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2007/05/12

「古本暮らし」で「人生派」を考える

一昨日の10日、「生活感、関係あるか荻原魚雷「古本暮らし」」に、魚雷さんの出版を祝う会の案内状が届いたと書いた。それを追いかけるように、きのう、ご本人から本が届いた。恐縮しちゃうなあ。どうもありがとうございます。

掌編のつまったエッセイ集。夜中にふとんに入ってパラパラ見た。「クリスマス・コラム」というタイトルの「今年はアメリカのコラムニストの本をたくさん読んだ」の書き出しが目にとまり、読んだ。読んでいるうちに眠ってしまって、ほかはまだ読んでない。

おれも、そこに名前があがっている、アンディ・ルーニーやマイク・ロイコ、ボブ・グリーン、ピート・ハミル、東京書籍のアメリカンコラムニスト全集を続けて読んだことがあった。いま名前をあげたうちピート・ハミルは、おれの肌にあわないが、ほかの3人は気に入っているし、3人とも、当ブログに登場しているはずだ。

もとはといえば、村上春樹訳のカーヴァー『ぼくが電話をかけている場所』を読み、それとは関係ないが、1987年秋、急性肝炎で入院した。入院の最中に、アルバイトで使っていた大学生から見舞いにアーヴィングの『サイダーハウス・ルールズ』をもらって読んだことで、なんとなくアメリカの現代ブンガクって、けっこうオモシロイなと思い始めた。

でも、おれは本好き読書家ではないから、ゆっくりとアーヴィングやカポーティーとかサリンジャーとか大キライな村上春樹ご推奨系をはじめデレデレ読んで、コラムニストってのに取り掛かったのは、ちょうど『大衆食堂の研究』が刊行なった1995年ごろだった。と、いま振り返っている。

それはともかく、魚雷さんの文には、マイク・ロイコの『男のコラム 1・2』の解説のことが出てくる。これ、向井敏さんが書いている。しかし、おれは、その名前を見ただけで、読んでなかった。あまり読みたくないひとなのだ。

しかし、魚雷さんが書いていることが気になり、きょうの華麗なるブランチ、赤ワインとカマンベールチーズとパンをやりながら、その解説だけ読んだ。やはり、こいつは嫌なヤロウだと思いながら。でも、嫌なヤロウだからといって、全人格を否定してはいけないし、書いていることを頭から否定してはいけない。ただ、おれは、こういう評論家に評価されるようなことは、文章のスタイルも含めて書く気はしないということだ。(どうせ書けないだろう。という声が聞こえてきそうだが)

おれが持っているのは河出文庫版で、向井敏さんの解説は、『男のコラム1』にある。魚雷さんが引用しているのは、向井さんが書いているけど、魚雷さんが「心酔」しているという鮎川信夫さんの文からの引用だ。

つまり、鮎川信夫さんは、「アメリカのコラムニストを、「内外の政治を中心に論陣を張る有識者タイプ」と、「生活問題の万般を扱う人生派タイプ」との二つの型に大別し」ている。

そして向井さんがいうには、「この分類に照らして、邦訳されたコラムニストたちの顔ぶれをながめわたしてみると、そのほとんどが「人生派タイプ」に属する」。さらに、その「人生派タイプにもじつは大略二つの流儀があるらしい」と、ピート・ハミルやボブ・グリーンの系統の流派と、アート・バックウォルド、アンディ・ルーニー、マイク・ロイコの系統をあげる。

ふむ。鮎川信夫さんの「生活問題の万般を扱う人生派タイプ」というのは、わかる。おれが、そのタイプのコラムを読んで感じたのは、日本の新聞や雑誌の歴史だって、けっこう長いのに、どうしてこういうコラムニストが生まれなかったのか育たなかったのか、ということだった。

村上春樹訳のカーヴァー『ぼくが電話をかけている場所』を読んだときも衝撃的で、こういう作家は日本には生まれにくいだろうなあと思ったのだが、それも関係するような気がする。

「食」から日本の文学や活字文化をみていると、何度も書いているように、すごい事大主義や権力志向や貴族趣味を感じる。それが日本の食文化の歴史をゆがめている、あるいは流行に右往左往の偉そうなグルメを生む一因ではないかと、気になっている。

ということを思いついたので書いておく。

荻原魚雷さん、「人生派コラムニスト」になる、か。『古本暮らし』、まだこれだけしか読んでないが、「人生派生活派」のニオイはする。チト文章表現が、チトなんかちがうかな、というかんじはあるが。

でも、もともと、おれは、こういうナントカ派といった分類は、あまり好きじゃない。便宜的な範囲の話にすぎない。

そうそう、それで一昨日の「生活感、関係あるか荻原魚雷「古本暮らし」」の最後に、「こうしちゃいられない」と書いたら、某編集者からメールがあって、「こうしちゃいられない、でしょ」「ブログで、人の本の宣伝をしている場合じゃないでしょ~」と。うへ~。編集者は、ブログのおかげで著者管理がやりやすくなったのだろうなあ。

高円寺に根が生えたような荻原魚雷さんのブログ…クリック地獄

ご参考、当ブログ

アンディ・ルーニー登場、ちょっとだけ
2005/06/09「「ブログジャーナル」とかな」…クリック地獄

マイク・ロイコ登場
2006/02/20「マイク・ロイコ流残飯絶滅法」…クリック地獄

ボブ・グリーン登場
2002/12/21「反グルメ論」…クリック地獄
2002/12/22「「反グルメ論」続」…クリック地獄

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