グッドバイ 太宰治
古墳部の旅行では、7月28日青森県金木町の太宰治記念館、つまり彼の生家を見物した。太宰治なんかどうでもよかったが、寄ってみてよかった。やはり縄文遺跡とおなじで、現場を見ないとわからないことがある。もうほんとうに、太宰治なんかどうでもよくなった。
どうでもよい太宰治の作品のなかでも、「津軽」(新潮文庫)だけは、ときどきパラパラ見ていたが、もうその最後のほうの、太宰の乳母だったか?子守だったか?「たけ」との再会を書いたくだりを思い出すだけでも反吐がでそうになる。自分は、下品で貧乏なたけに育てられ、自分のがらっぱちは、その育ての親のたけの影響なんである、悲しい貧乏人の友なのだ、てなことを述べるくだり、笑わせるねえと思った。ようするに太宰は、上品な金持ちの育ちであり、その本質そのものなのだ。がらっぱちに憧れていただけ。貴族の下層趣味みたいなものだ。
彼の生家をみれば、地主であっても、けっして素朴な地主ではなく、百姓仕事とは無縁なケタのちがう富裕だったことがわかる。屋敷が広大なだけではなく、宮様の住まいのような造りがあるのだ。実際おれはその一室を見ながら、東京都庭園美術館になっている元朝香宮邸の部屋を思い浮かべた。また1階には、金融を行っていた一角がある。土間からそびえるように高い、威圧的で重厚な木のカウンターがあって、金融といっても、つまりは現在のサラ金よりたちのわるい高利貸で何重にも小作を苦しめていたにちがいなく、その土間に土下座する小作人たちの姿を見た気分だった。とにかく見るごとに気色わるい。
1階から2階へあがりぐるぐる見てまわり、また1階に下りるころには、もう完全にあきれていた。そのケタちがいの富裕ぶり、そのバカボチャンのバカぶりに、完全にあきれていた。ま、太宰なんて、しょせん金持どら息子のナルシストなのだ。
階段のところで、べつのほうから来たKさんと一緒になった。Kさんはムッツリ不機嫌な顔をしている。ただでさえ鋭い目つきでコワイ顔なのだから、もうコワイ顔。彼は階段を下りながら、たまっていたものを吐き出すように「太宰は地主のせがれだというから、すこし同情していたけど、とんでもねえ、同情の余地なしだ、もう太宰なんかどうでもいい」と、それが大きな声でいうのだ。おれも、ほとんどその心境だったので、「まったく」と少し小さな声で相槌を打った。
ま、ワレワレは、そういう印象を持った、ということだ。
階段を下りたあたりの部屋に、太宰が愛用していたというマントと同じ、当時のものがあって、それを着て写真撮影ができる。そこでKさんが、これ着て写真でも撮っておくかというので、おれのデジカメで交互に撮った。Kさんは写真家として高い評価を得ているひとだが、初めてのおれのデジカメでフラッシュもつかなかったからブレてしまった。おれが撮影したKさんは、まだ不機嫌が残っているような鋭い目つきで、こういうワルがいそうだ、もうこんなのに因縁つけられたらタマランというかんじで写っている。太宰をビビらせるには十分だ。
そうして、Kさんとおれは、太宰治にグッドバイしたのだった。正確には「ロング・グッドバイ」だけど。
しかし、腹を立てたおかげで、おれは、この太宰の生家の2,3軒となりに、千住で飲み屋をやっている女将の実家があるのを思い出して見てこようと思っていたのに忘れてしまった。あの女将、まだ生きているかな。たまには行って見なくては。
いまはそれどころではない。
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