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2007/04/13

新橋でリーマンと飲み、そうか!そうか、だ。

酔ってよく見ると、きのうの酔っぱらいが書いた、「「ロング・グッドバイ」 大衆食堂と街と「別れ」だって?」はチトおかしいな。

そもそもだよ、2007/04/10「大衆食堂と街と、なぜか村上春樹」では、「でも、おれにとって必要なのは、ここで述べられるチャンドラーの小説の素晴しさではない。その素晴しさを説くために、村上春樹が述べている、いくつかの部分が必要なだけだ」と書いていながら、チャンドラーとマーロウの「ロング・グッドバイ」にひきずられるように「別れ」を持ち出している。

ちがうだろう、この酔っぱらいめ。注目したのは、村上春樹がマーロウについて語っている、その言葉ではないか。つまり、もう一度、酔ってまちがわないように引用を書いておこう。

「フィリップ・マーロウが都市に対して腹を立てている時、それは総体としての都市に腹を立てているのではなく、都市を構成する複数の仮説のひとつに向かって腹を立てているのである。さもなければマーロウは都市を脱出するしかないではないか?」
「マーロウの役割はこのような仮説の検証作業にある。彼はある仮説に対してはシニカルになり、ある仮説に対してはセンチメンタルになる、それがマーロウのノーでありイエスである」
「マーロウの憧憬とはどのようなものか? 人が人であり、場所が場所であらねばならぬという憧憬である」
「ここにおいてマーロウ的ラディカリズムは都市大衆の有するアナーキズムと直結する。いや、直結しなくてはならない」

これだ、忘れんなよ。「別れ」なんか一言も出てこないぞ。それなのに、そうか、やはり、そうか。「別れ」にセンチになっているのか。未練たらたらなのか。もう会えないのだからあきらめろ。

って、書くと、また心配するひとがいるかもしれないが、心配しなくていいのです。チョイとした狂言ですから。

さてそれで、「別れ」にセンチとは無縁のおれは、きょう、じゃない、もうきのうか。夕方、新橋烏森口でリーマンと待ち合わせ。もちろん飲むためだ。こいつがこのあいだから、会いたい会いたいと、シツコク電話やメールをしてくる。これがあの女ならよいのに、現実はそうではない。しかし、こうもシツコイとは、ナニゴトか。

濃紺のスーツでビシッと決めてあらわれたリーマン、かっこいいねえ。いよっ、ビジネス戦士。烏森口といえば、いろいろあるでしょう、リーマンが集う大衆酒場。だがやつは、「○○でいいですか」と全国的居酒屋チェーンの名をいう。「なぜ?」と聞くと、「株主で、優待券があるもので」だ。おお、さすが現代の先端産業リーマン、株をやるのはトウゼンだ。しかし、なんであそこの株なのだ。ま、いいや優待券で安く飲めるのならと、簡単に折れる。

そーゆわけで。生ビールでカンパーイとやったすぐから、まずは株の話だ。おおっ、おれ、テレビない新聞とってないの世捨て人のような生活だが、ちゃんと話についていけるどころかリードしたり。そして、株に続いて、やっぱり出ました不動産ファンドの動向。この動きの不気味については、最近一か月以内のブログのどこかでチョイとふれたはずだが、やはりアヤシイのだ。最近の都心ビルの空室率が2%だの3%だのという数字は、どういうことだ、なにがあるんだ。……うーむ。

と、もう生ビールがうまくて、いきなり中生3杯飲んだら酔って、じゃあ焼酎だと、湯割りをグイグイ。何杯飲んだのだろうか。ま、株主割引だ安く上がるだろうと意地になって飲む。

話は、一挙にビジネスな。もうそれだけ。そして、そうか、そうか、そうかなのだよ。帰って、よくよく考えたら、その株のモンダイ。うーむ、これは、知らないところで、ずいぶんいろいろな動きがあるのだなあ。

しかし、なんの相談をしたんだっけ?どうせ書けることではない。
リーマン、えらい! ビジネス、おもしろい!
もちろん大変だがな。無理をしないことだ。

ま、きょうは、そうか、につきる。そうか、酔ったのだ。約、午前0時半。

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