佳境の北九州、気になる東北、東北ルネサンスびびび
北九州の食堂取材の成果は、はたしてどう表れるか。自分でもまったくわからないが、野暮用にも付き合いつつ、原稿は佳境に入っている。南の北九州へ頭がいっていると、相対性ふりこ原理かどうか、東北が気になる。三内丸山遺跡のことは書いた。気になっているところへ、おもしろそうな東北ネタがメールで届く。おれの頭は、まさに「東北ルネサンス」(という本が、文庫で出ているらしい)。
東北といえば仙台、ではない。そうだな、たしかに、あの女は仙台だ。浦霞も好きな酒だ。しかし、いまや東北は一の関から北ですよ、仙台までは東北じゃないですよ、そういったのはサキナガさんだが、この夏その思いを強くした。
杜の都は、もはや仙台ではなく盛岡だ。いや、仙台の女、愛しているよ~。って、誰が自分のことかと思うのだろう。あんたのことじゃない、あんたのことだよ。と書くと、私のこと!?なーんていうスパンメールが届いたりして。煙草ぷかぷか大酒がぶがぶのジイサンは元気なのか。ジイサン、愛してるよ~。と、ジイサンを攻めてどうする。なんでもないなんにもない。そういえばナベさんは、どうしてるかな。こっちに出張はないのかよ。まったく、この夏は東北でホヤをよく食べた。
気になるのは南部藩だ。八戸の博物館で、その一端に触れたとき、頭の中でチカチカひらめくものがたくさんあった。そして盛岡。盛岡藩といえば、南部藩が江戸時代に改まった名称。という理解でいいのかな?とにかく盛岡あたりから北、青森東部の地域。ここいらは仙台の向こうに霞んでいた。しかし、大藩であり、なかなか文化の集積のあるところだったのだ。その深さは、盛岡を歩いても感じられた。
ながいあいだ岩手県といえば「日本のチベット」というイメージだった。「日本のチベット」とか「関東のチベット」とかいう言い方は蔑視であり差別ということで、ちかごろは使ってはいけないらしいが、おれが高校生のころは、タイトルかサブタイトルが「日本のチベット」で岩手県のことを書いた岩波新書があり、おれはそれを読んで、うーむ、まさに日本のチベットだなと思ったのだが、それはとんでもないまちがいなのだった。ということを今回あらためて思った。
南部氏といえば、料理物語の成り立ちに関わりそうな記述のところに、ほんのその名称だけチラッと登場する。はて、遠い北の田舎の南部氏がこんな中央貴族の周辺と、どういう関係なのかと気になったままほっておいたが、南部氏は中世から中央貴族との関係は深かったことを今回知った。料理物語のこともあって、南部藩への関心は高まるのだった。
盛岡市は県都だけど、市役所の裏の川にアユが生息しアユ釣りはできるし、サケは上ってくるし、小鳥はおおく、おれが行ったときには子供たちが集団で川遊びをしていた。そんな清流が市の中央部を流れている。自然はあるものだが、自然を保つのは文化の力なのだと思った。町のあちこちにそれを感じた。冬の寒さはしらないが、散歩にいい、落ち着いた暮らしのある町という印象が残った。画像、あまりうまく写っていないが、右の建物が市役所。前夜の雨で川の水は少し濁った。
盛岡のバスセンターもよかったなあ。岩手県はバスが活躍するところだ。と書くと「遅れた」ところというイメージになってしまうかな。そうじゃないのだよなあ。
盛岡では「てくり」のバックナンバーを買ってきた。創刊号は売り切れだったが。素晴らしいリトルマガジンだ。いずれ紹介したい。以前、木村衣有子さんにいただいて簡単に紹介した「てくり」5号は、こちら。2007/07/06「近代日本食の深層海流からジンギスカン盛岡「てくり」じゃじゃ麺」…クリック地獄。じゃじゃ麺や冷麺など食べ物のこともそのうちに。
さあそれでは、相対性ふりこ原理によって、北の女のところから南の女の原稿にもどろう。
画像は、すべて7月30日盛岡で撮影。
最後の画像。これを見たときは笑った。なんとも愉快で楽しい。しかし、このアイデア、おもしろい。古い横丁飲み屋街を、キタナイアヤシイところといって潰したり雑居ビルにおさめてしまうより、こんなあんばいに横丁の雰囲気を残しながらビルと共存させていく方法もあるんじゃないかと思った。
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