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2007/03/31

ハードボイルドな

「愛・蔵太の少し調べて書く日記」の「2007-03-31■[拾いもの]ブックマーク・RSSから(2007/03/31)あとでぼくのブックマークに入れたり入れなかったりするものの候補です。」…クリック地獄

というなかに、当ブログの「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」があって、つぎのようなコメントがついている。

ハードボイルドぶりを感じさせるテキストです。

このあいだから書いている「ためいき体」にも関係するが、ここ半年ばかり、自分で自分の「ハードボイルドぶり」を思うことがある。『大衆食堂の研究』でも、それが底流にあったと思う。

感傷に流されるのは嫌いだが、情動や感情は大切にしたいと思っている。どちらかといえば、おれは情動的感情的なほうだろう。でなければ、3回も結婚しなかった、かもしれない。こんなに酒を飲まなかった、かもしれない。こんなに売れない本を書かなかった、かもしれない。こんなに貧乏じゃなかった、かもしれない。

ところが近年の、とくに首都東京をモデルにしたメインカルチャーの世間一般では、愛情から情をぬいた愛、友情から情をぬいた友、人情から情をぬいた人、心情から情をぬいた心はもてはやされるが、情動や感情は疎んじられる傾向が強い。「情」はわずらわしいものとして、「情の深さ」などは、ときには否定され警戒され怖がられる。

そして、割り切りよく要領よく生きながら、人間関係の稀薄化を嘆き、「下町」の大衆食堂や大衆酒場に「人情」を味わったぐらいで、自分を慰める。

そういう傾向すべてが気にくわないといえば気にくわない。「何も望まず、何も求めないほうがいい」といいながら、望み求め、感情をひきずる。それを、『大衆食堂の研究』のころは、自分の「田舎者性」つまり東京に同化しきれなかったものがもつ「田舎者性」と見立てた。

どのみち、そういうことでは、どマイナーな存在にならざるをえない。

しかし、その東京のメインカルチャー、つまり日本の中央としてのメインカルチャーはなんであるかというモンダイが残る。

多くのひとたちが受け入れ、空気を吸うように吸って生きているメインカルチャー。それは、先日も書いたが、強力なタテ社会であるところのシゴトのつながり、「業界社会」がつくりあげるカルチャー「業界文化」「企業文化」というふうに考えることができるだろう。

ごくフツウにあるべきヨコの人間関係は、壊滅的に業界や企業の活動にのみこまれる。すべては業界や企業に還元される。直接的には上司や仕事のため。感情まで、そこにからめとられる。食事すら、ままならない。グルメもそうだが、趣味すら業界と癒着を強めている。「ソフト」な装いのもとに計算高く、「合理」かつ「冷静」というより「冷淡」な構造。それらを「非情」とも「不条理」とも思わないですごす。業界的な生き方にすぎないことを、正しいよい人間の生き方であるかのように幻想あるいは錯覚する。

これは「業界文化」「企業文化」のありようのモンダイであると同時に、「貧しさ」やアイデンティティの未熟など、さまざまなことが関係するようだ。

こんな中では、感情を引きずって生きていると、なんだかハードボイルドな存在にならざるを得ない。ハードボイルドなんて読書の楽しみだけにしておけばよいのに、生き方にしてしまうとシンドイことになる。じつにカッコ悪い生き方である。周囲にも自分にも「ためいき」をつきながら生きるより仕方ない。

ところがですよ。雑誌『談』76号(たばこ総合研究センター[TASC]発行)の特集は「情動回路…感情、身体、管理」なのだが、「対談 河本英夫×十川幸司  情動回路…精神分析とシステム現象学から考える」で、河本さんは、こう述べている。……

「感情的になってはいけない」「「感情におぼれてはいけない」などの非難がましい言葉が感情にはまとわりついています。感情は劣った能力であり、感覚は高等な能力だという漠然とした価値観があります。ところが能力の進化史を考えてみるとどうもそうではない。
(略)
情動・感情は、進化の段階ではずっと遅れて現れる高等な能力であり、ある意味では余剰の能力に近い。

……引用おわり。「余剰の能力」を「文化的な能力」と読めば、情動的感情的であることは、文化的な存在である人間が進化の結果として保有する高等な能力なのだ。つまり、情動的感情的なワタクシは、ヒジョーに高等な文化的な存在なのでありますね。

ともあれ、情動や感情は、「理性」だの「論理」だの「合理」だの「知性」だの…と反対の否定しあう関係のものではない。むしろ相互に協調しあい並び立っていくものなのだ。情動や感情の否定は、さまざまな「ゆがみ」につながるような気がする。

もっとエモーショナルに。
とりわけ大衆食にリクツはいらない。ひたすら感情的に好きであればよいのだ。しかし知的なひとたちは、知性が邪魔するのか、それができないようだ。そういう知性には「エセ」という冠をかぶせる必要があるだろう。
ムッ、また、書かでものことを書いたか。

関連 2007/03/22「あとをひく〔つるかめ〕の感傷」…クリック地獄
    2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」…クリック地獄
    2006/11/18「情報を蹴散らして詩人の感性を取り戻せ」…クリック地獄

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2007/03/30

3回目の飲み人の会は大宮いづみやでクラクラ

激しい頭痛が残る二日酔い。なのに、こんな日にかぎって朝からヤボ用が多く休んでいられない。午後2時すぎという時間、やっと落ち着くが頭痛はおさまらず、まだクラクラする。

とにかく、きのうは、「大衆食 飲み人の会」の名称を定めてから、初めての大宮いづみや飲み会。1月の大宮いづみや、2月の都内某所を入れて数えると3回目というわけだ。あえて平日にしたのだが。やはり平日だと、おれをのぞいてのみなさん仕事帰りで、キチンとスーツにネクタイというひともいて、フンイキがちがう。

おれは7時チョイ前に会場のいづみや第二支店に着いて飲み始める。まもなく、スーツにネクタイの青年があらわれる。一瞬はじめてのひとかと思ったら、1月も2月も参加しているシノさんだ。わざわざ中野から。そして、この日ただ一人の女性にして一滴も飲めない下戸ながら、すでにいづみやを利用している地元民のもんくしーるさん。初参加、やはり仕事帰り。三人で飲み始める。もんくしーるさんはウーロン茶。

8時ごろ、タノさん到着。茅場町から、やはり仕事帰り。小岩のひとなのに、以前からいづみやのヘビーなファンなのだ。2月に続いての参加。最後に、たまたま職場の宴会の幹事をやらされたので遅れるといっていたが、もう9時を過ぎたし来ないだろうと思っていた地元民のコンさんが参加。1月の参加以来で、やはりスーツにネクタイ姿なので見違えるよう。

ビールのあと梅割り、ヘビーないづみやファンのタノさんが、なんだか梅割りのアルコールが薄くなったかんじだ酔わないという。そういわれてみればそうだが、そんなことあるのかと、悪酒でもいい安く酔いたいワレワレは、もっと強い酒をもとめる。コンさんがメニューに黒糖焼酎があるのをみて、あれにしようと。たぶんいづみやがマットウな黒糖焼酎を置くはずはない、だいたい安いし、焼酎に黒砂糖をまぜたものにちがいないとコンさんはいう。やってみようじゃないか。

店のひとがラベルもなにもついてないアヤシゲな一升瓶を持ってくる。うーむ、いかがわしいぞ。それを見て、またコンさんは、やっぱり焼酎に黒砂糖を混ぜたにちがいない、こういうのがあるのがいづみやらしくてよいという。どりゃどりゃ、コップになみなみを手に持ち、ニオイをかぐが、まったく臭わない。うむ、これは、コンさんのいう通りだな。飲んでみれば、まさに。

ものすごくキク酒だ。これはよいと飲む。これですっかり悪酔い、頭痛の原因は、これにちがいない。すばらしく悪いよい酒だ。

10時閉店、大宮駅前で、コンさんはさようなら。シノさんが「まさか、これで終りということないですよね」と。えっ、じゃあ、おれの地元、北浦和の志げるへ行くか。もんくしーるさんは、逆方向の電車に乗って帰るというのでさようなら。そして、中野まで帰るシノさんと小岩まで帰るタノさんとで、志げるへ。ここでホッピーを頼んで、中おかわりしたあたりから、記憶がない。

意地でというか無心でというか、トコトン飲む連中で気持がよい。飲みながら前回の都内某所での飲み会の話になったが、あんなにすごい激しい勢いでトックリを何本もあけ、ほぼ全員が記憶がなくなるなんて、ちょいとないことだ。飲み人の会、これからが楽しみだねえ。

まだ本調子じゃないので、これぐらいで。

そうそう、大宮いづみやでは、「還暦祝い第二弾として、「1500円以上ご飲食の方にミニ缶ビール6本進呈」サービスを実施しております」ということで、ワレワレは酔ってもそれだけは忘れず、シッカリもらってきたのだった。

また、あのすばらしい悪党の黒糖焼酎を飲みに行こう。大宮いづみやでの飲み会、つぎは5月。次回の飲み人の会は、4月で都内。たのしみ楽しみ。

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2007/03/29

「ためいき体」というより「やけくそ体」か、東中野食堂ほか閉店情報

「どうか、ご自愛ください!!」というメールをいただいた。こういう内容……

いつもブログを楽しく読ませていただいています。
少し気になるのは、このところの記述は面白いのですが、
どことなく自棄が感じられます。
どうかエンテツさんには酒飲み妖怪として
生き延びていただき……(略)

……ぐふふふふふ、「ためいき体」を通りこして「やけくそ体」になっているか。じつは深く愛していた愛人に去られ、やけくそキケンな状態にある。ああ、去っていく去っていく、うしろ姿が見えなくなりそうだ、もうこれであえない、はかない、むなしい、長生きはしたくない嫌なおもいを重ねるだけだ、酒だけはおれを裏切らない、という心境ですね。

東中野の〔東中野食堂〕。ここは、1995年10月、第一回目の大衆食の会が行なわれた〔包(パオ)〕の近くにあって、パオのひとが利用していて教えてもらった。ここで大衆食の会もやったし、取材もさせてもらったし、『東京定食屋ブック』にも載っている。長い間いろいろお世話になった。いつも年賀状をいただいていたのだが、今年はなかった。大衆食の会のひとから、行ってみたが閉まっているという電話もあった。そのうち行ってたしかめてみようと思っているうちに日にちはすぎ、最近、中野に住んでいる「飲み人の会」の方からメールがあって、昨年末に閉店とのこと。

ザ大衆食「東中野食堂」…クリック地獄
パオは健在ですよ。けっこう有名店になっちゃったけど、うまいですよ。ザ大衆食「パオ」…クリック地獄

Hatsudai_ajiroatoつぎ、画像は、〔あじろ食堂〕があったところ。去る3月8日、この初台から幡ヶ谷にかけての、渋谷区の北のはずれ、京王線の北側、おれは「裏新宿」とよぶが、泉麻人にいわせれば渋谷区だが中野文化圏であるところの本町をうろついた。この地域の大衆食堂のことは、ザ大衆食「あじろ食堂と都民食堂」に書いてある…クリック地獄

〔やじま食堂〕と〔あじろ食堂〕が並んであったのだが、あじろ食堂のあったところは、〔みさと〕という居酒屋になっていた。しかし、あじろ食堂が居酒屋に衣替えしたのかどうかは、入ってみてないのでわからない。ここは、フツウの大衆食堂ではなかった。この腕前で、ナゼここで大衆食堂の暖簾をさげているのかと思ったほど、上手な職人がやっていた。居酒屋になったとしてもフシギはないが、ただあの主人は、出身地の網代を深く愛していたから、その名前をかえるようなことはない気もする。とにかく〔あじろ食堂〕は、なくなった。左隣のやじま食堂は、まったく変わらない姿で営業している。

そして、これは、どうなのかわからないが〔都民食堂〕だ。建物はそのままあるが、看板がクリーニングになっていて、シャッターがおりていた。たまたま休みだったのか。それにしても、クリーニングの看板が気になる。不安が残る。

さらに愛してやまない〔大衆食堂 横丁〕。先日行ったら、この四月で閉店といわれた。がーん。ザ大衆食「大衆食堂 横丁」…クリック地獄

去った愛人は、もどってこない。もう毎日ベロンベロン飲んでやる。そして、ますます「酒飲み妖怪」の度合を深めるのだ。

しかし、なんだね、そのメールをくれたかた、おれより10歳ぐらいは若いと思うが、先にアル中でくたばりそうなのではなかったかな。ご自愛してほしいのは、そちらだ。おれの本を出すまでは、生きているように。

関連 2007/03/12「「ためいき体」は、なんとかなるか」…クリック地獄

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今夜、大宮いづみや飲み会

今夜29日、大宮いづみやで「飲み人の会」の飲み会をやるのですが、いまから、この告知を見て来られるかたは、どなたでも参加できます。直接会場に来てください。ただし予約はしてないので、席があるかどうかは、わかりませんがね。もともと出たとこ勝負の会ですから。

大宮駅東口駅前、いづみや第二支店、午後7時から。1階奥左側のへんのテーブル席で飲んでいます。10時ごろには閉店になりますので、閉店イコール解散。おれは、わりと目立つオレンジ色のシャツを着ています。

ザ大衆食「いづみや」…クリック地獄
この写真は大宮駅コンコースの東口の階段上あたりから撮ったものです。二軒ならんでいるいづみやの左が第二支店です。

「飲み人の会」は正式は、「大衆食 飲み人の会」。「「ザ大衆食」のサイトを主宰するエンテツの楽しく飲む人たちの会。よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく。なんてね。」という会。能書きいうひとやわかってないかたは、お断りね。ひたすら大雑把に楽しく飲むだけ。

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2007/03/28

出入禁止 絶交の大都会

ある小さな酒場の主人が、「常連」の一人に出入禁止を言い渡した。飲食店では、めずらしいことではないが、そうしょっちゅうあることでもない。とくに、この「常連」のばあいは、すでに3年近く、週に一ニ度は寄る馴染みの客なのだ。

おれも何度か一緒に飲んだことがある、こいつはちょっと難があるな~困ったことにならなければよいが、と思っていたひとだ。主人は、その難を何度か注意したあげく、ついに出入禁止を言い渡した。

酔っぱらいというのは、ほんとうにオモシロイ。よくあることだが、酔ったときに出入禁止を言い渡されても、酔ってわからなくなると、ツイツイまた寄ってしまうのだ。そういうことが何度かあったらしい。だから、シラフのときに会って、キッチリ言い渡したのだそうだ。

酒場の主人「こんどは大丈夫だろう」、おれ「酔えばわからんさ、来たら入口のところで追い返さないと、また来るよ」。おれは、ある大衆食堂のオヤジが出入禁止の客が酔って入って来ようとするのを、入口のところで押さえ、うまくさばいていたことを思い出しながら、そう言った。

出入禁止は、お互いに、できたら避けたいチト切ないことなのだが、小さな酒場にとって難のある客は、営業ひいては自分たちの生計の成否に関わることになる。仕方ない。

その細かいイキサツは、きょうの話ではない。この酒場は住宅地にあって、出入禁止になった常連は、おなじ町内なのだ。どちらも地方から東京に来て、一方は酒場を開き、一方は近くに住んでいる。出入禁止という絶交のあいだがらになっても、町内のつきあいは残る。通りを歩いていれば、グウゼン顔をあわすこともある。つまりすべての関係が途切れるわけではない。本人が反省すれば、よりがもどる可能性もある。ほかの地域の大衆食堂では、そういうこともあった。

しかし東京には、そうではない出入禁止もある。このほうが大勢なのではないかと思う。新宿の酒場でなのだが、出入禁止になったやつがいる。おれの仕事のうえでの知り合いだった。そいつは、職場も住んでいるところも新宿ではない。やはり小さな比較的常連の多い酒場だが、出入禁止になれば門は閉ざされ、プッツンと糸が切れたように一切の関係がなくなる。通りでグウゼン顔をあわすなんてこともないだろう。おれは、たまたま仕事の関係があって、そのあと何度か一緒に飲んだが。そうでもなければ、永遠にして完全な絶交だ。考えてみると、酒場で和気あいあいやっていても、じつにハカナイ関係なのだ。

と考えると。「町」あるいは「街」と書いたりもするが、それは人びとが、諍いながらも一緒に暮している関係があるところ、といえるようだ。そこは好きな仲間だけの集まりとはちがうわけで、町たるゆえんだろう。

だけど、大都会では、そういう町とは関係をもたずに生きていける。めんどうな嫌いな関係やシガラミは断ち切りながら、まずは食べるためにカネになるシゴトな関係を軸に、そこに諍いのない慰めや楽しみや好きな仲間、ともすると恋愛や結婚まで織り込んで、それだけで生きていける。あとは、たいがいのことがカネで片づく。ネット社会のバーチャルな関係は、さらにそれを容易にしているようでもあるな。「SNS」なんていうのが伸びているらしいが、それは「ソーシャル」なんてものじゃなく、めんどうな関係やシガラミを絶った「社交クラブ」「部活」みたいなものじゃないのか。もっともそれは、メディアに原因があるのではなく、メディアを利用する、「社交クラブ」「部活」みたいな人間関係だけにしたい人びとの「願い」を反映しているにすぎない。

けっきょく、紆余曲折しながら人間関係を紡ぐなんてメンドウなのだ。難のない人間関係を商品を買うように求める。めんどうは避ける。そのように生きていけるのが大都会だ。シゴトな関係のタテ糸は強く太くなり、シゴトぬきの人間としてのヨコ糸は細い弱い切れやすい大都会といえるか。チョイとさみしい気がしないでもない。

「大衆食堂は町の生き物だ」というのは、そこんところがちがう、けっこうヨコ糸の強い世間なのだ。そのことを書いていると長くなるから、またこんど。

ある大衆食堂の常連、男二人は、小学校からの同級生の友人だったが、一人の女をめぐりいがみあう関係になった。それでも、おなじ町内の、その大衆食堂には来た。携帯電話で、片方が来てないことを確かめて来ても、やはり顔をあわせてしまうことがある。おれもその場にいあわせたことがあるが。

「町」というのは、人間関係の大事なところを守り教えてくれているような気がする。ただ町は、声を出して教えてはくれない。学ぶ、感じる、かどうかなのだ。

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アル中一直線だな

タイトル「So-net blog:class blog{void sd(){};}:読みごたえ」で、当ブログに言及いただいている。その書き出し。

好きで読んでいるブログです。酒やら食品問題やら取り上げる、内容は幅広いです。
つくづくこういう風に年取りたいなと思います。
アル中一直線だな。

好きで読んでいただけるなんて、近頃ひときわ孤独な心境を深めているおれとしては、とてもうれしい。なによりも「アル中一直線だな」が、とてもよい響きだ。

キッパリ、「アル中一直線」

まもなく午前10時半だが。今朝は、朝めしを食べずに、冷蔵庫に冷しておいた清酒をグビグビッ、ぷっふぁ~たまらんうまさ、とやっている。堅気の仕事のみなさんすみません。

しか~し。飲み続けていれば必ずアル中になるというものでもないらしい。おれの周囲のアル中をみると、むしろ酒に弱いやつが、なんらかの事情で浴びるように飲むようになりムリヤリ飲んでいるうちに、ぬきさしならぬアル中になったという連中がほとんどだ。と、自分の飲酒力を過信していると、アル中になるかも知れないが。

とくに休肝日を設けることはしてないし、はて、この先、どのようにどう飲んで生きていくのだろうか。

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2007/03/27

デザイン変更

下記の変更、酔って見たら、色が眼に射し込んで本文が読みにくいので、さらに変更した。両サイドバーの背景がグレー、上のタイトルの背景がピンクだったのだ。

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ピンクとグレーまたは桃色と灰色

なんだかいつのまにか、ココログデザインのカスタマイズが、少ない条件ながらできるようになっている。ためしにやってみた。

ピンクとグレーまたは桃色と灰色の組み合わせのコントロールは、むかしから強い興味がある。これだけで、自然界は無理だが、人間界は表現できるという可能性に対する妄想がある。つまりは極端には「赤と黒」の世界だ。もちろん食べ物も、料理や加工されたものは、その範疇にはいる。

が、しかし、それぞれの色の濃度や彩度、組み合わせるときの面積の比率で、ずいぶん違ったものになる。そのちがいかたが、またオモシロイ。きわめて上品で清楚なイメージにもなるし、逆の怪しい猥雑なエロチシズムにもなる、おさえられた欲望、むきだしの欲望……その表現の幅は広い。たいがいの人間のことは、このなかにおさまると思っている。

ココログデザインでは、選択の条件が極めて限られている。というか、これしかない。ま、両サイドバーをピンクに、タイトル背景をグレーにという手はあるのだが。それは、やってみなくてもわかる。

このカラーリングは、ビニョーに沼正三の「家畜人ヤプー」の世界に近いキケンを感じるのだが、どうだろうか。ギリギリ、アブノーマルか、ギリギリ、ノーマルか。チト冒険をしてみる。

料理の味わいでいえば、加工度の低い、ホヤの料理あたりがイメージされる。いや、ホヤと、もう一つなにか必要なような気がするが思いつかない。

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どうでもよい日本はどうでもよいのか

え~午前1時、深夜の酔いどれ定期便です。今夜はチト大きくでたタイトル。「高所大所」からものをみたりいったりするの嫌いだが、昨年秋ごろから気になってしかたないのが、このことだ。

たびたび「日本なんか、どうなってもよい」と書いてきた。たしかにそう思っているのだが、じつは、自分を捨てた愛人に未練たらたらなのに「あんなやつ、どうなってもよい」と強がり意地を張っているようなものなのだ。いや、このたとえは、ピッタリだ。日本は、ほんと、おれを捨てアッチへ行ってしまうのだなあ。いまさらながら、その実感が強い。

昨年秋ごろからは虚業関係者より実業関係者と会うことが多かった。やはり虚業より実業ショーバイのほうが圧倒的にオモシロイ。が、しかし、そこで耳にする話は、ま、自分だって、それをマーケットにして、なにかショーバイを目論んではいるのだが、とにかく外国資本というか外国人資本の進出が激しい。過去10年間の、この調子を続けていたら、あと10年で日本はどうなるか。そのことを意地酒を飲みながら考えてしまうのだ。

最近おどろいたのは、外資ファンドが、年商数十億円ぐらいの地方不動産会社までネライ撃ちしていることだ。これ、どういうことになるのか。日本の土地の中小までが間接的にだが、外国人資本に、ますます支配されるのだ。

キヤノンという会社がある、たしかあそこの社長は日本人で経団連の会長かなんかだよな。だけど、キヤノン自体は、外国人が保有する株式の比率が50%をこえているはずだ。上場株式トータルだって、現状は詳しく知らないが、金額ベースで30%ぐらいは外国人の保有だろう。それがしかも、不動産や金融に集中しているはずだ。株式の保有だけではなく、企業を担う労働者も外国人や「黒い目の外国人」が増えている。「日本の会社」おれの愛人と思っているうちに、そうではなくなっている。

こんなことは誰でも知っていることだろう。それなのに、なぜみな平然としていられるのか。いくら考えてもワカラン。なぜこうも簡単に、こんなことになってしまったのだ。ま、農業が典型なのだが、なんでも政府頼みで、いわゆる政官業もたれあいなれあい癒着のなかで、日本人一人一人の競争力が低下してしまった。それはまあ、現実をみれば、たしかにそうだ。政治家や官僚を頼る「能力」と、政治的な強がり大言壮語をはく「能力」ばかりついて、世界の資本主義の中で生きていく自分たちの力をつけてこなかったのだから、仕方ないといえば仕方ない。もう実業の分野では、どんどんこれまでの「日本式」は通用しなくなっている。この春の法改正の施行で、さらにそうなるだろう。

ようするに、国つまり官僚や政治家は、税金さえ払ってもらって自分たちさえ食えればよいのである、ということではないか。外国人資本に、パンツをぬいで、どーぞ、だ。マスコミだって、自分たちだけは株式保有の制限に守られて、ぬくぬくやっている。

いや、モンダイは、そのことじゃない。そういう実態に対して、危機感は必要ないと思うが(危機感は、政治やイデオロギーに利用されるだけだ)、認識のギャップが激しいことだ。まだ国つまり官僚や政治家やマスコミを、自分の愛人だと思い込んでいるひとが、たくさんいるようだ。キヤノンだって日本の会社だと思い込んでいる。そのギャップのすごさ。もう、それを考え出すとわけがわからなくなる、酒を飲まずにはいらない。

そして、うふふふふふ、酒を飲めば、イイ考えが浮かぶのだ。これからの日本の美しい国土を守るのは誰か。そうだ、日本人ではない、外国人投資家なのだ。そして彼らのほうが、日本の田園風景と、その文化を守ることへの関心が高い。可能性がある。そうだ、外国人投資家を招き、日本の田園風景や、その文化を見てもらい、それを守るためにさらに投資をしてもらうショーバイをやろう。そのアイデアがひらめいた今夜の意地酒は、とてもよかった。展望がひらけた。日本の農家も、国や農協金融にぶらさがっているのではなく、外国人投資家からの投資を積極的に呼び込み、自立をはかるべきだろう。そして大衆食堂にとっては、もしかすると、外国人資本の不動産進出で生きやすい環境ができることも考えられる。

現実的なモンダイを解決するのは、政治でも思想でもなく、ショーバイの政策なのだ、ビジネスだ。もうこうなってしまった荒野の日本で生きるには、外国人資本を利用することだ。強がりのポーズばかりで、無策無能な官僚や政治家など用はない。

いじょ。
なんだ、結局、外国人資本の日本になるのか。いいのだ。資本に国籍などない。
とはいえ、失った愛人は、もどってくるのだろうか。
何も望まないほうがよいのだ。

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2007/03/26

「意地酒」に関するマジメな調べ

2007/03/16「「意地酒」は悪いジョーダンだったか」で、あれはジョーダンと書いたが、なおかつ「まじめに解説をつくってしまいました」「もったいないので一応送ります」とメールをちょうだいした。もったいないので、前の方のものと一緒に掲載する。ほんとうは「意地酒と自棄酒に関する考察」というタイトルで書きたいのだが、このうえさらにそれを書くと長くなるので、それは後日ということに。

「意地」と「自棄」はビミョウにちがうような気がする。すくなくとも、おれは「意地酒」と「自棄酒」は、つかいわけているツモリだ。自棄酒は、あまり飲んだ記憶がない。そんなものつかいわけてどうする、泥酔してしまえば似たようなものではないかと思われるかも知れない。

しかしおれは、意地酒のばあい虚しさが残らない。無理はしたくないし意地を張るのは嫌いだし、とくに、そんなことで人間関係を壊すのはいやだから、他者に意地を張られても、意地を張りかえすようなことはしたくない。自分に落ち度があったら、意地を張らずに、すぐ謝る。しかし落ち度に対する許容の尺度は、ひとそれぞれだから、謝ることもできずに門を閉ざされることもある。その閉ざされた門の前で静々と酒をやりながら、もしかしたら永久に開かないかもしれない門が開いてくれるのを待つほかないときもある。他者に対して意地を張るのではなく、さあおれを酔いつぶしてみろと、酒に対して意地をはるのだ。とても穏やかな酒だ。静々と大量に飲む。そして、べつに誰かに意地を張られなくても、ヨシッきょうは意地になって飲んでやろうという気分になるときもあるのだな。大量に飲むことを覚悟の酒だ。

自棄酒のばあいは、閉ざされた門に向かって悪態ついたりドカドカ蹴飛ばしたりしながら酒をあおる。荒んだ気分だろう。思い通りにならないからと自棄をおこして酒を飲んでも楽しく酔えないし虚しさが残るだけだ。酒代がモッタイナイ。精神的に、自棄酒は不健康、意地酒は健康的、というのがおれの持論なのだ。

アレッ、「意地酒と自棄酒に関する考察」になってしまったか。リクツをこねまわしているが、しょせん、ただ意地汚く飲むだけ。

きょうのところは、これぐらいで、あとは、お二人のマジメな調べを読んでオベンキョウしましょう。B子さんは「新明解的解説」までつけてくれた。これ、仕事中にやったんじゃないの?

■B子さんから

「意地酒」ですが、実は、まじめに解説をつくってしまいました。
勉強の結果、「無理」という言葉を使わないといけないというのはわかりました。
もったいないので一応送ります。

●広辞苑には載っていました
 いじ・ざけ[意地酒]意地になって無理に飲む酒。

●新明解的解説
 いじざけ[意地酒]イヂ― 日常の社会的生活への支障や、将来の肉体的・精神的な異状を顧みない状態で無理に飲む酒。「長時間・(ひとりで・まれに差しで)―をする:―をやめない」


(参考)
広辞苑の「意地」
い・じ[意地]・ヂ①略②自分の思うことを通そうとする心。「―を張る」「―を通す」

の・む[飲む・呑む]【他五】①口に入れて噛まずに食道の方に送り込む。喉に流し込む。特に、酒を飲む。万二〇「我妻はいたく恋ひらし―・む見ずに影(かご)さへ見えて世に忘られず」。「―・む相手を探す」

新明解の「意地」
 一度やろうと思った事を、無理にでもやり通そうとする気持。「―を通す〔=その人なりの信念を貫く〕・余り―〔=我意〕を張ると、人にきらわれる・―でも〔=どんな無理を押してでも〕」

やけざけ①②[やけ酒] やけになって飲む酒。「―をあおる」〔普通、「《自棄》酒」と書く〕


■A男さんから

私の持っている電子辞書で見つけました【意地酒】の
解説お送りします。

広辞苑より

いじ―ざけ【意地酒】
①心が酒に酔ったような様、ためいき酒、心根酒とも言う。
「―になっちゃった♪ウフッ」「―が悪いのよぉ~」
②自分の思うことを通すための覚悟の酒。
「チャンポンせず―で通しまっせ、怒るでぇしかし!」
③欲に負けて飲む酒。
「―が汚にゃーでかんわ」④連歌論で、俳句上の酔った心のは
たらき。
連理秘抄「骨酒{こつざけ)を飲む人は、
―により人柄の出るに面白き也」
【慣】―にかかりまんねん
【慣】―になるだべ
【慣】―にも、我酒(がざけ)にも

※ちなみに小笠原流の意地酒の作法は、まず、しこを踏みそんきょの構えをしたまま、片肌を脱いで角打ちの様に枡の角四隅に塩を盛り、右手人差し指に酒をつけ天に向かって酒のついた指をはじき、それを、自分の前後と、最期に地べたに向かいやった後、口で枡を咥えたまま一気に飲み干したあと、遠吠えをするのを作法とするそうです。裏千家ではお茶席の終わった後の二次会へ行くとき「意地酒せんけ?」と誘い合うそうです。


広辞苑より(これは、本当にありました)
いじーざけ【意地酒】
意地になって無理に飲む酒。

まんまやんけ!と、突っ込みたくなりますが
つまり、これ以上説明しようがないし、
意地を張ってまで説明するのも酒の前では
野暮だったのかめんどくさいだけだったのか?
百聞は一献にしかず、と言うことですかね。

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ヒゲと情報社会

午前1時をすぎた。この時間に酔ってパソコンに向かっていると不吉末吉で、よからぬジケンにつながりかねないのだが、思いついたときに書いておこう。

おれが企画会社に就職した1970年代前半は、ヒゲの是非が大問題になっていた。長髪も問題になったが、ヒゲほどではなかった。企画会社のクリエイティブの社員(まだ「クリエイティブ」という言葉も一般的ではなかったが)ですら、ヒゲをのばしていると、上司やクライアントからダメが出る、喧嘩を覚悟しなくてはならなかった。実際、それでゴタゴタした場面を、なんども見た。

それは、いわゆる管理社会、もっと正確には工業社会型の管理体制に反逆し自由を主張する、つまり「反体制」の意志として警戒されていたような気がする。まぎれもなく「個」の主張で、ヒゲをのばすには「個」で闘わなくてはならなかった。

が、しかし、いわゆる情報化社会あるいは情報社会になって、そこはガラリかわる。広告や出版もちろん、情報社会の花形メディアの業界では、ヒゲが、やたら幅をきかすようになった。

自由であたたかで優しそう、そして知的そう、個性を尊重しそうな個性的そうな、ヒゲづら。それは情報社会が人間らしさのフリをしているように、人間らしさのフリをした仮面のようである。ヒゲは情報社会の管理文化として体制化したといえそうだ。工業社会の体制のように居丈高なカタイ管理ではなく、仲間風のソフトタッチの管理、そんな管理文化として。あるいは、ややもすると、優柔不断と無能のカモフラージュ。

ヒゲをのばし、うわべと口先はソフトに変わったが、中身とやっていることは、かつての73分けの管理者と、たいして変わらない。やり方がヒゲ的に巧妙になっただけ悪質のような気もする。

いや、べつにヒゲをのばしているひとにウラミがあるわけじゃないですがね。ヒゲは自由でも個性でもなくなったということです。かつてはクセのある貧乏くさいやつがヒゲをのばしていたが、いまじゃ、ジェントリーな管理職がヒゲをはやしている。

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2007/03/25

ブルーチーズの味わい

じつは、ナチュラルチーズが、けっこう好きだ。これは1970年代、その普及のためのシゴトで食べるようになったのが始まりなのだが、すっかり好きになってしまった。

おなじカネを出して、清酒と肴、ワインとナチュラルチーズの組み合わせ、好きなほうを選んでよいとなったら、悩む。たぶん、そのときの気分で選ぶことになるだろう。

なかでもやはり、ブルーチーズ系が好きだ。いまじつは、ブルーチーズとワインをやっていたのだが(どっちも安物)、シミジミそう思った。おれはブルーチーズのような人間も好きなのだ。

ブルーチーズの味わいは、なんてのかね、ブルーチーズのような人間の味わいだなと思う。ま、そういうことだ。それはコクのなかに、毒のあるクセを含んでいるというか。ブルーチーズのばあいは、ひとによっては、あれは、そのものが、ひどいクセじゃないかというひとがいるかも知れないが。

でもあれは、人間でいえば、「育ちの悪さ」とでもいうか、それがむきだしなのではなく、おれのようにあたたかい優しい深みのある情のなかに、それだけではすまないクセをひめていて、それがそこはかとなく漂ったり、トツゼン表層に出てきたり、そこだけを齧るとウーム毒だねえ、しかしこの毒がたまらんねえ、という感じの味わいだろう。

「育ちの悪さ」というのは、適切な表現ではないが、イメージとしてはよいかなと思う。恵まれた環境で不自由なく育った者でも、カビのような卑屈や屈託あるいは劣等感などを背負うことがある。もちろん、おれのように貧乏で、育ちの悪いものであればなおのこと。ようするに「過去」のカビだ。またもや藤沢周平流にいえば「暗い情念」か。そういうものがフトした何気ない表情や所作や言葉づかいにでる。それをおれは逃さないで感じ、かみしめる。

一般的に世間ではカビは嫌われる。だから人間のばあい、成長しそれなりに社会に受け入れられていく過程で、カビは表層から中へと包まれる。いわゆる「上品で明るい」装いで。たいがいのひとは、わたしはカビじゃありませんよという顔をしている。そしてまたカビじゃないところだけを評価して「よいひとだね」とかやっている。だが、おれのばあいは、そのカビのところが、カビの味わいが魅力が、どうであるかなのだ。美人だって、カビがなきゃ、つまらない。仕事がデキル男だって、クセのないやつ、つまらない。ひとに接すると、まずカビのほうをみる。まったく、おれは、ついついクセがあるほうに惹かれてしまう。

カビの味わい、このクセが、たまらんねえ。好きだよ~、ブルーチーズ。好きだよ~、ブルーチーズなやつ。

ああ、酔った。もう夕方か。じゃ、清酒にしようかな。

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読みごたえと食べごたえ

著名な読書ブログ、退屈男さんの「退屈男と本と街」に、当ブログの2007/03/23「「負」または「ハードボイルド」な散歩」が、このように紹介された。

まぁいつもなのだけど、「ザ大衆食つまみぐい」の「負」または「ハードボイルド」な散歩は読みごたえがある。
http://taikutujin.exblog.jp/5283434/

きょうは日曜日だというのに、朝からアクセスカウンターの回転がはやいように感じるのは、そのためか。

「食べごたえがある」というばあいは、大衆食レベルでは、量が関係するように思う。まず量が必要だ。味はフツウでも、量があれば、満足を得られ「食べごたえがある」ということになるのではないか。しかし、本音をかくす社交辞令のばあいもある。マズイときでも、ほめなくてはならない義理があるときは、「食べごたえがありますねえ」といったりする。もうマズイのにムリヤリ残さないで食べきる心境だ。

おれのブログは文章が長いので読むのが大変と苦情がおおい。だから「読みごたえがある」というのは、そういうことがなきにしもあらずだ。「エンテツさんのブログ、読みごたえありますねえ」といわれたときは要注意だ。

しかし、この退屈男さんのばあいは、そうではなさそうだ。このように紹介されるのは光栄なことだ。素直によろこぼう。どうも、ありがとね。

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2007/03/24

川口から西新井大師 きのうの続き

川口市は、「鋳物の町」といわれてきた。その工場群のなかに工場を見おろすマンションが次々と建つ。おなじ地域にあっても交わることのない関係が生まれ成長し、やがて住民の感情も歴史も断絶した町に生まれ変わるのだろう。これは新旧の交代という歴史の流れとはチトちがうと思う。未来像のない「革命」が進行しているのだ。大中の土地所有者、不動産屋、土建屋、それに今回のミニバブルの背後で蠢いている外資系ファンド、もちろんそこに群がる政治屋、かれらがもたらす「革命的破壊」の結果は、どうなるのだろうか。

Kawaguchi_sibakawa荒川大橋の手前を左に曲がると、芝川に出る。その橋の上から下流、荒川方面を望む。芝川の右は旧住民の工場群、左は新住民のマンション群。失われる空。川辺の遊歩道がマンション側にあるというのは、グウゼンなのだろうか。その遊歩道を20分ほど歩くと、大衆食堂〔榎木屋〕がある榎木橋に出る。

川口駅を歩き出したのは2時半を過ぎていたと思う。西新井大師に着いたのは5時ごろだった。まずは、生ビールが飲みたい!とテキトウな飲食店を探すが、観光的ハッタリ風格伝統風建築の飲食店ばかりで、ここぞというのがない。やっと一軒、大師の前の通りに、オオッという店を見つけた。〔かどや〕。入ろうとしたら、入口のガラス戸に「酒類はおいてありません」とキッパリした口調の貼り紙がある。嫌われ拒否される災難にあっていじけているおれは、「そんなに嫌わなくたっていいじゃないの」とうたのセリフをはき、けっきょく養老の滝のチェーン店に入ったのだった。大散歩のあとの生ビール、うまかった。下の画像は、かどやと西新井大師。

Araidaisi
Araidaisi_sama2

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2007/03/23

「負」または「ハードボイルド」な散歩

Arakawaきょう。わたしは近頃ややもすると荒ぶる心を鎮める必要があると感じ散歩に出かけた。京浜東北線川口駅から駅前を通る産業道路を南東の東京方面へむかい、荒川大橋の手前で左に折れ、芝川に架かる橋を渡ってから川沿いに下る。芝川は芝川放水路と合流し荒川にそそぐ、その手前、芝川の最後の橋が〔榎木橋〕という。その橋のたもとに用があり、しかし用は十分に達することができないまま、その角を左へ曲がり芝川を離れた。すぐの道路を右へ曲がると、芝川放水路に架かる山王橋に出る。そこを渡ると東京都足立区に入る。あとは環状7号に出て、西新井大師まで、川口駅から約10キロある。

これを「散歩」というかどうか知らない。「散文」に対して「韻文」ということばあるから、これは「散歩」に対する「韻歩」というか。「インポ」だって?これじゃあ、ブンガク的な書き出しが台無しだ。

2007/03/15「負の味覚」で、藤沢周平の「読む人に勇気や生きる知恵をあたえたり、快活で明るい世界をひらいてみせる小説が正のロマンだとすれば、ここに集めた小説は負のロマンというしかない」という『又蔵の火』のあとがきを引用している。そこで「負の味覚」の話にしたのだが、散歩においても、「負のロマン」に通じる散歩があるのではないか。と思う。

「快活で明るい」散歩とは違うのだ。それは散歩する自分の気分がそうであるのか、そのコースを歩いているうちに肉体の底で静かにしていた「負のロマン」がうずくのか、この際どうでもよい。そういう散歩のコースがある。コースのほとんどは、工場地帯でありトラックがうなり炭酸ガスを撒き散らす道路だ、空の色も川の水も、なぐさめになる清らかさはない。

藤沢周平の『ささやく河』の解説を、関川夏央が書いている。そこで彼は「『ささやく河』は、彫師伊之助を主人公とする藤沢周平のハードボイルド・シリーズ三作目である」と書き出し、「「ハードボイルド小説」とはなにかということについてだけ多少考えてみたいと思う」と述べている。コレ、けっこう好きだ。

以下引用……

 ハードボイルドとは、第一に苦労人の小説ではないだろうか。
 よくいわれることだが、ハードボイルドの主人公、すなわち「探偵」は自己の内部に社会通念とは必ずしも一致しない規範を持っている。ただし彼は非常識人であってはならない。世間智の集積としての常識や法を一定程度尊重する健全さを示しながら、場合によっては自己の内部の規範をそれに優先させるのである。その規範とは主人公の生活史上の経験と苦労、すなわち「過去」によってかたちづくられたものである。」
 (略)
 第二にハードボイルドは大都市の小説である。
 大都市は無数の見知らぬ同士の集合体である。「探偵」は群集を分けて歩き、手がかりをもとめては未知の人にあえて接触し、話すのである。誰かの話からつぎに会うべき人物をたぐり寄せ、再び話を聞き出す。その繰り返しがハードボイルド小説の骨格である。ハードボイルド小説を暴力描写小説と混同してはならない。
 (略)
 大都市にはさまざまな感情が織りあげる人間の劇がある。「人情」の交差がある。江戸の河のせせらぎは「過去」をささやいている。過去をどう清算し、どう心のつかえをとるのか、それこそハードボイルドと呼ばれる都会小説群の主題なのである。過去を清算する勇気を持たない都会人が「探偵」であり、その勇気を持ち得たものがときには「犯人」であったりするわけだが、探偵は犯人を憎むのではなく、ひそかにたたえ、われ知らず嫉妬さえするのだ。

……引用おわり

苦労人の「伊之助は江戸の町をたゆみなく歩く。多くの通りを歩き過ぎ、多くの橋を渡る。江戸の空に季節を読んで、水面に屈託やあきらめ、それから希望を溶かす」とも書いてある。屈託やあきらめだけじゃなく、希望まで溶かすのだ。こういう散歩があるなら、あるとおもうが、「負の散歩」といえないだろうか。

きょうは、いくつもの橋を渡り、あるいは橋の下を通り抜け、川辺を歩き、そして、大都市ならではの騒音、生身の人間が労働しているが無味乾燥な工場群を通り抜け、そう思うのだった。

しかし、よく歩いた。ヘトヘト。たくさん歩いたので、まだほかにも、いろいろなことを考えた。荒川の土手でボンヤリした。河のささやきに耳を傾けてみたりもした。カップ酒を買ってくるべきだったと思ったりもした。そしてまた過去を思い出したりもした。

西新井は、かつておれが、会社の売買にからんで、仕組まれたワナにはまって濡れ衣を着せられ窮地にたったとき、密かに味方してくれた、おれより一回りほど年上のオバサンが大部分の人生を過ごしているところだ。

あのジケンのときは、誰もがおれから離反していった。しかしそんな中でオバサンは、イザとなったら、というのは訴訟になったらということだが、おれの無実を証明しうる書類を作って渡してくれた。もちろん見つかったら会社の経理の書類の持ち出しだからクビがとぶ。彼女は経理の立場上、おれがおかしなことはしていないのは知っていたし、社長のだまし討ちのようなやり方も気に入らなかったし、なによりも昨日までおれのことを頼りながら風向きが変わったら離反していく男たちが許せないと言った。そのジケンから10年ばかりたってほとぼりもさめ、そのころの連中が何人かで飲んだとき、そこにいたオバサンは、「なんで、あんたたち、あのとき、このひと(おれのこと)を裏切ったのよ」と、激しく怒った。あのときは、買収側におれの友人がいて、「おれはあんたのことを信用している、がんばれ」といったこともあった。当時は、もうなるようにしかならないと開き直っていたから、二人の親切や励ましを鈍く受けとめていたが、あとになるほどありがたく思うのだった。

ごく最近になって、その友人から聞いて知ったのだが、あの取引は社長が億単位のカネを手に入れる絶好のチャンスだった。そこで、経営の実権を握り社員に対して社長以上の影響力があって邪魔になりそうなおれを、なんとしても排除したかったようだ。そこまでやるかという手をつかってきたのだが、それにしてもみなは、あっさり手の平をかえした。きのうまでの恋仲も今日は赤の他人どころか敵。情もなにもあったものではない。

ま、フツウは社長に背くことは難しい。カネを出すほうにシッポをふる。人間だれしも自分が可愛い。そしてカネが欲しいから自分が可愛いからと正直にふるまうならまだしも、他者を悪者にしたて自分に合理と正義があるかのようにふるまう。いい服着て優しいオリコウそうな紳士淑女ぶって、かっこつけていても、たいがい、そんなところだ。

けっきょくおれはおとなしく身を引いたからか、訴訟にはならなかったが、ということはおおやけに濡れ衣をはらすチャンスはなく、まだときどき彼らの周囲から中傷の声が聞こえてくるのだが。いまとなっては、それを晴らすほどの執念はない、そうしようとしたところで疲れるだけでたいして得はない、あの書類は手元に残ったままだ。醜悪な欲望の泥沼からは逃亡するにかぎる。

そんなことを思い出しながら、しかし、いったい、「苦労人」というのは、どういう人間をさすのだろうかと考えた。関川夏央は、そのことについては、書いていない。あんた、苦労人? 

ひとはアンガイ自分のことを苦労人と思うのではないだろうか。すると、あとは「探偵」か「犯人」かというモンダイが残るだけだ。が、ほかに苦労人でも「凡人」ってのがあるのだ。そうではないだろうか。「凡人」でいいのだ。しかし「凡人」だって、心のつかえぐらいある。だからどうした。意地酒を飲むってのはどうかな。ひとに意地をはってもいいことないが、酒に意地をはるならいいだろう。とかいっちゃって飲みたいだけ。

そうそう、大事なこと。その榎木橋のたもとには、榎木屋という大衆食堂があるのだ。工場地帯の、橋のたもとの大衆食堂、いいんだなあ。しかし、営業時間が朝8時から午後3時までだから、着いたときは閉店後だった。残念。

画像は、荒川。東京都足立区側の土手から、正面は埼玉県川口市のマンション群。

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2007/03/22

台東区入谷の金美館通りで下町の十人十色を妄想する

Iriya_kinbikan2下町を把握するのは容易ではない。いわゆる「谷根千(谷中、根津、千駄木)」が下町だなんていうのは論外にしても、上野鶯谷あたりから浅草のあいだを取りあげてみただけでも、多様で類型化できない。

たとえば、台東区の下谷と入谷は、昭和通りをはさんで隣接しているが、歩いて受ける感じは、似てはいるが、まったくちがうところがある。金美館通りを歩き、下谷、根岸をぬけ、山の手線を越えて谷中の頂上に出て、谷根千あたりをうろつけば下町のニオイすらしなくなるのがわかる。では、下町のニオイとは、なにかというと、これが難しい。

それで、おれは、ようするに十人十色が生きている町ということに、とりあえずしてみた。これが五色や三色や二色になったら、もう下町ではない。つまり類型化できない多様性こそ下町なのかも知れない。

永井荷風ジジイは、「深川の散歩」に、「夜烏子は山の手の町に居住している人たちが、意義なき体面に累(わずら)わされ、虚名のために齷齪(あくせく)しているのに比して、裏長屋に棲息している貧民の生活が遥に廉潔(れんけつ)で、また自由である事をよろこび、病余失意の一生をここに隠してしまったのである。」と書く。(岩波文庫『荷風随筆集』上、野口冨士男編)

「夜烏子」とは深川夜烏こと井上唖々だ。むかし下町の外の場末といわれた深川のことだが、いまでも山の手と下町の比較は、イメージとすると、こんなあんばいではないかと思う。だけど、いまや深川にしても入谷にしても、「貧民の生活が遥に廉潔(れんけつ)で」といえるほど、町に「貧民」の相はない。ただ、「自由である事」は、空気として感じることができる。それは片方では、着飾らないということになるかも知れない。あけすけ、ということにもなるだろう。十人十色がごちゃごちゃにまざり、一方では激しくぶつかりあい、だからそんなところでは、冗談というか駄洒落が人間関係の円滑のために必要なのか、どこかの店先に立ち止まっているあいだに、店の主人と客や客同士のあいだに、それが聞ける。

しかし、この夜烏のころから、山の手は、こんなふうだったのだ。いまの山の手は、「体面に累(わずら)わされ、虚名のために齷齪(あくせく)」することは、空気のようになっていても不思議ではない。すでに住んでいるひとたちは、それに不自然を感じないほどになっているのかも知れない。そこは、やはり下町の空気とはちがうようだ。でも、それは、それで、よいのだ。下町には、たいした守るべき体面や虚名がない人たちがおおいだけなのかも知れない。それはまたそれでよいことではないか。好きなようにすればよいのだ。

おれは肩肘張って生きるのは苦手なだけだ。山の手にも下町にも、肩肘張った連中はいる。お調子ものも苦手で、調子をあわせるのも苦手だから、下町の駄洒落についていけないこともある。もちろん山の手紳士淑女風の調子のよいお世辞も苦手だし、知的な文化人ポイのも苦手、華やかなのも苦手……。守るべき体面や虚名などないし。

しかしなんだね、どこだろうと、体面や虚名に関係なく、庶民というのはアクセク働かなくては、食っていけないのではないだろうか。そういう意味では、「山の手」だ「下町」だという概念は、ヒマな観念的な連中が考え出したタワゴトかも知れない。となれば、谷根千が下町になってしまおうが、モンダイはないわけだ。

画像は、金美館通りの細沼甘味店と、数年前に新装なった入谷市場。このへんから浅草千束方面にむかって歩くと、右側に大正小学校があり、その先に「大衆食堂 清月」がある。おれは、なるべく周辺を歩きこんでから、その地域の大衆食堂に入るようにしている。大衆食堂は地域の生きものだからね。2007/02/27「入谷千束ウロウロのち渡辺勝に酔いしれる」に、この日のことは書いた。……クリック地獄

「大衆食堂 清月」については、近日中にザ大衆食のサイトに掲載する、つもり。

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あとをひく〔つるかめ〕の感傷

きのう「ション横つるかめから太田尻家へ、タイトルたまる」に書いたように、ひさしぶりに新宿西口ション横の〔つるかめ〕に入った。やはり〔つるかめ〕は、おれにとっては特別なところだという思いを深くし、すっかり感傷をひきずっている。

春の憂い、続いた別れ、それだけではないようだ。精神的にも肉体的にもタフなおれだって感傷的な気分になることがある。おれのばあい、タフといっても、ウドの大木枯れ木の賑わい的鈍感タフとちがい、ひとより繊細で傷つきやすいこころを持っている。それを肉体の深いところに秘めながら生きる術を心得ているにすぎない。ほんとうはもう痛めつけられ傷つき汚れたこころはズタズタになっている。ああ、もうダメ、耐えられない、発狂しそう、たすけて~。と、書いても、せせら笑われるだけで、誰も信じてはくれないだろう。もっと、ひとが気をつかい慰めてくれるように、弱々しく生きてくるべきだったか。

つるかめの、あのカウンターに座っていると、1962年の春に上京してからのことが、めまぐるしく浮かんでは消える。なにしろつるかめは、ほとんど、あのころのままだ。とくにカウンターの奥の階段をみると、胸がつまり涙があふれそうになる。

そこを上がって、薄暗い二階のカウンターで、おれたちは天丼を食べた。ことわっておくが、当時のつるかめの天丼というのは、えたいの知れないうどん粉のカタマリのようなかきあげらしき天ぷらがのった、おれは食べると必ずゲリをする安物だった。

それは、あの上京した春の、ごく最初のころのことだった。「おれたち」といっても、そこで一緒に食べたやつらを、ぜんぶ覚えているわけではないが、すくなくとも、あの春、一緒に食べた中の二人は、もうこの世にいない。この10年のうちに死んでしまった。たまたま二人とも、おれの企画屋の仕事に関係があったから、数すくない長い付き合いになったのだが……。

あの春、そこで天丼を一緒に食べた中に女がいた。二人か三人いたような気がする。その一人の女は、いつごろからだったか、死んだ一人ケイと恋仲になる。そして、おれは大学へ行かず働くようになり、ときどきしか会わなくなったが、たぶん前後を考えると、おれが大阪へ一年間長期出張になる直前のころだろう、ケイに、その女と別れる話を聞かされた。ケイは、話しにくそうに、じつは高校時代に恋人がいて、一度不仲になったのだが、よりがもどった、結婚する、と言った。まだ彼女には話してないのだが、近いうちに話そうとおもっていると言った。おれは、そのときの、ある日トツゼンさよならを言いわたされた女の辛さを思い出すと、いまでも胸が痛み、つるかめの傷だらけのカウンターに、傷をふやしたくなるのだった。

もう一人のイチ、こいつはもう、恋が人生よ、いや人生は恋よ、という感じで、たいへんだった。何人かの女と同時進行があり、一度は、純情なお嬢さんを夢中にさせ妊娠させ、その後始末に、なぜかおれが奔走することになる。おれは、いつもソンな役割、貧乏くじをひく。そのお嬢さんに会って話すのが辛く、おれは不器用だから、うまく話しなどできずにオドオドしながら、かつ焦って夢中でシャベリ、こっちが傷ついてしまうのだった。そして、アイツはしょうがないやつだというまわりの連中から、イチをかばう役をするのもおれで、そこでまたおれは苛められ傷つく。気がつくと、おれが悪者にされているのだ。フランス文学にかぶれ、おれのフランス文学に関する拙い知識は、こいつからの話で、そのころのままだ。

こういうおれだって、何度かの出会いと別れを繰りかえしている。ところが、この二人は、おれの最初の離婚のときに、大反対した。ほかの連中は静観していたのに、この二人だけが、おれを飲みに連れ出し、おれに説教し、たしかあのときは秋葉原から神保町と飲んで、最後は新宿の歌舞伎町あたりでグテングテンのベロベロ三人で酔いつぶれたのだが、大反対した。かれらは、結婚してからも妻以外に愛し合った女がいた。ただ、そのために離婚をすることは考えなかった。仕事と家庭を大事にする男たちに「成長」していた。

そして、ケイもイチも、そこそこの会社の幹部から専務取締役、社長になり、どちらも現役の社長で死ぬ。ガンだった。ケイのばあい、手術を拒否した。イチは、病院そのものを信用しないで、入院したときは死の直前だった。まるで自殺的行為だ。二人を知っている、いまでは唯一人のおれの古い友人は、あれはビジネス戦争の犠牲者だよ戦死だよといった。メーカー、技術系の会社で、80年代の円高不況、90年代のバブル崩壊後の不況を乗り切るのに、彼らが心身をすり減らしたのは、たしかだろう。おれたちは何度も飲みながら、その対策や苦渋を、話し合った。

ケイもイチも、戦死だよといった男も、みな営業畑の人間だった。おれも、初めての正社員は営業だった、営業マンとしてシッカリ鍛えられた。おれたちは、突進することしか知らない、かっこわるい、武骨な営業だったようだ。ようするに、要領の悪い品のない、ただのオヤジなのだ。

つるかめで、やや酔いのまわったおれの頭に、ユーミンの「あの日にかえりたい」が流れた。あの日にかえれるわけがないじゃないか、きのうのシアワセのあとの今日の別れは、いまだって続いているのだ、とりかえしのきく期間は、そうはながくない。それに、遠い青春のあの日にかえってやりなおしたところで、またべつのドジをやるだろう、いつだってドジの繰り返しさ。「あの日にかえりたい」という感傷は、慰めにはなるが、慰めにしかならない。

と、きのう書いたような、「オヤジの肖像またはオヤジについて」「ワタシ、営業マンの味方です」「つるかめでユーミンとはな」といったタイトルが浮かんだのだった。

あっ、もう日付が変わったから、「きのう」というのは「おととい」か。

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2007/03/21

太田尻家 近所の三人で作った「Tシャツ展」

Oota世田谷区経堂のバー「太田尻家」の妻、智子さんは、ザ大衆食の「太田尻家」で紹介しているように、イラストレーター、あるいは造形作家、モノヅクリ屋さんなのだ。夫の家長も、また造形モノヅクリ屋だ。いまは客に食べさせる料理をつくっている。

さて、それで、太田尻家の近くに「ROBA ROBA cafe」がある。「ギャラリー&カフェ」ということらしい。ここの個性は、そのスジで、知られている。おれは以前に、南陀楼綾繁さんに連れられて、初めて行ったのだが、そうでもなければ近寄ることすらなかったかもしれない。

南陀楼さんにしたって、世田谷だの経堂だのが、おれより似合わないタイプだとおもう。オシャレな雰囲気のところだ。が、しかし、単なる見せかけのオシャレではない。太田尻家もそうだが、それなりの「骨」があるのだ。それは、なんだろうか。太田尻家で家長とオシャベリした。けっきょく、「わたしはわたしよ」ということになるか。

ようするに昨今は、たしかに「芸術ブーム」といえるぐらい、あちこちにギャラリーはできる、展覧会も盛んだ。なのだが、文章業界も似ているが、「評論家」や「先生」や「先輩」を意識した作品をつくる傾向がある。「売れる」「有名になる」ためには、そうなのだ。別のところで聞いた話では、学生時代から、そういう「プレゼンテーション」を教えられるのだそうだ。

ところが、太田尻家もそうだし、この「ROBA ROBA cafe」も、自分たちがやりたいことを、つくりたいものをつくるということをキホンにしている。だからオモシロイのではないか。それはオシャレであるかどうかに関係ないだろう。作家性にこだわるというのともちがう。好きなことだけをやるのともちがう。ま、どんなことをやるにしても、ポリシーというのかな、自分の生き方や流儀のモンダイなのだ。ああしてみたい、こうもしてみたいとおもったことをやる。それで食っていければよい。ましてやメディアにのって有名になることや、体面や虚名など関係ない。太田尻家の家長と、そういう話になった。

飲食店経営だって、カネだけに執着するのではない生き方がある。毎年、休みを増やすという楽しみをモチベーションにするとか。カネやウリや名声にガツガツしなくても、自分が大切にしたいことやひとのために、利益は減っても原価にカネをかけるとか時間(手間)をかけるとか。そういう生き方なんだよ。…アレコレ話をしたのだが。

ま、とにかく、そんな人たちが、「ROBA ROBA cafe」を会場に、「近所の三人で作った「Tシャツ展」」をやることになった。太田尻家妻は制作作業をしたあとに店に来ていたが、なんだか楽しそうな作品ができそうだ。展示即売で、2千円台で買えるものが多いらしい。みなさん、ぜひ行って見てください。おれのブログが好きなら、太田尻さんの作品も、きっと好きになるだろう。いや、おれのブログは嫌いでも、太田尻さんの作品は気に入るだろう。

画像は、太田尻智子さん手製の案内ハガキ。ほんと、この女は、尻が好きだ。苗字まで、太田尻と。これは冗談ではなく、旧太田智子さんが家長の田尻さんと結婚して、太田尻家を「創設」したのだ。そこまで「尻」が好きなのか。そういえば家長とおれは兄弟とまちがわれる。細い目に、ヌーボーな雰囲気が、そう思わせるのか。ちがう、兄弟でもホモ関係でもない。そうそう、一つ、ある回数だけは、彼の方がはるかに若いのにおれとおなじなのだ。ケシカラン。

開催日時 4月14日(土)~18日(水) 13:00~21:00(日曜日・最終日は19:00まで)
場所 ROBA ROBA cafe……クリック地獄
    世田谷区経堂2-31-20

●「酒とつまみ」9号 太田尻家で買えます。よろしく。

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2007/03/20

飲み人の会に登録ご希望のかた

2007/03/17「飲み人の会の登録」に書いた、ヤフーの自動登録のシステムは、うまく機能せず、かえってめんどうですので、下記のおれのアドレスに、メーリングリストに登録するメールアドレスを明記のうえ申し込んでください。

ed_meshi@■yahoo.co.jp  ■を削除して。

当面の参加の条件を、再録します。

①過去の飲み会に参加された方。
②これまでおれと1回でも飲んだことがあるひと。(どこかの飲み会のときでもよいです)
③ ①か②ようするにおれの知人の情報や紹介で当ブログやザ大衆食をご覧になっているかた。
④お会いしたことはないが、すでに個人的にメールの交換がある方。
⑤当ブログやザ大衆食のサイトをリンクしていただいている方。当ブログで話題にさせていただいたブログやサイトの方。
⑥コメントの「常連」さん。

とりあえず、こういうことにします。⑥のコメントの「常連」さんといっても、ご本人は判断しにくいでしょうから、この方だけは、おれのほうで手続きさせてもらいます。

本名で申し込んでください。上記のどれに該当するか、簡単な情報も、お願いします。

上記にあてはまらないが、どうしてもという方は、その理由など書いて、申し込んでください。職業も書いてください。このブログやザ大衆食の趣旨や主張をよくご理解いただいていることが条件です。趣味道楽の方は、難しいとおもってください。ま、偏屈ものということですね。

さいたま市に住んでいるか勤めの方は、その旨書いていただけば、これらの条件にこだわりません。

3月も含め奇数月の大宮いづみやでの飲み会、偶数月の都内での飲み会の日時は、このメーリングリストで告知されます。飲み会に参加ご希望の方は、かならず登録をしてください。

■飲み人の会(のみびとのかい)とは
正式の名称は「大衆食 飲み人の会」
「ザ大衆食」のサイトを主宰するエンテツの楽しく飲む人たちの会。よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく。なんてね。

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ション横つるかめから太田尻家へ、タイトルたまる

Hatsudai_hyakkaきのうのこと。イカ天のことを考えていたら、新宿西口ション横の〔つるかめ〕へ行きたくなった。なぜか、1962年の春そこで食べたイカ天のことが記憶にある。それは、たぶん初めて食べたモンゴウイカの天ぷらだったのだ。そして、それはショウユをかけて食べるのではなく、天つゆをかけて出てきたはずだ。そうだ、そういえばつるかめで天ぷらを頼むと、たしかいつも天つゆをかけて出て来て、そのつゆごと天ぷらをめしの上に移し、天丼のようにして食べたこともあったな。…と考えているうちに、つるかめへ行きたくなったのだ。

つるかめに入るのは、5年ぶりぐらいだろう。イカ天を頼むつもりだったが、メニューを見ているうちに、野菜とアジのミックスを食べたくなり、それを頼んでしまった。天ぷらのメニューがすごく増えたかんじだ。揚げ物は自分のウチでやるのは、油のよごれ落としや処理も含め、つい億劫になってしまうから、外で食べてすます人がおおいかもしれない。

出てきた揚げたては、やっぱり、天つゆがかかっていた。ビールをグビグビ飲みながら食べる。揚げたては、うまい。

きょうも、いそがしいのではしょる。

そして、経堂のバー「太田尻家」にチトあやまらなくてはならないことがあって気になっていたから、電話かメールですむ話だが、ついでにオシャベリしながら一杯やりたいとおもい小田急線に乗る。んで、まあ、出羽桜をしこたま飲んで帰ってきた。帰ってからも飲んだのだが。また意地酒だ。

太田尻家には、「酒とつまみ」9号最新号がおいてあった。編集部のナベさんが、意外にはやく配本したのだなあ。けっこうけっこう。経堂周辺のみなさん、太田尻家で「酒とつまみ」9号が買えますからよろしくね。

さて、それで、きのうは、なんだかブログに書きたいタイトルが、とくにつるかめで、ドドドドと浮かぶのだった。それを忘れないうちに書いておきたい。以前から、このブログをごらんの方は、よくタイトルと中身がちぐはぐのことがあるから想像つくとおもうが、なにかのはずみで瞬間的に頭に浮かんだタイトルを先に書いてから本文を書いているのだ。ふだんタイトルが浮かばなくなったら、こんなに書き続けられない。ま、幸い、まだまだ浮かぶ。ただ忘れやすくなった。

最近は飲んでいる最中に浮かんだことは、あとまで覚えていられないので、きのうはつるかめでメモしながら飲んでいた。

では、今後、書くだろうタイトル。

「オヤジの肖像またはオヤジについて」「ワタシ、営業マンの味方です」「つるかめでユーミンとはな」「街のない大都会東京」「意地酒と自棄酒に関する考察」「永井荷風の十人十色」

つるかめのカンウターにすわって、店内を眺めながら飲んでいると、いろいろなことが次から次へと思い浮かんでは消えるので全部はメモしきれなかったかもしれない。こんなところか。

画像は、背後に新都心のビルがそびえる、初台南盛会通りの「初台スーパー百貨店」。去る3月8日に撮影した。

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2007/03/19

正しいみなさんへ

みなさんは正しい、正しいから自分のいうことや考え、自分のしたことにこだわる。ここにきたら、そういう意識は捨て、おれが書いていることを、まず把握し理解する努力をせよ。つまり、バカになれ。おれは、「それゆけ30~50点人生」の男なのだ。それほどリッパなオリコウな人間じゃない。おれのバカさ加減にあわせることを考えろ。

まったく、正しい人間がおおいわりには、世の中よくなんねえよな。あんたら、ほんとに正しいのか? けつくらえ!

きょうの意地酒、おわり。午前2時。
このあいだの、えーと先週の月曜の午前2時から一週間がすぎました。やれやれ。
明日は、なんの日でしょう?
近日中に、また大衆食堂の画像をアップしますよ。

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2007/03/18

別れの季節か、きのうの付けたし

やれやれ、この2、3週間の展開だ。なにがって、男と女の別れだ。おれのことじゃない、おれが不仲になった女から電話やメールがあったのならよろこびもするが、そうではない。どいつもこいつも野暮で情けない男たち。(やははは、これ読んでいるやつもいるな、スマンスマン)。かなりながい電話にたびたびつきあわされ、自分のことは放り出したまま、相談にのるというか愚痴をきくというか。

そんなことぐらい自分で考えてやれ、おれだっていままでの2度の離婚ですら誰にも相談せずに自分で決めてやってきたのだ。とかいいながら、それにしても近頃は、男と女だけじゃなく、男同士も女同士も、諍い紆余曲折ありながら人間関係を築くということはなく、諍い即わかれ、もう逢いません、電話で話すこともできない絶交、となることがおおいようだ。とシミジミ切なくおもったり。

ま、それが、おれが不仲になった一人の女のようなら、わからなくもない。彼女の場合は「竹を割ったような性格」と言われていたが、おれはそれもあるかも知れないが、「生き急ぎタイプ」(「死に急ぎ」じゃない)だなあとおもっていた。男で、こいつとは不仲になってはいないが、やはり「生き急ぎタイプ」のやつがいる。セッカチとはちがう。たしかに「竹を割ったような性格」というかんじもあるが、かといって、割り切りよく冷淡なわけではなく情はあるしやさしい。でも、パッパッと、映画のコマおとしのように、空を飛ぶ雲のごとく、めまぐるしく反応がはやい。身のこなしも素早かったが、オイオイといっているまもなく、「もう逢いません」とプツン。ためいきつく間もない。ま、不仲になったが、おもしろいやつだった。でも今回の連中は、そういうタイプではない。どっちかといえばウジウジなのだ。それが。

一組の男女は、2007/02/08「そして切ない「愛情料理」」の熟年離婚で、きのうの電話で聞いたところでは、離婚決定。ほかは結婚するはずだった男と女、それから男同士。男同士はホモというわけじゃないが、ある種の確執で不仲絶縁だ。男同士の嫉妬というのは、とくに面子がからむと難しい。ま、それやこれ、おれに関係ないとはいえ、とくに結婚するはずの男と女の不仲は、胸が痛む。だいたい男と女なんて、どちらが悪いでもなく、悪いといえば両方が悪いといった類のことでこじれる。ついついなんとかしてあげたいとおもってしまったが。女は電話にでないどころか彼から逃げるように引っ越してしまい……ま、いいか。とにかく、せっかく出会いそれなりの仲になったのだから、そう簡単にポキッと折るようなことはせずに、諍いながらどうしてもガマンならなくなるまで、とかおもってみたり。ちょっと「制裁」を加えただけ、とかいってもどれないものか。でも引っ越しまでして逃げたのでは、もう無理か。

そうそう少し前、もう一つ、わけのわからんのがあったな。トツゼン久しぶりに男から電話があって、結婚するんで住むところを探している、いい不動産屋しらないかというから、紹介した。一週間ぐらいたって、「どうした」と電話したら、「あっ、もう別れちゃいました」と。どうなっているんだ!

とまあ、春は別れの季節なのか、そんなのに付き合って、時間がどんどんなくなる。おれは人生相談員じゃないのだぜ。あとで酒のませくれよな。

みなさん、諍いながらも我をはらないで、理解しあい愛し合えるようになりましょうね。

ってことで、きのうは、おもわぬ時間に追われ、しかも、もうなにもいう気がなく、まったくふれたことがなかった「認証制度」問題について、やっぱりねと「ためいき」が出たから書いたら、これまでになくコメントやトラックバックをいただき、うれしいかぎりだが、じゅうぶん応対していられない。ま、どうせお流れになったのだから、ゆっくり検討していこう。

おれは、これまでも食育基本法に反対のときから、それでは農業の課題は解決しない、個別の政策をキチンとやるべきだという考えで、その点は、今回もおなじなのだ。それは、このブログで何度か書いたように、自分が90年ごろに農業法人組合づくりや農産品販売などに関わったときからの、現場体験によるもので、これはしばらく変わらないとおもう。

もう一つくわえるなら、おれは日本の農業の、統制・保護・補助という仕組はなくし、ほかの産業分野のように市場活動のなかにおき、そして、ほかの産業分野でも個別政策ごとの政府補助などがあるように、補助金の仕組を変えるべきだろうという立場なのだ。そのために農業の法人化をすすめるのは賛成の立場で、それはもうその90年ごろからやっていたことだ。この立場は、どうやら自民党の一部や周辺の学者あたりと似ているらしいが、チトちがうのは、おれは単なる消費者の立場で損得を考えているところだとおもう。

これとまったくちがう立場が、農業に対する補助金など、日本経済や政府予算からすれば、たいしたことはない金額だから、そんなものは日本企業の国際化でどんどん稼いで補うことでよいのだというような、チト大雑把な表現だが、そういう主張だ。

でも、どちらにせよ、なんとか日本の農産品を海外で売らなくてはならない。これは、産業政策の「商売」のことなのだ。

まえから、おれは政策レベルのことで話をしているのであって、ほかのことはどうでもよいとはおもわないし、今回の件については、日本人として日本文化としての期待があるのも知っている。だけど、政策というのは、システム開発だっておなじだが、フレームがしっかりしていないと、おかしなものになって、今回のように途中で立案がたちゆかなくなったり、政策が動き出しても効果がでない。農業の課題を、食育基本法や「認証制度」に埋没させるのではなく、個別政策で対応すべきだというのは、そういうことも関係する。

とにかく、現実的に、モノを売りたいのではないのか。商売をしたいはずだ。もしそうだったら、「正しい日本食」が問題になるような「認証制度」といった大上段に構えることなく、もっと損得勘定をしっかりやり、個別のPR政策なり販売政策で対応すべきなのだ。どの産業だって、そうやってきた。優秀な産品にはニセモノができる、それは産業政策レベル企業政策レベルで対応してきた。

だけど、ウルグアイランドから何年たつか。片方では自由化国際化つまり「開国開放」、片方では統制・保護・補助つまり「鎖国閉鎖」という矛盾する政策できた。過渡期としては仕方ないだろうが、基本システムにはなりえない。それをズルズル続けてきた。ようやっと最近になって、農業の法人化も、他産業からの参入ができるようになって加速されてはいるが、産業政策レベル企業政策レベルといっても、その核になる法人は未成熟だ。そして株式会社農水省が農業を行なっている。これは日本で最大の重厚長大産業になったのだ。ここに、その負がふきだまっているようだ。

農水省の役人の政策立案能力が低いのか、それとも統制・保護・補助という仕組が続き負のふきだまりの圧力が強いのか、政策のフレームがしっかりしていない。だから本来はモノを売る産業政策なのに、「正しい日本食」という文化政策が議論になってしまう。農水省が本当に株式会社なら違うだろうが、モノを売る金じゃなくて税金でたべているところだ。

おれが関わっている、海外との交流交易の小さな会社の、高卒の30歳そこそこの女だって、シミュレーション・モデルやビジネス・モデルをつくり、経営政策を立てる能力も技術もある。それが、いまさら官僚や有識者とやらが「日本食の定義付けは難しい」という結論を出す会議をしているのだ。これでは農業がジリ貧になるのはトウゼンではないか。負の方向へ負の方向へ動いている歯止もできない。ああ、しかたないねえ、なるようにしかならないね~。

農水省が「正しい日本食」を定義するなんて、国内だって、それを黙って見逃してくれない勢力はいくらでもいる。それから、食育基本法ですら、実行計画には数値目標がたてられている。日本の政策レベルは全体的には、まがりなりにも、「ないよりマシ」「やらないよりやったほうがよい」といったバクゼンとしたドンブリ勘定政策は許されないレベルにはなっている。しかし、この農水省のオソマツは、なんだろうか。

そういう政策技術レベルの問題を、おれは「ためいき」ついて眺めている。

ま、おれは、今日の快楽に生きるだけのバカな男だけど、「もっと、おれのいうことに耳を傾けなさい」と悪いジョウーダンをいってみたくなるのさ。

きょうは、そんなところで。ま、このブログでは、もうそういうことは言い続けて、もう書く気がしなくなっているのだが。

そうそう、コメント常連のWein, Weib und Gesangさんが、コメントを書こうとしたが書けないと、ご自分のブログに書きトラックバックをいただいた。「絵に描いた牡丹餅」、ご覧ください。…クリック地獄

2006/10/31「ザ大衆食とエンテツ礼賛のこと」にも、 「欧州からみる和食認証制 」というトラックバックをいただいている。こちら。…クリック地獄


はあ、では、また、わかれ話につきあうとするか。
最後にもう一度。みなさん、諍いながらも我をはらないで、理解しあい愛し合えるようになりましょうね。

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2007/03/17

硬直した官僚主義の末路「正しい日本食」

まったくねえ、もうおれは、こういうことについてイチイチものをいう気がしないのだが。この「正しい日本食」をすすめようと動いてきた連中は、農水省がそもそもそうだが、食育基本法の推進者たちでもあることを考えると、これは悪いジョーダンと受け流すわけにはいかないとおもうよ。

もうまったく状況がわかっていない連中が国の政策を立案し推進している。そこで浪費されている税金は、未来のために一銭の役に立たないどころか、負の方向へ導かれているのだ。

世界的な「多文化」化の流れ、それを恐れるだけのような自分の殻の中の排外主義的「正しい日本」、という構図がある。うまくやれっこない。「小児病」って、このことだね。もっとオトナになって柔軟にやらなくては、複雑化する状況を乗り切れない。この政策が折れたように、日本がポキッと折れちゃうよ。って、おれは日本なんか折れようがどうしようが、どーでもいいんだけど。ま、みんなで折れれば「一億なんとやら」で怖くはないか。だけど、おれは、そんな連中と心中したくないなあ。

こういう硬直した官僚主義がいつまでもつづくのは、片方に、先日から書いている「白100%」だけを「正」とし、「白か黒か」をハッキリさせるのが「正しい」とする、日本的な根強い美徳があるのと関係するようにもおもう。一度そのように、自分たち自身を見直す必要があるのではないか。なーんて書いても、けっきょく、なるようにしかならないのだな。「ためいき」

もっと、おれのいうことに耳を傾けなさい。

しかし、なんで、あの農水省の「白100%」からはるかに離れ黒い、松岡一人を引きずりおろせないのか。「正=白100%」は偽善かよ。

以下、このニュース引用。

Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070316-00000115-yom-bus_all

日本食レストラン認証、「正しい日本食」の基準設けず
3月17日3時8分配信 読売新聞


 農林水産省は16日、2007年度から始める予定だった海外の日本食レストランへの認証制度について、「正しい日本食」を判断する統一の基準を設けない方針を決めた。

 政府が「お墨付き」を与える形もやめて、判断を民間組織に委ねる。国内外の反発を受け、当初の構想から大幅に後退した格好だ。

 農水省から委託された有識者会議がこの日、基本方針をまとめた。「日本食の定義付けは難しい」(座長の小倉和夫・国際交流基金理事長)ため、食材や調理方法など、各国・地域の実情に応じて総合的に判断する。評価にあたる民間組織は現地の料理研究家などで構成する方針だ。

 農水省は、日本食とかけ離れた「日本食レストラン」が海外で増えているとして、正しいメニューを出す料理店への認証制度を計画していた。しかし、「現地の好みに適応した日本食もある」「政府の判断を押しつけるべきではない」などと反発が相次いでいた。

最終更新:3月17日3時8分

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飲み人の会の登録

きのう〔飲み人の会〕のメーリングリストをつくって、くたびれはて、意地酒を飲んだ。さらに登録作業をつづけなくてはならないのだけど、そのまえに、どうしたらなるべくメンドウをせずにできるかを考えた。

なにもしなければモンダイはおきない、一人で酒を飲んでいるのがイチバンよいはずだ。人間は一人のほうがよい、という歌もあったなあ。どうしておれは、このように骨の折れるメンドウなことを、しかも実利になるわけでもなく、へたをすると一緒に酒飲んで仲良くなった結果嫌われ不仲になるキッカケを拡大するだけかもしれないのに、やるのだろうか。

……考えたが、わからん。とにかく、こうなってしまったのだ。こういうときは「お人よしのサガだね~」とおもってやるしかない。が、まてよ、どうせやるなら、なるべく登録作業をラクにできないか、よく調べたら、やっぱり自動処理の方法があるのだ。

まず、この〔飲み人の会〕のグループのページに入ってください。

■この自動処理は、うまくいかないことがあり、めんどなのでやめました■参加ご希望のかたは、2007/03/20「飲み人の会に登録ご希望のかた」をご覧になってください。(07年3月20日)


当面の参加の条件を、もう一度整理します。
①過去の2回の飲み会に参加された方。
②これまでおれと1回でも飲んだことがあるひと。(どこかの飲み会のときでもよいです)
③ ①か②ようするにおれの知人の情報や紹介で当ブログやザ大衆食をご覧になっているかた。
④お会いしたことはないが、すでに個人的にメールの交換がある方。
⑤当ブログやザ大衆食のサイトをリンクしていただいている方。当ブログで話題にさせていただいたブログやサイトの方。
⑥コメントの「常連」さん。

とりあえず、こういうことにします。⑥のコメントの「常連」さんといっても、ご本人は判断しにくいでしょうから、この方だけは、おれのほうで手続きさせてもらいます。

本名で申し込んでください。上記のどれに該当するか、簡単な情報も、お願いします。

上記にあてはまらないが、どうしてもという方は、その理由など書いて、申し込んでください。職業も書いてください。このブログやザ大衆食の趣旨や主張をよくご理解いただいていることが条件です。趣味道楽の方は、難しいとおもってください。ま、偏屈ものということですね。そうそう、さいたま市に住んでいるか勤めの方は優先されます。

3月も含め奇数月の大宮いづみやでの飲み会、偶数月の都内での飲み会の日時は、このメーリングリストで告知されます。

以上、よろしくお願い致します。
ああ、やれやれ。とりあえず、酒を飲むとするか。

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2007/03/16

「意地酒」は悪いジョーダンだったか

2007/03/14「飲み会の件 とりあえず」に

では、「意地酒」「意地飲み」の意味を、「広辞苑」風に解説すると、どうなるでしょうか。
あるいは「新明解国語辞典」風に解説すると、どうなるでしょうか。
その回答を、メールでください。
正しいかたには、酒をおごらせてあげます。

と、書いた。
ほんとうに申し訳ないのだが、これは、もちろんジューダンで、だから「正しいかたには、酒をおごらせてあげます」と書いたのだけど、ていねいに調べてメールをくださった方がいた。

ほんとうに申し訳ない。すみません。今週は、もうひとを怒らせ続けているので、ひらあやまりにあやまります。

また怒らせてしまうかもしれないけど、そんなことで怒らないでよ、とはいえないし……。これはほんのアソビで書いたことで、広辞苑などには、もちろん載っているのです。

ま、アソビのマジメとしては、新明解のほうは見たことがないので、その「ユニーク」といわれる解説では、どうなるか興味はあって、誰か新明解流におもしろい解釈をしてくれるかなとはおもったけど、でも、ようするに「正しいかたには、酒をおごらせてあげます」と書いたように、これはアソビなのです。どうも、ほんとうに、すみません。

おれは性悪な人間なので、こういうひとをからかうような悪いジョーダンをときどきやる。ま、一つの狂言というか。やって謝っていたら、ジョーダンのおもしろさがなくなるのだけど、ていねいに調べられマジメにこたえられると、謝るしかない。どうか怒らないでください。ほかの方も、あまりマジメに受け取らないように。

ああ、しかし気をつかう。
どうか、おれは悪い人間とおもって、つきあってください。どうせ「よい人」といわれたところで、ひとそれぞれ自分にとって都合がよいあいだは「よい人」で、ちょっと嫌なことがあれば、すぐコロッと「わるい人」に評価が変わってしまうのだから。

だからね、そうポキポキいかないように、悪いジョーダンになれておくのも、あとで冷静になってから嫌なことを悪いジョーダンとしてサラリ受け流す、楽しい人生のためには、よいのではないか。ってことなんですよ。なーんて、イタズラを自己弁護して、これじゃ、謝っていることにならないか。

ホント、すみませんでした。冷や汗。

「意地酒」「意地飲み」の意味を、「広辞苑」風に解説すると、どうなるでしょうか。
あるいは「新明解国語辞典」風に解説すると、どうなるでしょうか。
その回答を、メールでください。
正しいかたには、酒をおごらせてあげます。

どうか、よろしくお願い致します。よい回答を待っています。……って、まだ懲りない。

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大衆食 飲み人の会 発足

ふう、やっとメーリングリストをつくった。名前は「大衆食 飲み人の会」。ヤフーのメーリングリストのサービスを利用したのだけど、そこには、このようにグループの説明をした。

■グループの説明
「ザ大衆食」のサイトを主宰するエンテツの楽しく飲む人たちの会。よい店よい酒よい料理にこだわることなく、楽しく飲む人間をみがく。なんてね。

2007/03/14「飲み会の件 とりあえず」に告知したように、誰でも参加できるわけじゃない。おれはキビシイのだ。って。①これまで参加された方 ②これまでおれと飲んだことがあるひと ③すでに個人的にメールの交換があって参加希望のかた ③コメントの「常連」さん、という基準で登録しようとしたら、これがなかなか大変な作業。

そもそもは自分がメールアドレスを整理してないのがいけないのだが、17名まで登録したところでクタビレはてた。今日は、もうやめた。

ってことで、もしあなたのところに招待が届いていない、とくに②に該当するかた、アレッ自分はトウゼン会員じゃないの忘れているんじゃないのという方、上記に該当する東京圏外のかたで飲み会には参加できなくてもメーリングリストには参加したいという方、めんどうでもメールをください。できたら、ニフティのメアドのほうへ。そうすると、作業はすすめやすく、おれはたすかる。

そうですね、そのうち、ここには公開できないことを書いていくかもしれない。ワタクシが愛した女たち、ワタクシが捨てたバカなオンナたち、ワタクシを捨てたバカなオンナたち、ワタクシのホモだちについて、出版業界最低人間物語、出版業界の悪い紳士たち、便所でめしをたべる……うふふふ、いくらでもあるなあ。なんてウソですよ、みなさんの悪口は書きません。お店の情報などは、先日も書いたように、詳しい公開はしにくいので、メーリングリストを使おうかなとおもっている。などなど。

ふう、疲れた。意地酒が飲みたい。

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だんだん居場所がすくなくなる

ああ、金曜日か。今週はへんな週だった。そもそも日曜日の2007/03/11「予定がくるい、1962年の二幸を思い出す」に「きょうは午後でかける予定をしていたのだが、おれが日にちをカンチガイしたのか、相手におまえが間違っているといわれると、ハイそうですかとスグひいてしまう素直なおれ。でも、手帳のカレンダーをみると、たしかにきょうなのだよな。ま、相手は男だから、どうでもよいか」と書いた。このあたりがケチのつきはじめだったか。

相談があるから会いたい会おうというから、予定をくむ。ま、おれだってヒマそうな顔をしているが、そんなにヒマなわけじゃない。でも、一度のがすとまたいつになるかわからないだろうとおもって、相手からいわれたら、なるべくそうするようにする。

この日は、時間と場所は、当日の日曜日に電話をもらって決めることになっていたので、待っていたがなかなか電話が来ない。こちらから電話をすると今日じゃない、おまえのカンチガイだろう、だ。この野郎はだいたい、いつだって自分が間違っていた悪いと認めたことがない強引な男で、それでチョイとした会社の社長にまでなったのだが。ところが、そして続いて、月曜日の午後に会う約束だったやつまで……。

ま、すぎたことだ、もうどうでもいいのだ。しかし、おれはどうも約束を反故にされやすい人間なのかもしれない。やさしそうだし、フリーだから小さな権力一つ持っているわけじゃない。よく約束は破られる。約束は破るためにある、という外交のヒケツもあるらしいから、破るほうからしたら、めずらしいことではないのかもしれない。

おまえの日にちのカンチガイだ間違っているといわれると、自分はたしかにすぐにカレンダーに書き込んでいるから、そんなはずはないとおもっても、そんなところで我をはってもしようがないとおもって、素直にはいそうですかと引き下がる。

でも、いつも黙ってひきさがるとはかぎらない、ときには酔っていてアタマにきて、からんだりする。すると相手がこんどは逆切れして、もう会わない、ナーンテいうのだ。気がつくとこっちが悪者だ。ま、からむのは悪いし、からみ方がわるかったかもしれないから、べつにいいけどね。そうやって貧乏クジひくのって、おれの人生なのだ。それもいいだろう。

きのうは、某大衆食堂で意地酒をやり、ちょっとキツイ酒を飲みたかったから、ビールとポン酒に、それから電気ブラン飲んだら、やっぱり電気ブランがきいた。こいつは効くねえ。酒はおれを裏切らない。キツイ酔いだったが、寝起きは悪くない。だけど、この大衆食堂は4月で閉店だそうだ。10年間かよってきたが。

親しかったものが、あるいは去り、あるいは離れてゆく。恋人よ、そのままいてくれ、われにかえれ、好きなんだよ大衆食堂、好きなんだよくそやろう、といっても去るものは去り、離れるものは離れていく。だんだんおれの居場所はすくなくなる。それもいいだろう。「ためいき」

自分の運命を従容と受け入れ、酒に洗われた澄んだこころで朝をむかえたのだった。ああ、おれって、どうしてこんなに素直なこころでいられるのだろう。うふふふふふ。

今週は「ためいき」週間でした。

今日中に、メーリングリストの用意をするつもりだ。

ティコティコさんがコメントで参加したい旨書かれているけど、よく読んでいただければわかると思うのですが、ティコティコさんはしばらくまだ参加できません、そういう方がほかにもおられるとおもいます。悪しからず。それに、この「会」は、こんどはあそこへ飲みに行きましょう、ここに飲みに行きましょう、とかやる「食べ飲みツアー」が目的じゃありません。むしろそういう傾向に対抗するものであることぐらい、このブログやザ大衆食をよくごらんいただけば、おわかりいただけるはずです。

なにごとも、よく理解しながら、ゆっくりでいいのですよ、ゆっくりやりましょう。

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2007/03/15

負の味覚

藤沢周平さんの初期の作品集に『又蔵の火』がある。おれが持っているのは文春文庫版だ。作者があとがきに、こう書いている。「全体としてみれば、どの作品にも否定し切れない暗さがあって、一種の基調となって底を流れている」「これは私の中に、書くことでしか表現できない暗い情念があって、作品は形こそ違え、いずれもその暗い情念が生み落としたものだからであろう」「読む人に勇気や生きる知恵をあたえたり、快活で明るい世界をひらいてみせる小説が正のロマンだとすれば、ここに集めた小説は負のロマンというしかない」

「話の主人公たちは、いずれも暗い宿命のようなものに背中を押され生き、あるいは死ぬ」そして、そういう彼らも、めしをたべる。しかし、そのめしをたべる場面も、明るくはない。「恐喝」に、こんな描写がある。引用……

「せっかくいい手職があったのに……」
 おたかの口調は愚痴っぽくなった。
「性根を入れ替えないと、いまに後戻りが利かなくなるよ」
「よけいなお世話だ」
 おかわりの汁椀をつき出しながら、竹二郎は言った。
「そうかい、そうかい」
 おたかは汁椀を引ったくると、卓袱台越しに竹二郎を睨んだ。
「そんなら勝手にするんだね。そのかわりおまえ、ひとの言うことが聞けないんなら、脚が痛いの、尻が痛いのと駆け込んでくるのもやめておくれ」
 おたかは手荒く椀を置いた。温めなおして塩辛いだけの汁が、卓袱台にこぼれた。

……引用おわり。
博打で身を持ち崩した竹二郎はケガをし、幼いころ親が死んで育ての親である伯父夫婦の家に転がり込む。そこには出戻りのおたかがいた。おたかと竹二郎は、「愛し合う」というには、あまりに一瞬で、はかなくおわるのだが。

ここで、アレッ、この江戸期に長屋の貧乏人が卓袱台ってことはないだろう、オカシイ。と、突っかかってはいけない。なんだか、卓袱台が似合ってしまう。

とにかく、この場面では即座に、「砂を噛むような味」が思い浮かぶ。これはもう「負の味覚」の代表的な表現ではないだろうか。

おれが10歳のころ離婚した両親は、よく夫婦喧嘩をして、ま、だから離婚したときは、子供ごころに、ああヤッパリねとおもい、さほどショックではなかったが。それぐらい、しょっちゅう喧嘩をしていた。新潟日報に連載の「43、田舎しるこ(03年1月6日)」にも書いたように、もう元旦早々からだったし、めしの最中でも喧嘩を始めることがあって、あれにはまいった。ただ、そのころの砂を噛むような記憶はない。ガキだったからか?

だけど、たしかにそのゴワゴワジャリジャリした感触を口の中に思い出せるのは、いつかその体験をしているのだ。あまりにも、貧乏、喧嘩、死に別れ、生き別れ、砂を噛むような場面が多すぎて、いつのことだったかわからない。

いつごろから日本人が、それを美徳とするようになったかしらないが、「白か黒か」をハッキリさせることを「正しい模範」とする傾向があるようにおもう。そのばあい「白=正」「黒=負」であり、黒は白によって容赦なく切り捨てられる対象だ。藤沢周平さんを「この頑固な暗さのために、私はある時期、賞には縁がないものと締めたことがある」といわしめたものでもある。正確にいえば、「白100%」が唯一正しいのであり、少々の黒がまじってもはねられる。

「1」か「0」の「デジタル思考」にもつながる。日本人のばあい、「デジタル社会」になってから、そういう美徳が支配的になったのではないようだ。近年よくいわれる「人間関係の希薄化」の根には、工業化や情報化の以前に、「白100%」が唯一正しいものとして、「白か黒か」をはっきりさせることを美徳とする、これはなんというのか思想というのか文化というのか、そういうものがあるようだ。

しかし現実は、圧倒的に黒まじりの「グレーゾーン」なのだ。そこで、もう一つ必要になる美徳が、その割り切れない現実を「白か黒か」で乗り切る「強さ」や「勝気」だ。

おなじ人間だからとあゆみよったりする余地はなく、いかなる失態も反省も「黒」と判定され許されない。そのような「厳しさ」「潔癖」が尊ばれる。そのように実行力のある「強さ」「勝気」も尊ばれる。おれの母親は鋭すぎるほど、そういう人間だった。

逆には、謝ったり、許したり、あゆみよったりがなかなかできない。そのように人間関係をつむぐことも、なかなか難しい。めしをくっている最中だって、「白=正」は「黒=負」を許さない。喧嘩しちゃうのだ。ま、それも顔をあわせているからだろうが。

こんにち的デジタル社会では、人間関係の行き違いや白黒は、もっと簡単に処理される。たとえば「もう逢いません」と、メールでおわりにすることもできる。それでもひきさがらずに、しつこくつきまとう「ストーカー」もいるかもしれないが。おれのように良識ある人間なら、そういうことはないだろう。ポキッと枝が折れる。

二人で食事しながら、わかれ話をし喧嘩をし、砂を噛むような味を覚える必要もないかわりに、ポキポキ枝を折るようにアッというデジタルな速度で人間関係はおわってしまう。そして、こころに残ったポキポキ折れた枝をみつめながら、一人で砂を噛みしめる。のかもしれない。それはそれで、また切ないことだろう。

……と書くと、おれは二人で飲食しながら、わかれ話をし喧嘩をし砂を噛むような味を覚えたにちがいないとおもわれるかもしれないが、そういう記憶もないのだ。うーむ、とりあえず、いつどこでそれを覚えたか思い出せない。

忘れないうちに。いつか書くが、大衆食堂というのは、「グレーゾーン」にある。そもそも「白100%」が唯一正しいという見方からすれば、ここはもうグレーゾーンのなにものでもない。しかし、なかでも、とりわけグレーゾーンの大衆食堂というのがある。そこでは、「白=正」と「黒=負」の両方をみわたせることがある。そして、ときどき、一人じっと砂を噛むような顔で食事をしている男もいないことはない。「人肌のぬくもり」をかんじる大衆食堂とは、そういうところであるようにおもう。屈託のないものが近寄るところではない。

折れた枝はもとにもどらないが、人間のアタマは枝のようにかたくはないのだから、もどることができる。はずなのだが、どうだろうか。おれなんか、すぐ謝ったり、許しちゃったり、あゆみよったりするのだが、そういうことだと、「キッパリ白黒派」からは、イイカゲンな人間とみなされる。しかも「キッパリ白黒派」は自分の非は寸分とも認めようとはしない、ひたすら「勝気」をとおそうとする。「ためいき」……と、ここまで書いて思い出したが、以前におなじような話を書いているような気がするぞ。ま、いいか。

ザ大衆食「大衆食堂の楽しみ方」を読んでない方は、ごらんください。……クリック地獄

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2007/03/14

飲み会の件 とりあえず

きのうは、17時ごろから外でビールと燗酒飲んでフラフラデレデレ帰り。ブログを書きながらも書いてからも、さらにワインと焼酎を飲み、まだまだ飲んだぞ飲んだぞ。けっこう酔った。そしてきょう酔いが残るシラフで見れば、アブナイ言わずもがなのことを書いている。だははは、、、懲りないねえ。

こうしてますます嫌われるのだが、おれは嫌われ道の大先生・塩山芳明さんのように「嫌われ者の記」なんてやるつもりはないし、嫌われて生きるより愛されて生きたい。愛してちょうだいよ~。でも嫌われるぐらいのクセがなくてはな、ともおもう。

誰からも好かれる「紳士淑女」なんてロクなやつじゃない。それに、おれを嫌いになった正しい「紳士淑女」のみなさんは、このブログは見ていないだろう。

なーんて、また酔っているのかよ。さらに今朝からまだまだ飲み、うーむ、ただいまエビを茹でてキムチとあえて、これをツマミにまた飲んで、意地になって飲んでいるかんじだ。「意地酒」「意地飲み」ということば、あるだろうか。なかったら、あなたの辞書に加えてほしい。

では、「意地酒」「意地飲み」の意味を、「広辞苑」風に解説すると、どうなるでしょうか。
あるいは「新明解国語辞典」風に解説すると、どうなるでしょうか。
その回答を、メールでください。
正しいかたには、酒をおごらせてあげます。

今回の本題は、そのことじゃない。おれを嫌うひともいれば、まだおれの怖いコワイこわいよ~の実態をしらないで、一緒に飲みたいというひともいる。

1月大宮いづみやでやり、2月池袋某所でやった飲み、3月は大宮いづみやでやりますと、このブログで書いた。そしたら、参加したい、いつかという問い合わせが殺到、ってことはない、チラホラ。そういえば、もう3月も半ばだ。

でもね、まだ決めてない。前回は土曜だったか日曜だったか、だからこんどは平日にやろうとおもっている。

そして、前回の池袋のとき、ここに場所と日時を告知するのをやめたのだが、これからもそうしたい。ではどうするかというと、メーリングリストをつくるつもりなのだ。ま、たとえば「大衆食 飲み人(のみびと)の会」というようなメーリングリストをつくり、これに参加していただき、そこで告知するという仕組だね。どうですか「のみびとの会」って、わりと気に入っている。

おれもあまり気にせずに、ここに書いてきたが、とくにブログが普及してから気安く、飲んだ場所の画像、とくに店内の様子などがよくわかる写真をバシャバシャ撮ってブログに掲載したり、ここで飲んだ、飲みましょうとか書くのがある。これね、載せてる本人は事情通ぶってイイ気持かもしれないが、悪事に利用される可能性が大きくなっている。

もともと飲食店は、さまざまな詐欺(食い逃げもその一つだが)や盗みの舞台になりやすい。不特定多数が出入りできる、街頭とおなじなのですよ。それでいて視覚的にはクローズの場所である。

このあいだもある飲み屋、比較的よく雑誌やブログに登場し、このブログにも載せた飲食店だが、たて続けにジケンがあった。おれはまあ、あまり写真は撮らないほうだけど、ホラその気のワルになって見てみましょう。もう下見がいらないほど、なかの様子がわかる画像や情報がたくさんある。それから、ほかにも、ま、なんでしょうかね、あまり具体的に書くと、それをまたヒントにするやつとか、都会にはイロイロな人間がいる。

それから、とくにおれなんか嫌われ者だから、コノヤロウってやつらがいるらしい。ま、たしかに気に障るか。あまりおれを警戒しすぎて、すぐに怖くて嫌いなんてことになられても困っちゃうのだが、そうおもわれたら自分のいたらなさとおもうよりしかたがない。でも、そんなに嫌わないでよ。

いちおうブログというのは公開された、その意味では公共的なメディアなのだな。それなりに考えなくてはならない責任が、それなりにあるとおもう。と、おれだって、「良識」はあるのだ。ときどきはずれはしても。

それで、ま、ついでに、ここにはあまり書けないことも書くメーリングリストをつくろうかと。そこまでは、考えているが、そのまま「意地酒」を飲んで日々すぎている。

とりあえず、そういうことで、メーリングリストをつくる方向でやりたい。これまで参加された方や、問い合わせをいただいているかたは、自動的に登録させてもらおうかとおもっている。それからコメントの「常連」さんとかも。そのように考えながら、「意地酒」を飲む、きょうの昼下がりなのだ。ああ、どうなるのだろうか。

はっきりしたら、ここに告知します。

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2007/03/13

包みめし「その料理ドルマ」紳士をあざわらう

きょうは5時ごろから呑んで、酔った。酔っているぞ。あ、いま約10時か、22時ね。

メールをあけたら、先日の池袋呑みに参加のオッタチドウフさんからメールがあって、そのとき話題になった阿佐ヶ谷の食堂の画像が添付であった。その最後に「追伸:ギリシャの料理は「ドルマ」とかいったような気がします」とある。

さきほどの「ためいき小説『夢果つる街』と米(コメ)」をご覧になってから、メールをいただいたものらしい。ありがとうございます。

そのブドウの葉に米などを包んだ料理は、「ドルマ」と呼ぶようだ。さっそくグーグルで検索したらあった。あてにならないウィキペディアにもあった。……クリック地獄

なるほど、そのようだ。ほかをみたら、ブドウの葉の塩漬は輸入品を、ネット通販でも買える。この葉に包んだめし料理も、いろいろあるようだ。ようするに、さきほども書いたように、わりとアチコチにある原初的な土俗的な米料理なのだろう。

なので、「汁かけめし」というのがあるから、これらを「包みめし」と呼んだらどうかとおもった。日本や中国のチマキなどもそうだし、ザ大衆食のサイトに紹介した「つつっこ」もそうだ。まだまだいろいろあるのだ。これらは、おそらく文明的な料理器具がじゅうぶんではなかった、「料理の起源」に近いころの姿を色濃く残しているようにおもう。

ところで話はかわる。タイトルに「その料理ドルマ」と書いた。ギリシャ料理にちなみ、ギリシャの作家カザンザキスによる『その男ゾルバ』をまねた。むかしのひとなら知っているだろう、アンソニー・クイーンがゾルバを演じる映画をみた、原作を読んだ。

ゾルバの野性、自由に飲食や歌や踊りや女と楽しむ、イギリス的紳士を模範にした「文明」からみれば「野蛮」にすぎない。荒っぽいがあたたくやさしい、その輝き、そしてインテリ紳士のインチキさは、原作のほうが強烈だった。

ま、そういう読み方をするおれは、「紳士」というものが虫唾がはしるほど嫌いなのだ。まったく「紳士」のみなさんには、お世話になりながら、ずいぶん嫌なおもいや勉強をさせてもらった。

さきほどの『夢果つる街』では、主人公ラポワント警部補も荒っぽくあたたかくやさしい男だが、とくに荒っぽさが、上司の「紳士」からすれば自分の地位つまり「平和と安全」をおびやかす、怖い存在だ。

「紳士」とは、「紳士」であることによって出世し、なにがしかの「小権力」や「権力」を手にしている。おもてむきは、あたたかさとかやさしさや、だれとでも親しい友達を「演出」する能力などをそなえ、たくみに自分の「小権力」や「権力」を利用する。

たいがいの「紳士」に仕事をいただく立場のひとは(「紳士」は、そういうばあいでも、発注受注や上下の関係ではなく、おなじ「仕事仲間」をおもわせる演出能力をそなえているのだが)、「紳士」ぶりにアンシンし、身を捧げるように仕事をし、あるいは本当に身をささげる。

そのへんは『夢果つる街』でも、皮肉タップリに書かれている。ラポワントは、そういう上司にむかって、「くたばっちまえ(ファックユー)」とやる。が、しかし現実は、「紳士」やそれとつるんでいるやつらに仕事は占有されていく。ラポワントも、「紳士」に、クビをいいわたされるのだ。

いや、また、酔って、あやしい雲行きになってきた。このあいだ、酔っ払って、「紳士」に過剰に反応し、チトやりすぎたようだ。怖がられ嫌われたばかりだ。そうやって、このトシになっても生きる世間を狭くしている。

おれの「紳士」嫌いは筋金入りだ。おれが小さいころ、オヤジは、「紳士」たちにヒドイめにあった。それまでオヤジは40歳ぐらいだったとおもうが、酒もタバコもやらないマジメな男だった。そういうマジメも、「紳士」にうまくやられるもとだったかもしれない。

それはもう、ゾッとするようなデキゴトで、おれがおとなになって考えてもオヤジは、よく耐えたとおもう。よくそこを乗り越えて生きたとおもう。おれならタダじゃおかないよ。と、ま、いまさらそんなこといってもはじまらないが、「紳士」は虫唾がはしるほど嫌いなのだ。「紳士」ということばをきいただけで、肉体の奥深いところから黒いドロロンが噴出するのだ。そして、けっきょく、そんなことをいつまでもひきずって生きていると、「紳士」やそれとつるむ連中に、はじかれていくしかないのだろう。「ためいき」

「紳士淑女」のみなさん、すみません、こんなワタクシを、ひろいこころでお許しください。ヨッパライのタワゴトです。けつ喰らえ、「紳士」野郎。

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ためいき小説『夢果つる街』と米(コメ)

きのうの関連。「ためいき」といえば、トレヴェニアンの『夢果つる街』(北村太郎訳、角川文庫)だろう。こころががらんどうになる虚しさ、存在のあやうさ。好きでたまらん小説だ。

訳者はあとがきに書く。この小説の主人公はラポワント警部補だが、「それにしてもラポワント警部補は、なんとしばしば、ため息をつくことだろう!なにかというと息を吐いて大きく胸を上下させるのだ。彼のため息は複雑である。あきらめの、悲しみの、怒りの、そしてむろん策略のためのため息でもある。ラポワントの人間観、人生観は、おびただしいため息で象徴されているかのようだ。ザ・メインの表も裏も知り尽くしている彼は、移住民の多いこの小地区を心から愛しているが、それも、ため息をつきながらなのだ。」

ザ・メインとは、カナダのモントリオール市の、移住民がおおい猥雑な地区だ。出世するには英語と、偽善に満ちた市民文化の模範イギリス流紳士のマナーを身につけなくてはならない。主に話に登場するのは、そういう出世とは無縁な人たち(フランス系で出世する気のないラポワント警部補もその一人)と、かれらが生きる街だ。それが、殺人事件の捜査という過程で、仔細に描かれる。

「ためいき小説」といえるだろう。そして別のいいかたをすれば「不条理小説」ともいえる。

「ためいき」が出るほど、この世は不条理にみちているのだ。「ためいき」が出るような不条理を呼吸しながら、力強く生きなくてはならない。ところが、紳士淑女な「中流」を呼吸したいひとたちは、ほんのちょっとした不条理も恐れ逃れ、はたまた官憲の手をかり取り締まり、「街の」平和と安全をタテマエに「自分の」平和と安全を守ろうとする。そのために、ほかの人を傷つけることは屁ともおもわない。街も「今風」に改造される。

警察は、そういう市民様によい顔をしなくてはならないのだが、そのために条理をもってする。それが「市民社会」というものだ。しかし、不条理は条理に支配されることによって、ますます不条理を深める。こうしてザ・メインの街を愛しているラポワント警部補の「ためいき」は、ますます深くなる。

不条理といえば、男と女。男と女のことが「結婚」という条理で説明がつくのは、ほんのわずかだ。愛し合うにしても、わかれるにしても、条理などない。大部分は不条理であり「ためいき」なのだねえ。わかれても逢いたくなり、逢うとわかれたくなるようなことがおきたり。ややこしい。ま、そういう不条理がめんどうで、恋愛だの結婚を「めんどう」がるひともいるし、おれのように60数歳でたった三回の結婚と、不条理をいとわないものもいる。この小説でも、さまざまな男と女のカタチが、そのほとんどは不条理なままに描かれる。

殺人事件が解決しようという最終段階で、この街の、この世の不条理を象徴するような女が登場する。ザ・メインの最底辺で生まれ育ち、そこから抜け出した、有能と美貌をそなえる女。そしてその女がじつは……。いや、女が犯人なのではない、だからこそ「ためいき」は深く深く、第4楽章フィナーレへむかう。

全編をただよう、モノトーンのニヒルな味わいは最高だが、この小説に、米のことが二回だけだったとおもうが、登場する。ほんのチラッとだけ。しかし日本人であるおれが読むと気になるのだな。

一回は、米は、ザ・メインの最下層を説明するために登場する。最下層の、なかでも貧乏人が、米を常食のようにたべるのだ。ザ・メインに日本人はいない。「人種」のことではなく、「階級」の話だ。これは意外だったが、需給の関係でいえば、米などふりむきもしないひとたちがフツウの地域のことだからうなずける。とにかく、「階級差」という不条理を説明するための米なのだ。

それからもう一回は、これはギリシャ料理だ。ギリシャ系移民とギリシャ料理レストランが比較的おおく登場する。そこに「米とラムをブドウの葉で包んだ料理」というのがある。料理の名前は出てない。おれのしらない料理。

文章のかんじでは、包んだブドウの葉ごとたべるものらしいから、米とラムをブドウの葉で包んで蒸すか煮るかしたものではないかとおもわれる。

日本にも、ブドウの葉ではないが、穀類などを葉に包んで蒸したり煮たりする料理があるし、他の国々にもある。こういう料理法はどうやら、米や穀類のたべかたとしては原初的かつ普遍的なものであるようだ。

とにかく、ここでは、この料理自体は直接不条理を説明するものではない。ただ、これをたべる娘が、不条理のカタマリのような存在で、もうほんとうに救いも慰めもないかんじなのだ。その娘が、これを「おいしそうに食べた」。きのうの話でいえば、「感心」な「ためいき」がきこえてくる。こういう場面は少ないが、この娘がたべるところはほかにもあって、「感心」な「ためいき」がきこえてきそうなのだ。

その食べる「彼女の屈託のない表情を見ているのは楽しかった。この子はまだ仮面をつけてはいない。うまくうそはつけるが、まあそらとぼけたりはできない。人を口車には乗せても、まだ二心ある行動をとる力はない。粗野で悪趣味だが、すれきってはいない。この子はまだ若く、傷つきやすいのだ。一方、おれは、年寄りで……タフだ。」と、またもや、ここでラポワントの「ためいき」がきこえる。娘は20歳そこそこ、ラポワントは53歳。ベッドで愛し合う関係だが、娘はわかれるように出て行き、そしてまたもどったりする。はかない不確かな関係だ。

こころは空っぽ。でも、か、だから、か、胃袋には酒とめしが必要だ。でも、ヤケぐいヤケ酒は、いけませんよ。不条理を空気のように呼吸し、めしをくい酒を飲むのだ。

こころのままに。我をはることはない。嫌われたならしようがない。空っぽは空っぽのままに「ためいき」をつきながら。

事件は底なしの虚無をみせて解決し、最後の最後に、ラポワントはおもう。「いや、何も望まず、何も求めないほうがいい」  とはいえ、めしはくわなくてはならない。

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2007/03/12

「ためいき体」は、なんとかなるか

ちかごろ、自分がどんなふうに書きたいかというのが、少し見えてきて、それを「ためいき体」の文章と呼んで、ま、ワタクシの場合は、「ヨッパライためいき体」ですが、勝手にアレコレ楽しんでいるわけです。これが、どうも、自分のちかごろの気分にあっているようです。

……テナことを、このあいだ某掲示板に書いたのだが、去年の秋ごろから、これまでの自分の書き方は飽きたので、チト違うふうに書いてみようと、ときどきアレコレ試みてきた。それまでは、どちらかというと「猥雑体」「モロ性悪体」あるいは「暴走体」というかんじだったが、根が清らかで善良なおれは、うふっ、やはり無理があって飽きてしまうのですね。

これは「文体」といった、めんどうな話ではない。もともと文章のオベンキョウなどはしたことないし、「上手な」文章など書く気はないのだが、書くことは、そんなに嫌いじゃないようだ。もう酔ってなら、一晩中でもキーを打っていられる。しかし嫌いじゃないが惰性でおなじふうにすごすのもオモシロクナイ。どうせやるならイロイロやってみたい。ま、そのていどのことなのだ。

それに実際、ヨッパライをやって、ためいきをつきたくなることがけっこうある。とかとかで、とにかく想像力をぶわーーーーと広げて書くにしても、なんかどこかに「ためいき」。まいどそのように書くわけじゃないが、なるべくそんなイメージをもちながら書くようにした。

2007/02/08そして切ない「愛情料理」

2007/02/10金目鯛の頭をねぶる

などは、ホンノ2,3人のかたから好評いただいたようだが、イロイロやってみても、なかなかうまくいくものではない。イロイロやってみるよりしかたない。

それで気がついたのだが、「ためいき」というと、「やれやれ嘆かわしい」といったフンイキが濃厚だけど、じつは「ためいき」が出るほど「すばらしい」とか「すごい」ということもあるはずなのだ。「ためいき」が出るほど「うまい!」とかも。

広辞苑にも、「失望・心配または感心したときなどに長くつく息」とあって、ちゃんと「感心」がある。ところが現実は、「感心」なためいきをつく場面というのは、とくに日常生活のなかでは、なかなかない。というか感じられない。なにか特別なことでもないと、感心なためいきが少ないようだ。

そんな中でも、一日のシゴトなどを終え、生ビールをグビグビッとやったときとか、あったかいみそ汁であったかいめしをたべたときなどは、ためいきが出るような満足感にみたされることがあるような気がする。ただ、アンガイ、日常のことには感覚がなれっこになっているから、反応がにぶく印象に残りにくいようだ。

そんなことを考えながら、「感心」なためいきのためには、もっと日常のなかに意識的にそれを発見するようにしなくてはな、とおもうのだった。

そのように、ちょっと文章のフンイキみたいなのを変えてみようかとおもったことから、忘れていた失われていた何かに気がつくことがあるようだ。カメラの絞りやシャッター速度の調整で、おなじ景色もちがって見える写真と同様なことだろうか。

それにしても、また最近もやってしまったが、酔っ払ってのためいきをつくような失敗は減らない。これはトシくって酔いがひどくなるほど、ためいきモンダイもふえる比例の関係があるようだ。それは「ためいき」をこえて、単に「懲りないヤツ」ということなのだな。ああ、自分のドジに、ためいき。

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2007/03/11

自炊をしよう。自炊を考えよう。

さきほどの1962年春の思い出は、上京して一人で「新生活」を始めたころのことだ。それは、フツウは、誰もめしをつくってくれるひとがいなくなる生活の始まりを意味する。新しい一人の家庭、おおくは賃貸の部屋を「マイホーム」に、それは始まる。

「新生活」とは、誰もめしをつくってくれるひとが家庭にいない生活の始まりを意味するのだ。いま、そういう人たちが新しく生まれる春。さきほど「平民新聞」をみたら、この季節らしい、平民さんらしい、このような書き出しの記事があった。

2007-03-06
「四月から一人暮らしをする予定の、或いは今月から一人暮らしをし始めた、そんな皆さんこんにちわ。ここは新生活応援自炊ブログなのでこれから新しい部屋に住んでさて、毎日どーして暮らそー何食って暮らそーとか思ってる人たちは全員、このような素晴らしい新生活応援自炊ブログを書いているこのぼくについてくればいいと思いますー。」


「ザ大衆食つまみぐい」を「自炊」で検索したら、下記の記事がみつかった。2006/07/14「暑い夏は辛い赤味噌がいい」では、「しかし、きのうの話の続きだが、自炊と外食、いったいどっちがカネがかかるんだ。目黒のオヤジは「外食したほうが絶対に安い」と言っているぞ、外食はカネのあるやつがするのと違うのか。」と書き、そこで自炊する平民さんを紹介している。

それに対して、平民さんには、「■ザ大衆食つまみぐい(2006/07/14)で投げかけられていたテーマ【自炊と外食、いったいどっちがカネがかかるんだ】。これに関しては言うまでもなく、自炊する方が圧倒的に安上がりである」と書いていただき、そのままにしてしまった。

おれの「自炊派」「自炊をしよう」という主張は、なにがなんでも自炊が「正しい」というものではない。平民さんも、そのような主張をしているわけではない。自分の生活の基本に「自炊」をおきたいということ。

うーむ、おれの上京後の最初に自炊は、脱脂粉乳に湯をそそぎ砂糖をいれ、トーストにバターをぬって納豆をはさんでたべることだったかなあ。それでも自炊、料理の第一歩なのだ。

ま、とにかく、平民さんのぶんも含め、リンクをはった。
いちばん最後は、最近2007/03/07の「骨の折れる面白さ」だ。

このさい、「新生活者」以外のひとも、外食外飲グルメ気どりにうつつをぬかしているだけじゃなく、自炊を考えてみよう。くりかえすが「家庭」とは、一人でも「家庭」だ。であるから、「結婚とは」食からみれば、台所の共有と共同炊事と共食にほかならない。セックスレスでも、このモンダイは残る。もちろん、セックスの相手がいなくても、めしはくわなくてはならない。つくることも含め、「どうたべるか」は、人生生活最大の課題なのだ。


2005/05/29「家庭にあるべきコト」

2005/06/05「家庭にあるコト 続き」

2005/06/20「生活のレベルと食のレベル」

2006/03/18「貧乏には、どっちが得か?」

2006/07/05「食事は自宅で食べるもの、だった?」

2006/07/13「それでは「本の雑誌」お料理本ばんざい!」

2006/07/14「暑い夏は辛い赤味噌がいい」

平民さんのレスポンス…2006-07-18
■ザ大衆食つまみぐい(2006/07/14)で投げかけられていたテーマ【自炊と外食、いったいどっちがカネがかかるんだ】。これに関しては言うまでもなく、自炊する方が圧倒的に安上がりである

2007/03/07「骨の折れる面白さ」

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予定がくるい、1962年の二幸を思い出す

きょうは午後でかける予定をしていたのだが、おれが日にちをカンチガイしたのか、相手におまえが間違っているといわれると、ハイそうですかとスグひいてしまう素直なおれ。でも、手帳のカレンダーをみると、たしかにきょうなのだよな。ま、相手は男だから、どうでもよいか。

それでなんとなく、時間をもてあますヒマなどないはずなのだが、もてあます気分で、近くにあった森山大道さんの『新宿+』(月曜社、2006年)をパラパラ見ていたら、帯の表4側に、こんな文章があるのに気づいた。引用……

一九六一年、
初めて上京した日、
新宿駅東口ニ幸前の雑踏のさなか、
大きなボストンバッグを手に、
一人途方に暮れていた。
あれから四十五年、
人々の光彩が渦巻くこの街で、
いまもまだ一人途方に暮れている。

森山大道

……引用おわり。

一年後の六二年春に上京したおれは、まだ春の雰囲気のうちに、そのニ幸の前にいた。ニ幸は新宿東口のシンボルというのは大げさだろうし、おれが田舎の高校生だったころニキビづらでオンナと遊びに行った田舎都市の長岡のデパートより小さく、その看板文字といい、おなじぐらい洗練されていなかったが、それでも新宿東口といえばニ幸だった。

おれは途方に暮れてはいなかったとおもう。ただ腹がすいていた。そして、ニ幸の二階には食堂があった。もちろん入ったことがない。見たかんじでは高級感はないが、街角の食堂より高いかんじだ。それで、いくぶん入るのに迷っていた。しかし、こういうところでたべてみるのもいいのじゃないか、せっかく東京に来たんだもの、というぐらいの気分だったとおもう、二階へあがった。

何時ごろだったか忘れたが、広いフロアーはガランと空いていた。たべたのは、「中華ランチ」だっとおもう。当時は、あまり「定食」ということばは使われてなかった。「ランチ」が気どっていたのだ。

その中華ランチのうまかったこと。たしか、エビと豚肉の天ぷら少々、野菜のうま煮のようなもの少々、それにスープが記憶にある。スープが、街角の中華屋のチャーハンについているのとちがうのに、おどろいた。中華に天ぷらがあるのに、おどろいた。日本の天ぷらと少しちがう、これがうまかった。あとで、この天ぷらの味を思い出し、何度か行くことになった。しかし、やはり、チト高いのだ。当時のション横の〔つるかめ〕の天丼を二回ぐらいたべられそうな値段だったとおもう。そう何度も入れなかった。

いつしか、ニ幸でなくても、よくなった。中華についても、いろいろな店を知ったのだ。そのうち、ニ幸はアルタになっていた。アルタになったからといって、それほどニ幸に親しんでいたわけじゃなし、とくに思い出があるわけじゃなし、感傷はなかった。

こうして思い出してみると、初めて入った日、階段をあがって、どのへんの位置のテーブルにどちらを向いてすわったかは記憶にあることがわかった。もっとも、人間の記憶は、あてにならないものらしい。何度か入った記憶が、そのように合成されているのかもしれない。

おれは「途方に暮れる」という感覚が、肉体をさぐってもみつからないから、よくわからないのだが、こういう感覚は、おれが初めてニ幸に入った日の記憶よりは正確に肉体に残るものだろうということは理解できる。

そして、森山大道さんほどのひとが、

あれから四十五年、
人々の光彩が渦巻くこの街で、
いまもまだ一人途方に暮れている。

という、森山大道さんは、ちょっと売れたぐらいでイイ気になっている連中とはちがう。やはりスゴイひとだとおもう。

「途方に暮れる」ことをしらないおれは(希望についてもしらないのだが)、なにがあってもとりあえずめしをたべ酒をのみ、そして寝る、新宿のような街をみても「途方に暮れる」ことをしらないまま生きている。なんか、ただの動物のようだ。

「途方に暮れる」ことをしるひと、しらないひと、めしのくいかたが変わるだろうか。
元ニ幸、いまアルタの前で、あの中華ランチを思い出しながら、考えてみよう。
かつて、何人もの上京したての若者が、新宿のニ幸の前に立ったはずだ。

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2007/03/10

「人国記」の時代と汁かけめし

きのうの話と関係ある。サヴァランさんの有名なオコトバ。「どんなものを食べているか言ってみたまえ。君がどんな人であるかを言いあててみせよう」

このことについては、だいぶ以前2003/05/10「サヴァランの一言」に書いた。

サヴァランさんは、実際にそれをやってみせてはいないし、事例も示してはいないので、どういう仕組のものかはわからない。ところが、このことばを引用しているひとたちは、たいがい、それを食べ物そのものから、つまり牛か羊をくっている、あるいは小麦をたべているとか、そういうことから言いあてるという、思い込みや前提があるように見受けられる。ま、おれも、そのようにバクゼンとおもっていた。

しかし、これはおかしい。と、きのうの『人国記・新人国記』を、またパラパラ読んでおもった。

食べ物そのものからではなくて、どんなものを食べているかによって、またどう食べているかによって、そのひとが生活する地域や風土や階級などを判断し、それをもとに「どんな人であるか」を言いあてるのではないか。

サヴァランさんの人生は1755年~1826年だから、まだそれほど広域の物流は発達していない。「地産地消」が中心だった。

「人国記」は、本朝66国2島の「地勢とともに人情・風俗・気質を述べたもの」だが、国によっては、さらに東西や南北のちがいまである。飲食のことは、まったくふれてないが、そこに食べ物をあてはめていけば、サヴァランさんのようなことは不可能ではないとおもわれる。だけど、ただ食べ物からいきなりというのは、チトそもそも分類が複雑になるし、根拠薄弱におもわれる。

よく西洋人は肉食だから日本人は元来は草食だからと、性格のちがいがウンヌンされることがあるが、それだって根拠薄弱で、だいたい地球上の人類を2つのタイプでみようなんて乱暴すぎる。こういう話がアンガイ受け入れられやすいのは、AとB、2つの分類なら、確率は50%と高いからだろう。

「エセ科学」といわれる血液型性格判断なんてのも、たった四分類。しかもあの仕組は、よくあるテだが基本はニ分類だ。つまり比較的おおいAと反対のBの2つを基本に、AA型とBB型を対極におき、あいだにAでもBでもないAB型とBA型をもうける。血液型になおせば、AA型をA型に、BB型をO型に、AB型とBA型をそれぞれAB型かB型にする。4分類だから、確率は平均でも25パーセントと高い。しかもあらかじめ数のおおいことがわかっている、A型とO型を基本に分類の論理をつくれば、実際の確率は、もっと高い。「晴」か「雨」というような大雑把な分類のことばを用いれば、あとはそれを受け取る方の主観で、「曇」でも晴になるし、少々の「雨」で晴にも雨にもなる。なんとなくそうかなという気分にさせる話は、坊主の説教のようにつくりやすい。

日本を東西にわけてなにかを論じる仕組も話としてはオモシロイかもしれないが、あまり根拠のないことがおおい。だいたい、おれのような新潟県出身の流れ者からすれば、日本の東西の食文化のちがいをあげ、東西どっちが上だといったところで、それは京・大阪と東京の比較ぐらいで、ほかの地域はふくまれていない。そんなことで、人情まで一律に比較され判断されたらかなわない。

だけど、単純化したほうが、とくになにかとあわただしくジックリ考えることが不馴れになってしまった時代には、受けやすい。ただそれだけのことなのだ。いつまでも「下町人情」一本調子じゃなく、日本全国の多様な人情や気質を、もっとみるべきじゃないか。新潟の魚沼の人情や気質を知っているか。

おっと話がズレた。いやズレていないか。わからなくなったぞ。とにかく、「人国記」は本朝66国2島、それ以上の分類だ。著者は不明だが、解説によれば、「足利将軍家のすえの乱世のころ、いささか儒学をも心がけたもの」「唯一神道の支持者」と推定できるそうだが、読むとたしかにそうだろうとおもう。とくに善悪の評価の基準が、そのあたりにあるのは明白だ。

しかし、一つの型にはめていこうという意志より、いまのことばでいえば多様性多文化性を認める姿勢がつよい。そのへんは、後世の儒学家や神道家、あるいはなんでも「日本型」が優秀、「美しい日本」型にはめようという、最近のジャーナリストや学者や政治家とはかなりちがう印象だ。

たとえば、おなじ「強い」気質でも南と北ではちがう、つまり「強さ」は一様ではないことなど、人情の観察や洞察が緻密だ。これはトウゼン、政策的には、その分類の数だけ政策や対策を考えられるし、考えなくてはならないことになる。

そこんところだが、明治の近代以後はとくに、多様性多文化性を認識するより、国家権力による単一化が強圧的脅迫的にすすんできたせいか、かなり単純化されている。なんでもかんでも一本調子なのだ。

おっと、そのことを書こうというわけじゃなかった、この「人国記」が成立するのは、1467年に始まる応仁の乱以後、1500年代前半ぐらいの乱世のころだ。これは、『汁かけめし快食學』の第8章「かけめし風雲録」に書いたが、みそ汁やみそ汁ぶっかけめしが歴史に姿をあらわす時代なのだ。

そのことについて書こうとおもって、タイトルもそのようにしたのが、話がズレすぎて、もう書くのがイヤになったから、きょうはこれでオシマイ。

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2007/03/09

新潟県人の「性悪さ」に関するアレコレ

きのうの午後は都心で昼酒やってのち大衆食堂をしらべウロウロしたりですぎた。初台周辺、『大衆食堂の研究』に掲載の店、4軒のうち残っていたのは1軒だけ。きょうは朝からアレコレじたばたしている。

きのうのコメント、kuninoriさん。「「新潟県人の性悪さ」といわれると、何となく首肯したくなりますが、安吾なんかは如何なんでしょうか?」と。

坂口安吾や、佐藤亜紀を、単独でみるとわかりにくいが、この二人に関口夏央あたりをくわえると、なんだか「性悪さ」の輪郭というか芯というかを、おれはかんじる。「性悪さ」は「性悪」とはちがう。ま、ほほえましいサガというか。ああここまでこう言っちゃう、やっちゃうって、なんだかやはり新潟県人なのかなあ、とかね。

「新潟県人」という近代的なよびかたより「越後人」「佐渡人」のほうがよいか。マーケティングの分野では、商圏特性や県民性とか、いろいろあって、そういう研究を遡ると、1500年代前半ぐらい戦国期に成立したと推定されているらしい「人国記」にいたる。

おれなどが実際に手にして見るのは、岩波文庫版の『人国記・新人国記』。これは江戸期の写本がもとになっている。もとはといえば、戦をして勝ちをおさめ支配するための、「軍政学書」だ。

1987年9月第一刷の岩波文庫版の「越後国」「佐渡国」を初めて見たときは、オドロイタ。立つ瀬がないぐらいミソクソに書かれている。以下引用……

 当国の風俗は、勝つ事を好む気象多し。仮初(かりそめ)にも勇を励み、痛きと云ふ事をば痒(かゆ)きと云ふ。若し躓(つまず)き倒れ痛むを得ても、只意得(こころえ)た、餓鬼めなどと幼(いとけな)き者の育てにも、かく粗(あらら)かに強みを教ゆる風なり。臆(おく)する気は少なけれども、差しかかりの強きほどは、後度の締まりを考えざるなり。
 主従者互ひに頼もしけれども、道理を弁(わきま)ふ事まれなり。それゆゑ何事にも、強ひて勝たんとして、理非の分別なき国なりとぞ。

……引用おわり。

佐渡にいたっては、「当国の風俗は、越後に似て気狭くして、伸びやかなる事なし。心愚痴にして、極めて頑ななリ。武勇は強しといへども、善としがたし。」で片付けられている。

が、しかし、これは戦をやって勝って支配しようという側の軍政の視点から見ている。しかも、全体的に、儒学思想が色濃く、「一和」をもって支配の理念としている。というところからすると、越後人というのは、どうにも御しがたい、負けず嫌いでやたらにかかってくる。簡単には調和しない、強がりで、言うこともきかない支配しにくい連中である。ということになるではないか。

たとえば、現在の大阪府北部と兵庫県南部にあたる「摂津国」については、「もっぱらおどしつけるような強い武力を示して」「一方には過分な金銀財宝類を贈ることによって、当方に従わせるのがよい」とあるのでは、だいぶちがう。

全体の調和に、なかなか従わず、強く勇ましくふるまおうとする。ま、従わせようとしても、一筋縄ではいかないというか。こういう気質が、その後の時代、近代をへて、どうなったか。おなじ気質でも、その土地にあるときと、東京のような都会にいるときではちがって出るだろうし、職業によっても表出の姿はちがうだろう。「性悪さ」というのは、そういうことなどバクゼンと考えてきたなかで、かんじていることなのですね。

ま、「性悪さ」を、他国の人たちにもオススメしたいわけです。「よい人間」になろうとすると、簡単に誰かに支配されやすい。……と、こういうふうに最後に書く、これも「性悪さ」かも。

って、チトまた用があるので、大急ぎはしょりまくりで、おわり。

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2007/03/08

池田晶子さんの訃報にあの人は、江戸川区の徳を掲載

何日かまえに池田晶子さんの逝去が伝えられた。それで気になったのは、佐藤亜紀さんだ。なにしろ、お二人の「闘争」は、あまり詳しく追いかけていたわけではないが、なかなかおもしろいものだった。佐藤亜紀さんの「日記」を見たら3月2日に、簡潔にこのひとらしく書いている。…クリック地獄

ついでにひさしぶりに「大蟻食の生活と意見」を見たら、「衝撃の大スクープ! 佐藤亜紀漫画から盗用     か?」があって、オモシロイ。ようするに「オタク」も「サブカル」も、もはやかつての「オタク」でも「サブカル」でもない、単なる「マーケット」なのだ。

佐藤亜紀さんは、おれの趣味とはあわないし、こういうオンナとつきあうのはシンドイだろうなとはおもうのだが、書いていることは嫌いじゃない。というか好きで、けっこう読んでいる。とくにチマチマした甘ったれぶりこれ見よがしの「私小説流」が氾濫するなかで、小気味よい存在だ。それに、なんとなくおなじ新潟県人の性悪さもかんじられて、ほほえましい。

ま、それはともかく、昨年11月に行った、江戸川区松江の大衆食堂〔徳〕をザ大衆食に掲載した。といっても、またもや写真だけだが。例によってザ大衆食のトップ右上「主な更新」にリンクがある。…クリック地獄

ここは地元のIさんと、ある飲み会で初めてあったときに教えていただいた。Iさんには、最近もメールをいただき、べつの食堂を教えていただいている。どうもIさん、ありがとうございます、メールの返事が遅れていてすみません。近々、そちらへ行きたいとおもっています。よろしく~。

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2007/03/07

骨の折れる面白さ

2007/03/03「いつも酔っ払いのように」にコメントをいただいている〔ハジメ男〕さんは、ザ大衆食の古い読者だ。ザ大衆食「大衆食者の食卓」の#16 2002年11月8日「ハジメ男@居所不明さん メール」が最初らしい。どうもながながとお付き合いいただき、ありがとうございます。

そのあと何度かメールを頂戴し、「大衆食者の食卓」に掲載してあるが、#28 03年1月19日で藤沢周平さんの小説からの話があり、おれは「おれも藤沢周平のファン」ですと書いている。

おれのばあい「ファン」といっても「熱狂的」というのとはかなりちがう。何作か好きな作品があるというていど。最初に藤沢周平さんを記憶したのは、『白き瓶』でサブタイトルが「小説 長塚節」だ。その文春文庫版1988年12月第一刷を、発売直後ぐらいに本屋の店頭で手にして買った。それが初めて。

『白き瓶』には、深く静かに感動した。藤沢周平という作家にもおどろいた。この小説を読んでのおもわぬ収穫は、伊藤左千夫のことだった。かなりの比重をもって書かれているのだが、それが伊藤左千夫は、『野菊の墓』からはとてもイメージできない、「野蛮」といってもよいような荒っぽい人物で、そして山師的詐欺師的ないかがわしさをもっている。ま、簡単にいえば、『野菊の墓』のイメージは清新系だが、書いた本人は猥雑系という面白さ。おれはそういうタイプは好きだから、これでニンゲンとしての伊藤左千夫を一気に好きになってしまった。といっても、その後その作品にふれたことはないのだが。

それはともかく、解説を清水房雄さんが書いている。これがまた、うまくこの小説の特徴をまとめている。

最後のほうに、こうある。引用……

 さて、小説は何よりも面白さが第一に大切だと言われる。面白さにもいろいろあるが、この『白き瓶』の小説としての面白さは何であるか、と問われれば、私はただちに答えよう、それは骨の折れる面白さである、と。
 こういう世の中だからこそ、そのような面白さがあってもよかろうではないか。そして、現に、この作品の雑誌連載中の好評のことや、単行本になってからの売れ行きのよさ、などのことを思えば、世には私と同じように、骨の折れる面白さを待望する人々が数多くいることを知り、いささか心安んずるわけである。

……引用おわり。

「骨の折れる面白さ」の「骨の折れる」には傍点がある。これはとてもこの小説にピッタリな表現だし、また世間には「骨の折れる面白さ」がたくさんあるのだと気づき、このことばをキッチリ記憶した。

そして、そのときはおもわなかったが、ここ10年ばかりのあいだに、ということは、とくにB級グルメなどが猛威をふるうようになって、そのあまりなバカバカしさをみるにつけ、自分で料理をつくって食べることは「骨の折れる面白さ」なのだとおもった。そして、たしかに「骨の折れる面白さを待望する人々」はいるのだけど、世評をにぎわすのは、「骨の折れる面白さ」は敬遠し安直な面白さを飲食店に求め、ハヤリの情報に右往左往する切ない人たちなのだ。

ハジメ男さんは「自炊派」だそうだ。

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2007/03/06

ひさしぶりに、大衆食堂を掲載

「ザ大衆食」に、ひさしぶりに大衆食堂を掲載した。とりあえず画像だけだが、なかなかよい雰囲気。

板橋区大山の<かどや食堂>と、港区新橋のニュー新橋ビルの<むさしや>。ザ大衆食のトップ右上段「主な更新」からリンクがある。…クリック地獄

<むさしや>は屋台のような店のたたずまいがオモシロイ。この写真を見ながら、昨年の「カルチュラル・タイフーン 2006 下北沢」での、初田香成さんの報告を思い出した。「ヤミ市における都市計画、都市計画におけるヤミ市 ―戦後東京の事例研究―」というタイトル。新橋駅前の闇市がニュー新橋ビルになるまでと現状について、画像をふんだんに使っての報告だった。この<むさしや>の暖簾で囲っただけのたたずまいは、闇市時代の気分を残しているようなかんじがしないでもない。

そういや、五十嵐さんと大阪へ行かなくてはならないのだったな。

それはともかく、ひごろ整理が悪いから、大衆食堂の写真とってもパソコンに保存したまま、メモしてもそのままで、ゴチャゴチャになっている。とくにブログをやりはじめてからは、「ザ大衆食」のほうは、ホームページビルダーで制作するのがめんどうで、ついついそのままに。ますます、整理がつかない状態。

なんとかせねば。

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2007/03/05

街、食べる飲む、語る。こだまひろしさんに拍手。

グーグルで「信濃路 鶯谷」を検索すると、トップにザ大衆食の「台東区鶯谷駅前 信濃路」がヒットするが、そのあとに「食べログ 信濃路 鶯谷」がある。

これをクリックすると、「こだまひろし (40代前半・男性・東京) '06/12/07('06/11 訪問)  駄舌の実在に関する文献2――凡庸な呑兵衛の肖像―― 」というレヴュー記事があって、これが、異色というか個性的でおもしろい。拍手。

いいねえ。文章の長いこと、その内容、レビューとしては、まったく「無法者」といってよいほどの型破りだが。吸うさんの「駄目ブログ」なんかもそうだけど、こういうふうに自由に書けるよさや可能性こそWebではないかとおもった。

これまでは、いろいろな新しいメディアが生まれては、けっきょく権威主義な活字文化のシモベになってしまった。もっと権威主義な活字文化の情報誌のまねごとや情報の垂れ流しなどから離脱することを、めざすべきじゃないだろうか。情報通ぶった情報や話は、もういらない。そういうものには、厳しい批判の眼を向けたい。

街を歩き食べ飲みしたら、そこで見た、そこで感じた、自分の語りたいことを語るべきだろう。

既存のメディアから得た知識や情報は、いったん捨て、街や飲食と肉体で語りあうことだろう。「自分のことば」は、そこから生まれるのだ。

ま、でもブログの世間ですら、ツマラン情報が、まだけっこうありがたがられるから、この「こだまひろし」さんのような方は少数派だろうけど。だからこそ、声援をおくりたい。もう一度、拍手。

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2007/03/04

東京の「辺境」と都心の「差」

Miyamoto画像は、2007/02/19「いいねえ、大衆食堂」にのせた昭和食堂の前から写した。昭和食堂の住所を調べたら大田区多摩川2-21-9で、画像の宮元通り商店街は手前の道路を境に、大田区新蒲田になる。まっすぐ通りぬけるとJR蒲田駅の車庫あたりに出るらしい。

にぎやかなところは、わずか百数十メートルほどの商店街だが、いちばん最寄の矢口渡駅から10分少々離れている、いわば「離れ小島」的な商店街だ。

かつて、かなり以前だが矢口渡駅を中心に商圏調査をしたことがある。そのときこのへんは歩いてない。こんかい蒲田で電車を乗りまちがえなかったら、知らずにおわったところだったかもしれない。

人影は少なかったが、さびれたかんじはない。なかなか勢いのよい魚屋はあるし、八百屋も2、3店、豆腐屋に肉屋、ほか必要な店は揃っている。スーパーやコンビニはない。

このように離れたところ……という印象の商店街を歩くと、しかも、ここも東京都区内だ、いろいろなことが頭にうかんでは消える。

「格差」はむかしからある。ま、いま取り沙汰されている「格差」は、たしかに政策的なものもあるが、とりあえずここで都心のほうをふりむいてかんじたのは、都心というのは、なんと欲望が過剰に密集したところだろう、ということだ。

しかし、都心に住むものは、どれぐらい自分の欲望が過剰であるかは、気づいていないのではないだろうか。一方には、格差を生む政策があり、一方には、差の激しい欲望がある。あけてもあけても「一極集中」が出てくる入れ子の構造を支える欲望の激しさ。都心と周辺の「格差」を決めている大きな要素にちがいない。都心は肥大化した欲望のカタマリなのだ。いったい、そのカタマリは、どこへ行こうというのだろうか。ねえ、都心のエスタブリッシュやエンテリさんたち。

テナことをおもいながら、ためいきをつきましたとさ。
それにしても、昭和食堂、入ってみたい。もう一度、行くか。

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2007/03/03

いつも酔っ払いのように

おれがあまりヒマなニンゲンじゃないということは、一日ほど寝てみるとわかる。けっこういろいろ日々やらなくてはいけないことがあるのだな。そのリズムが崩れると、もとにもどすのが、けっこう「心理的」に大変だ。誰かに急かされているような状況でなくても、やらなくてはいけないことはある。ヒマそうにみえても、けっこう忙しい。

あるところに大衆食堂がある、その食堂が「ナゼ」そこにあるかは、その食堂が「イツ」できたかより重要なことがおおい。とかく「イツ」が話題になりやすいが、それは年表のような歴史を歴史と信じてきた悪癖だ。

「ナゼ」が大事なのだ。「ナゼ」そこにその食堂が「発生」したのか「生まれた」のか。「ナゼ」そこにその食堂がありつづけたのか。その食堂がコンニチまで続いていなければ「イツ」も問題にならないのだから、「ナゼ」の重要さがわかるだろう。

そして、その「ナゼ」は、かならず地域社会や食堂のメニューや味覚やサービスなどに深い関係がある。

いや、ま、たとえば、このあいだから気になっている一つ。ある都心の大衆食堂の近くの路地を歩いていたら、ある料理のニオイがしたのだ。それは、とても久しぶりにかいだニオイで、しかもいまどき街中ではめったに料理のニオイがしなくなっているというのにだ。そのニオイが、なんの料理のニオイだったか、ナゼそこでニオイがしたのか、とても気になっている。それは、そこの大衆食堂の存在と無関係ではないような気がする。とても気になる。もう一度そこへ行ってみなくてはとおもう。

そういうことを考え調べていると、けっこう忙しいのだが、そんなことはヒマがあるからやっているんだろうとおもわれがちだ。とくに、ちかごろの情報さえ揃っていればよいという風潮のなかでは、こんな調べは、ほとんど必要ないし、それでも原稿は書ける。が、しかし、そこまで調べ考えて書くのと、そうでないのとでは、ちがいが、あきらかにでる。ただ、それは必ずしも、おおくの読者が求めていることではない。

食べ歩きだの飲み歩きだのという安直な趣味娯楽に群がる、おおくの読者は、そこまで求めてはいないし、情報的な要素以外は鑑賞の関心も力もない。というと言い過ぎかもしれないが。しょせん「食べる技術」の向上については関心がないし、「食べる」ということは情報であって文化ではない。

が、しかし、「文学者」や「文士」として評価された人たちが書くと、たちまち「文化」になってしまうんだなあ。これは、いま可能性を失い崩れつつある大新聞を頂点とする事大主義な「文芸」や「活字文化」や「読書階級」の結果だとおもうのだが。

ま、とにかく、おれだって、あまりヒマなニンゲンじゃない。とくにちかごろは、一緒に飲んだり遊んだりしてくれるオンナもいないし。あっ、そりゃ話がちがうな。

コメント欄に夜中に酔って書いて、シラフになって詫びをいれているひとがいる。酔って書くのも、シラフになって謝るのも自由だが、おれは別に気にしてはいない。

コメントは、おれが書く「本文」と一体で、このブログをつくっているとはおもうし、コメントを書けないブログなどはブログじゃないとおもっている。だから、ここでは酔って書いてもよいのだ。それがガラの悪い、コイツが書いていると、大衆食堂の「悪い客」のようだ。他の客に嫌がれるかも知れないということはあるだろう。そういうことが、このブログの雰囲気になり、コワイあるいはバカな酔っ払いのいるブログという印象を持たれるのも悪くないかもしれない。酔ったら寄れる大衆食堂のような存在もブログに必要だろうともおもう。

ようするに、またコレを持ち出すが、ここの運営方針もコレなのだ。

大衆食の会の希望 「楽しい力強い食事と料理」
大衆食の会の三大運営方針 「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」

ま、これでいくと、やはり楽しくないのはいけないね、力強さに欠けるのもいけないね。この裏をかえせば、オリコウそうな議論や能書きも、いけないね。酔って自分だけよい気分でまわりに迷惑をかけるのは、食堂や酒場の主人が嫌うところだが、それだって店によって幅がある。酔ったら、多少はハメをはずしたいし。

おれがコメントの相手をするかどうか、どういう相手のしかたをするかは、もちろんおれの自由で、どこかで賢い人たちがいっているように、コメントには必ず丁重にこたえるのがマナーだとは、おもっていない。愛想の悪い大衆食堂の主人だっているのだ。

酔ったときのことは、あれはワタシの本当の姿ではありません、カンベン忘れて許して、という話はよくある話だが、おれは、酔って正体を失っているときもシラフのときも、自分は自分であり、そのひとはそのひとだとおもっている。もちろん、カンベン忘れて許して、といわれたら、忘れたフリはするが。

酔うと、その人物の本当の姿があらわれる、なーんていうオリコウそうな話もあるが、そういうことではない。

ニンゲンは、自分についても他人についても、いつもカンチガイしている、ということなのだ。酔っている酔ってないなんか関係ないのだ、ある意味では、いつも正体不明の酔っ払いなのさ。

だから、「いいかげん大好き」「下品も悪くない」「バカ万歳」で、テキトウに楽しくやろうよ。

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2007/03/01

たくあん数切れ5円の思い出

バカの霍乱で寝ていて読んだ本が『大阪学』(大谷晃一著、新潮文庫)。これに、「昭和三十六年(一九六一)に、東京銀座のビフテキ専門のレストラン「スエヒロ」が、ご飯の量り売りをはじめた。石原仁太郎社長は大阪の人である。銀ブラ族とは別の、銀座で働く人に目をつけた。一合分が十八円で、たくあんが二枚で六円だった。」とある。おれが上京したのは1962年だから、その前の年のことだ。

いま調べたら、おれが「長期臨時雇用」「短期臨時雇用」などを転々とし正社員になれそうな会社に就職したのが1965年の初夏のころだ。これはまちがいないだろう。というのも、おれが就職した会社は、海外旅行専門の旅行代理店で、就職した翌年の冬、大きな航空機事故が3回続けてあったからだ。とくに富士山上空で空中分解したBOAC機の事故は衝撃的で、よく覚えている。そのニュースは、一年間の長期出張で大阪に滞在している最中のことだった。

おれは1965年9月、3か月の試用期間がおわると、大阪営業所を開設するための要員として大阪へ行かされた。それから翌年の8月まで大阪に滞在した。

その旅行会社は銀座のスエヒロに近いところにあったが、このたくあんのことはしらない。そして、大阪へ行って、初めてたくあんの切り売りがあるのをしった。

おれの大阪での滞在先は阿倍野区の東天下茶屋駅近くの間借だった。天王寺駅前から真っ直ぐ南にくだる阿倍野筋があって、「王子神社」とよぶ安倍王子神社がある、その裏手のへんだ。

間借を出て、王子神社の横から阿倍野筋をわたると、路地の上をおおった、ようするに狭いアーケードの小さな商店街があった。そのへんで買い物をしたり、食事をしたりした。

八百屋というか、よろず食料品店のような店の4分の1ぐらいで、惣菜を売っていた。初めてそこを見たとき、こういう店は東京にはないなあと感心した。なにしろ、いろいろなおかずが、焼き魚一切れから売っているのだ。そのなかに、たくあんが数切れ、それがのるぶんぐらいの大きさにヘギを小さく四角に切った上に並んでいた。5円だった。これには、ほんと、おどろいて、そしてうれしくてよく買ったから、その値段まで覚えている。

もちろん、おれがこういう店は東京にはないなあと思ったとしても、おれはまだ東京生活3年ぐらいのものだったから、知らなかっただけかもしれないが、そういうところに大阪のおもしろさを発見したのは確かだった。

いま冒頭に引用した文を見ると、やはりそれは「大阪」を反映したものであるらしい。

おれは、教科書や本などから得た知識より体験を大事にするが、それは大卒ではないことも関係するだろうし、大阪一年間の営業マン生活から染み付いたものがあるように、ときどきおもう。「気どるな、力強くめしをくえ」なんてことばがスラスラ出るのも、そのせいかともおもったりする。

とにかく、東京での試用期間3か月のあいだに覚えた営業の作法というか、そういうものは大阪では、まったく正反対ぐらいちがっていた。おれのほかにはただ一人の所員であり上司だった大阪営業所長にイチイチ直させられた。このひとは、大阪生まれ育ちで、大学は慶応だったが、大阪の某有名商社を部長で定年退職したあとだった。ずっと営業畑を歩いたひとで、学ぶことは多かった。しかもアル中で、一緒に外歩きをしていて昼近くになると手や口がふるえだし、どこかの食堂に入ってコップ一杯の酒を飲むとピタリとふるえがとまり、それが昼飯という、たいへんおもしろい人物だった。

もちろんそれは、その所長の流儀であって、大阪の流儀ではなかったかも知れないが、でもたいがい、その所長は「大阪では、こうなんやで」というかんじで教えてくれた。

たとえば、あるとき文房具を天王寺の、たしか近鉄デパートかで買って帰った。「いくら値切った」というようなことをきくから、「いや正札どおりです」という。すると「なんで値切らんのか」「デパートで値切るんですか」「デパートだってなんだって、大阪じゃ値切って買うもんだ」「エンピツ一本でもですか」「そうだ」とか、そういう会話になる。

営業アプローチの順番は、東京は、なるべく肩書の上からいくようにする、上下の関係を重くみる。だが大阪は肩書や社会的地位などは関係ない、いきなり電話に出た人にアポをとる。応接室に案内されたら、東京は上席下席がうるさく決まっていて、たいがい自分は下席にすわるようにする。大阪のばあい、自分の眼が読まれにくい位置、たとえば窓や光を背にした位置にすわる。などなど、例の「もうかりまっか」のあいさつから、「考えときまっさ」の応えの読み方など、まあ、人間的な真実として、なるほどなあとおもうことがたくさんあった。

そうそう、お好み焼きでめしをくうというのも、そのたくあんを売っていた店の、斜め前にあった食堂で覚えた。ここではめしだけも、ヘギに盛って売ってくれた。東京の一人ぐらしとくらべると、くうのがずっとやりやすかった。

ということなどを思い出したとさ。

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