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2007/09/25

「みんなちがって みんないい」ってのは、いいのかな。

Simonoseki_sinchiこのあいだ、下関で撮影した画像のなかに、金子みすゞが死の直前まで住んでいたあたりがあった。なんという偶然。これは仙崎から下関にもどった、8月28日の夕方撮影したものだ。

『金子みすゞの生涯』(矢崎節夫著)によれば、みすゞは、1930年(昭和5)3月10日に下関市西之端町の上山文英堂内で自殺する。その年の2月に別居離婚し、そこへ移る前まで住んでいたところが、下関市上新地町だ。その上新地のなかを亭主の啓喜と転々とするのだが、啓喜が「仕事上のつきあいもあったろうが、頻繁に遊郭通いを始めた。悪いことに上新地には遊郭があった。そして、みすゞにまで病気を移すことになった。」という、そこだ。

Simonoseki_sinchi2画像は、新地西町の信号。旅館つる八の角を入っていくと上新地町だ。おれが立っているこちらがわは、新地町。どの範囲に遊郭があったかは知らないが、「新地」という地名のところは遊郭が多かった。この画像は、旅館つる八の右側の建物の並びが、いかにも遊郭風だなあと思って撮影した。

2007/09/21「山口県 長門 仙崎 昔「かまぼこ」 今「金子みすゞ」」のヤマザキさんのコメントに、「尾崎翠原作の映画『こほろぎ嬢』でも音楽監督を担当してくれた吉岡しげ美さんが、金子みすゞの詩に曲をつけて、長年歌っていますが、馴染みのあるフレーズ「みんなちがって、みんないい」が、こんな風に使われていたのが可笑しい」とある。

たしかにそうなのだが、この「みんなちがって、みんないい」は、

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面(じべた)を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。

というぐあいに書かれているものだ。
一見、相田みつを風でもあり、個性尊重の風でもある。これについては、「喜多圭介のブログ」の 「金子みすゞ(3) [ 俳句・短歌と現代詩 ] / 2007-01-31 11:16:19」の解釈が興味ある。チト、どうかな極論かなという点もあるが、 金子みすゞの作品には、どことなく捨て鉢なニヒルな風があるのは、おれも感じる。ま、どっちかというと、おれはそういうニヒルなニオイが好きなもので。

これは、よく動物好きとかネコ好きとかにも、そういうニオイがすることがあるけど、小さい可愛いものに寄せるおもいというのは、とかくイマイチ現実社会の人間関係を信頼できない、捨て鉢なところがあるからという関係が働くときがあるように、おれはみている。

ま、ひとのココロの奥底は、なかなかわからない。わからなくてよいのだが。

「みんなちがって みんないい」は、捨て台詞のようでもあって、そこがよいのではないか。という見方もしておきたいと思う。ヤサグレ、必ずしも悪くない。金子みすゞについていえば、父親と早く死に別れ、不幸な結婚をし、亭主に遊郭の病気まで移され、そういうなかでも美しい心を持ち家族愛に生きた聡明な女性なんていうイメージをつくられ観光資源となっては、自殺も浮かばれないだろう。だいたい、その死は、前日に写真館で記念撮影をするという、覚悟の壮絶ともいえる自殺なのだし。

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コメント

「矢崎氏という人は、尾崎翠における稲垣氏みたいなもの」というのは、たしかだと思いますし、喜多圭介氏のほうが、まっとうですね。矢崎氏は、あの「やる気のない」記念館の館長におさまっているけど、『金子みすゞの生涯』は、文学に関わるものにしては観察や洞察に欠けているところが多々見受けられます。その本には、「淋病」とあって、ペニシリンのない時代だから淋病といえども重く、みすゞはたびたび寝込むことになった様子も書いています。だけど、自殺の原因は、離婚した亭主が娘を奪おうとしたからだということになっているのですよ。このへん、かなり無理があって、「公平」を装いながら、亭主は極悪非道人あつかい。亭主は、明治の男としては、ごくフツウだったと思うのだけど、そういう視点はない。みすゞの弟の日記を偏重していて、この弟はみすゞにかなり横恋慕して結婚にも大反対した男で自分に都合のよいことしか書いてない、それをそのまま引用していたり。ま、そんな調子です。矢崎氏の詳しいことは知らないけど、しかし、こういう文学館や美術館など、各地にたくさんありますが、その周辺には「芸術利権」に巣くう「文化人」が少なからずいますね。税金に巣くう役人や土建屋と同じ。名誉欲や功名心が強いだけ、やっかい。

投稿: エンテツ | 2007/09/26 06:31

ご指摘のブログを読み、まっとうな見解だと思いました。わたし自身は吉岡さんのコンサートのスタッフとして、横から聴いているだけで、実際に読んだことがありませんので、当否は分かりませんが、極論とも思いません。何より気になったのは、ここには「淋病」とあったことで、わたしの紹介した「梅毒」が間違っていたかと思い、検索したところ、淋病説、梅毒説、同じぐらいあるのですね。現代のわたしたちのイメージとしては、淋病=軽い、梅毒=重い、ですが、昭和の初年、それも女性が罹患するということが、どういうことであったか?
矢崎氏という人は、尾崎翠における稲垣氏みたいなもので、発掘者としてある種の伝説をキープしたい立場の人のようなので、むしろ大兄ご紹介のブログのようなスタンスの方が納得できます。「小さい可愛いものに寄せるおもいというのは、とかくイマイチ現実社会の人間関係を信頼できない、捨て鉢なところがある」というご指摘は至言だと思いました。わたしの周囲でも、その事例をゴロゴロ見てとることができます。

投稿: ヤマザキ | 2007/09/26 00:28

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