コンマ以下の存在を生き抜く「めし」
きのう、というか、もう一昨日か。八重洲ブックセンターに寄った。すごい大量の本があるのだなあ。食品なら、これだけあれば文句なしの"豊かさ"だろう。地下一階には、食文化本や料理本のコーナーもあり、ここにもスゴイ量の本があった。「食文化」という名前のコーナーがあり、そこにも、スゴイ量の本があるのだ。わーーー、日本は食文化大国だ、と思ったものの……。
その前で、しかし、おれは買いたい本がみつからなかった。おれはココロのひろい人間だから、共感できる本だけを選ぼうとしているわけではない。それなりの内容があれば、買いたいと思う。「書評のメルマガ」の原稿も二か月おきには書かなくてはならないのだし。しかし、こんなにも"豊かに"たくさん「食文化」コーナーに本が並んでいるのに、買いたいと思う本が一冊もないのだ。
こ、これは、もしかしたら、自給率40%でも「豊かな先進国」と思っている、想像力の貧困のあらわれか。
しかし、それらの本は売れるから並んでいるのだろう。そこには、おれの本は、もちろん、一冊もない。それは、トウゼンのことだと思うから、べつになんとも思わないが、おれが買いたい本が一冊もないことは、じつにショックというか複雑な気分になるのだった。
その気分を腹に貯えたまま放屁することができす、そのあとの落語でも放屁できず、そして信濃路へ行ったのだった。信濃路に着いたのは、10時をすぎていたと思うが、労働者風情の男たちで一杯だった。そこで、おれは、ちかごろ酒を呑むとあらわれる死んだ連中と話をしながら呑んだ。
その結果を簡単に書くと、こういうことだ。
おれも、死んだワレワレも、みなコンマ以下の存在である。信濃路の客も、ほとんどはコンマ以下の存在だろう。しかし、あの八重洲ブックセンターの「食文化」コーナーにあった本は、そのコンマ以下の存在の「めし」とは関係ないものが、ほとんどなのだ。
書いている方々はみな、自分はコンマ以上の人間である、だから正しい食文化を教えてやろう、とか、そういうことを堂々といえる神経を持った人たちなのだ。いや、細かく詳細に繊細に読んで検討したわけではないが、ザッと見たかぎりでは、みなさん、よい文章の書き方や正しい食文化や、うまい店や究極のうまいものを知っていると堂々といえる神経のぶっとい方々のように見えた。
信濃路の、おれの目の前には、妙なPOPポスターが貼ってあった。(画像クリック地獄拡大)これはまあ、メーカーのお仕着せポスターだろうが。「コラーゲンの王様! 『豚足』の骨を丁寧に取り除き、串刺しにして食べやすくした」とあって最後の行に「女性にはうれしい美容食です」だと。しかし、こきたなく汚れているところが、信濃路らしいな。
おれは、やや酔いのまわった頭で考えた。なんだ、この信濃路、いまだって女の客は一人もいないし、だいたい99パーセントはコンマ以下の男の客だろう。
そこで、おれは、やっと、腹の中で高らかに笑い、貯まっていた屁を放ち、ホッピーのグラスをグビグビグビッと呑んだのだった。あの八重洲ブックセンターの豊かな本は、このPOPポスターのようなものなのだ。それを売買している。これは、いったいどういう「文化」なのか。
大衆食とは、コンマ以下の存在を生き抜く「めし」なのだ。そこをはずしたら、ラーメンだろうと、カレーライスだろうと、安定食だろうと、立ち飲みだろうと、大衆食ではないのだ。そのことを、忘れるなよ。
え~、当ブログは、2006年12月5日(火)10:00~12月7日(木)15:00の約53時間も、メンテナンスだそうです。リフレッシュをするのだから、お前たちも協力しろ、という態度は、最近のJRもそうだけど、コンマ以下の人間は従うしかありません。
閲覧だけはできるようですから、どうかこれを機会に、むかし書いたものなどやザ大衆食のサイトを、ご覧いただく、ってのはどうでしょうか。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント