生活と趣味のあいだ
読者からメールをいただいている。おもしろいモンダイ提起が含まれているように思われたので、ここに紹介しながら、返事を試みたい。
まずは。ザ大衆食のサイトに掲載の板橋区東武東上線大山駅ちかくの〔かどや食堂〕について、「ここ10日ほどかどや食堂のシャッターが閉まっております。かどや食堂のおじさんもおばさんもご高齢と思われるので心配です。表には「しばらく店を閉めます」との張り紙が張られています」との情報だ。
たしかに気になることだ。そういう例は、ほかにも幾度となくあったわけだけど、とにかく、期待して祈るよりほかない。待った結果、そのまま閉店「さよなら」になり、ああ、また「別れ」か、思いおこせばあのときが最後だったかと後悔が残ることにならなければよいのだが……。
それはともかく、メールには、こんなことが書かれていた。これが、きょうのテーマに関係する。……
大衆酒場がブームのようですが、「飲む」の前にある「食う」の大衆食堂について目
が向けられないのがすこし淋しい気がします。
街の「大衆酒場」「洋食屋」「中華料理屋」は人の生きる息吹において同類と思うの
ですが・・・。
「居酒屋礼賛」の濱田さんのように同じレベルでそれぞれを語れる人がいないのが淋
しいというのは生意気でしょうか。
かどや食堂でこんなことを考えてしまいました。
……引用おわり。
なかなか難しいモンダイだ。「「居酒屋礼賛」の濱田さんのように同じレベル」ということについて、おれは正確に理解していないかも知れないが、おっしゃっていることは、1980年代なかごろから始まる、文春ヴィジュアル文庫のB級グルメガイドあたりからの流れが想像される。
しかし、そのB級グルメブームには約10年間の長いあいだ、大衆食堂が大きく欠落していた。それは、なぜなのか。というモンダイは、依然として残っているような気がする。
そのことを考えなければ、今柊二さんの『定食バンザイ!』や田沢竜次さんの『B級グルメ大当りガイド』などは、この読者がおっしゃっているような範疇にはいるのではないかと思われる。あるいは、おれもイッチョかみした『東京定食屋ブック』とか。
ただ、この読者からみると、それらは濱田さんと同じレベルではないのかもしれない。それはそれぞれの読者の「読み方」のことになるから、おれがああだこうだいう筋合いではない。
しかし、「街の「大衆酒場」「洋食屋」「中華料理屋」は人の生きる息吹において同類と思うのですが・・・」ということになると、たしかに、おれも「生きる息吹において同類と思う」のだが、「飲む」と「食う」は、おなじ土俵にいるようでいて、じつは、力士と行司ほどのちがいがあるということを強調したい。どちらが力士で行事かということではなく、おなじ土俵の上にいながら、それほどちがいがあるということなのだ。
そのちがいを見据えながら、この読者がおっしゃるような「食う」を描いた傑作というと、久住昌之・原作、谷口ジロー・作画の『孤独のグルメ』になるだろう。そもそもこの漫画の主人公は下戸という設定なのだが、さらに「あとがきにそえて」の「釜石の石割り桜」を含めたところで、そこにはきわめて明快に、「飲む」と「食う」のちがいが表現されている。
しかも『孤独のグルメ』は、『酒場百選』(浜田さんの「居酒屋礼賛」を本にしたもの)や『定食バンザイ!』『B級グルメ大当りガイド』『東京定食屋ブック』などの流れとは、かなり趣きがちがう。ベクトルは正反対をむいてるといってもよい。
どうちがうかは、長くなるので、きょうはやめておこう。先日の、大宮いづみやでの飲み人の会では、シノさんが『孤独のグルメ』を持参していて話題になった。この『孤独のグルメ』の舞台となっている店は、本のなかで店名や所在が明確ではないのだが、シノさんの話によると、それを探しあてることをしている人たちがいるという。それは、まったくこの本の趣旨や主張と相容れないことではないか、わかっちゃいねえなあとワレワレは笑ったのだが。そういうモンダイもからむだろう。
減り続ける銭湯だが、銭湯を「趣味」としている人たちが毎日銭湯へ行けば経営が成り立つほど、「ファン」というか「同好の士」はいるという話を聞いたことがある。だが、銭湯の存在は銭湯が生活である人たちによって成り立っている。いくら銭湯趣味の人たちがいても減少を食い止めることはできない。そして、銭湯趣味は、銭湯が生活であるひとたちが銭湯を支えていることによって成り立っている。
というわけで、きょうのタイトルは「生活と趣味のあいだ」なのだ。
ともあれ、メールの最後には「いつかお会いできればと思うのを楽しみにしております」とあった。こちらこそ、よろしく。ゼヒいつか会って楽しくこういう話をしましょう。
みなさんも、酒のツマミにでも、こんなことを話題にしながら、考えてみてください。
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コメント
「つまらない疑問」どころか、現代の飲食風俗の大事なところを考えさせられます。このことは、これからも、あれこれ考えてみたいです。
ま、よろしくお付き合いください。
そのタンメンは、たしかにタンメンにしてはフシギな具ですね。
機会があったら試してみます。
投稿: エンテツ | 2007/04/22 15:35
相変わらず「かどや食堂」は閉まったままです。
わたしのつまらない疑問に向き合っていただき恐縮です。「孤独のグルメ」を買ってみました。今いろいろと考えています。
「吸うさん」がコメントされた「その探してた店にみんなで示し合わせて大人数で繰り込むって神経がおいらにゃ分からないんすけどね。」というのがわたしがなにか「大衆酒場ブーム」に違和感をおぼえていたことなのかもしれません。
「大衆食堂」も同じ様になって欲しくないと思っています。
自分の目で自分の日常の中で自分の好きな店を探せたらと思います。
「飲む」と「食う」の違いについて考えてみました。うう~ん、まだ分かるような分からないような。まだ言語化できません。「行司」と「力士」の違いはなんとなく分かるような。
まだ修行が足りません・・・。
今日は用事で出かけた平塚で「老郷(ラオシャン)」という店で「タンメン」を食べました。タマネギとメンマとわかめが具というタンメンです。不思議なタンメンですが、うまいです。育った藤沢に暖簾分けした店があり、良く食べたタンメンです。もう藤沢の店は無いので久しぶりの味でした。うれしかった。
またよろしくお願いいたします。
平塚に来られることがあったら是非お試しください。
投稿: 中年おやじ | 2007/04/21 20:59
ははあ、そんなことになっているなんて。
mutyaさんがいっているのも、そういうことだったのか。
しかしまあ、ほんと、あきれかえって、やってられないな。
投稿: エンテツ | 2007/04/15 06:54
「孤独のグルメ」のくだり...
まあ、百歩でもチンポでも譲って本の中の店を探しあてるのはまだ良しとして、その探してた店にみんなで示し合わせて大人数で繰り込むって神経がおいらにゃ分からないんすけどね。それもいい年したおっさんが。
娘衆がお便所に行くんじゃねえんだから、行きたきゃ一人で行ったらどうなんだい?と思うんすけどね。
投稿: 吸う | 2007/04/15 05:57
はじめまして。
はて、イマイチ話がよくみえていないのですが。
崩れる日常も日常のうちってことですかね。
とくに大都会では。
投稿: エンテツ | 2007/04/14 20:35
いとも簡単に日常は崩れますヨ、
マスコミ(あらゆる媒体)で。
ある日突然人が増えた、なんだ?
やってられない・・・お終い。
良い迷惑になってるかもね・・・。
投稿: mutya | 2007/04/14 20:19