ファンダメンタルな好食
12月29日「本気で考える「好食」」から1月8日「「好食」の方法」、9日「おいしい灯り」、11日「ミステリアスのほうがオモシロイ」、12日「飲食の楽しさの格別な意味」と、思いつきでコンセプトにした「好食」の「概論」のようなものをアレコレ考えていて、今日もそれがらみの覚え書きだ。
ナンダロウアヤシゲの日記の1月12日に「第1回「全国〈古本女子〉サミット」を開催します」というのがあって、その案内がある。
文面を見て、古本よお前もか、と笑ってしまった。べつに否定的な意味ではない。すべてはこうなるのであり、こうなった先になにがあるかということに、じつは好食は関係するのだ。
とにかく、その冒頭。引用……
いま、古本の世界では、買う側も売る側も女性が元気だ。
彼女たちはこれまでの常識にとらわれず、自分がいいと思ったものを選び、
見捨てられていたものに新たな価値をつくりだしている。
……引用おわり
こういう表現は、過去20年間ぐらい、活性化されたあらゆるマーケティングの分野で使われてきた。いわば使い古しだが、まだこういう表現が通じる分野があったというのはオモシロイ。古本業界の体質が、きわめて男社会的で古いものだったのだろう。そして、いまだ男社会的だから、この表現は、読んでわかるとおり、男的視点を感じさせる。「男」だから「女」だからといっているうちは、それ自体が男社会の視点なのだ。
たしか手元にあるはずで見つからないが、1986年サンマーク出版から発売のベストセラー、『女がわからないでメシが食えるか―女性市場・女性心理のつかみ方 』で、ほぼこういうことは言い尽くされていた。そして女が集まるところ、男も集まる、ということも。著者の桜井秀勲さんは、誌名を忘れたが、『微笑』など売れた女性週刊誌の編集長でならした方だ。
この流れは60年代の女性のパート進出に始まると、おれは思うのだが、そのことはいまは置いておくとしょう。モンダイは、しかし、日本がいわゆる「国際社会」の指摘を受け入れて、またそれを受け入れざるを得ない国内状況もあって、男女共同参画社会基本法を制定し、男女共同参画社会を法的に理念としたのは、やっと1999年だった。
共同参画というが、あくまでも男が仕掛人である状態は、そう変わっていない。つまり女は、男の足下、社会的に低い位置におかれていたのだが、男の手のひらの上の自由ぐらいは法的にチャンスが拡大したということだろうか。たしかに手のひらに持ち上げられることで喜ぶ女はいるかもしれないし、持ち上げられないよりはマシということもあるかもしれないが、共同参画の根本は、男や女としてではなく、マズ「ひとりの人間として」であるはずだ。
そして実態としては、その法に関係なく、男女のありようは「ひとりの人間として」、性の面も含めいろいろに変わってきたし、変わっている。それを「乱れ」というわけだ。これは、食の「乱れ」についても関係する。男女のありようの変化は、「家庭」や「家族」といったもののありようの変化でもあるし。
「乱れ」なのか「変化」なのかということもあるが、こういうときには、根本から考えてみようという機運が生まれる。それが、食より男女のありようのほうに先行してあらわれたように思う。たとえば毎日新聞は1990年代のなかごろから、その変わる男女のありようについて、何回か特集を組んでいた。じつは、記事にはなっていないが、そのための取材を受けたことがある。それから、たとえば、内田春菊さんの、そのタイトルも『ファンダメンタル』だ。
『ファンダメンタル』1993年のあとがきで、内田春菊さんは、こう書いている。引用……
「ファンダメンタル」の一番大きなテーマは、
「社会の中でどーとかこーとか、ということをできる限り抜きにして、人を好きになる気持を考えてみたい」
であった。というか私は、人を好きになるときにはそうでなきゃ困るだろう?といつも思っている。だから、お金持ちでなきゃ関わりたくないとか、有名な人だから寝たいとか、そういう人がいるらしいというのがようわからん。話としては聞いていても、知り合いにはいないし、心の淋しい気の毒な人だとしか思えない。たとえばある仕事で有名な憧れの人と出会おうとする。いくら嬉しくても、その人をひとりの人間として大切に考えることを忘れてはいけない。ひとりの人間として考えるということは、年上だの若いだの、強いだの弱いだの、貧乏だの金持ちだのというような勝手な物差しを当てて決め付けたりしないことだ。でないと愛しあえない。
……引用おわり。
食についてもおなじようなことがいえるのではないだろうか。有名店じゃないといけないとか、有名ブランドじゃないといけないとか、老舗や産地ブランドやら、店やモノのランクづけ、つまりは料理の「肩書」や「地位」や「年齢」などど、そういうものにふりまわされるのではなく、「ひとりの人間として」飲食そのものを好きになる気持を考えてみたい。ってことなんだな「好食」は。
『ファンダメンタル』のような漫画と、グルメ漫画の落差は、あまりにも大きい。日本の性欲と食欲をめぐる文化のちがいなのかも知れないが。
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コメント
まきのすけさま
ありがとうございます。
「OLD FASHION」は見ています。
吉村さんのことも詳しく書かれていましたね。
投稿: エンテツ | 2007/01/16 10:28
遠藤様
お忙しい中、返信有難うございます。
昨年の年の瀬に2度ほどピーターへ行ってきましたが、
ママは達者にしていました。あちこちガタはきている様ですが。
(そういえば歯が抜けてたままだったような?)ハヤシライスとキャロットジュースを注文。
吉村さんに関しては、私が浅草方面で飲んでいたころ
『かいば屋』でお会いしたのが最初だったでしょうか。
他の酒場も回遊しているとお店が重なった様で『大根や』
や他で見お見掛けしたものです。そういえば『捕鯨船』にも
色紙がありますね。ピーターではお会いすることは
なかったのですが、どのお店も酒が取り持った縁でした。
私はあまり演芸や芸能には明るくないもので
(風俗も冷やかし客程度ですし)、今思い返しても吉村さんに
話しかける話題がないままですが、頭の片隅に残っている方です。
たまたまテプコ電気館の一角にある浅草文庫(失念)で、手に取った本に懐かしい名前を
見かけ検索したのがそもそもでした。
そうそう、他の検索で見かけたサイト(OLD FASHIONだったかな?)に、遠藤さんの著書を
読んだと出てました。重ねてご報告まで。
投稿: まきのすけ | 2007/01/15 17:36
まきのすけさま
コメント、ありがとうございます。
クリック地獄、ありがとうございます。
ピーターに吉村平吉さんの検索でとは、
なかなか深いものがありますね。
ちょうど吉村さんがお亡くなりになったころから、
ピーターへも行ってないのですが、
おばさんは元気でしょうかねえ。
こちらこそよろしくお願い致します。
投稿: エンテツ | 2007/01/15 07:59
初めて書き込みさせていただきます。
「ピーター@西浅草」を検索してこちらのサイトを
知り、その後「吉村平吉@吉原」を検索したら、
またまたこちらのサイトが引っかかり、
「こりゃ一体なんだ?」と、前にさかのぼって
記事を読ませていただきクリック地獄に落ちました。
クリック地獄めぐりしていくうちに、私のさまよっている
酒場も何件か行かれていることを知り、一度挨拶をと思い
書き込みさせていただいた次第であります。
(こちらにコメントを寄せてる方もなにやら
覚えのある方もいて)
私のほうは台東区は入谷近辺でふらふらしております。
いつか偶然お会いする機会がありましたら、
その節はよろしくお願いいたします。
ザ大衆食堂のますますのご活躍を期待しております。
長々と失礼いたしました。
投稿: まきのすけ | 2007/01/14 16:45