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2007/03/01

たくあん数切れ5円の思い出

バカの霍乱で寝ていて読んだ本が『大阪学』(大谷晃一著、新潮文庫)。これに、「昭和三十六年(一九六一)に、東京銀座のビフテキ専門のレストラン「スエヒロ」が、ご飯の量り売りをはじめた。石原仁太郎社長は大阪の人である。銀ブラ族とは別の、銀座で働く人に目をつけた。一合分が十八円で、たくあんが二枚で六円だった。」とある。おれが上京したのは1962年だから、その前の年のことだ。

いま調べたら、おれが「長期臨時雇用」「短期臨時雇用」などを転々とし正社員になれそうな会社に就職したのが1965年の初夏のころだ。これはまちがいないだろう。というのも、おれが就職した会社は、海外旅行専門の旅行代理店で、就職した翌年の冬、大きな航空機事故が3回続けてあったからだ。とくに富士山上空で空中分解したBOAC機の事故は衝撃的で、よく覚えている。そのニュースは、一年間の長期出張で大阪に滞在している最中のことだった。

おれは1965年9月、3か月の試用期間がおわると、大阪営業所を開設するための要員として大阪へ行かされた。それから翌年の8月まで大阪に滞在した。

その旅行会社は銀座のスエヒロに近いところにあったが、このたくあんのことはしらない。そして、大阪へ行って、初めてたくあんの切り売りがあるのをしった。

おれの大阪での滞在先は阿倍野区の東天下茶屋駅近くの間借だった。天王寺駅前から真っ直ぐ南にくだる阿倍野筋があって、「王子神社」とよぶ安倍王子神社がある、その裏手のへんだ。

間借を出て、王子神社の横から阿倍野筋をわたると、路地の上をおおった、ようするに狭いアーケードの小さな商店街があった。そのへんで買い物をしたり、食事をしたりした。

八百屋というか、よろず食料品店のような店の4分の1ぐらいで、惣菜を売っていた。初めてそこを見たとき、こういう店は東京にはないなあと感心した。なにしろ、いろいろなおかずが、焼き魚一切れから売っているのだ。そのなかに、たくあんが数切れ、それがのるぶんぐらいの大きさにヘギを小さく四角に切った上に並んでいた。5円だった。これには、ほんと、おどろいて、そしてうれしくてよく買ったから、その値段まで覚えている。

もちろん、おれがこういう店は東京にはないなあと思ったとしても、おれはまだ東京生活3年ぐらいのものだったから、知らなかっただけかもしれないが、そういうところに大阪のおもしろさを発見したのは確かだった。

いま冒頭に引用した文を見ると、やはりそれは「大阪」を反映したものであるらしい。

おれは、教科書や本などから得た知識より体験を大事にするが、それは大卒ではないことも関係するだろうし、大阪一年間の営業マン生活から染み付いたものがあるように、ときどきおもう。「気どるな、力強くめしをくえ」なんてことばがスラスラ出るのも、そのせいかともおもったりする。

とにかく、東京での試用期間3か月のあいだに覚えた営業の作法というか、そういうものは大阪では、まったく正反対ぐらいちがっていた。おれのほかにはただ一人の所員であり上司だった大阪営業所長にイチイチ直させられた。このひとは、大阪生まれ育ちで、大学は慶応だったが、大阪の某有名商社を部長で定年退職したあとだった。ずっと営業畑を歩いたひとで、学ぶことは多かった。しかもアル中で、一緒に外歩きをしていて昼近くになると手や口がふるえだし、どこかの食堂に入ってコップ一杯の酒を飲むとピタリとふるえがとまり、それが昼飯という、たいへんおもしろい人物だった。

もちろんそれは、その所長の流儀であって、大阪の流儀ではなかったかも知れないが、でもたいがい、その所長は「大阪では、こうなんやで」というかんじで教えてくれた。

たとえば、あるとき文房具を天王寺の、たしか近鉄デパートかで買って帰った。「いくら値切った」というようなことをきくから、「いや正札どおりです」という。すると「なんで値切らんのか」「デパートで値切るんですか」「デパートだってなんだって、大阪じゃ値切って買うもんだ」「エンピツ一本でもですか」「そうだ」とか、そういう会話になる。

営業アプローチの順番は、東京は、なるべく肩書の上からいくようにする、上下の関係を重くみる。だが大阪は肩書や社会的地位などは関係ない、いきなり電話に出た人にアポをとる。応接室に案内されたら、東京は上席下席がうるさく決まっていて、たいがい自分は下席にすわるようにする。大阪のばあい、自分の眼が読まれにくい位置、たとえば窓や光を背にした位置にすわる。などなど、例の「もうかりまっか」のあいさつから、「考えときまっさ」の応えの読み方など、まあ、人間的な真実として、なるほどなあとおもうことがたくさんあった。

そうそう、お好み焼きでめしをくうというのも、そのたくあんを売っていた店の、斜め前にあった食堂で覚えた。ここではめしだけも、ヘギに盛って売ってくれた。東京の一人ぐらしとくらべると、くうのがずっとやりやすかった。

ということなどを思い出したとさ。

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コメント

 ヨッパラって夜中にヘンな書き込みをしてしまいました。申し訳ありません。シラフになってから読むと「意味不明な上に失礼」というひどい内容ですね。

投稿: 近藤昌 | 2007/03/02 19:16

 食事や食品小売りにまつわるこういう興味深い習慣、風俗があったんだ。
 そういうことを(ライターなのに)タダでネットで公開して書くヒトがいるんだ。
 と、ホントに楽しく読みました。

投稿: 近藤昌 | 2007/03/02 01:40

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