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2007/07/02

狂騒から遠く離れて

Hananoi_tyukaきのうの続きになるが。画像は6月30日に玉ノ井いろは商店街で撮影した。この日、東向島界隈をウロウロしながら、おなじような雰囲気の中華屋を何軒も見かけた。そして、フト思ったのだが、1980年代後半からの昭和レトロブームやB級グルメブーム、お散歩ブームといった狂騒のなかで、そこから遠い位置にいて比較的日常を保ち続けたきたのが、こうした中華屋ではないか。

1980年代後半からの狂騒は、街の生活のヒダに何かを発見するのではなく、狭いジャンルやテーマに特化した情報や知識を詰め込んだ頭を武器に、街の日常に爆撃するように入っていくことだった。といえる。実際、そこへ入る人びとのあいだでは、「突撃」といった、攻撃的な言葉が使われることもめずらしくない。

それは、まるで飛行機から落下傘で降りるように、特定の地域、特定の建物、特定の食べ物にネライをつけ特化していった。京島の街のパン屋も鳩の街の路地裏の元売春宿も、降下部隊のターゲットにならなかったものを探すほうが困難なぐらいだ。

Hananoi_tyuka2あるテレビが、ある雑誌が、それをやると、みな右へならいし、同じテーマを食べつくししゃぶりつくすまで追いかけ、人びとはそれにしたがって右往左往した。もちろん、おれも、チト遠いところから、その片棒をかついできたのではあるが。

もしかすると、そういう狂騒からイチバン遠いところにいたのが、こういう中華屋の風景だったのではないかと、フト思ったのだった。ある意味では、木造の昭和から工業化の昭和、べつの言葉でいえば「高度経済成長期」の東京の労働者的な生活の風景の特徴を、よく留めているように思う。

この風景が、なぜ1980年代後半以後のマニアックな狂騒にまきこまれないですんだかを考えると、逆に、その狂騒の何であるかを知ることができそうな気がした。

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コメント

どーも。
その「わざわざ」の差が、なぜ出たかってことが気になりますね。

いろいろ考えられるので、考えてみたいです。

投稿: エンテツ | 2007/07/03 10:58

コメントが途切れてしまいました。


わざわざ食べに行く事はないけど街には馴染んでいる中華料理屋さんでした。

投稿: スコッチエッグ♂ | 2007/07/03 06:00

おはようございます。

あまりにも身近すぎて気づいていなかった中華料理店

下町情緒な店≦中華料理≦グルメなお店

という図式を無理やりこじつけてみたのですが

下町情緒な店は
レトロと称してもてはやされている部類。もんじゃ焼きやモツ煮とか

中華料理店は
遠藤さんが挙げているような店。
どこにでもありそうで特徴が定まらず
残ってしまった店。

グルメな店とは
ラーメンでも何でも行列が出来てしまうような飲食店。


下町情緒な店もグルメな店もわざわざ出掛けて行く店に対し中華料理店はわざわざ行かない。

そんな風にみました。

行列が出来てしまうラーメン屋は行ってはいないのですが、下町情緒な店(例えば京成線沿線の下町居酒屋)には好んで行くので私だってご多分にもれませんが。

東向島や鐘ヶ淵の取材呑みの記事楽しく読ませていただきました。

京島にステキな花屋さん『ラブガーデン』
http://mblog.excite.co.jp/user/lovegarden/
があります。
曳舟湯からすぐ近くですが、やはりその通り沿いに『八十八 やそはち』という中華料理屋さんがあって土間敷きの床で餃子が美味しかったです。
界隈では評判のお店だけど、わざわざ出向いて食べに

投稿: スコッチエッグ♂ | 2007/07/03 05:55

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