「癒し」って、どうするの?
『厳選名古屋居酒屋+周辺80選』(平岡俊佑編、風媒社1997年)をパラパラ見ていた。新書サイズ1見開きに1店載っているガイドブックなのだが、いろいろな人が書いている。なかには、いわゆるガイドな文章からするとどうかなと思われるものがあって、おれとしては、それがかえってオモシロイ。
たとえば、ある店の紹介は、こんなふうに始まる……
「大変な時代になった」という言葉がよく聞かれる。「カオスエイジ」とも言われる。何かにつけ先行き不透明な時代だから、庶民の愚痴、ボヤキも半端じゃない。
それで「はけ口」を求めて、男も女も酒に歌にと夜の街を徘徊するのが、お決まりのコースらしい。そんなことしたって何も癒されないことは、皆判っているのに。
……なーんて書いてあるのだ。スバラシイ!と祝杯をあげたくなる。
これだけじゃ誤解されちゃうだろうから注釈をすれば、この著者は、「心癒されるところでしみじみ飲む」ことを奨励したいのだ。それで紹介する店が「愚痴やボヤキもここでは品がいい」となる。おれのポリシーには沿わないが、主張は理解できるし、なるほどねえと思う。
しかし、一方で、これはべつのことだが、こんな「癒し」の主張もあるのだ。
ファックスの箱を整理していたら、あるテレビ番組の制作プロダクションから送られてきた企画書が出てきた。たまーに、こういう制作協力や出演の依頼があるのだが、エンターテイメント系やわけのわからないバラエティ番組については、テキトウに逃げるようにしている。でも根が親切だから、不親切に対応することはない、けっこうタダで面倒なことをしてあげたりすることもある。この場合は、どうしたか、もう忘れた。ファックスの日付は2003年4月某日。超有名なタレントの名前が冠のスペシャル番組だ。
「企画意図」に、このような言葉が陳列されている。……
「日本全国から「家庭の味」を発掘!
“究極の癒しメニュー”を作り上げ、将来的には実際に販売していくという今だかつてなかった新機軸の「食バラエティ」です」
「今、日本人の舌が求めている味は、イタリアンでもフレンチでもありません!
素朴で心温まる「おふくろの味」!世知辛いこの世の中で、
人々はぬくもりを求めているのです。
そこで!全国各地の家々を訪ね「家庭の味」を発掘!」
「一見すると何でもないけれども食べると自然と涙が頬を伝うような素朴な家庭料理メニューが次々と誕生!」
「田舎の原風景、おばあちゃんの笑顔が最高の隠し味となった
老若男女誰もが癒される
究極の“癒しメニュー”が誕生します!」
……といったぐあい。わかったわかった、どーぞ勝手にやってください。と、癒し酒を飲みたくなる。おれのような下品な文章を得意とする男ですら、その「!」の使い方、なんとかならんのか!下品すぎるぞ! と言いたくなるのですね!
だけど、こういうことを、けっこう高学歴高給取りの人たちが寄ってたかってマジメな顔してやっているのですな。
そりゃ、それゆけ「癒し!」だ。
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コメント
どーも、はじめまして、コメントありがとうございます。
ようするにウケをとりやすいということなんでしょうかねえ。
しゃぶれるだけしゃぶるとか。
いつまでこんなことが続くのかと思っているけど、
いつまでも続きそうで、
ある種のファシズムの中にいるような心地悪さです。
ま、酒でも飲んで嵐をやりすごす心境。
投稿: エンテツ | 2007/06/29 21:48
はじめまして
その気持ちよくわかります。
宮崎駿氏の本で「出発点1979~1996」という本があるのですが、
そのなかの糸井重里氏との対談で
『一番きにくわないアニメーションは「こっちみて」といいながらやっているような絵』
というような内容をしゃべっていました。
これはどんなことにもあてはまるのではないでしょうか。
投稿: dhmmcp | 2007/06/29 17:26