書肆アクセスの閉店について
先月中旬、北九州にいたとき、同行者のあいだで東京神田神保町の「書肆アクセス」の閉店が話題になった。そのときその場をおおった雰囲気は「困ったことになった」というのが正直のとこだったと思う。その場にいたひとたちは、「雲のうえ」の関係者であり、また牧野伊三夫さんは「四月と十月」の編集長としても、みな「書肆アクセス」を販路としてお世話になり、命綱のように頼りにしていた。つまりは個人的な関係や感傷を越えて、「困ったことになった」という関係がある。それは、いわゆるリトルマガジンの発行者に共通することではないかと思う。
市役所の若い人が、「(店長の)畠中さんには、ほんとにお世話になりました、一度会ってお礼を言いたい」といっていたが、それが「実態」だろう。
南陀楼綾繁さんの「ナンダロウアヤシゲな日々」や退屈男さんのブログを見ると、「書肆アクセスの本」(仮題)をつくる動きがあり、そのためのブログもできたようだ。…クリック地獄
こういう動きに水をさすつもりはないが、おれは死者の棺を担いで注目されるようなことは嫌いなので、閉店が決まった「書肆アクセス」のために何かをしてあげる考えはない。畠中さん個人に対してなら別だが、「書肆アクセス」は個人商店ではなく、イチオウ、株式会社地方・小出版流通センターという法人の傘下にある店だし。
おれがむしろ気になるのは、「書肆アクセス」あるいは「書肆アクセス」の店長・畠中さんを頼りにしていて、「書肆アクセス」がなくなると困る、リトルマガジンの発行者や編集者は、どうしたらよいのかということなのだ。
こういうことは、いつも結論が出てから話題になるのだが、閉店や倒産といった結果は日常の関係性の延長にあるのであり、ブログ上で「書肆アクセスの本」(仮題)をつくる動きをみると、個人的な関係や感傷に流れている面が多分にある。あるいはそういうファンに「書肆アクセス」は支えられていたということかもしれないが。そういう美しい話だったら、個人の思い出に留めておけばよいことだろうと、おれは思う。
とくにリトルマガジンの将来にとっては、みんなの記念碑のような「書肆アクセスの本」をつくって葬送を行う以上に考えなくてはならない大事なことがあるような気がしてならない。そのことが、「書肆アクセスの本」をつくる過程で掘り返されるのだろうか。
7月30日 書肆アクセス店長 畠中理恵子さんの閉店の挨拶には、こうある……
閉店の大きな理由は、報道にもある通り売上不振です。
ここ5年間、序々に売上げが下降しており、3年前から目立って売行不振となりました。昨年は、書店卸が前年比50%となるなど大きな落ち込みとなりました。
……この部分は「出版不況」だからで片付けられやすい。しかし、一般的にもそれではいけないだろうし、ファンとなれば、なおのことだと思う。これは、おれが畠中さんと知り合ってからの期間に、ほぼ重なる。おれは熱心なファンとはいえないが、気になることはあった。
とり急ぎ、とりとめなく書いた。
後日の追記。2007/08/10「再び書肆アクセスの閉店について」…クリック地獄
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