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2007/01/05

食育以前、自然と食に生きるといふこと

ことしも、熊本から二通の年賀状がとどいた。一通は、すでにザ大衆食のサイトで紹介している、高岡オレンジ園のご家族から、そしてもう一通は農林業家のクリヤさんからだ。

以前に当ブログで「1990年前後、おれは九州の熊本県宮崎県境の山奥で、無農薬有機栽培食品の生産と販売をつなぐシゴト、と自分では認識することをしていた。それだけではないのだが、そういうことをやっていた」と書いたことがある。そのころ知り合って、いまでも年賀状などのやりとりが続いている。

このお二人と、その周辺のみなさんには、たいへんお世話になり、貴重なことを学んだ。

それはまた、農政と農協が、どれだけ日本の食と農業をダメにしてきたかを知る機会にもなった。ほかにも、宗教や信仰のようなエコロジーや無農薬有機栽培は、とてもキケンなこと、余裕のない一銭でも多くのカネを稼ぎたい貧しい農家が少なくないこと、おなじ農業でも米づくりだけが異常といえるほど優遇され続けていること、などなど、その実態にふれる機会がたくさんあった。

おれがそれまで少ない体験で知っていたのは、米作を中心とする農業だった。いまでも、米作を中心に農業をみるひとは少なくないと思うが、それは、かなりゆがんだ農業の姿といえるだろう。

そうではない、食を支える農業、なかには「農業」といわれるのを嫌い自らは「農」と言っているひともいた、そういうことについて学ぶことが多かった。ようするに、農協の支配下にあった農業つまり「農協原理」の農業は、「食を支える」農業とはいえなかった、少なくともそのためには、あまりにも問題が多すぎた。いまでもそうだろう。

天草の島と海を臨む地域にある高岡さんのお宅を初めて訪ねたとき、その車庫だか倉庫だかの壁には、一枚のカラー刷りの大きなポスターが貼ってあった。農協から配られたもので、一年間のミカン栽培のマニュアルを、作業の流れに沿って図解したものだった。そこには農薬散布の時期や使用する農薬などについても指示があった。

その図を高岡さんは指さして、この図に従って作業をして、ここに書いてあるように農協から届く農薬を、そのままそのとおりに散布すれば、農協が引き取ってくれる見た目のよいミカンができあがるのですよ、これが日本の農業をダメにしているのですよ、そういうバカな見本として、ここに貼ってあるのです、というようなことを厳しい口調でいい、高らかに笑った。

そのとき、高岡さんは、ザ大衆食のサイトに書いたように、約5年間ほどかけ、まったく農薬を使わないミカンづくりを土づくりから取り組み、やっと出荷できるものが出来上がったのに、見た目が悪いため農協が引き取りをこばみ、販路に困っていた直後だった。

似たようなことは、茶栽培やキュウリやナスの栽培、あるいは鶏飼育などの農家でも見聞した。そういう農家は、高岡さんもそうだったが、自分で販路を開拓する苦労と不安定がつきまとった。つまり「農協原理」とはちがう「市場原理」のなかで生きなくてならなかったのだ。そして市場には「農協原理」の作物ではなく、高岡さんの成果をもとめる顧客がいた。

クリヤさんは、高岡さんとは反対の山間、熊本県の宮崎県境に近い阿蘇外輪山の一隅で農林業をいとなんでいる。このあたりから、五ヶ瀬川流域にそって宮崎県に入って五ヶ瀬や高千穂までの農林業の方々とは、よく酒(焼酎ね)も呑み親しく交流する機会にめぐまれた。おれは実際の農林業の現場の内側に入ってみたのは初めてだった。

クリヤさんの林は、そばを通っただけでわかった。それぐらい手入れがちがい、木の一本一本が生き生きとしていた。林のほかに、野菜と米もつくっていた。いずれも親の代から、ということはその前から、いわゆる無農薬有機栽培でやってきた数少ない農林業家だ。

田んぼは、谷間のある条件を満たすところにあった。つまり雑木林に囲まれ、そこから水が流れ出ている。雑木林は土づくりと有機肥料づくりに必須だし、クリヤさんは「農薬を使わない米づくりというのは、飲める水でつくるということです、うちの田んぼは、飲める水のところにあります」と言った。

すると田んぼは谷間に分散せざるをえない。だけど、林業経営もそうだが、人間の都合だけで植えたり栽培しては、経営的にもよくない、「あるべきところにある、すると自然は応えてくれる」とクリヤさんは言ったが、そのように整える手を貸すのがシゴトだと。クリヤさんの屋敷は、たいらに整地することなく、自然の地形を残し、その斜面にそって、さまざまなものを育て、炭焼き小屋まであった。

だからまた、ムリヤリみながみな無農薬有機栽培をやらなくてはいけないということにもならない。自然の地形のように人間界にも地形があるのだ、「無理をしなくていいのです、無理をしてはいけません」と、クリヤさんは繰り返した。なにごとも実態をシッカリみて実態に即して、よく学び研究しながら取り組むことなのだ。スローフードや無農薬有機栽培は、流行のものを手に入れるようにはいかない。

おれは、その地ですごすあいだ、毎日クリヤさんのつくった米を玄米で食べ、とれたてのおいしい野菜をタップリ食べた。

クリヤさんは、おれより10歳ぐらい若かったかな? いかにも素早く林の中を駆け木を上り下りしているかのように身体はひきしまり、日焼けの顔にサングラスをかけ、かっこいい「青年」だった。

あれから、10数年すぎた。クリヤさんの年賀状には、「昨秋、屋根より転落し、第一腰椎の圧迫骨折1ヶ月後脳の硬膜下血腫の手術をうけましたが、初めての入院で多くを学び、やっと平穏をとり戻しました。今年はよい年にしたいと思います」とあった。いつまでも若いツモリでいてはいけないよ、自然な身体にしたがって、無理しないようにね。

そういえば、高岡オレンジ園からは毎年年末に、うまいミカンができたよ~と直販の案内がくるのだが、一昨年から来なくなった。もう直販しなくてもよい、シッカリした販路ができたのだろう。個人で収穫から直販を一手にやるのは、とても大変だ。

年賀状には、成長した2人のお子さんの写真があった。上のお子さんは高校生だから、彼の成長とともに、高岡さんの無農薬有機栽培のミカンは育っているのだな。「HPはいつも見ています」と書いてあったから、このブログも見てくれているだろうか。

ほかにも高岡さんやクリヤさんのような、素晴しい人びとがいた。かれらは、けっして説教くさいことはいわず、自らの信念にしたがい黙々と生きている人たちだ。かっこいいぜ。

ザ大衆食「熊本県三角町、高岡さんのミカン」……クリック地獄

しかし、おととい3日の記事に登場の、ちちぶ農業協同組合が発行する「やまなみ」の特集「食育について考える」には、食育の意義や必要性について、食生活の変化などをあげつらね、こう述べている。「そしてこれらはもはや行政や産業側の努力だけでは解決できない問題となりました」「国民自らが「食」について考え、判断する力をつけるために「食育」が必要」

いかにも無責任な、自らの責任回避の本音があらわれている。天に向ってツバするとは、このことだろう。いったい、いままで、どれだけどういう努力をしてきたというのだろうか。

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コメント

どーも、はじめまして。
そういえばヤマザキさんのブログでHNをお見かけしましたね。

私は野良犬のようにふらふらしているだけですが、
これからもよろしく~。

投稿: エンテツ | 2007/01/07 10:45

ええ、はじめまして。
凄く好い話聞かせてもらいました。
くにのり55さんと親しくさせてもらっています
建つ三介ことivanatです。
今後とも宜しくお願い致します。

投稿: ivanat | 2007/01/06 13:26

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