食べた後、書き出す前。山陰の日本海。
食べ散らかしたあとの片付けをやっている気分だ。先月中旬に始まった、北九州の大衆食堂を中心に食べ書く仕事というか作業は、取材を終え、いまや第3コーナーから第4コーナー、来週の編集委員との打ち合わせが終われば、肉体にムチをいれ原稿を書きゴールに向かって駆け抜けるのみだ。
「地方にとって難しい時代だからこそ、腰をすえて埋もれた北九州の魅力をざっくり掘り起こす」雑誌、とおれは見ている『雲のうえ』らしく、「おいしく食べて、働き、生きる充実感のようなものが」クッキリ表現できるか、それはこれからなのだなあ。あああああ、思い切り酒飲みてえ~、なんて言っているばあいじゃないのだな。とにかく、取材や資料の整理を始めたら、こりゃまあ一度に片付けるのだから、大変だ。
7月16日(日)に寝台特急で北九州へ。18日朝、小倉駅の7,8番ホームで立ち食いうどんを食べたのが第一歩。いま資料を見直したら、22日の昼過ぎに小倉を離れるまでのあいだに、門司区、小倉北区、小倉南区、戸畑区、八幡東区、八幡西区、若松区の主な地域をまわり見て歩き、45店で食べている。多い日は、一日に11店。こうなると難行苦行だ。そのほかに、ロケハンの対象外の、休憩とか、角打ちや居酒屋。もうヤケクソのような。
そして絞った20数店、最終的には25店の本番取材。きのう書いたように、22日夜に北九州入りし、23日朝6時から始まり、28日の朝7時半ごろ、最後の1店が終わる。死ぬ思いの苦しいロケハンのおかげもあってか、手ごたえは十分だった。が、しかし、ページ数と、これまでの「雲のうえ」らしい表現を考えると、どうも店数が多すぎる。おれはいつも、あまり構成など考えず書き出し、なりゆきで書いていたのだが、今回はそうもいかないようだ。ま、とにかく、頼りになる編集の大谷さんとデザイナーの有山さんがいるから、知恵を出し合えばなんとかなるだろう。
って、ことで、とりあえず食べ散らかしたあとの片付けのように、あれこれ狭い部屋に広げ整理に没頭。やりはじめてわかったのだが、パソコンのなかに整理されているものでも、プリントアウトして見ながらでないと整理しにくい、頭に入らないということが、けっこうあるのだな。おれの頭がアナログなのか、単なるボケか。
そんなわけで忙しいから、ブログには、山陰の「うに丼」の画像でもアップしておこう。ホテルの都合と取材相手の都合で、25日(土)は門司港のホテルに泊まった、その翌日は20時からの取材まで時間がポッカリあいてしまった。そこで、齋藤さんとおれは牧野さんの運転するクルマで関門海峡を走り、「沖縄の海のようにきれいだ」といわれる山陰の土井ヶ浜まで行って来た。土井ヶ浜の海も、途中の海沿いに走る景色も、きれいだった。
帰り、二見ヶ浦というあたりで鮮魚料理を食わせる食堂がある、そこの「うに丼」がうまいと牧野さんがいうので食べた。このへんのうには「下関うに」の名前で出回ることが多いと思われるが、北海道のうによりかなり小粒で、大きさも色合いも、もちろん味もちがう。この味のちがいを、どう表現すべきか、そのときも考えつかず、いまでも考えつかないが、とにかくちがうのだ。そして、とにかく、すぐ目の前の海でとれるうにだから、うまくてアタリマエなのだが、うまいのだ。
このとき山陰を見たおかげで、取材終了後、1人で各駅停車に乗り長門に向かってしまったのだが、そのことはいま書いていられない。
画像、上は、食堂の前から響灘(だと思う)を望む。店名は、少なくとも目に付くところにはなかったので、わからない。海沿いの道路沿い。「うに丼」の幟が風ではためいていた。
画像、下は、うに丼を食べるおれを、おれのデジカメで牧野さんと齋藤さんがかわりばんこに撮っていたなかの一枚。たぶん牧野さんが撮影したものだろう。うには最初からめしの上にのっているのではなく、小鉢にもられている。画像では崩れて小さくなったように見えるが、そうではない、カタチはしっかりしている。これだけで、何十個分だろうか。そのうにをめしのうえにかけ、さらにワサビをといた醤油をかけて、混ぜながら食べる。ほかに当地の産品である、ところてんと果物がついていた。
うまいぞ、うまいぞ、うまいぞ。2000円したぞ。ひとつの「観光食」ですね。
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