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2007/05/26

カレーライスの歴史 もうちょっと責任ある発言がほしい

ちかごろ、丼物の歴史については、汁かけめしや芳飯からの発生や流れを説明するものがふえた。おれも、2007/05/10「5月10日発売『旅の手帖』6月号」に告知した寄稿では、そのように書いているし、本文のほうにも、そのような解説が見受けられた。

このばあい、難点が一つあって、室町期の芳飯については説明があっても、汁かけめしについては欠落しやすいことだ。それは、芳飯は、天皇や高級貴族が食べたもので文献にも明快に書かれているし、なにより権威主義におかされている世間では、天皇や高級貴族が食べていたとなると、通りがよい。だから、「芳飯」は汁かけめしの一種である、みそ汁ぶっかけめしの仲間なのだ、といった説明はないまま、イメージのよい芳飯の話に偏りがちだ。

しかし、それでも、丼物という料理を、ドンブリという器の始まりや言葉の始まりから説明していた、ついこのあいだまでの状況とくらべたら、かなりよくなったといえる。丼物とは、どんな料理か、あきらかになってきた。といえる。『汁かけめし快食學』の売れゆきは、イマイチだが、それなりに関心が高い、あるいはクロウト筋に読まれて、多少その影響もあるかな、と思われる。

モンダイは、カレーライスなのだ。これは、もうメチャクチャといってよいぐらい混迷を深め、あいかわらず根拠のない話が横行している。

そもそも「ライスカレー」の名付け親として、たいがいのカレーライスの話に登場していた北海道大学のクラーク博士さんは、いまやほとんど姿を消しつつある。Web上でも、かつては、そのように説明していたのに、いまでは削除されていて、あれまあ証拠として保存しておくべきだったと思ったりする。

その話は、もともと根拠がなかったのだ。そして、いまは、北海道大学のサイトの「よくある質問と回答」で、明快になっている。つまり「Q.クラーク博士について」の「3、クラーク博士とカレーライスについて 」で、このように説明している。さすが「学問の府」だ。
http://www.hokudai.ac.jp/bureau/q/faq.html#9から……

 クラーク博士とカレーライスの係わりについて,「ライスカレーの名付け親はクラーク博士」,「日本のカレーライスの発祥は札幌農学校」,「生徒は米飯を食すべからず,但しライスカレーはこの限りにあらず。と農学校の寮規則に書かれていた」というのは本当のことか,事実なら資料を見せてほしい,という問い合わせを多くいただきます。
 しかし,札幌農学校当時の記録で[カレー]の記述があるものは,明治10年9月の取裁録(公文書を綴ったもの)の中の,買い上げの品として「カレー粉三ダース」,明治14年11月の取裁録の中の,「夕食<パン バタ 肉肴之類ニテ二品 湯 但隔日ニライスカレー外壱品>」,この2点の史料のみで,クラーク博士とカレーを結びつけるはっきりとした史料は残っていません。
 ただ,当時の状況としては,開拓史顧問のホーレス・ケプロンらによるパン,肉食の奨励に対して,農学校においてもこれを採用しており,恵迪寮史(昭和8年刊行)には,「札幌農学校・札幌女学校等はパン,洋食をもって常食と定め,東京より札幌移転の時も男女学生分小麦粉七万三千斤を用意し米はライスカレーの外には用いるを禁じた位である」と記述されています。また,「ライスカレー」の名称については,北海道立文書館報『赤れんが(昭和59年1月号)』の古文書紹介の中で,「開拓史の東京出張所では,明治5年に既に御雇い外国人の食事のために,コーヒーや紅茶,〈タ(ラ)イスカレー>を用意していたとの記録がある」と記述されています

……引用おわり。

このように明快になる一方で、まだ、「カレーライスの歴史は服部流割烹家元にあり!」と、こんなことをいっている人たちもいる。

「グルメ豆知識 日本初のカレーライス」
http://www.life-talk.net/other/saying/kako/07_hattori.htmlから

カレーライスの歴史は
服部流割烹家元にあり!

お題はこちら:「日本初のカレーライス」

視聴者の方から「カレーライスは、服部専門学校の校長(テレビによく出ている人)のおじいちゃんが作ったものらしいです。正確な情報を是非調べてください。」といったメールをいただきました!そこで、「学校法人服部学園 服部栄養専門学校」様に問い合わせたところ、服部幸應氏のお名前で正式にご回答をいただきました。

カレーライスの始まりは・・・
「服部流割烹家元」13代服部茂一氏が、明治18年から服部式料理講習会にて、カレーを教えたのが始まり。ここで注意したいのが「カレーオンザライス」と「ライス&カレー」の違い!服部式料理講習会にて広められたのが、ライスの上にカレーを乗せる「カレーオンザライス」で、ライスとカレーを別々に出す「ライス&カレー」は欧風式の出し方だそうです。

服部式:カレーオンザライス 欧風式:ライス&カレー

「服部流割烹家元」13代服部茂一氏は、カレーライス以外にもトマトを料理に取り入れたり、ハヤシライスなども日本で初めて料理のメニューに載せた人物だそうです。

情報提供:学校法人服部学園 服部栄養専門学校 様

……引用おわり。

それなら、いったい、いま引用したばかりの北大の資料とのくいちがい、あの横須賀海軍から始まったという説や、ほかにもいろいろ明治時代の初めてのカレーライスの話があったと思うが、それとの関係はどうなるのだろうか。それに対する説明責任は、必要ないのか。もし、この「服部式」なるものが、日本初だとすると、これまでのさまざまな説を否定するだけの、説明責任があると思う。

が、しかし、こうもいろいろな説が、しかもかつては耳にしたこともない説が「新発見」されるのは、どこか根本がイイカゲンで、よく調べもせずにその場その場でテキトウなことを言っているからだと思わざるを得ない。

それは、『汁かけめし快食學』にも書いたが、根本的な一つは、食べればなくなる料理の歴史を、どう考えたらよいかについてだ。そのことについて、考えられてない。本にのっている料理は、すべて作られ食べられていたとする根拠は、どこにあるのだろうか。

それから、「カレーライス」という言葉の歴史、その言葉が登場する出版の歴史、それらを含めたカレーライスの風俗の歴史と、料理の歴史をゴチャマゼにしていることだ。そのことも『汁かけめし快食學』にも書いたが、世の中には、おなじ名前でちがう料理、おなじ料理でちがう名前なんていくらでもある。それは、風俗のことであり、料理のことではない。

料理は手作業から生まれる。ある味覚を作りだす手わざやその習慣の歴史を考えなくては、料理としてのカレーライスの歴史にならない。

そこを考えれば、「伝来」したとされる「カレーライス」の何が伝来したのか、料理としてのカレーライスなのか、名前なのか、カレー粉なのか、そのすべてか一部か、そして、日本人の手わざや習慣はどう関係しているのか。など検討しなくてはならないだろう。

とにかく、自分が発表したことについては、ナニゴトにせよ、きちんと説明できる責任がある。まちがっていたら、説明し訂正が必要だろう。そういう責任を、ちっとはかんじているのだろうかと思わざるを得ない話が、カレーライスには多い。

そういう本が、おれの『汁かけめし快食學』より売れている。……って、なーんだ、そういう愚痴をいいたいのか。

いやいや、しかし、マジでよ、「国民食カレーライス」について、根拠薄弱な無責任な発言が許されているが、それでいいのか。これはワレワレの歴史なのだ。

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コメント

ボンさん、どーも。ボンさんが以前コメントされたのは2006/07/15「カレーライスの夏だけど」で、「そういえば、カレー学入門(河出文庫?)というのを大分前に読んだ覚えが。ライスカレーは西洋どんぶりメシとかなんとか書かれていたように思います。でも身びいきですが、やはり私はアダ名のボン・カレーが一番いい感じですね。」のことでしょう。

おれは辛島夫妻のこの本は、『カレーの身の上』という単行本だけで河出文庫版は読んでないのですが、これはまさに、書誌学的なカレーライスの話だと思います。「伝来説」によく見られますが、辛島夫妻は学者だけに、けっこう詳しく文献にあたっている。だけど、そうすればするほど、ほかの書誌学的な伝来説もそうですが、現実とのギャップがでる。するとそのツジツマのあわないところを、カレーライスは「西洋どんぶり」なのだ、あるいはほかの著者だと「西洋汁かけめし」なのだといって片付ける。

それならば、なぜ最初からその「どんぶり」や「汁かけめし」について調べないのか、といいたくなるわけです。だけど、書誌学的な方法は、調理の技術や方法や概念ではなく、「カレーライス」という言葉をキーワードに文献を調べているから、丼物や汁かけめしとカレーライスが共通する調理の特徴については、まったく調べない。そんな「カレーライスの歴史」が長いわけです。

書誌学的なアソビはあってよいわけで、実際にグルメの話には多い。それは書物の楽しみ方の一つであり、カレーライスをキーワードにした書物の楽しみということに徹すればよいのだけど、これが「カレーライスの歴史だ」ということになると矛盾が出てしまう。それに書誌学的に徹するなら、伝来以前のメニューがどれなのか、はっきりさせてこそオモシロイのであって、いつまでたっても、そこのところが出てこないのはオカシイ。これは『汁かけめし快食學』にも書いたけど、「伝来」当時のイギリスやフランスの料理メニューは記録がしっかりしているから、もっと探してみてもよいのではないかと思うのだけど、やってない。

辛島夫妻はインドの専門家でインドに詳しいかもしれないが、カレーライスについては、もっとキチンと調べて書く責任があるように思います。あるいは「インド学からみたカレーライスの話」とか、そのように立場を明確にするとか。とにかく、この本は、日本のカレーライスが載った文献はシッカリ登場するのに、解説は無責任な「放言」が多く、困った一冊だと思っています。

投稿: エンテツ | 2007/05/27 08:06

以前にも言及したかもしれませんが、
「カレー学入門」辛島昇・貴子 河出文庫
こちらのカレーの身の上の項はどうなんでしょう。
特別に深く読み込んだわけじゃないのですが、
インド史学が専門の方のようで、明治五年からの
色んな文献にあたっての面白い読み物だったと
記憶しております。

投稿: ボン 大塚 | 2007/05/26 21:04

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