批評精神が泥酔状態の二日酔いだから
(追記)おれが好きで聴く落語家は、正雀と雲助と喜多八だよ。
きのうは、大宮まで仕事をしにきていた吸うさんと、5時にいづみやで待ち合わせて、よれよれになるほど飲んだ。やはり、覚えているといったけど、覚えていない。おかしいな、飲んでいるときは、覚えているつもりなんだけど。
いま昼12時半すぎ。まだ酒がぬけきってない。でも、やらねばならぬ。そして今夜も飲まねばならぬ。
もうオワリだね、きみの姿が小さくみえる……女のことじゃなく、マツオカセンセイのこと。やはりこれで幕引きだ。もうすぐみんな忘れるさ。おれは忘れない、女のこと。
おお、そうそう思い出したぞ。女にふられた。別れ。ぶっかけ。だ。キーワードね。覚えていたぞ。日暮里のいづみやにも、テーブル席があるのだった。
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コメント
ああ、小上がりね、それはよいね。
ああ、たしかに、あそこのカウンターなら、そうだね。
ああ、キーワード、そういうのもあったかな。
投稿: エンテツ | 2007/06/05 08:03
ああ、日暮里のいずみやは「テーブル席」じゃあなくて小上がりの座敷ですよ。
まあ、座敷じゃなくても、あのせまい迎い合わせのカウンターなら、テーブル席のように向かいの人と十分会話ができますな。
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「トラックバック」「文化包丁」「赤線・青線」「野糞でもコンニチハ再考」
投稿: 吸う | 2007/06/04 16:30