一瞬の光芒
来週月曜日は16日。一本、原稿の締め切りがある。しかし、明日は2007/04/11「春だから、さあ高千代の蔵開きだ!」に書いたように、故郷の酒蔵、高千代へ行って飲む。なにがなんでも飲まなくてはならない。どういう展開になるか考えたところで結論は一つ、泥酔しかない。はたして明日中に帰って来られるかどうかもわからない。いや、最近の傾向としては、泥酔すると記憶喪失のまま帰ってくる確率は高い。
では、月曜の朝から原稿を書けるような状態にあるかというと、ま、無理でしょう。ということは、今日中に原稿を仕上げなくてはならない。と、思うのだが、おれの肉体は、内容について考えておけば、泥酔して帰ってきても16日中に書きあがると自信を持っていうのだ。
そうか、そうかもしれないな。だけど、こんどの原稿は、初めての旅の雑誌で、しかも特集扉エッセイなのだ。旅だ、旅情だぜ、大丈夫か。そう問うと、やはりおれの肉体は、自信を持って大丈夫だというのだ。
では散歩がてらの買い物の行き帰り内容を考えて、うまいものつくって酒を飲むか。夕暮れどきに出かけた。
ある女は、おれのことを「無神経」「鈍感」「ストレスなんかたまらないでしょう」と、ゴキブリやミミズかドブネズミのようにいう。そうかもしれない。でも、おれは原稿の締め切りもちろん、たいがいのことでアセルということはないが、かといって締め切りの約束をやぶるほどの「無神経」「鈍感」は持ち合わせていない。
夕方、空は、ややボンヤリした空色だったが、晴れわたっていた。道々考える。やはり旅情は織り込まないといけないだろうな。うーむ、旅情かあ、苦手だな、失恋の気分ならわかるから失恋の傷心を抱えて旅にでるというかんじか、そういえばアイツはいまごろどうしているのだろうなあ、しかし、おれのトシでそういう設定はチョイとまずいかな、それに失恋して旅というのは月並みだぜ、そうそう、きょうは何を食べようか、あれにしようかこれにしようか、やはり旅となると、あそことあそこはいれたいな、食べものは、書き出しはこのへんから入って、と……考えながら歩いているうちに、いくつかカギになる言葉や短い文章が浮かんだ、シメシメこれなら大丈夫だろう。
スーパーに入って、では、あれにしようこれにしよう、そうそうレタスがいるな、一個はいらない半分でいいとレタス売場の前に立った。見ると、レタス半分パックはおろか、一個売りですら、空白のおおい売場に数個あるだけだ。なんてことだ、この時間帯で、これはないだろう。手にとってみたら、とても買えるようなものじゃない。ここで、おれは一気に逆上した。クソッ、てめらの店の都合でロス管理を優先させやがって、なにがお客さまの満足のためにだ。クタバレ。
数年前のおれなら、売場主任をつかまえてガンガンいうところだが、最近はもう何があってもあきらめきっているから、そこまでしなくなった。深くためいきをつき、それならチト構成を変えてと思いながら売場を歩き、もうブツと真剣ににらめっこして、買い物に没頭する。
そしてレジに並んだところで、フト気がつく。さきほどの原稿についてだが、続きを考えたいと思ってガクゼンとした。シメシメこれなら大丈夫だろうと思った言葉や短い文章がスッカリ忘却なのだ。
ど、ど忘れ?思い出せない。うーむ、うーむ、レジにカネを払いながら、こころここにあらず。おれは、なんとか思い出そうと懸命になった。もうまわりの景色も目にはいらない。気がつけば、ウチへの道をたどっている。それがなんと、手にはスーパーの買い物かごが、そのまま握られているのだ。そのなかに買ったものや、レジでもらった袋が入ったままなのだ。おれは一瞬なんのことかよくわからなかった。えっ、なに、なぜ、こんなことになっているの。ぐへっ、なんだこれは、これじゃボケ老人じゃないか。レジを通過して、そのまま歩いてきたのだ。あわててスーパーにもどり、袋に買ったものをつめて、買い物かごをもどした。
しかし、そうしても、忘れた言葉や文章の記憶がもどったわけではなかった。あれは一瞬の光芒だったのか。だけど、やはり「無神経」「鈍感」なおれは、女にふられたときのようにはクヨクヨしない。また考えつくさ……。ことに、きょうは晴れて気分がいい。歩いていると、ゆるやかなアップダウンの道は、たえず目線の高さに空が広がって、おれは好きなのだ。まだ星は見えなかったけど、「空に星があるように」が鼻歌になった。おれの頭にあるのは、ビギンがカバーしたやつだ。
なにもかもすべては終ってしまったけれど
なにもかもまわりは消えてしまったけれど
忘れたいことは忘れられないで、必要な記憶はしゃぼん玉のように消えてしまう。しかし、きょうはもうこのまま書けそうにない。大丈夫だというおれの肉体を信じて、うまいものをつくり酒を飲むとしよう。おれは、ほんとうは、繊細なセンチメンタリストでロマンチストで、もう神経はボロボロなの、だからこんな失敗もあるのだが、そんなフリを見せないだけさ。苦労しても苦労は顔に出さない、貧乏は顔に出ているが。ふん。
原稿を書くのは自分一人でやることだ。なんとかなるだろう。
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コメント
どうもありがとうございます。
おれの本は置いてない本屋さんが多いと思います。
売れない→売れないから置かない→置かないからますます売れない→だからますます置かない、
の悪循環ですね。
どうかよろしくお願い致します。
いづみやも、機会があったら、よろしくお願い致します。楽しいですよ。
投稿: エンテツ | 2007/04/16 13:30
ブログタイトルとは関係ありませんが、昨日本屋さんへ寄った際に著作物を探してみたのですが、有りませんでした。
ちょっと残念です。
機会をみて、また探してみる予定です。
大宮と西川口の"いづみや"の記述を目にしてから、いづみやは気になっていますが、未だ未訪問です。
ブログは時々、読ませて頂いてます。
投稿: pon-pie | 2007/04/15 16:12