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2007/07/15

入道雲を見よ! サビ抜きの寿司のような「懐かしい昭和ブーム」。

Ryousei2台風どうなるのだ。予定があるから困る。と、自分で決められないことを気にしてもしょうがない。なんとかなるだろう。

なんだかエクセルに開眼してしまった。というのも、次々に届く資料がエクセルなのだ。これが、すごくうまくできているのだなあ。で、おれもエクセルで資料をつくってみようとやりだしたら、けっこうオモシロイ。すっかりはまってしまった。パソコンの使いみちが、また一段と開けたかんじだ。

なんでも自分でやってみることだな。「スローライフ」って、そういうことだな。どいとゆあせるふの精神。ひとに頼んだり聞いたりすればカンタンにすむことでも自分でやってみる。だけど、コンニチの世の中は、スピードが勝負ということになっている。急ぐから、誰かの情報や知識を頼りにしなくてはならない。でも、あわてることはないのさ。どいとゆあせるふ精神でやったことは骨となり血となり肉となる。自分はやらない手づくりを礼賛し、ドーダドーダと、ちゃらちゃら自慢げに情報や知識をひけらかしたがるやつらが色あせてみえる。

ま、それで、ロケハン一週間、ホンバン取材一週間、それから原稿書きの長丁場のオシゴトの準備は着々とすすみ、しだいに尻にも頭にも火がつき肉体は燃え上がっているのだが、それとはべつの企画で、いまの「懐かしい昭和ブーム」を考えさせられることがあった。

Ryousei1詳しいことは、そのうちにして、結論だけ書くと、ようするにいまの「懐かしい昭和ブーム」に決定的に欠けているものがある。それは東京人になりきれなかった田舎者のおれがかんじることかもしれないが、はやい話が、鈴木漁生さんの世界だ。このたび、あらためて思ったね。鈴木漁生さんの作品、『漁生の漫画家残酷物語』『漁生の浪漫戦記 青春の墓場』『漁生のヒーローグラフィティ60's』の三冊の傑作集を、ほぼ一人でまとめ刊行した幻堂出版のなかのしげるさんは、すばらしい。これは、なかのしげるさんの偉業だ。こういうのを偉業というのだろう。

昭和30年代といえば、まだ就業人口の3割ぐらいは農業のはずだ。工場労働者を含めた労働者は7割ぐらいはいたのじゃないかな。全人口の半分ぐらいは農村部だったとおもう。サザエさんや3丁目のナンタラのような山の手をモデルにした「東京の侵略」がいわれだしたのは1980年ごろからであり、都会は田舎の包囲下にあった。1960年代の東京の都心だって、拙著『大衆食堂の研究』に書いたが汗臭い田舎者、汗臭い労働者だらけだったのだ。

そこにあった入道雲のような「情熱」あるいは「情念」あるいは「激情」、あるいは「野蛮」「野性」、そして、であるがゆえの「あたたかさ」。これらは、コギレイでカワイイ癒される「懐かしい昭和ブーム」からは捨てられているような気がする。ま、ようするにジャンクなのだ。

とにかく、「懐かしい昭和ブーム」には、あの暑い夏の田舎の入道雲がない。しかし、鈴木漁生さんの漫画は、その入道雲だらけだ。秋麦の季節だって、入道雲だ。

『漁生の浪漫戦記 青春の墓場』で、宇田川岳夫さんが書いている。「鈴木漁生の劇画世界には、青春の情熱に満ちたかのように照りつける暑い夏の日差しや、狂気を秘めてどこまでも青い空に湧き上がる入道雲や、貧困や障害や差別といった負の遺産を帯びながらも逞しく生きる人々や、六〇年代初期の生活臭が漂う路地裏や、月明かりに照らされた夜更けのあぜ道といった、妙に郷愁を起こさせるような失われた光景(それらは作品の発表された七〇年代中期にはすでに失われつつあったのだが)がちりばめられている。」

Ryousei3が、しかし、たしかに多くの光景が失われてきたが、ワレワレ自身は、どうなのだ。不条理、理不尽といった負の現実と、どう向き合っているのだろうか。夏の入道雲を見たか。見よ、夏の入道雲。いいなあ、入道雲、好きだぜ。

入道雲のような情熱を失わず、力強く生きたいものだ。って、このトシになっても、そんなふうに入道雲を見るおれは紳士にはなれないな。オンナには怖がられて逃げられるねえ。おれって、やっぱりバカか。コリコウに生きるよりバカでいい。ま、これしかないってことだが。

しかし、おもえば、たとえば、いまの麺の太さ味覚まで、あのころの労働者の生活が決めたものなのだなあ。いまどきの「懐かしい昭和ブーム」には、そういう景色が欠けている。3丁目のナンタラなんて……。いや、小賢しいメディアやブンガクやアーチストやクリエイターなどによって、捨てられたのだ。昔はよかったというズボラと自己愛と商業主義。

捨てられた昭和と鈴木漁生をとりもどそう。まず、入道雲を見上げるのだ。まず、鈴木漁生の入道雲を見るのだ。画像は、傑作集からスキャンしたが、うまくできず勝手にトリミングさせてもらったりした。あるときは入道雲を背負い、あるときは入道雲のなかを駆けるように……。

ああ、ひさしぶりに酔って書くと、どうもイマイチだな。こうしちゃいられない。酔ってもやらねばならぬことがある。外は雨、しだいに強くなっている。24時半すぎ。

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2005/02/08さらに『東京いい店うまい店』と鈴木漁生本「浪花節だよ人生は~」…クリック地獄
2007/06/24雲よ…クリック地獄

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