大構想 小説料理物語
忙しい。というか、図書館に通ったり、ウチの資料をひっくりかえしたり、調べものに没頭熱中夢中になっている。
ファイルから、これを見つけて、「わーお」と声をあげてしまった。そうなのだ、すっかり忘れていたが、以前に、「小説料理物語」ってなかんじのものを思いついたことがある。そのころおれはマーケティング・プランナーでくっていて、紙の上をウロウロしているような糞ライターなんてものには興味がなく、江原恵さんにその構想を話し、書いてもらおうとしたのだった。
そのおれの構想のメモ、それを見てその気になった江原さんが調べたメモ、などが出てきた。江原さんからの封筒は、1990年の年賀切手が貼ってあり、愛知県日進町の住所になっている。おれの住所は渋谷区千駄ヶ谷だ。消印は2月17日が読みとれるが、年はわからない。おそらく1990年のことだろう。
これは、『汁かけめし快食學』の254ページ「ルネッサンスなかけめし」にも書いた、1643年に本になった『料理物語』を近代料理思想の萌芽と見立て、それ以前100年ぐらいから始まる、日本近代料理物語を構想したものだ。おれはそれで、江原さんの『庖丁文化論』をおもしろい読物に展開することをもくろんでいた。中里介山の『大菩薩峠』のように、主人公以外のさまざまな人物が物語をつくり、いくつもの説話が連続する、厖大な構想だった。
江原さんは、すごい興味を示し、一人ではやれないから一緒に書こうといってきた。おれは、調べたり構想つめたりぐらいは付き合ってもいいからというような生返事で、たしか二度ばかり江原さんの自宅まで行き、また江原さんが講演などで上京したときには会い、そしてメモを郵便でやりとりしていたのだった。
おれのメモの一つには、こんなことが書いてある。「室町末期から戦国時代そして江戸時代初期は、今日までつながる、生活思想とそのカタチ・文化の草創期である。「料理はつくりかたしだい」と『料理物語』でいいきった、あたらしい生活思想の持ち主である料理人たちの誕生と、その目をとおしてみた、近代日本の源泉をつくった「非政治家」のバイタリティを描く」
物語の引き回し役の一人に、実在の人物である、近衛前久(さきひさ)をあげている。1536年に生まれ1612年に没した彼をみつけたのは、近かったのでよく利用していた原宿の渋谷図書館で調べものをしていたときだったとおもう。たしか、その時代の茶人たちを調べていて、近衛前久にたどりついたのではなかったかな。どうも図書館で調べものをしていると、すぐ脇道に入ってしまう。それで、こういう人物に行き当たることもある。この人は、摂政関白家の血筋で、関白になった近衛家16代の当主だが、資料から想像すると、とんでもなく自由奔放な生き方をしていた。時代がとんでもなくでんぐりかえっていたこともあるが、おれは自由奔放が大好きだから、エエッこんな公家がいたのかよ、と激しく興味をもってしまった。
『料理物語』には、二つだけ、貴族のニオイが強い「餅」が登場する。「御所様餅」と「近衛様雪餅」だ。江原さんの『料理物語・考』でも、その考察にこだわっている。これが料理物語の成立と深い関係をしめしていると見立て、そこに近衛前久をからめていく。ま、ようするに近衛前久と女、近衛前久の妹や娘をめぐる男たち、その男たちのなかに料理人がいて、この名前の料理が残ることになった、というのが、おれのそもそもの思いつきの発端だった。それは、実在したが不明の『料理物語』の著者の輪郭をうきぼりにするはずだった。
メモをみると、江原さんは、おもに実在あるいは伝説上の人物のリストアップと諸事件、おれは料理にからむ架空の人物の構想といったぐあいで、おれはもっぱら想像というか妄想というかをたくましくしている。うーむ、なかなかオモシロイ。きのうの夜、あるところで見知った女が男といるところを見かけたことから、おもわぬ想像や妄想が働いたりする。きのうのことも、数百年前のことも、おなじなのだ。
……と、こうしちゃいられない。忙しいので、このへんで今日はオシマイ。
画像は、江原さんのメモ。
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