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2007/05/11

「孤独のグルメ」の食べ方で復活「男と女」

女…ひさしぶりに登場ですね。
男…何年ぶりだろうか。このカタチだと、おれがエンテツと誤解されやすいからやめていたらしい。
女…あなたは、エンテツではないのですね。
男…エンテツが書いてはいるのだけど。そういう意味では、あなただっておなじではないかな。ま、どうでもよい。このほうが書きやすいということなのだろう。それはともかく、『孤独のグルメ』の主人公は、どうやって店を選んで入っているか、そこをみてみよう。
女…輸入雑貨商の主人公は店を持たないで営業している。出かけた先々で食事をする。だけど、ガイドブックや情報誌などの情報は頼らない。自分で街を歩きみつける。
男…「第1話 東京都台東区山谷のぶた肉いためライス」。知らない街、雨に降られ走る。「くそっ、それにしても腹減ったなあ」「どこでもいい”めし屋”はないのか」「ええい!ここだ入っちまえ」
女…「腹減った、どこでもいい、ここだ入っちまえ」。これが第1話ということは、基本であるとも読めますね。
男…基本というか、そこが日常の出発点というか。それに、知らない街では、よくあることだよね。それが知らない街や知らない店や知らない人びとにふれるキッカケにもなる。この本は、ぜんぶそういう話ですね。
女…でも、まったく知らないところに入るには、勇気がいります。だから情報に頼るようになるのでは。
男…勇気ってほどのものはいらないとおもうけど、決断は必要だよね。だから「ええい!ここだ入っちまえ」なのでは。結婚の、ええい!このへんで決めてしまえに比べたら、ごく日常の決断で、勇気ってほどのことじゃないとおもうが。
女…結婚の決断とくらべちゃいけませんよ。見合いならともかく、知らない男と結婚するわけじゃないから。
男…あなたのばあいは、セックスの相性までわかって結婚しているからな。でも、もっとよい男がいるかもしれないとおもうだろう、この男でいいのかと。そういう迷いと決断とくらべたら。
女…なにをおっしゃいます、私は迷わず彼と結婚しましたよ、のぼせていましたから。知らない街の知らない店は、勇気いることがあります。汚いボロの大衆食堂など、引いちゃいますよ。女だから、かしら。
男…なにをしおらしいことを。そういう女がいるから、こぎれいな店ばかりになるのだ。そもそもボッタクリのアヤシイ飲み屋とはちがうのだから勇気なんかいらないよ。フツウの決断でいいのだ。つぎへいこう。
女…「第2話 東京都武蔵野市吉祥寺の廻転寿司」は、昼飯を食いそこねて4時半という時間。「何でもいいからと思いながら 入る店の無さとこみあげる空腹感にいらだちを覚える」牛丼屋を見ても「こんな時間に牛丼なんてマヌケすぎる」と、選んだのが廻転寿司。
男…マヌケすぎるという消去法があるんだ。いわゆるランチタイムを外すと、食事をするのが難しい街は、けっこうあるねえ。
女…この話は、選択の決断というより、その中途半端な時間に選ぶ、スナック的にも利用できるし食事としても利用できる廻転寿司の利用勝手のよさと、その時間帯ならではの客のおもしろさということになるでしょうか。
男…ではつぎ「第3話 東京都台東区浅草の豆かん」これは訪問先のお客さんに地元の甘味屋をすすめられる。こういうことは、ありがちだね。出先では、地元の人に聞くのが、よい。
女…主人公は「俺はまたも空腹を抱えて歩いている」と、とにかく空腹です。
男…だから甘味屋でも、雑煮や煮込みうどんや釜飯のようなものならあるだろうと行ってみる。いつも「空腹を満たす」ことが第一なのだ。
女…でも季節メニューの関係もあって、豆かんをくうはめに。「しかし、うまかった」と。だけど、やはりそれではすまない、「できれば腹ごしらえしてからたべたかったな」と思い、歩いているうちにかんじのよい洋食屋をみつけて、入る。
男…食事は腹ごしらえ。
女…食欲と食欲の文化的充足とエンテツが書いていました。「第4話 東京都北区赤羽の鰻丼」。早朝から仕事をして、納品先の赤羽で仕事が終わったのが9時半、「腹の中はキレイにすっからかん」「こんなに朝早くからやっている店なんかあるのかな」と駅のほうへ歩く。そこで見つけた店。朝から酒を飲んでいる客がたくさんいる。知らない街で、こんな時間に、こんなよい店を、ぐうぜん見つけるって、フツウではあまりないとおもいますが。
男…そうだね。だけど、やはり、腹がすいたら、まず街を歩くというのが、基本なんだよ。「第5話 高崎市の焼きまんじゅう」のばあいも。
女…ここには、いくつか重要なポイントが出てくるようですが。とにかく、店の佇まいをみて、「俺にお似合いのはこういうもんですよ」という選び方ですね。
男…それは自分の「生きざま」による選択といえるかな。あるいはアイデンティティ。そういうものがないとできない。それに、焼きそばと焼きまんじゅうという「不思議な組み合わせ」の看板にも魅かれる。「よし試してみるか」という選び方。
女…入ってみたけど、食べたいものがない。ミソダレをぬったアン入りの焼きまんじゅう。それが「焼き鳥みたいでおいしい」とは。デタラメすぎて頭が混乱する。ここでは「素朴な味」「複雑な甘さ」という表現は出てくるけど、「うまい」という言葉ありません。
男…「この店みたいに……ずっと昔に時間が止まってしまったような味だ」。そして店を出て帰りながら、焼きまんじゅう屋で焼いていたおじいさんのことが気になる。ばあさんが具合悪いっていっていたけど、あと5年たって、10年後、この街でひとりになって……そういう「鑑賞」や「感傷」も食事のうち。情報誌で「おいしい店」だけをピックアップしていたのでは、こういう体験ができない。生活が情報誌に偏ってしまう。
女…その最後の場面に関係しますが、この話は、パリで女にふられる最初の場面が、けっこうカギですね。仕事が忙しくてパリに逃げ出してきた女がイライラしている。主人公は、帰国をすすめる。「あなたはわたしを淋しいおばあさんにしたいの?」という女に、主人公は、「落ちつけよ ほらもうこんな時間だ 何かあったかいものでも食べながらゆっくり話そう」これがけっこうカギですね。主人公の生きざまというか思想だとおもいます。女は「もういいわ!」「わたしには何かを食べている時間も落ちついてる時間もないのよ!!」と。悲劇的。
男…そこまで極端でなくても、けっこうありがち。
女…あなた、そんなふうに女にふられたことあるでしょ。
男…なにを、トツゼンおっしゃいますか。
女…だから「もういいわ!」といわれて、食事も一緒にできなくなったのでしょ。
男…いやそうではなくて、「何かを食べている時間も落ちついてる時間もない」ということが、ありがちだし、この女は大女優ということなんだけど、そうではなくても、そういう忙しい日々には、だからこそ、落ち着いてゆっくり食事をとるというのが大事だってこと。なにも大急ぎで男と別れることはないのさ。
女…ほら、やっぱりふられたんだ。では、きょうはこれぐらいで。あなたは一人で食事に行きなさい。
男…ふん、あなたは、不倫の相手と飲みにいくのかい。
女…おだまりっ! あなたにはシオヤマやナンダロウがお似合いよ。

やれやれ、この男と女には孤独の情緒というものがないのか。

『孤独のグルメ』(久住昌之、谷口ジロー、扶桑社)

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