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2007/05/17

ビンボーを背中にしょった不器用さ

ジワジワジワと、きますねえ。なにがって、酒じゃないよ、「ビンボーを背中にしょった不器用さ」ですよ。うまいこと書くねえ。

[書評]のメルマガ vol.313 2007.5.16発行、これ、きょうの発行か。えっ、きょうは16日か。でも、いま、24時をまわったから17日。はやいなあ、あれから何日がすぎたのでしょうか。ほんと、おれは不器用でねえ。田舎者の不器用といったら、都会で女にふられる役回り。もてないわけじゃないが、ふられる。そこなんだな、モンダイは。この場合、「女」=「世間」と見立てるとわかりやすい。なにをやっても、必ず、どこか不器用で、クソマジメといえばクソマジメなのだが、ワザワイのもとになる。本気で好かれることがないというか。チョイと不器用が出ると、みっともないドジをふんだり、ふられたり、敬遠されたり、受け入れてもらえない。

まったく、「ビンボーを背中にしょった不器用さ」とは、うまいねえ。コレ、入谷コピー文庫の堀内恭さんが書いている。「[書評]のメルマガ」での連載「入谷コピー文庫 しみじみ通信」だが、今回は「飯田橋ビンボー大学先~輩、遠藤哲夫!」というタイトルなのだ。そのなかにある。こんなぐあいね。

「遠藤さんと会うのは、だいたい安い居酒屋か大衆食堂なのですが、いつも奇妙な元気をもらっています。遠藤さんは新潟、私は高知というどちらもド田舎者という共通点のほかに、遠藤さんとは、飯田橋ビンボー大学の大先輩と後輩という間柄なので、どこかビンボーを背中にしょった不器用さがあるような気がします」

「飯田橋ビンボー大学の大先輩と後輩」といっても、トシも離れているし、おれは大学へ入学しても、食うのに忙しく仕事を転々としたままやめただけだから、あまり大学のことなど話したことはないのだが、たまたま堀内さんとは、その話になった。というのも、堀内さんの出身は高知で、おれは高知のスーパーマーケットの仕事を1年ぐらいやっていたことがあって、堀内さんの故郷に少しばかり土地勘があったりで、なんとなく昔話をしているうちに、大学のことやらいろいろな話になった。

おれも堀内さんも、紳士淑女小市民の東京に同化し切れない、田舎者くささ、貧乏くささを引きずって生きているなあとしみじみおもう。「ビンボーを背中にしょった不器用さ」は、そのかんじを、じつにうまく表現している。

ま、こちらをご覧ください。……クリック地獄

堀内恭さんはフリーの編集者で、倒産した四谷ラウンドから刊行の『ぶっかけめしの悦楽』は、彼がいなかったら世に出ていなくて、したがって『汁かけめし快食學』もなく、おれは、しかし、あいかわらず酒を飲んでいる日々だったにはちがいない。

ところで、はて、次の入谷コピー文庫に入る予定の現代日本料理考シリーズの「マカロニ」は、いつ書きあがるのだろうか。

今月は、日程がややこしくなってきて、例年の高千代酒造の友の会の酒宴へ行けるかどうかも危ぶまれる状態になっているというのに。

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コメント

おれのばあい、やせがまん半分の貧乏です。でも、やせがまんってのは、よく落語のネタになるけど、そこからしぼるように味が出るんだな、きっと。と、やせがまんをいい。

投稿: エンテツ | 2007/05/22 00:44

「貧乏はするもんじゃない。味わうもんだ」という志ん生の言葉を実践する先生様。

投稿: 吸う | 2007/05/21 16:51

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