素敵なあなたの素敵な思い出
あなたの姿が目に入ったとき、あなたがいとしくなって光輝いて
この世界がまえと違って新しくなったように見えた
私はあなたが本当にステキだと認めなくてはならない
……と、このタイトルと書き出しで、アラッわたしのことを書く気なのかしらと胸をときめかせよろこんだアンタ。そんなアンタはきっとおれに惚れているにちがいないとおもうが、いっこないか。
なにかとバタバタと落ち着かないときは、ちょこちょこ調べては書きためていた軟派ネタをアップする。これは、それだ。
青春時代におれの頭に棲みついてしまった一曲。ジャズのスタンダードとして有名な「素敵なあなた」は、おれにとっては特別なのだ。いまでも気がつくと、そのメロディを鼻歌しているおれがいる。それにしては、自分の鼻毛について考えたことも調べたこともないように、よく考えたことも調べたこともなかった。アンドリュー・シスターズが歌って大ヒットしたぐらいの知識しかなかった。それをネットで調べたのだ。わかったことを書こう。
ラジオ関東(現・RFラジオ日本)が開局したのは、1958年12月24日。1943年生まれのおれは、15歳だから、中学3年の冬ということになるだろうか。その深夜放送の番組だった。番組名は正確にわからない。どうやら「ミッドナイトミュージック」らしい。オープニングミュージックのタイトルである「素敵なあなた」が番組名のように思っていた。とにかく、24時ごろから始まる、「洋楽」中心のデイスクジョッキーだったような気がする。
おれは、「素敵なあなた」以前から深夜放送を聴いていた。年表によれば、ラジオの深夜放送は、日本文化放送(現・文化放送)が1954年7月11日に最初に始めた。1954年というと、おれは11歳だから小学校5年生だろうか。だが、そのころおれは深夜放送を聴いてない。そもそもウチにはラジオがなかった。
はっきりしていることは、小学校6年生のときに、おれのウチはおれが小学校4年に倒産し離婚再婚4畳半間借暮らしのち、オヤジは再起し家を建て引っ越した。そこで初めて「自分の部屋」を持った。部屋にはラジオがあった。それで深夜放送を聴くことになった。
「素敵なあなた」のほかに記憶のある番組というと、23時ごろだったか24時ごろだったか、とにかく「素敵なあなた」が始まる前、10分ぐらい、大橋巨泉と前田武彦の「きのうの続きはまたあした」といったか「きょうの続きはまたあした」といった番組があって、これはほぼ毎日聴いていた。内容は覚えていない。どうってことないおもしろい話だった。
「素敵なあなた」は、毎日ではなく、週一ぐらいだったのではないかな。その夜が楽しみだった。モノを買うという習性があまりなかったせいもあってか、このシングル盤を買おうなどとはおもいつかず、ひたすら放送の日を待った。この曲を聴けば大満足で、番組の洋楽はおまけのようなものだった。
2階の6畳の間。廊下側は障子、反対側に一間の床の間と半間の押入れ。床の間は、カネがなくなって上塗りされないままの荒壁だった。そこに木箱を置き、その上にレコードプレーヤーを置き、その上にラジオを置いた。
ド田舎の深夜、静まりかえって、ラジオの音しかない。声変わりしニキビ面したおれは、それを待っていた。とりわけ、その声は、宇宙の彼方からやっと届いたかのようだった。古いレコードから出る音のように、かすれていた。そのかすれぐあいが、深夜の風情にピッタリだった。心もとなく、孤独な、そしてあとで知った言葉をつかえば、切なく色っぽかった。
原題は『Bei Mir Bist Du Schon』(バイ・ミア・ビスト・ドゥー・シェーン)。調べてわかったのだが、ラジオで使用され、おれが何回も聴いたのは、キーリースミスとルイ・プリマがカバーした盤だった。邦題は「美わしの君よ」とのことだが、そのタイトルの記憶はない。
YouTubeで聴けるアンドリュー・シスターズの『Bei Mir Bist Du Schon』には、当時の雰囲気がある。ま、カバーしたほうが、その雰囲気をまねたのかもしれないが。
http://www.youtube.com/watch?v=4Vvo3MaFcxw&mode=related&search=
このうたは、やはり深夜に聴くのがいい。
深夜に一人で聴いていると、ほんとにあれから半世紀もすぎたのだろうかとおもう。
最初の書き出しは、邦訳の一部をつかわせてもらった。こちらに詳しくある、クリック地獄。原題からしてそうだが、ユダヤ系の作詞だそうだ。世に出るまで、出てからも、ドラマがおおかったようだ。
あなたの姿が目に入ったとき、あなたがいとしくなって光輝いて
この世界がまえと違って新しくなったように見えたわ
私はあなたが本当にステキだと認めなくてはならないわ
歌詞は、女が男をおもってうたったものだ。こうまでいわれた男は、やっぱりうれしいのだろうな。が、ごちゃごちゃいわずに、いきなり抱きしめてキッス、ね、ベッドへいきましょうよだって、悪くはないのだ。ただ、それではうたにならないだけ。
深夜生活の一般化は、有史以来の生活の基本パターンを変える、決定的なデキゴトだったといえるだろう。それは古きよき時代といわれ、そこに正しい生活があるかのようにいわれる、昭和の戦後が生んだのだ。
田舎の片隅まで深夜生活が開発されていた時代。1958年8月、日清食品「チキンラーメン」発売。9月、タバコ自販機開発。朝日麦酒、缶ビール発売。12月23日、東京タワー完成。中学3年の冬、おれには素敵な女はいなかった。すくなくともいまでも覚えているような。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
藤野さま。コメントありがとうございます。
このエントリーをご覧のうえ、キーリースミスとルイ・プリマのアルバムを入手されたとは。すごいですねえ。まちがっていたらすみません。
遠いむかしのこと、しかも私はあまり覚えがよいほうではないのですが、たしか、演奏はなかったという記憶です。でも、実際は、どうなんでしょうね。とにかく、「声」の記憶しかないもので、演奏は思い起こすことができない。深夜に1人で聴くにピッタリな、遠い宇宙の闇の中から届く感じの、その「声」しか覚えていません。
投稿: エンテツ | 2008/11/11 10:08
ミッドナイトジャズのオープニングは
チコハミルトンのブルーサンズでした。
『Bei Mir Bist Du Schon』はしょっちゅう
流れているのは、覚えていて
ベニーグッドマンの『Bei Mir Bist Du Schon』
と思い、何枚も何枚も買って来ては
これは違う これも違う なんて
やっておりました。
でも ここにキーリースミスとルイ・プリマの
曲と書いてあったので
早速購入してきました。
???? というのが正直な気持ちです。
全くの歌???
演奏はなかったかな???
(もうグッドマンのものを聞いてしまい
麻痺している点もあるかも知れません)
でも 正直 ??? です。
印象的には「これ 聞いた事ない」です。
どうしても クラリネットが入っていたものが
流れていた感じです。
どうでしょうかね???
キーリースミスとルイ・プリマのアルバム
買ってよかったと思っています。
とても良いグループ
男の声と女の声 素敵でした。
ありがとうございます。
投稿: 藤野 | 2008/11/11 00:39
どーも、です。
めずらしく忙しいうえ、
福太郎さん死亡のニュースで動転しているエンテツです。
思い出しましたが、当時の深夜放送に、ビリーボーンの「ハバーライト=港の灯?」をテーマソングにした番組がありましたが、もしかするとあれもラジオ関東だったかもしれませんね。
最近は、ラジオも聴かなくなりました。ただ飲んでいるだけ。
『根府川へ』も岡本敬三さんもローレンス・ブロックのマッド スカダーも知らないもので、そのうちゆるりオベンキョウします。
投稿: エンテツ | 2007/05/24 12:10
こんにちは。
ラジオ日本の番組は数年前同局の50周年記念放送の時に昔の録音を流していたような気がします。局が横浜からなのでしょうか港の雰囲気や舶来的雰囲気をだしていたような気がします。
きのうの続き云々は今 あのオモチャの北原さんがコラムのような放送でした。普段大概NHKを聴いております。石田 千さんみたいに。
遠藤さんのどこかへ行ったレポート的ブログと感傷的な昔話的ブログどちらも好きですが、感傷的内容は小説『根府川へ』を著した岡本敬三さんにも通じるんですよね。その流れが昇華しローレンス・ブロックのマッド スカダーにも重ね合わせたりして。フンフン。
投稿: スコッチエッグ♂ | 2007/05/23 16:07