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2007/03/12

「ためいき体」は、なんとかなるか

ちかごろ、自分がどんなふうに書きたいかというのが、少し見えてきて、それを「ためいき体」の文章と呼んで、ま、ワタクシの場合は、「ヨッパライためいき体」ですが、勝手にアレコレ楽しんでいるわけです。これが、どうも、自分のちかごろの気分にあっているようです。

……テナことを、このあいだ某掲示板に書いたのだが、去年の秋ごろから、これまでの自分の書き方は飽きたので、チト違うふうに書いてみようと、ときどきアレコレ試みてきた。それまでは、どちらかというと「猥雑体」「モロ性悪体」あるいは「暴走体」というかんじだったが、根が清らかで善良なおれは、うふっ、やはり無理があって飽きてしまうのですね。

これは「文体」といった、めんどうな話ではない。もともと文章のオベンキョウなどはしたことないし、「上手な」文章など書く気はないのだが、書くことは、そんなに嫌いじゃないようだ。もう酔ってなら、一晩中でもキーを打っていられる。しかし嫌いじゃないが惰性でおなじふうにすごすのもオモシロクナイ。どうせやるならイロイロやってみたい。ま、そのていどのことなのだ。

それに実際、ヨッパライをやって、ためいきをつきたくなることがけっこうある。とかとかで、とにかく想像力をぶわーーーーと広げて書くにしても、なんかどこかに「ためいき」。まいどそのように書くわけじゃないが、なるべくそんなイメージをもちながら書くようにした。

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などは、ホンノ2,3人のかたから好評いただいたようだが、イロイロやってみても、なかなかうまくいくものではない。イロイロやってみるよりしかたない。

それで気がついたのだが、「ためいき」というと、「やれやれ嘆かわしい」といったフンイキが濃厚だけど、じつは「ためいき」が出るほど「すばらしい」とか「すごい」ということもあるはずなのだ。「ためいき」が出るほど「うまい!」とかも。

広辞苑にも、「失望・心配または感心したときなどに長くつく息」とあって、ちゃんと「感心」がある。ところが現実は、「感心」なためいきをつく場面というのは、とくに日常生活のなかでは、なかなかない。というか感じられない。なにか特別なことでもないと、感心なためいきが少ないようだ。

そんな中でも、一日のシゴトなどを終え、生ビールをグビグビッとやったときとか、あったかいみそ汁であったかいめしをたべたときなどは、ためいきが出るような満足感にみたされることがあるような気がする。ただ、アンガイ、日常のことには感覚がなれっこになっているから、反応がにぶく印象に残りにくいようだ。

そんなことを考えながら、「感心」なためいきのためには、もっと日常のなかに意識的にそれを発見するようにしなくてはな、とおもうのだった。

そのように、ちょっと文章のフンイキみたいなのを変えてみようかとおもったことから、忘れていた失われていた何かに気がつくことがあるようだ。カメラの絞りやシャッター速度の調整で、おなじ景色もちがって見える写真と同様なことだろうか。

それにしても、また最近もやってしまったが、酔っ払ってのためいきをつくような失敗は減らない。これはトシくって酔いがひどくなるほど、ためいきモンダイもふえる比例の関係があるようだ。それは「ためいき」をこえて、単に「懲りないヤツ」ということなのだな。ああ、自分のドジに、ためいき。

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