連休という制度、イベントという装置それとも日常性の回復
きのうの夜中に知ったのだが、世間は連休だそうだ。そういえば、イベントの案内がたくさん届いている。日本経済は、東京オリンピックの「成功」以来イベントによる経済効果に味をしめ、「イベント経済」といってよいぐらいの様相をしめしている。消費もイベント型にならざるを得ない。日本人は「祭り」好きという話もあったな。連休という休まなくてはならない制度のなかで、欲望を消費へ導く文化装置としてイベントが機能する。と、きのうの脈絡で考えればそうなるわけだ。
こんなときはなるべく人ごみを避けて、ノンビリすごすにかぎる。
そうだなあ、酒を飲みながら一日中ブログを書いているなんていう「イベント」はどうだろうか。おれにとってはいつもと変わらないのだが、世間が連休ときくと、なんだかヒマという感覚になるからフシギだ。ヒマにしていてはいけないのだがヒマなのだ。
とにかく非日常的な休みには非日常的なイベントより、日常性を体験するすごしかたが、いまでは貴重になっている。ってことかな。以前は連休というと山に入っていたし、山はコースを選べばひとが少なかったが、いまはひとのいないコースをみつけるのが困難になった。どこへ行っても信じられないぐらいひとがおおい。行けば嫌なものをみるだけだ。残雪がたっぷりある奥地の稜線までイベント型の消費主義におかされた。
興奮や感動を消費するイベントか、平静を育む日常性の体験か。まずはめしくって掃除でもするか。ぐふふふふ、今朝のめしは、ハムトーストにビール。ああ、至福のひととき。
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