを、汁に入れてしゃぶるのがうまい。「卑しい仕草を演技的に、半ば強制する儀式」「口の中では卑しく小骨をねぶる演技をする」「食にまつわる「卑しさ」を枯れて演技的に自覚する快感がある」「舌が演技している事を皆知っているが観た者はいない」。うーむ、スルドイねえ。表現以前に感覚が冴えているねえ。汁かけめしをかっこむのも、「卑しい仕草を演技的に、半ば強制する儀式」であるかな。

宗誠二郎さんの、「うどん屋のラーメン」は、直島のうどん屋のラーメンの話。最後の「このラーメン、東京でも食べたいなぁ」に、食べてもないのに激しく同感する。

……と紹介していると長くなってしまうなあ。田口順二さんは、北九州市の学校で美術の教諭をしていて、以前におれの『汁かけめし快食學』をご覧いただき、炭鉱の生活と汁かけめしの話をメールでいただいた。「不足ぎみの力」のタイトルで、「最近、指導力不足教員とか不適格教員という言葉をよく耳にする」ってことで、あれこれ「不足」に思いをめぐらす。指導力不足の教員って、どう認定されるのか、初めて知った。牧野伊三夫さんは、この夏のマダガスカル。アンチベラの郵便局へ8年ぶりに行って見た。「しかし、以前のような感動はない。たしかに同じ建物なのだが、似ているだけで別の建物であるかのようだ。思い出の方が、現実の風景より刺激の濃いものになってしまったからだろうか」と。ふるさとの味やおふくろの味にも、こういうことがあるような気がする。

ほかに、宇田敦子さん「入力」、金田実生さん「わな」、工藤志穂さん「晴れの日、雨の日」、末藤夕香さん「日曜の高速道路」、鈴木安一郎さん「血液型カード」、須曽明子さん「ぼんやりとした思考のゆくえ」、瀬沼俊隆さん「六ヶ所村」、文・末房赤彦さん画・原陽子さん「ちょんまげ天国」。

連載の、「東京風景」鈴木伸子さんの「都電の走る風景」、「装幀のなかの絵」有山達也さん「アクション派」、「モノたちのコトバ」上野朱さん「社交嬢求む」(すごくオモシロイ)、「仕事場訪問」は牧野伊三夫さんが同人の鈴木安一郎さんの仕事場を訪ねて。「ドイツ美術学校留学記 愛しのマリアンネ」一条美由紀さんの「葬儀と喪失感」、「音の巣」青木隼人さん第一回「朝と音楽」、「美術の本」蝦名則さん「戦争画さまざま」今回は戦没画学生の文献。

「画廊の外の展覧会」言水ヘリオさんの「大城(おおぐすく)スージグヮー終末美術館」っての、すごくオモシロイ、なにがってスージグヮーって沖縄の言葉で路地のことなんだけど、ようするに路地を歩きながらヨソの家に入って、家ご自慢の庭を見るのだ、そのまたタイトルのつけ方が笑える。

どれもなかなかおもしろくて、読み出したら、ほかのことをしないで見ていたので、まずいことになった。

ああ、長くなった。

四月と十月……クリック地獄

神田神保町の書肆アクセスほか、青山ブックセンターなどにもあるらしい。お手にとってゼヒご覧ください。

参考、ザ大衆食「八ヶ岳西麓「尖石縄文考古館」で縄文人と会う」……クリック地獄

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2006/12/11

ことし亡くなった人のブログ

6月2日に「たつ!さんこと、坂本達哉さんが急逝」を書いたが、その「たつ!」さんのブログは、まだそのまま残っているのだ。

最後は、5月27日「赤羽『大久保』」だ。写真もあって、文章は……

『大久保』行きました。

先ずは『ホッピー』貰ってショーケース覗き込むと「さつま揚げ」あるんで貰う。

相変わらず濃い焼酎(氷無しでジョッキ半分)と客筋(笑)

その後、「たまご焼き」と「煮込み」貰ってソト2ナカ4でした。

ナカ4っ目貰う時、おかあさん(はっちゃん)「お強いのね~」と云いながらナカと一緒にソトの栓抜いちゃった(笑) 「あっ間違えた」と云って、慌てて引っ込める。大久保でソトみっつは行ったらヤバスギでしょ(笑)

……と。
赤羽の大衆酒場「大久保」は、たつさんのようにゴツイ身体をした職人労働者が、力強く飲んでいる酒場だ。たつさんの一見ゴツイ身体からは、身体が丈夫でなかったとは想像できなかったが、38歳でトツゼン逝ってしまわれて、そして、このブログだけは、まだ「生きている」のだ。悲しい。

「TOKYO BREAKDOWN ブルース呑み喰い徒然」……クリック地獄

おれの、このブログのばあいは、フリーではなく、ニフティの会員仕様だから、おれが死んでサービス料金を払わなくなれば、なくなるんだろうな。Webサイトのほうも、なくなるな。べつに何かを残す気はないから、生きているあいだで十分だが。

本は残るというが、じつは残るとは限らない。いや、大部分は残らないだろう。本が残る意味は、読んでもらってこそだ。たとえば戦前に書きまくった有名流行作家でも、いまでは名前すら忘れられている。世の中どんどん変わり、どんどん価値観も変わる、ちょっと先の未来には、見向きもされなくなるほうが圧倒的に多いだろう。ちょっと前の「ベストセラー」なるものを考えてみればわかる。「第一級史料」といわれたものまで役に立たなくなる。ましてやメディア過剰生産時代だ、大部分は夢の島の底に眠るゴミのようなもの。

読まれているあいだに、誰かの記憶に、どれだけ、どう残るかなのだ。といっても、おれはムリヤリ記憶に残したいとは思わないが。こうやって書いていると誰かの記憶に残る。書いていなくても、ふつうに生活しているあいだに、誰かの記憶に残ることがある。その記憶の継続が「歴史」というものだろう。それを功名心や出世欲にはやる連中が、「文章」とかいうもので自分の好みのままに書き換える。それが「事実」ということになる。書いている者は、偉業をしているつもりかもしれないが、そうして残った歴史はろくなものではない。生きているあいだの記憶の関係が大事なのだ、その結果が歴史に反映されるなら、また歴史も意義あるものになるか。

せっかくなにがしかの記憶の関係ができた、たつ!さんのような若いひとが亡くなるのは、おれの歴史がまた短くなったことでもある。のかな? とにかく、いまおれは、こうしてたつ!さんの記憶を、歴史を、生きているわけだ。

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2006/12/10

書評のメルマガで茂木健一郎「食のクオリア」

「書評のメルマガ」vol.291が発行になった。今回は「食の本つまみぐい」に茂木健一郎さんの『食のクオリア』(青土社、1400円)を取り上げている。一昨日8日に書いたように、締め切りが過ぎているのに気がついて急いで1時間たらずで書いたものだが……。

 この著者の本は読み終えるたびに、おれとは別世界の育ちのよいお行儀のよい頭のよいひとがいるんだなあとしみじみ思う。そして今回は、それにしても、このように脳や脳の働きがわかってしまったひとの食生活や性生活とは、いったいどんなものかと想像することになった。たとえば性交のときなどは、ああっドーパミンがやってきた、きたぞきたぞ待ってましたこの脳内快楽物質、だけど性の快楽は生理であるが文化の制約も受ける、部屋のクオリアや照明のクオリア、相手の髪型のクオリアなどによって、射精の瞬間のクオリアはちがってくるのだ、おおっ立ち上がってきたイクぞ~クオリア~あああ、なーんてことなのだろうかと、お下劣でバカな妄想にふけってみたり。

……といった書き出し。なんとまあバカモノ丸出し、な。でも、これ、急いでいたせいではなく、おれの「地」か。

茂木健一郎さんは、いまやNHKテレビあたりでも大活躍の脳科学者で、この本は、←左サイドのリンクにある、おれの「大衆食と「普通にうまい」」も掲載の『webマガジン en』での連載を一冊にまとめたものだ。

食文化のさまざまな現象について、「クオリア」をキーワードに深く考えている。これまでにない、食文化エッセイでもなく、なんというか、食脳エッセイとか? ま、これからの食を考える上では、これぐらいのことは考えておいたほうがよいなというかんじの、とにかく読んでみてよ本なのだ。この著者のクオリア・シリーズのなかでは、もっとも平明でわかりやすく軽い読み物だと思う。簡単に読めて内容は濃い。

食文化現象の取りあげ方については、チョイとオカシイなと思うところがなきにしもあらずだが、それ自体がテーマの本ではないから。

もくじ

おいしさの解剖学

まだ見ぬおいしさを求めて  おいしさの安全基地  盛りつけの美しさとおいしさ  なぜ、人と食べるとおいしいのか  おいしさと、脳の中の感覚統合  おいしさは言葉で表せるか  おいしさとコミュニケーション  おいしさと脳内快楽物質  おいしいこと、自然に帰ること  イメージを食べる  おいしさと文化  おいしさの、思い出せない記憶  

おいしさの恵み

味覚は成長する  チョコレートの巡礼  欠乏と飽食  スローフード  塩について考える  最後の晩餐  正しい酒の飲み方  食の南北問題  縄文から宇宙食まで 寿司の食べ方  炎と食を巡る随想  脳の中の食堂


とにかく、まずは、この「書評のメルマガ」を読んでみてよ。……クリック地獄

茂木健一郎さんのブログ「茂木健一郎 クオリア日記」……クリック地獄

ついでに、これまでの、「食の本つまみぐい」に取りあげた本は、ザ大衆食のサイトに一覧とリンクがある。……クリック地獄

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2006/12/09

秋鹿 倉垣千石谷

Sake_kuragakiああ、もう今年も、おわってしまう。ま、年月時間などは人間が勝手に決めたものだから、おれの場合は、三年に一度トシをとるだけだと決めてしまえば、おれはまだ21歳という計算になるのだが、しかし、そうはいっても肉体は正直でしてね。

この年末は、あまり忘年会につきあわずに、ウチでゆっくりタップリ酒を呑みながら、これまでの人生を静かに深く振りかえり、かといって反省は一つもせず、あと残りをさらにどう暴走するか考え抜こう……というツモリなのだけど、これまでも行き当たりばったりだから、なるようにしかならないのだな。

それでまあ、ファイルの画像などを整理していると、ここに掲載しようと思って撮影保存してあるのに、まだ掲載してないものがあったりするわけだ。そういえば、ついでだが、メールをいただきながら返事をしてない方が、まだたくさんいて、たまっていく一方なのだ。これも、かつてなら一晩で返信できてしまう量が、体力や集中力の低下で何日もかかってしまうアリサマで、かといって酒をやめて、そちらを優先するわけにもいかず、ほんとにすみません、必ず返事いたしますので、気長におまちください。

さてそれで、本日ここに掲載する清酒は、もうこの包装からすごいでしょう。摂州能勢、つまり大阪府の能勢ですね、そこの秋鹿酒造が限定製造の、「平成十八年産 倉垣千石谷 霜柱」という純米吟醸酒なのだ。

この酒は、今年の5月に、当ブログの関西の読者の方に、あることからいただいたのだが、おれのしたことはたいしたことはなかったのに、こんなに大好き高価なものをいただいてしまって、たいへん恐縮しつつ、ああ、ほかの人たちもこのように太っ腹なら、おれはどんなにかシアワセな日々が送れるだろうと思ったのだった。

いえいえ、みなさん、いいのです、こんなによいお酒じゃなくても、こんなに楽しい役に立つ有意義なブログを毎日タダで読ませていただけるなんて、ほんと申し訳ない、なにかしなくてはいけない……だろうと「大関」でも焼酎の「純」「宝」でもよいのです、いやいや、ははははは。

それで、この倉垣千石谷は、今年もいろいろな酒を呑んだけど、かなりシッカリ記憶に残る味わいの一つなのだ。というのも、おれが昔から慣れ親しんでいるおれの故郷の酒、たとえば有名な八海山や、おれも友の会に入っている高千代などと、かなり味の傾向がちがう。なんてのかな、旨味が濃いというか芳醇というか、シッカリしたというか。どう表現すればよいのか、うーむ、いろいろな清酒を呑むたびに思うのだが、味覚の世界は多様で広くて深いのだなあ、それだけいろいろな人間がいるということだなあと思うのだった。

ま、そういうわけで、うまい酒はスグ平らげてしまうので、この酒も、ここに写真を掲載しないうちに飲み乾してしまったのだね。いまごろ掲載して、まだこのブログをご覧いただいているのだろうか。どうもありがとうございました。かえって、すみませんでした。

じつは、まだ、ほかの読者の方にも、これは以前にブログにチョイと書いたけど、馬のクンセイをいただいているのだ。初めて食べたけど、うまいねえ。近日中に、これも写真で紹介しましょう。

いやいや、ほかのみなさん、自分は今年一年なにも贈ってないなあブログをタダで読ませてもらうだけでいいのだろうかと悩むことはありません、いつでもよいのですよ、たしかに来年もあるけど、年月時間などは人間が勝手に決めたことだから、いつでもよいのです。

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2006/12/08

中野で悩みを聞き明日を語り、ようするに呑んだ

きのう、7日。朝、おきて、6日だと思っていたが7日だということに気づく。一日かんちがいしていた、6日は、「書評のメルマガ」の締切日なのだ。朝めしくって、急いで原稿を書く。本は、すでに読んである。今回は茂木健一郎さんの『食のクオリア』(青土社)だ。いつも書き始めてから悩むことはほとんどないので、ま、もっと悩んで文章に工夫しろとかいわれるかもしれないが、手が動きだすと脳が悩んでくれない、1時間ぐらいで原稿を書き上げ、メールで送る。

悩みといえば、「悩み深し」のメールを「やどや」の愛人まりりんからもらっていて、これはほっておくわけにはいかない、一晩抱いて慰めてあげねばならぬかと、6時半に中野駅で待ち合わせ。

はやめにウチを出て、あちこちまわり、高円寺で腹が減ったので、富士川食堂に入る。前に入ったのが、『散歩の達人』の中野・高円寺特集のときだったから、ハテいつだったかと思い出そうとするが思い出せない。オヤジもオバサンも、ちと疲れたかんじだ。定食の値段が500円前後が勝負どこの高円寺だが、どの定食も30円引きですと貼り紙しているところを見ると、あいかわらず価格競争が激しいようだ。フライ盛り合わせ定食520円を頼む。払うときは490円だった。厳しい商売をしている。

中野駅には、まりりんとトシリンが待っていた。新しい飲み屋を開拓しようと、うろうろしブロードウエイ近くの路地に「駒八」だったかな?ジイサンとバアサンがやっている、ビール大530円のよい店を見つけ入る。ビールのち焼酎ボトルを一本とる。

まりりんの悩みはカネがからむ「やどや」経営上のことだ。うーむ、時間をかければ、なんとかできると思うが。前から懸案だったことを、少し経営状態がよいようだからと、ほっておいたのがいけなかったな。来年は、これを精力的に具体化しよう。てな、あたりで、アレコレ話をしながらグイグイ呑むうち、痛風もちボスのサワハタ登場。ま、とにかく、来年は旅人文化をガツンとやろうということで。事業は、うまくいかなければもちろん、うまくいっても悩みはつきまとう。悩みは一人で抱えず、相談するうち、なんとかなるものだ。ならないばあいもあるが、それなりのことはある。ってことだな。

焼酎一本は、おれがほとんど呑んでいたのだが、全部のみきれなかった。弱くなったなあ。ふらふらふらと酩酊帰宅。

来年は旅人文化にご注目を。
旅人文化……クリック地獄
旅人文化ブログなんでも版……クリック地獄

日本人も利用できるよ。たまにこういうところで生活し、過剰なモノやサービスがアタリマエになっている人生や旅を考え直すのもよいかも。
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2006/12/05

コンマ以下の存在を生き抜く「めし」

Sinanoji_0612きのう、というか、もう一昨日か。八重洲ブックセンターに寄った。すごい大量の本があるのだなあ。食品なら、これだけあれば文句なしの"豊かさ"だろう。地下一階には、食文化本や料理本のコーナーもあり、ここにもスゴイ量の本があった。「食文化」という名前のコーナーがあり、そこにも、スゴイ量の本があるのだ。わーーー、日本は食文化大国だ、と思ったものの……。

その前で、しかし、おれは買いたい本がみつからなかった。おれはココロのひろい人間だから、共感できる本だけを選ぼうとしているわけではない。それなりの内容があれば、買いたいと思う。「書評のメルマガ」の原稿も二か月おきには書かなくてはならないのだし。しかし、こんなにも"豊かに"たくさん「食文化」コーナーに本が並んでいるのに、買いたいと思う本が一冊もないのだ。

こ、これは、もしかしたら、自給率40%でも「豊かな先進国」と思っている、想像力の貧困のあらわれか。

しかし、それらの本は売れるから並んでいるのだろう。そこには、おれの本は、もちろん、一冊もない。それは、トウゼンのことだと思うから、べつになんとも思わないが、おれが買いたい本が一冊もないことは、じつにショックというか複雑な気分になるのだった。

その気分を腹に貯えたまま放屁することができす、そのあとの落語でも放屁できず、そして信濃路へ行ったのだった。信濃路に着いたのは、10時をすぎていたと思うが、労働者風情の男たちで一杯だった。そこで、おれは、ちかごろ酒を呑むとあらわれる死んだ連中と話をしながら呑んだ。

その結果を簡単に書くと、こういうことだ。

おれも、死んだワレワレも、みなコンマ以下の存在である。信濃路の客も、ほとんどはコンマ以下の存在だろう。しかし、あの八重洲ブックセンターの「食文化」コーナーにあった本は、そのコンマ以下の存在の「めし」とは関係ないものが、ほとんどなのだ。

書いている方々はみな、自分はコンマ以上の人間である、だから正しい食文化を教えてやろう、とか、そういうことを堂々といえる神経を持った人たちなのだ。いや、細かく詳細に繊細に読んで検討したわけではないが、ザッと見たかぎりでは、みなさん、よい文章の書き方や正しい食文化や、うまい店や究極のうまいものを知っていると堂々といえる神経のぶっとい方々のように見えた。

信濃路の、おれの目の前には、妙なPOPポスターが貼ってあった。(画像クリック地獄拡大)これはまあ、メーカーのお仕着せポスターだろうが。「コラーゲンの王様! 『豚足』の骨を丁寧に取り除き、串刺しにして食べやすくした」とあって最後の行に「女性にはうれしい美容食です」だと。しかし、こきたなく汚れているところが、信濃路らしいな。

おれは、やや酔いのまわった頭で考えた。なんだ、この信濃路、いまだって女の客は一人もいないし、だいたい99パーセントはコンマ以下の男の客だろう。

そこで、おれは、やっと、腹の中で高らかに笑い、貯まっていた屁を放ち、ホッピーのグラスをグビグビグビッと呑んだのだった。あの八重洲ブックセンターの豊かな本は、このPOPポスターのようなものなのだ。それを売買している。これは、いったいどういう「文化」なのか。

大衆食とは、コンマ以下の存在を生き抜く「めし」なのだ。そこをはずしたら、ラーメンだろうと、カレーライスだろうと、安定食だろうと、立ち飲みだろうと、大衆食ではないのだ。そのことを、忘れるなよ。

え~、当ブログは、2006年12月5日(火)10:00~12月7日(木)15:00の約53時間も、メンテナンスだそうです。リフレッシュをするのだから、お前たちも協力しろ、という態度は、最近のJRもそうだけど、コンマ以下の人間は従うしかありません。

閲覧だけはできるようですから、どうかこれを機会に、むかし書いたものなどやザ大衆食のサイトを、ご覧いただく、ってのはどうでしょうか。

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2006/12/04

門前仲町で落語、信濃路で浪花節の気分

Monnaka_0612きのうのことをメモ。

7時から門前仲町の「門仲天井ホール」で開催の「金原亭馬吉 柳家初花二人会『落語馬花』」に行く。ついでにと早めにウチを出てウロウロし用も片づけ八重洲ブックセンターで一休み、のち門前仲町。門仲は久しぶりなので、路地をウロウロ(画像クリック地獄拡大)。ラーメンくってビール飲んで、赤札堂前の会場につく。

一階でエレベータを待っていると、おおっ、瀬尾さんが、和装で!エレベータを出ると受付、そこには、この会に誘ってくれた佐々木さんが、おおっ、和装で! 会場に入ると和装の女性がチラホラ。いいねえ。しかし、流れている音楽は、落語会にもかかわらず、サイモンとガーファンクル。このへんが若い落語家の会らしいね。

瀬尾さんとしばしお話。またもや、この春の古墳部の諏訪の旅のことで盛り上がる。瀬尾さんもあれで、かなり諏訪にはまってしまったらしい。「食」とも関係あるしな。このあいだ古墳部長のスソさんとも話して盛り上がったことだが、やはり諏訪には何か深いものがある、一度行っただけじゃだめだ、もう一回行こう、という結論に。

落語会のほうは、二つ目の馬吉と初花(しょっぱな)に前座のこみちでやってきたので、「落語馬花(ばか」という名前だったらしいが、女流のこみちは、いま池袋演芸場で披露公演中とのことだが最近二つ目に昇進したばかり。だから、この日からは「三人会」になるってことだ。それにゲストに、ベテランの龍志。

会場は50~60名ぐらい満席。こみちには、やや硬さがあった。ま、二つ目という若い人たちの芸は、「一生懸命」を見るのが気持がいい。龍志は、二題。あいかわらず渋いねえ、最後を人情噺で締めた。本人が終ってから言っていたが、やりながらテレたらしく、泣かせるところで泣かせ切れなかった。ま、おれはそれぐらいのほうがよいが。

こみちが、なかば冗談で、池袋演芸場はコワイ客が多いと言っていた。あそこは、おれが1960年代に初めてナマ落語に接したところで、当時とくらべたら、いまじゃ毒も何もなくなったほうだ。でも、ほかの寄席にくらべたら、クセのある客が目立つだろう。

この会の客も、わりと穏やかな人たちが多く、最近はどこでもふえたが、お行儀よく落語をきくといった雰囲気。いつも酒をのみながらなので、カップ酒を3個買って行ったが、飲めるかんじではなく持ち帰ることに。

終って、佐々木さんのご主人に挨拶。会場の司会をやっていたが、まるで噺家さんのような方だ。なんと、酒豪の佐々木さんのご主人は下戸なのだ。呑む方は、こっちにまかせていますと佐々木さんをさすので、じゃあ、佐々木さんはおれの「呑み妻」ということでいただきます。

帰り、地下鉄東西線で入谷へ出て鶯谷まで歩き信濃路へ。日曜夜、労働者風情の男たちで、ほぼ満席。店員も忙しそうなので ホッピー! ポテトサラダ! おでん!と怒鳴る。

ちかごろ呑んでいると死んだやつのことを思い出す。ホント、いいやつは、はやく死ぬなあ。いいやつといっても、おれにとっていいやつということだけど。人生ままならねえ、思い出をツマミに、しだいに浪花節気分だね。酔い、しだいに深まる。

しかし、誰か浪曲師が言っていたけど、落語は、あとくちスッキリの酒のようだし、浪花節は、なんてのかな雑味が残る酒のようだというか、現実を笑い飛ばしたり洗い流したりしない、掘り返すのだなあ……

そういや、浪花節の玉川美穂子は、芸名を玉川奈々福に改め、今月16日に披露公演があるのだった。やるねえ。

みなガンガンやっているねえ。ドンドンやってくれ。
おれもガンガンやるよ。もちろん、おれは、酒のことだけど。

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2006/12/03

わたしはわたしよ

今日はチョイといろいろある。コメントをいただいているが、返信はのちほど。

たまたま、「雑誌『談』編集長によるブログ」に、関連しそうな記事があった。

ひとつは11月30日の「「なぜ溜飲を下げるのか」、情動のコントロールが始まっている!」

もうひとつは11月27日の「「健康」オタクとは誰か。健康をテーマに活発な議論が交わされた。」

げへへへへへ、「健康」オタクのほうには、おれは1日の夜中に酔っ払って書き込みして、途中でやめてらあ。

ま、「わたしはわたしよ」ってことさ。これは森まゆみさんの『明治快女伝』(文春文庫)のサブタイトルだ。

このなかの「羽仁もと子」で最後に羽仁もと子さんが84歳で生涯を終えたとき残した言葉がある。

「どうかめいめい考えて、御自分の家庭の小さいところからでもよい、こうあるべきだと自他ともに思えるようにしてゆきましょう」だ。

含蓄のある言葉だねえ。

現実の生活をよりよくというビジョンや願望に欠ける、世迷言のような天下国家論や珠玉のうまいもの論やよい店論なんか、まったく世迷言にすぎないのさ。

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2006/12/02

表現以前のモンダイ

こういうことは知らん顔をしてすごすのがオリコウというものだと思うが、根がバカだし、たまたま「目撃」したし、自分がこのブログを含めて書いているかぎり、また身近に知っているひとのところで起きた、こういうことに知らん顔するのもなんだなと思って書くのだが。

「酒とつまみ」の掲示板をご覧いただくとわかるが閉鎖されている。おれは、その直前にたまたま見たのだけど、記憶で書くと、そちらのことに疎いので名前は忘れたが、ナントカというコメディアンが、「酒とつまみ」に連載があることから、そのナントカを出せ住所を教えろ、という趣旨での脅迫じみた発言、なかには「右翼」を名乗る人が(とうぜん本当に右翼なのか、右翼を貶めようと名乗っているのか判断はつかないが)、日本は自由な国だから殴り殺す自由もあるのだぞ、といったふうな書き込みがあった。見ているうちにドカドカ書き込みがあり、やがて掲示板は閉鎖された。

これは、「週刊金曜日」や「酒とつまみ」でブログ検索すると、かなりヒットするのでわかるが、「週刊金曜日」が主催の集会で演じられた、そのコメディアンのコメディ?が、その人たちの逆鱗にふれたらしい。

詳細について、おれは知らないし興味はないのだが、感じたことは、近年思っていることに関係する。

一つは、もともと「左翼」だの「右翼」だのという「型」の分類は、いいかげんだ。というのも、おれは「左翼」だといわれたり「右翼」だといわれたりするし、そういうことをいうやつに、いったいどっちなんだ、その基準をハッキリさせろといいたいぐらいなのだ。かなり観念的ではないか。

で、なぜ、そんなに雑に人間を「型」にわけてしまうかというと、一人一人を具体的に理解しようという努力が足りないからだろうと思う。やたら「政治」が好きな連中ほど、そういう傾向が強い。それを、どうやら「党派性」とカンチガイしている幼稚さもある。そして、これはもしかすると、多発する自殺の土壌に共通する、何かがあるのかも知れないと思ったりするが。

それから、もう一つは、それと関連するが、とくに80年代以後に顕著になってきた現象だと思う。政策的な批判や論議などより、なにか自分の感情や志向や嗜好にあわないものを、罵倒したりバカよばわりして溜飲をさげることが目的であるかのような表現が多くなった。とりわけ、相手の弱点を鵜の目鷹の目で見つけては、襲いかかる。「辛口」だの「毒舌」だの、そういう類が多い。

これはメディアの過剰生産の結果、紙や印刷の低価格化競争、あるいはこのブログのように各人の表現手段となるメディアが安く簡単に手に入るようになったことにも関係するだろう。これが、表現の過剰な競争と過剰な表現を生んでいるのだと思う。

相手や対象を理解する努力もせずに、すぐさま安直な過剰な表現で、ただただ罵りあるいは揶揄し、ときには大げさに礼賛し、自分の「正しさ」に自己満足する。相手のことなど一つも理解してない。思想的にちがうからということではなく、自分は正しいから、間違っているやつを罵倒してもよいと思い込んでいるフシもある。それは「殺してもよい」に通じる。もともと存在を理解しようとしなければ、抹殺へ簡単につながっていくのだ。表現が過剰になるのはトウゼンだろう。

見るほうも批判精神に欠け、ただただ溜飲を下げてよろこんだり、おなじ感覚や志向や嗜好であることをよろこんだり。その背景には、もう一つ、「趣味的生活」に満足する傾向があって、「政治談議」もその一つになっている。政治談議そのものが趣味なのであって、現実の生活をよりよくというビジョンや願望に欠ける。そういうところには、「人生社会に対する批評精神」の稀薄が発生する。

「人生社会に対する批評精神」の成長が、これほど、バブル崩壊の苦労を味わいながら育っていないのは(あるいは苦労とも思っていないひともいるようだが)、イジョーとしか思えない。それは、先にもどるが、過剰供給のメディアに囲まれ、判断の基準がメディアにふりまわされているからだろう。

ブログなどを見ても、新聞やテレビの報道をもとに、喜怒哀楽しているケースが多く、そこからの印象をそのままブログなどの表現に持ち込む。自分独自の調べや考えを練ることをしない。まるで新聞やテレビなどのメディアの付属品のようだ。もっと、直接、事物や人にふれあい、理解することを大事にしなくてはいけないと思う。そこにあるものがあったり、あることを信じたり、ある行動をとるには、それなりの歴史や理由がある。

そういう意味では、天皇の存在も、その信仰も含め、おおいなる歴史と理由があるだろう。理解するのは、とても難しいが、理解しないで否定するのは安易すぎる。おれは、無神論者であるから、こんなことを考えないですむなら、どんなにいいだろうと思うが、そういうことなのだ。それに料理の歴史ひとつ、たどれば、天皇と向き合わざるをえない。そういう歴史が存在する。

ってことで、とにかく、コンニチのメディアの供給過剰状態下では、表現の場は比較的容易だし、その自由は物理的に拡大している。だから、すぐさま急ぎ大慌てに表現し、ナニモノかになった気分になるより、表現以前のことに、もっと努力すべきだろうと思うのだ。

ここに荒川洋治さんの、よいオコトバがある。

文章には、文章になる前の状態があり、そこからリズムをもらいうけて文章がはじまる。そのかくれた発祥の地点は作者の個性に関わるものだけに、もう少し話題のなかにとりいれていいかもしれない。目に見える文章やことばは分析の対象にされやすい。それはだが文章というできごとの一部にすぎない。

……引用おわり。『夜のある町で』(みすず書房)「おかのうえの波」より。
文章にかぎらず、オシャベリやコメディも含め、あらゆる表現にいえることだろう。表現以前と表現されたことの背後にあるものに思考を、もっとこらすことをしないと、メディアにふりまわされた社会や人生になってしまう。

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2006/12/01

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」の憂鬱

11月28日「朝のお目覚め音楽は倉橋ヨエコで「やさぐれ」る」を書いて、ふと思いついたが、生活と音楽のことだ。

朝のお目覚め音楽によって、早くおきて気持よく朝食をとるようになる、そうだ、朝食をとらない家庭に不足しているのは、じつは音楽だろう。では、どんな音楽がよいか?について書いてみよう。これは、きっと食育に役立つ本として売れる。……てな、論理が食育の分野には横行している。

ということを、思いついたのではない。

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、気になったのだ。

いつごろだったか、70年代だろうか? テレビドラマによくあった場面。朝食かブランチぐらいのかんじ、あるいはダンナが会社に行ったあとオクサマが掃除機などかけていますと、ベランダの白いレースのカーテンがゆらゆらゆれて、とにかく朝日があたる家の明るいダイニングキッチン、それはシアワセな中流家庭の典型ですというかんじの場面、ときどき映像がハミルトン風(いまどきハミルトンなんて忘れられたか)のソフトフォーカスにフワフワとゆらぎ……てなときに、「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が流れるのだった。

味噌汁ぶっかけめしなどありえない光景。魚くさいニオイなど、あってはいけない。純にして、白、のイメージ。パンにサラダの食事……。

そして、パンとサラダは残った。
最近のニュースによれば、コンビニのローソンは、インストアベーカリースタイルで、パンとサラダを売るコンビニを開発するらしいが、女がターゲットだそうだ。

女はバカですねえ。
でも、みんな、もとはといえば、あの音楽が悪いのです。「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
これじゃあ、納豆に味噌汁にアジの干物にならんのですよ。
かといって、スーパーの魚売場で「さかなさかなさかな~魚を食べると~あたまあたまあたま~頭がよくなる~」なんていう、ひとをバカにした歌を聴かされてもねえ。
やはり、だから、米食のための朝の音楽を開発しましょう。味噌汁のニオイがする音楽を。食育のために。

これがまあ、ハヤリの「食育」に顕著な一種の「循環論法」ってやつですね。

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