朝酒の効用、日本の芸術文化業界深奥部の頽廃
夜飲む酒は、その日のデキゴトを引きずりやすいが、朝起きてスグぐらいに飲む酒は、アタマの中がカラで、飲んで気分よくなってくるうちに、おもわぬことを思い出したりする。
今朝は、7時ごろから焼酎の湯割りをやっていたら、トツゼンなんの脈絡もなく、「月刊浪曲」12月号の二葉百合子さんの旭日小綬賞受賞の記事を思い出した。
二葉百合子さんは、一般的には歌手として有名だと思うが、浪曲師でもあり、うたと浪曲を結び生かす「歌謡浪曲」をひろめた人だ。
で、その記事に、こうある。「歌謡浪曲を手がけた当時は浪曲通のラジオディレクターから放送を拒否されることもあったという。しかし今や歌手としても浪曲師としても第一人者」
この「浪曲通のラジオディレクターから放送を拒否されることもあった」というところだ。なんとまあヒドイ、たかが一人のディレクターの分際で、そのようなことをするのかできるのか。と、テレビ新聞ラジオや雑誌や本などのメディアを愛顧する、一般大衆は思われるかも知れないが、文化芸術業界やメディア業界じゃ日常茶飯事だった。じつに、たかがプロデューサーやディレクターや、はたまた、たかが評論家だの大学教授だのという分際で、そういうことをしていたし、いまでもけっこう同様のことがあるとウワサに聞く。
べつに「保守的」な分野だけじゃなく、「革新的」「民主的」といわれる分野でもあると聞く。ある著名なKさんは、ある著名な民主的といわれる評論家のTさんの引き立てがなかったら、一介の町人から庶民的といわれる「文化人」になれなかっただろうといわれている。実際、Kさんの書いているものには庶民を侮辱しているのではないかと思われるところがあるが、彼は「庶民的な文化人」として評価されている。ようするにメディアに影響力のある権威しだいなのだ。
ま、それで、思い出したのは、このことだ。
おれは、少しだけだが、能に関心を持っていたことがある。きっかけは、20歳ぐらいだったか、なんだかムヤミヤタラ惚れられてしまった2つばかり年上の女がいた。おれは強姦されそうになったりしたが拒み、彼女はそのときすでに親密な関係の男がいる一方おれはまだ強姦されずにいてそんなに親密な関係ではないのに、彼女はその男を連れてきておれを指さし「わたしはこの人が好きだから、あなたとは別れます」なんていうから、望んでもいない想像すらしてなかった「三角関係」がトツゼン虚構されたりして、とんでもない目にあった。この女が大学では能の勉強をして能が好きだった。んで、初めて能楽堂へ連れていかれたり、入場券をもらったり、彼女としては、おれを同様の趣味にしようということだったのかも知れないが、それがまあ、おれが能に興味をもつキッカケだった。
かといって、そんなに詳しくなったわけじゃなく年月はすぎ、たまに能は観ていた。80年ごろだったか、あることから能や歌舞伎を研究しているアメリカ人を紹介された。かれは若かったが、とくにニューヨークあたりでは、能や歌舞伎の紹介者として知る人ぞ知る存在だった。
この男Eが、日本に滞在する外国人の能の同好の士を集めて、能の練習を重ね発表会をやれるところまできた。公演のための協賛スポンサーを集めたい、どこか企業なり人なりを紹介してくれないかという話だった。
それは簡単なことだった。当時、能を後援することで自社のイメージアップをはかろうという某大会社の広報とは懇意にシゴトをしていたし、その関係で、能なら、この人を通さなくてはというマスコミ界の権威も知っていた。
その権威は、すでに某新聞社を退職していたが、影響力は大きかった。というのも、彼が企画プロデュースした、ある能の出し物が、その新聞社の文化賞みたいなものを受賞したこともあったからだ。そして、これからの話は、そのことに関係する。
で、その権威さんのところへ、Eを連れて行った。連れて行くにあたって、Eがニューヨークでは能の紹介者として著名であることがスグわかる厚い本があったのだが、それはあえて持っていかなかった。話をしてみれば、スグわかることなのだ、常識的には。
もうそれはそれは思い出すだけでも、滑稽だった。たとえば、当時はまだ外国人はめずらしかったであろう。権威さんは自分の英会話力を誇示したいのか、彼にむかってはペラペラペラと英語をつかう、するとEはペラペラペラと流暢な日本語で応対する。もちろん、おれと彼は日本語だ。権威さんだけが、英語なのだ。
権威さんは、Eもおれも若造だし、貧乏くさいかっこうしていたから、なにかカンチガイしたのかもしれない。というか、金縁のメガネをして、金側の時計の権威さんは、もともとこちらを理解するつもりはなかったようだ。Eの説明を聞いてスグ彼がはじめた話は、どんなに自分が能についてスゴイ男なのかということだった。
その話は、ついに、彼の大自慢の、某新聞社の文化賞を受賞した出し物の話になった。おれは直接きくのは初めてだったが、その話が彼の自慢であることはウワサで聞いて知っていた。
それは、どういう出し物かというと、能の演技のなかに、演者が花を生ける場面を盛り込んだものなのだ。つまり、能の面は、かぶると視野が極端に狭くなる、その狭くなった視野で、たしか一輪だった思うが、一輪挿しにスッと挿す場面を入れた。それで、日本の伝統芸術である能と生花の融合だということにしたのだ。
能面をつけて花を生けることが、どんなに難しいか、権威さんが身振りを入れ繰り返し説明するので、そりゃ難しいかも知れないが、そんなことは芸術として自慢するようなことでもないだろう、針の穴に糸を通すぐらいのことが文化や芸術の賞に値するのかと思っていたおれは、思わず腹の中の苦笑を顔に出した。
ま、権威さんのまえで、その話を聞きながら苦笑するなんて、たしかに権威を敬わない無礼者かも知れないが、それで権威さんは、おれにむかって何をいったかというと、「きみのような貧相なものには、能はわからんだろう」
その部屋を出て、Eが、まずおれにいったことは、「エンドウさん、あんなヒドイことをいわれて平気なのですか、わたしなら殴っていますよ、とても能を理解している人には思えません」
が、しかし、Eはおれの横に座っていたから、おれの苦笑は知らないで、唐突に権威さんがおれにそういったと見えたかも知れない。ま、それにしても、だとは思うが。
そして、たしかに、いまでもおれはホームレスに間違えられるほど、貧相ではあるのだが。
けっきょく、この権威さんは、自分の自慢と威張っているだけで、まったく役に立たなかった。しかし、日本の伝統文化を真面目に研究する一外国人に対しては、その隠れた腐った深奥部を披露してくれたといえる。
Eと会った最後は、いつだったか、それから10年はたっていなかったと思う。そのころおれは渋谷区千駄ヶ谷の国立能楽堂の近くに住んでいて、能を観る機会が増えていた。ある日、新宿駅ホームの雑踏のなかで、呼ぶやつがいるので見ると彼だった。大きな荷物をかついで浮浪者のような身なり。インドから帰ったばかりで、数日でアメリカにもどるといっていた。
はて、なんの話を書いたのか?
朝酒は、いいね。仕事のひとにはスマンが。
あっ、そうそう、能+生花は、二葉百合子さんの歌謡+浪曲のように大衆の支持は受けたのだろうか。いや、そもそも能がね、あれですね。伝統的な日本料理もそうだけど、ナニゴトも権威の中枢から頽廃し衰退していくものですよ。
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