ごくたまーに坐骨神経痛が出る。腰からケツのあたりを中心に、ビリビリビリと電流が流れるような痛みがひろがる。激しいと、立つこと歩くことができない。息がつまる痛さ。そういう症状は、最初のときと、その5年後ぐらいの2回だけで、あとは今回もそうだが、ヤバイなと思ったときに用心して、ひどくならずにすんでいる。
今回は、1月2日に、ちょいと重い荷物を左肩にかついで、かついだ瞬間にちょっとマズイかなと思ったが、そのまま歩き片側かつぎもいけなかったが、ちょうど寒く冷えていたのも災いしてだろう、翌日あたりから左側のケツを中心に、かなり痛みがはしるようになった。
しかし動けないほどではなかった。一日に2回湯につかるなどし、出かけるときはパッチなどをはいて、とにかく温め、ひどくならないよう用心した。ほんとうは酒はよくないのだが、これをやめるとほかの神経がイカれるので、やむなく飲み続け、ここ2、3日で、ほぼ回復した。
最初に、これになったのは、35か6のころで、あのときはひどかった。5月の連休前に、後立山の八方尾根―唐松岳―五竜岳―遠見尾根というコースをやって下山、なか一日おいたぐらいで、巻機山へ行った。
どちらも単独行で、スキー板をかついでいた。このスキー板が、ゲレンデ用のしかも当時おれがイチバン気に入っていたメタルの板なのだ。とにかく重い。すでに短い軽い柔らかいグラスファイバーだかカーボンの板で、華麗なるピポットターンを、見せびらかすようにゲレンデで滑ることが流行っていたが、おれはその流れに反逆するように、長い重い硬いメタル板をかついで山へのぼり、ガオーッと野性の雄たけびをあげながら、ゲレンデではないところを思いっきり滑って楽しんでいた。
そのときは、厳冬期とはちがうが、後立山では唐松岳でテントの一泊だったから、天候悪化にそなえ、装備は重かった。そして、天気はよかったが、とにかく冷たい風が強かった。
坐骨神経痛が出たのは、巻機山を下山してからだった。
ここは高校山岳部時代から十分なれ親しんだ山で、ふもとの民宿に泊まり、約1900数十メートルぐらいの山頂まで登ってスキーでくだることは、すでに何度もやっていた。その日も、おなじように、朝早く出て、割引沢―ヌクビ沢コースをのぼり、そこを滑っておりることにしていた。
とくに沢コースは、毎年の雪の状態によって、様相がまったく変わるし、このコースの場合、大きめの滝が連続してあって、雪崩の巣もある。歩いてのぼりながら、滑走でくだるコースの雪の状態を確認する必要があるのだ。
雪崩にまきこまれたこともあるし、残雪期には何度か危険な目にあっていたので、スキーでくだるばあいでも、雪崩の危険が高まる11時までには雪崩の巣を通過したいと思い、早朝に民宿を出た。
装備は比較的軽かったと思う。ま、あの板は、重かったが。そして、快晴だったが、冷たい風が吹いていて、ヌクビ沢をつめきって大きな雪庇をこえて稜線に出たら、立っていられないほど風が強かった。いそいで比較的風のかげになるところを見つけ、ガスコンロで湯をわかし、食事をしたのだが、その最中でもドンドン身体が冷えるのがわかった。
食事を終え、登山靴をスキー靴にはきかえ、スキー板をつけ、そりゃあ、というかんじで大きな雪庇をジャンプしてヌクビ沢に飛び込むようにスタートする。この雪庇を蹴り宙に飛び出す瞬間が醍醐味なのだ。このシーズンは、とくに大きな雪庇が残っていた。
そして、すり鉢状の斜面を、雪崩の巣に向かって一気にくだる。そこで合流する割引沢へ突入するかんじ、向こう側に見える山の斜面へ激突するように滑りのぼり左へカーブを切り、割引沢に入る。うーむ、このあたりは、豪快で忘れられないね。
途中一か所、アイガメの滝という大きな滝のところで雪面がポッカリ口をあけているため、一端スキーをぬぎ、高く巻いて下におりる。それ以外は、疾走だ。だれもいない、大自然にわれ一人の疾走、気分は最高ですね。
で、この日は、冷えていたので、硬くしまった雪面は、デコボコ道ジャリ道を自転車で走るようなものでスキー板は細かくガタガタする、それを押さえスピードにまけないようコントロールするために、けっこう腰から下をつかっていたようだ。
とにかく、沢から離れるところまでくだったときには、ヒザはがくがく、アゴもがたがた、しばらくしゃがみこんでいた。
その夜も民宿に泊まって酒をくらって、たしか翌日そこを出るころから、どうも腰のへんがビリビリビリおかしいかんじになってきたと思う。そして、上野駅に着いたころには、脂汗が出る痛さ、当時町田市の小田急沿線の駅近くにあった住まいにやっとたどりついた。
痛さは増すばかりで、横になっても痛い、どうやっても痛い。まずは近くの病院へ行った。医者は、坐骨神経痛だとかいって、注射を打ち、それが一週間たっても、ゆるゆる歩けるぐらいにはなったが、たいしてよくならない。
知り合いに紹介されたのが、鍼灸師だった。当時の鍼灸師は、かなりいかがわしいイメージだったが、とにかく上手だというので、そこへ行った。
カワイさんという、おれより少しトシ下、団塊の世代ぐらいの女性だった。地下鉄丸の内線の東高円寺駅から南へむかう路地を入って、古いモルタル二階建てのアパート、その一階のイチバン奥の一日中日が当たらないような部屋が、「診療所」だった。
うーむ、いかにも、いかがわしい鍼灸師らしいたたずまいだなあ、と思いながら入った。玄関すぐの四畳半ばかりの台所にソファーとイスを置いて待合室。その奥、6畳の間にベッドがあった。うーむ、なんだか、いかがわしい。しかし、カワイさんは、明るいかわいい女性だった。その薄暗いアパートは母上の持ち物なので、まだ渋谷や新宿に開業できないからと、そこでやっているのだった。
カワイさんも、やはりこれは坐骨神経痛だといった。冷えたのと重い荷物などで神経に負担がかかり圧迫されたのが原因でしょうと説明し、針と灸をやってくれた。これがまあ、じつに気持よいのだな。で、1時間近くだったと思うが、おわったら、なんと、ふつうに、苦痛をかんじずに歩けるのだ。
ほんと不思議だったが、4、5日は毎日かよい、そのあと一週間に一回だったかな、1ヵ月ほどで、完全になおった。でも、カワイさんは、用心しないと、また出ますよ、といった。そのとおり、5年ほどあと、また懲りずに、エートあれはどこの山だったかな、たしかまた後立山の鹿島槍だったかスキーではなかったと思うが、とにかく雪があり冷たい風が吹いて重い荷物を担いで、また神経痛が出てしまった。そのときはすぐカワイさんのところへ行った。
しばらくして、カワイさんから渋谷に開業した知らせが届いたが、あいにくこちらは症状が出ることなく、そのままになっている。
ま、思い出したことを思い出したときに書いた。ということですね。