コナモンと汁かけめしの出合い
きのう書いたように、きょうはコナモンの日なので、日本コナモン協会の会長、熊谷真菜さんとおれの出合いについて書くことにする。
熊谷さんとおれの出合いは、イイ女とイイ男の出合いだった。と書いてもイロケのことではない。コナモンと汁かけめしの出合いだったからなのだ。その結果、熊谷さんには、拙著『汁かけめし快食學』の解説を書いていただくまでになった。
日本人のあいだで信じられてきた歴史には、「米は日本人の主食」という、「米食史観」ともよぶべきものがある。コナモンと汁かけめしは、生活の実態としては大きな比重を占め、必要欠くべからざるものだったにもかかわらず、その「史観」からは無視され続けてきた。「米食史観」からすれば、どちらも長いあいだ「下賎の食」だった。道楽や趣味ならともかく、こんなものと、まともに取り組むひとなどいなかった。
しかし、どちらも、日本の食文化史を語るとき、欠かせないものなのだ。そのことに興味を持ち本にした2人が出合った。これは日本の食文化史上、大ジケンではないか。そうですなあ、この邂逅を、なんにたとえたらよいか、とにかくまっとうな日本の食文化史は、たぶんきっと、ここから始まることになる。
では、おれたちは、どうして出合ったか。熊谷さんは関西のひと、おれは関東。
熊谷真菜さんは1961年生まれだが、1993年にリブロポートから『たこやき』(現在、講談社文庫)を刊行し、おれが『大衆食堂の研究』を刊行した1995年には、まだそれほど広範囲ではなかったが、食文化に興味ある人たちのあいだでは知られる存在だった。
一人の男がいた。いまはある大学の教壇に立っているが、『大衆食堂の研究』発刊当時は某新聞大阪本社の記者をやっていてワザワザ東京まで大衆食の会を取材に来た。このひとが、関西の研究者が中心の現代風俗研究会で、熊谷さんの知り合いだった。熊谷さんは、立命館大学の卒論で「たこやき」に取り組み、それが『たこやき』の本になったのだが、同志社大学大学院修士課程を経てか在学中にか現代風俗研究会の事務局を担当していた。
1999年、拙著『ぶっかけめしの悦楽』刊行。熊谷さんは、「ふりかけ」に取り組んでいた。そして、ふりかけとぶっかけは関係ありそうと『ぶっかけめしの悦楽』を読んでいるところに、その記者があらわれた。「この著者知っているよ」「ワアッ会いたい紹介して」ということで、熊谷さんが上京したついでに、東京ステーションホテルで会ったのだった。
そのときのことは、『ふりかけ 日本の食と思想』(学陽書房)に書かれている。……
折りしも時代は、ご飯もの大人気で、「ぶっかけ飯」や「おどんぶり」が注目されているなか、『ぶっかけめしの悦楽』(四谷ラウンド)が出版された。著者である遠藤哲夫さんに、ふりかけをどうとらえたらいいのか、教えを乞うことにしよう。
――ふりかけを広げて広げて考えていくと、なんとなく、ぶっかけめしに通じていくような気がするんですが。
……こんなふうに始まり、おれの話が載っている。2000年11月25日の日付がある。この日が初めての出合いなのだ。
熊谷さんは、大学院修士まで出ているのに、本を読むのが苦手だ。そこで、まるで探偵みたいに、つぎつぎにひとに会い、インタビューを文章にしていく手法をとることにした。これは、出版業界的な本づくりのためには、よい編集者がついてないとうまくいかない難点があるようで、その意味では『ふりかけ 日本の食と思想』は、貴重な資料を含みながら惜しい結果になっている。だがしかし、大衆食にとっては都合のよい方法なのだ。大衆食は、生活と密接であり、そこを掘り返した出版物は、まだまだ少ない。これまでの本に書いてあることは、根本的なところで、生活の実態から遊離したウソがおおい。
そして、熊谷さんは、たくさんのひとに会い、探偵の探索のように突っ込んだ深い話を聞いているからだろう、食文化の本質を生活の現場のこととして理解している。
たとえば、『汁かけめし快食學』の解説に、こう書いている。「母のしつけは本来のおいしさをゆがめることもあります。庶民とは何か、たくましく生きるとはどういうことなのか、喰いたいように、うまいと思うようにして喰らえばいい、という当たり前のことを、再確認させてくれる一冊でした。」
おれは、ここを読んで、熊谷さんに解説をお願いしてよかったとおもった。熊谷さんは見るからに育ちのよいかたで、華やかさが似合うし社交的なかただ。おれとはまったく逆、生きてきた世界がちがうようだけど、やはり「コナモンと汁かけめし的同志」なのだとおもった。
『ふりかけ 日本の食と思想』の熊谷さんの言葉を引用しながら、きょうのまとめ。「文化とは、人々の生きざまそのものであり、暮らしの細部において活用され、しかもその土地、その人固有の思想として、おのずと受け継がれていく、美しい形(理)といえる」そこにある「おいしく食べるという営み」に、もっと視線を注がなくてはならない。
ここで、「その人固有の思想として」とまでいうひとは、めったにいない。おおくは、「その土地固有」のあたりで思考がとまっている。それは熊谷さんは、たくさんのひとに会い、それぞれがちがう生き方と食べ方をしていることを肌で感じ知り、なおかつそこに食文化の本質や未来の可能性をみているから書けることだろうとおもう。
熊谷さんは、一見ミーハーだけど、ま、そもそもミーハーそのものは悪いことだとはおもわないが、やはりちゃんとみているということなのだ。本なんか、読まなくてもよい。でも、ちったあ読まなくては、こういう言葉も出てこないか。苦手だといいながら、けっこう読んでいる。ただ、本に書かれてない生活を、忘れない、大事にしている。けっして知ったかぶりしないひとなのだ。それから、なにより、食べることが好きだ。
と、最後は、熊谷真菜礼賛になってしまった。彼女の活躍は心強い。
| 固定リンク | 0
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
どーも。ちゃちなヒソヒソした男と女の出会いも好きなんですがね。先日の映画を見に行った女性は、愛人8号です。ヒソヒソな関係じゃないですが、『こほろぎ嬢』を見に行くとメールがあって、それでまた下北沢で上映していることを知りました。大阪の上映も知らなくて、ヤマザキさんが終ってから、しかも熱心に十三のおもしろさをブログで紹介していて、それはそれで面白かったのだけど、どうして大阪での上映を事前に周知徹底しないのだ、おれの知り合いの一人か二人ぐらいは見に行きたいといっていたのにと思っていたもので、彼女に伝言を託したわけです。そのときのメールの内容は、こうですね。これをご覧になったのでしょう。
こほろぎ嬢、またやっているとは知らなかった。
ヤマザキクニノリは宣伝がヘタだなあ。
自分のブログにも、そんなこと書いてないし。
明日、たぶん会場にいると思うから、
(宣伝を徹底してやってないのに客の入りに一喜一憂しているはず)
見つけたら、そういっておいてください。
ブログのほうは拝見しました。まあ、また、長々と。おれが登場するまでも長かったですが、自転車のヨッパライ運転とは。ま、カンケンの弾圧にあわないように、勝手にやってください。
まだ18日まで上映しているのですね。あとで当ブログでセンデンしておきます。また飲みたいものです。先日、鶯谷の信濃路に入ったら、午後4時ごろだというのにゴキゲンな多田さんに会いました。ヤマザキさんと会ったときのように、最初はわからなかったけど。
そういえば愛人7号も、こほろぎ嬢を観たいといっていたが、どうしたかな。
投稿: エンテツ | 2007/05/13 13:00
「コナモンと汁かけめしの出合い…これは日本の食文化史上、大ジケンではないか」。感動しました。ちゃちな男女の出会いなんかと比較にならない、これこそまさに出会いと呼ぶべきものではないでしょうか。
先日、シネマアートン下北沢で、一人の女性がわたしに声をかけてくれ、エンテツさんの友人だとおっしゃいます。そして彼女の携帯に入ったエンテツさんからのメールを直接読ませてくれました。そこには、映画『こほろぎ嬢』が再映されているとは知らなかった、ヤマザキたちはなんて宣伝が下手なんだ、奴を見つけたら発破をかけてくれ、というようなメッセ-ジがありました。
そのとき、下手糞な舞台挨拶をして、すっかり落ち込んでいたわたしは、エンテツさんの檄を受け、ブログにそのことを書くことで立ち直ろうと決意したのです。ところが、あれやこれやあって、ようやく今日アップしました。例によって長たらしいものですが、エンテツさんのお名前を頻繁に使わせて頂いています。事後承諾で恐縮ながら、ご諒解ください。
http://blog.7th-sense.sub.jp/
投稿: kuninori55 | 2007/05/12 19:02