「栄養料理の作方」の気になる関係ないこと
能ある鷹が爪をかくすように、酔っ払いのふりをして敵に近づくコマンドのように、平均以下のヘタな文章のなかに平均以上の内容を埋め込む芸を追求するおれは、つねに勉学を怠らない。今日もまた、この『栄養料理の作方』をパラパラ見る。パラパラね。おっ、飲んでいないのか。はてね。
主婦之友(五月号)附録。昭和九年五月一日発行。昭和九年というと、1934年。題字の「栄養」の栄などは「榮」と旧字だが、ここではなるべく新字で書く。
本文320ページのボリュームに広告もあって、何回見てもおもしろい。見るたびに、なにかしら発見がある。
『栄養料理の作方』とあるが、ようするに「栄養」がハヤリの時代だったから、フツウの料理を「発育盛りの子供さんの栄養料理」「妊婦向きの栄養料理」「勉強盛りの学生さんの栄養料理」「老人向きの栄養料理」「運動不足の人の栄養料理」「「肺病患者の栄養料理」といったぐあいに栄養的能書きをつけて分類しただけ。ようするに「食育」がハヤリだからなんでも「食育」でやろうというのとおなじだ。むかしから汗水流さないで知識や情報で収入を得ようという邪悪なものたちのやっていることは、たいしてちがわない。しかし、このなかに、「筋肉労働者の栄養料理」という項目があるのにはおどろいた。
一ページ広告に「絶対安全マモリエプロン」ってのがある。裸の女が後姿の写真。エプロンのようなものを、前にではなく、後ろの尻にしている。「月経前後のお召物の保護に」とある。「大妻技芸学校長 大妻高等女学校長 大妻コタカ先生考案指導」だそうだ。
魚の絵と解説のページがあって。「飛魚」に「焼魚最も美味」とある。「飛魚」は、いまが盛りだ。このあいだの鳩の街の商店街の魚屋では、これをドカッと氷のはいった大きなバケツに入れて店頭におき、軒先には開いたやつを洗濯物をつるすサークルにぶらさげて干していた。それを見た『酒とつまみ』編集長の大竹聡さんが、「これでダシをとるとうめえんだよなあ」といった。おれは、あんたは酒さえあればいいんだろと胸のなかで思いながら「そうそう」と同意した。
そのことじゃない。いまここにメモしておこうと思ったのは、この本の執筆者の名前と肩書だ。登場順に。
陸軍糧秣本廠 北山義雄
家庭食養研究会長 香川綾子
一戸食物研究所 一戸伊勢子
渡邊競氏夫人 渡邊雅子
聖路加国際病院調理室 日本食調理部
尾崎稀三氏夫人 尾崎鍈子
銀座美容院主 早見君子
白井喬二氏夫人 白井鶴子
高鍋日統氏夫人 高鍋千代子
陸軍糧秣本廠 満田百二
東京警察病院食餌療法調理室 宮川哲子
慶応病院食養部 芦澤千代子
慶応病院食養部 岡本壽々子
河上一雄氏夫人 河上とり子
掛橋料理講習所 掛橋菊代
中村古峡療養所 中村琴子
婦人割烹講習会長 宇野九一
医学博士田中吉左衛門氏夫人 田中和子
松島誠氏夫人 松島郁代
高田重正氏夫人 高田弘子
東京衛生病院料理主任 ミセス・パーキンス
得見秀子
宇多割烹研究会長 宇多繁野
東京料理学校講師 桜井省三
東京割烹女学校長 秋穂敬子
大下角一氏夫人 大下あや子
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