「唐辛子」の味わい
チョイと古いネタだが、『彷書月刊』2003年5月号の特集は「まんぷく」だ。
書いている顔ぶれは、「幸福だった詩人」山本容朗、「浅草広小路の屋台」吉村平吉、「牛乳屋の子孫が語る牛乳物語」黒川鍾信、「料理学校の歴史とその周囲」真銅正宏、「滋養食と健康」串間努、「光太郎、スカッとさわやか――清涼飲料の時代」林哲夫、「まことしやかさの「向こう側」――食をめぐる「うわさ」から」重信幸彦、「ハチミツと食文化の一考察」清水美智子、「おいしい味噌の造り方」佐藤隆、「宇宙食、過去から未来へ」松本暁子。
吉村平吉さんが亡くなられた2005年の春から2年がすぎた。いまあらためて、ここに掲載の吉村さんの文章を読むと、味覚の表現にハッと思わせるものがある。そもそもあれほど浅草に通じていながら通ぶることのない人で、食に関してもそうだったが、やはり、なかなかの方なのだな。
「浅草広小路の屋台」というタイトルで、「日本一の盛り場といわれた頃の浅草(――いまは誰もいわない)の魅力は、観音様と六区の興行街、それと安くて旨くてしかもバラエティに富んだ食べもの屋にあった」と書き出し、とくにいまでは面影すらない、浅草ならではの屋台について書いている。
浅草の屋台といえば、近代の汁かけめし〔牛めし〕の屋台で、これはいまでも「浅草名物」らしい名残りがあるが。このように書いている。以下引用……
"カメチャボ"と称えた牛めしの屋台は浅草名物みたいになっていた。何軒かあっても、あそこのが旨い、とそれぞれの常連があるらしかった。
因みに、カメチャボのカメは洋犬のことで、横浜あたりのガイジンが犬を「カメーン!」と呼んだことからきているらしい。チャボはチャプスイの訛ったもので、つまり"犬のご飯"の謂れである。
……引用オワリ。
この文章は、ヒジョーに微妙な内容を含んでいる。カメチャボが"犬のご飯"だというのは、ウワサのように犬肉をつかっていたことに関係するのか、それとも「猫まんま」のことを「犬めし」と呼ぶように"犬のご飯"なのか。そこんとこが、どちらともとれるようで、気になる。「謂れ」とのことだから、後者のような気がしないでもないが。
それはともかく、おれが、ハッとしたのは、この記述だ。
「とくにカメチャボの屋台には感動した。初めて経験する味ということもあって、七味唐辛子をふりかけると脂濃いはずなのにさっぱりした食感だった。牛の筋肉をじっくりと柔らかくなるまで煮込んだものが主体だという。」
この「七味唐辛子をふりかけると脂濃いはずなのにさっぱりした食感だった」は、じつに簡潔にうまく書いている。近年の韓流ブームもあって「辛い」ものがはやったが、ばかに「辛い」ことを競うような話ばかりで、このように辛子の味わいを表現した例は記憶にない。
牛筋煮込みもそうだし、ヤキトンのカシラなども、一味唐辛子を真っ赤になるぐらいかけてたべると、さっぱりするだけでなく脂の旨みが引き立ってよい。ま、好き好きだが、唐辛子の効果はそういうことなのだと、あらためて思った。
当ブログ、吉村平吉さん関連
2005/03/07「吉村平吉さん逝去 追記」…クリック地獄
2005/03/20「望月桂の一膳飯屋「へちま」のあと」…クリック地獄
ザ大衆食「浅草と浪曲と牛すじ煮込み」…クリック地獄
「ふくちゃん」が登場するけど、ここが浅草でイチバン安くてうまいという話をしているわけじゃないからね、まちがわないよーに、こころ狭い通ぶるグルメたち。
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コメント
あれ、まだ書き込みあったのか。祭りあけの、コメント連打だな。酔って神輿のうえにあがっちゃいけないよ。
西参道あたりは、もと屋台だったところがおおいらしいね。あの寂れぐ
あいは、拗ねた気分にはよいところ。
投稿: エンテツ | 2007/05/22 00:49
ああ、「ふくちゃん」はいいですな。西参道が寂れてて、あすこにあるあの風情がいいですな。
ダービー通りみたく観光客がいなくてね。
先生様も書いてる通り、特に旨いわけでも特に安いわけでもない、特にお薦めする点のない店。
投稿: 吸う | 2007/05/21 17:13