「北九州市情報誌『雲のうえ』が本当に素晴らしい」は素晴らしい
きのうは齋藤さんが撮影した写真を見たのだが、ベタの小さいサイズなのに目に焼きついて印象に残ったものが何枚もある。彼は「雲のうえ」創刊号の角打ち特集でも、そのパワーを発揮している。約一週間、部屋とベッドは一緒ではなかったが、朝から夜の酒まで一緒に過ごした。土井ヶ浜へも一緒だった。男くさい男だ。日にちも長く撮影場所が多く、カット数も多かったから、最後は緊張が切れそうな肉体をグッと持ちこたえ、撮り切っているように見えた。拍手。写真は全神経全肉体を使う重労働だ。
8月28日の朝、7時過ぎにJR戸畑駅前に着き、周辺をおさえ、食堂の取材に入った。8時ごろ、終わった。それが、今回の最後の取材だった。
おれは、そこでみなと別れ下関へ向かうため、JR戸畑駅のホームに立った。見ると、いま取材したばかりの食堂と、前に取材した食堂の二軒が、駅前に並んであった。どちらも建物は新しいが戦後まもなくからの古い食堂だ。そのむこうに重なるように北九州市の若松と戸畑を結ぶ若戸大橋が見えた。この景色は、大衆食堂の存在と歴史を雄弁に物語っているように思えた。
若戸大橋は1962年の完成で、当時の工業社会の成長を象徴するものだった。そしてこの橋のたもと、画像の右方向にはいまでも、そのまた象徴だった新日鐵八幡製鉄所などの工場群がある。
しかし、この風景には写らない見えない、大事な主役がいるのだ。それは労働者たちだ。彼らが工業を支え、そして良き大衆食堂の客として大衆食堂を支えたし、大衆食堂はまた彼らの食を支え労働を支え工業を支えた。
その最後の取材の食堂で、東京から単身赴任の会社員が朝食を食べていた。工場群のなかの一つの工場に勤めている。彼は、その食堂で毎日のように昼飯と夕飯を食べ、ときどき朝飯も食べるという。彼は言った、「北九州は急速に衰退した産業と急速に成長した先端産業が、もつれあうように新旧混在しているのが特徴なんですよ、激しく動いているんですよ」祭りにしろ、とてもアクティブな街であり、つまり衰退だけをみてはいけないというわけだ。たしかに、「雲のうえ」3号の特集「おとなの社会科見学 君は、工場を見たか。」でも、その姿を知ることができたし、今回の取材を通しても感じていたが、現場の方の話には説得力があった。
大衆食堂というと過去の昭和の遺産、古きよき時代を代表し、現代の「食の堕落」を嘆く懐古と正義の道楽や趣味の友のように語られることが少なくない。彼らは、大衆食堂を礼賛しながら、現代の工業社会を非難する。しかし、それは正しい認識とはいえない。矛盾している。そもそも大衆食堂は工業社会の成長と一体だったのだ。もっとも、彼らにとっては、社会の鼓動や現実や未来や、現場の労働者の生活は関係ないのだ。「古き良き日本」というより「古き良いとこだけの日本」という、評価のはっきりした過去に寄りかかって、現代を非難する、偽善のたわごとにすぎない。
おれは、戸畑駅のホームで、この景色が語る食堂から書き始めようと思った。働く生活と、その中にある食堂とめし。ここには、まだまだ未来の可能性があるような気がした。
ところで、この2日ばかり、2006/11/16「北九州市「雲のうえ」の素晴しさ」にアクセスが多い。解析を見たら、はてなの「日毎に敵と懶惰に戦う」に「■北九州市情報誌『雲のうえ』が本当に素晴らしい」というエントリーがあり、そこに紹介いただいているのだった。「雲のうえ」の発行者や編集者も、これだけ丁寧に読んでもらえたら、光栄のいたりだろう。ぜひご覧ください。…クリック地獄
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コメント
はじめまして。ごていねいな挨拶、ありがとうございます。
私も、この雑誌は素晴らしいと思って見ていたのですが、まさか自分が書かなくてはならないハメになるとは思っていませんでした。
zaikabouさんのような素晴らしい読者がいるのだから、いささか緊張します。クオリティを落とさないよう書かねば…と思うのだけど、これまで文章のオベンキョウなどしたことがなく我流なので、ま、このまま力を出し切るよりしようがないなと開き直ってやっています。はたして結果は、どうなるか。よろしくお願い致します。
投稿: エンテツ | 2007/09/05 00:40
こんにちは、ご紹介ありがとうございます、勝手にリンクさせていただいた、zaikabouと申します。『雲のうえ』は本当に素晴らしい情報誌で、感動しました。
遠藤さんは次号の原稿を書いておられるのですね!発行されるのを楽しみに、読ませていただきます。
投稿: zaikabou | 2007/09/04 23:35