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2007/10/31

ブログの読み方、虚と実。

小説やエッセイを読んで、作品だけではなく作者まで好きになることがある。また、作品を読んだだけで、作者まで嫌いになることがある。作者本人に会ったことがないにもかかわらず、よくあることだろう。

こういうブログもそうで、ここに書いたもので、嫌われたり好きになられたりする。書いたものを読んだ印象と実際に会ったときの印象がちがったばあい、どうするのだろうか。実際に会ったときのほうを選ぶのだろうか。どちらを実像と判断するか。それとも書いている事と実際に違いがあるから、とにかく信用ならない人と判断するとか、いろいろなことが考えられる。とにかく、こうやって書くかぎりは、どう判断されても仕方ないというカクゴはしていなくてはならない。

もし、よく見られたい、よく思われたいなら、楽しいことばかり書いていればよいという選択肢もある。そのばあいは、気分の悪いときや、こころに鬱屈を抱えているときは、なるべく書かないことだ。ブログを見ていると、そういうひともいる。おれのように、そんなことは考えずに思いついたまま、そのときの気分のままに書くことは、それなりのリスクを負うカクゴがいるのだな。

向田邦子さんの『女の人差し指』文春文庫に収録されている「ホームドラマの嘘」は、この人にしてはめずらしく、読者というか視聴者に対して、ピシッとものを申している。引用……

 ヘタをすると、脚本を書いている私よりも、演じている役者よりも、家庭については体験豊かな人たちが、ご覧になっているのです。
 おまけにホームドラマは、現実とそっくりな、「本当らしさ」の中で進行します。セットもお宅と変らない茶の間です。震えがくるほどの美男美女も出てきません。お豆腐は一丁六十五円だとか「おみおつけの実は何だい」だの、「東京の新聞は活字が違うね。あ、背中、掻いてくれよ」なんていう下世話なセリフのすぐとなりに、恋愛、夫婦、結婚――なんていう生きる死ぬの大問題とサンドイッチのようにはさんでお話しをすすめてゆかなくてはならないのです。小さな嘘もすぐ見破られてしまいます。
 この場合辛いのは、「省略」「誇張」「飛躍」「戯画化」と嘘をごちゃまぜにされてしまうことなのです。

……引用おわり。これはもちろん、彼女の書くホームドラマについてだが、読書や書評、あるいは食べ歩きなどのブログとちがって、おれのブログは、こういうホームドラマに似ているところがある。主な対象である、ふだんの食事のステージがホームドラマのようなものであるし、下世話のことを書きながら、生きる死ぬの大問題やらいろいろなんでもからめて書いている。そして実際に、「省略」「誇張」「飛躍」「戯画化」などは、つかっている。ま、それがヘタなのだから、またモンダイを生むのだろうけど。「省略」「誇張」「飛躍」「戯画化」は、ある真実を述べる、「本当らしさ」としてつかわれる。それは、「嘘」とはちがう表現上の「演出」なのだ。その細かいところに、いちいち目くじらをたてられてはかなわない。向田さんの言いたいことも、そういうことだろう。

さらに向田さんは、このようにも書いている。

 喜劇より悲劇が上等。
 ナンセンスな笑いより身の引きしまる感動のほうが高級ということになっているのでしょう。「真実一路」は「嘘も方便」より上等なんでしょう。
 マジメに語られるとすぐ、真実と信じてしまう。
 (略)
 マジメなドラマの中の嘘を見抜くことはヘタクソで、フマジメ・ドラマの中のちらっと横切る真実をみつけて下さることも、また、あまりお上手ではない、そんな気もしています。

…引用おわり。てなぐあいに、痛烈だ。

そして、「土方」や「女中」などの、いわゆる「放送禁止用語」にもふれ、「家庭中で、ごく普通に使っている言葉が使えなくて、突っ込んだやりとりも随分甘口になることがあります。」

「時には小さく傷つけても、ハッキリ現実を見たり言うほうが、本当のやさしさではないのかなあ。」

と、書いている。この最後の言葉、けっこう重いと思う。「ハッキリ現実を見たり言う」だけで、嫌われたり、「圧力」やもろもろある。

最近も、ある原稿で、ある表現を直された。それは、しかも「差別主義者」に対する批判的押さえとして、江戸期から生活の中でつかわれている例を示したのにもかかわらず、読者の中には「傷つくひとがいる」ということで、規制が機能する。とにかく、差別は歴史的にも現実的にも「ない」ということでないとイケナイらしい。

こんなことで、「ハッキリ現実を見たり言う」きちんとしたオトナのコミュニケーションが成長するのだろうか。ひとの文や言うことを理解する力が育つのだろうか。そんなに、あたりさわりのない気持ちのよい表現でチヤホヤ愛撫されたいのだろうか。

って、またなんだかタイトルとちがったようだけど、本日のヨツパライのタワゴトでした。

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