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2007/06/28

電車でレタスクラブを見る女

このあいだ東京へ行くため、午前11時ごろの京浜東北線に乗った。車両はガラガラで、テキトウに座った。ほぼ斜め前の女が、真剣な顔で、雑誌を見ていた。その雑誌は、「レタスクラブ」だった。

ワタクシは電車のなかで真剣に「レタスクラブ」を見る女におどろいて興味を持った。20台後半といいたいところだが、30歳前後に見えた。若いようなのだが、生活の疲れがただよう。貧相というほどではないが、あまり肉のついてないからだ。とくに特徴のない地味な白いブラウスにスカート。アクセサリー、なし。これから、アルバイトかパートの勤めに行くような感じで。

なぜ、彼女は、そんなに真剣に「レタスクラブ」を見るのだろうか。ワタクシは赤羽で降りるまで、ずっと考えたが、なにも思い当たることはなかった。ただ、ふと、彼女には「レタスクラブ」がお似合い、か、「レタスクラブ」には彼女がお似合いという感じがした。普通の人、普通の生活。ジケンにでも巻き込まれないかぎりテレビや新聞や雑誌に登場することがない。

“われわれの日常は、じつに多くの、また微細な生活習慣から成り立っている。そして生き甲斐などと、ひと口に言えば大変なものも、仔細に眺めれば、こうしたひとつひとつの小さな生活の実感の間に潜んでいる筈のものである。”

……と藤沢周平さんは書いている。たしかにその通りだと思うのだけど、そういう「小さな生活の実感の間に潜んでいる」ものが見えない判らない、テレビや新聞で話題になるような美しさや醜さしか感じなくなったワタクシがいるのだった。

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