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2007/08/09

風邪回復へ。高校総体柔道 岩手代表アベちゃん応援。

Miyako_abe今朝の体温は36度だった。きのうは朝36度5分、夜は7度2分あった。まだ下がるのかもしれないが、これでよいことにする。今日は、「正常化」をはかり、ビールを飲むつもりだ。

寝ていると女のことをいろいろ考える。女といってもイロっぽい話とは限らない。アベちゃんも、その1人だが、うふふふの女子高生。彼女のことは、26日釜石から宮古へ向かうJR山田線のなかで知った。

その朝6時ごろ釜石を出発した電車は、2時間ほどかけて岩手県太平洋岸を北上し宮古にいたる。途中から、通学の生徒たちが乗って来る。どうやら「通学」電車であるらしい。どこの駅だったか、乗ってきた女子高生3人が、ワレワレ5人が占めるボックスの通路のところに立った。

ワレワレのうちの誰かが話しかけ、それがきっかけになったと思う。おれが話しかけたのではない、おれはそのときすでにカップ酒を片手の、だらしない飲兵衛オヤジだった。ま、とにかくそれで、話がはずんだ。

高校は夏休みに入っている。彼女たちは、それぞれ部活やらなんやら「用」「目的」があって登校するのだった。なかの1人が、8月に佐賀県で開催の高校総体(インターハイ)に柔道の岩手県代表チームで参加することを知ったとき、ワレワレはみな「えーっ」と声を上げた。「すごい」ということだが、なにがスゴイって、インターハイに出るだけでもスゴイのに、彼女は普通以上に小柄なのだ。ワレワレの一員である瀬尾さんなどは、「だって、あなた、150あるの?」と遠慮なく聞いた。彼女は、アベという姓だ。体躯の大きさなど、ナニゴトにもあまり関係ないのだが、小さいと、がんばっているなというかんじがするし、それなりにちがう鍛錬も必要だろう。

宮古につくまで楽しく語り合った。もう1人の女子高生は、音楽の部活をやりながら、じつは書のほうで、やはり何かの大会に出るらしい、もう1人は参考書を手にしていたが進学一途らしい。

この子たちのことを書いていると話がながくなるので、機会があったらそのうちということにして(みなすばらしい女子だった)、Webで調べたら、佐賀県で開催の高校総体の柔道は、きのう8日が開会式と男子予選開始で、女子は明日10日から始まる。がんばれ、アベちゃん。

2007青春・佐賀総体 柔道…クリック地獄

おれも、1961年高校3年の夏、高校総体の登山競技に出た。2006/04/11「書評のメルマガとドラム缶の風呂」に、「高校3年生の夏休みは、7月夏休みに入るとスグに、インターハイつまり全国高校登山大会に出場、ま、レベルの高い激戦の新潟予選を勝ち抜いて参加ってわけだけど、たいして自慢になることじゃないので、この話はあまりしてない、とにかくそれで朝日連峰縦走で麓泊も入れて4泊5日だったかな?」と書いているていどだが。 

高校で体育系の部活をしていれば、国体と高校総体は大きな目標であり憧れだ。国体への挑戦は、2年生のとき予選に出て、2位で出場かなわなかった。1位1パーティ3人しか参加できず、このときは、かなり接戦で、最後までどちらが勝つかわからないといわれたけど、たしか新発田農高だったかに負けた。

翌年のインターハイのときには、その新発田農高のチームにやはり2年生で参加していた本間さんが3年生で部長になり予選を突破していた。彼と、名前を忘れたが高田高校山岳部の男子とおれの3人で、パーティを組んだ。新潟県は、もう1パーティ、合計2パーティで参加した。ほかに、女子部門に1パーティ。

おれは登山競技には一貫して興味なかったけど、参加となれば、予選だって、やはり燃えちゃうね。それにインターハイの県予選には、ウチの山岳部は「有力」だったから、一年生のときからオブザーバーで参加する予算があり、1年のときは地元の八海山、2年のときは妙高に参加し、他校の山岳部員との交流は楽しかったし参考になった。3年のときは選手で浅草・守門の予選に参加したわけだけど、そのときには、「やあ」と言葉をかわす知った顔が数人いた。

おれのときの高校総体の開催地は山形県で、登山競技は朝日連峰を舞台に、縦走幕営二泊、下山後閉会式一泊という日程だった。登山競技は開催地の山岳の条件によってかなりかわるが、このときは「縦走」が中心だった。

寒河江の高校で開会式のあと、すぐ初日の幕営地にむかったのだが、たしか登山口に着いたのが午後1時をまわっていたと思う。雷の関係もあり、常識的には真夏に登山を始める時間ではない。それに一日目は全員おなじコースを登るのだから、おれたちがいた最後尾のほうは、幕営地に着いたときには日が暮れていた。それに、やっぱり夕立にあい、雷はひどくなかったが、テントを張る地面は雨上がりのあとで、たっぷり水分を含んでいた。

この縦走コースの組み方には、かなり無理があり、とくに二日目は幕営予定地に予定通りの時間で到着したのは、おれたち新潟県勢を含めわずかで、たいがいは遅れて到着するなど混乱が少なくなかった。とにかく、無理のあるコースに、ガンガン照りで、消耗しつくした。

最終日は閉会式のあと夜は交流会で、たしか天童の旅館に泊まり。翌日は「ごほうび」ということで、山寺あたりを観光しながら松島で泊まり(泊まりといっても旅館ではなく、海岸に幕営)、翌日帰宅した。そのあとすぐ夏山合宿、いったん下山してすぐ苗場山頂上小屋でアルバイト。

もう記憶があいまいだが、そんなふうだったと思う。ま、この夏の「青春」は体力勝負で、体力を燃焼しつくした、というかんじの夏だった。

いまでも、体力勝負の人生だなあ。とくにカネになるほどの専門知識や技術があるわけじゃなし。

ああ、話がどこへ転がったのやら。

そうそう画像のこと。宮古駅、左端の小柄な女子高生がアベちゃんだ(ほんと、小さいよね)。アベちゃ~ん、ファイト~。

画像の右端は瀬尾幸子さんなんだけど、きのう、瀬尾さんから新著が届いた。『「今宵の肴は自分で作る 簡単!旨いつまみ」アイデア自慢の速攻レシピ102点』学研のムックから。

パラパラと見ただけでも、作ってイッパイやりたくなりそうなのばかり。近日中に詳しく紹介する。よろしく~。

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