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2007/10/05

ウソとホント、ヨミは難しい。叙述と構造と料理の関係または無関係。

原稿を書いて編集者のチェックを受ける。すると編集者は、必ず、その原稿をほめる。最初はね。「いいですね」というようなことをいう、そのあと、直しや注文をつける。ようするに持ち上げながら、直させるのだ。そういうことを知らないうちは、最初のホメ言葉を信じ、気分よく直す作業をする。だけど、おれのようなズボラでも学習するから、その「構造」はすぐ読めるようになる。つまり「叙述」と、その叙述が持つ「構造」を読む。

それで、原稿を送ったあと、さっそく編集者から電話があり、例によって最初のホメ言葉が始まると、「ほめといて直させるのでしょう」と先手を打っていってみる。ここからは、それぞれの編集者の反応がちがって、オモシロイ。ま、それを楽しんで、溜飲をさげるわけだ。

「おいしかった、もうおなか一杯で食べられません」といわれたときは、ほんとうは「こんなマズイもの食えるか」という意味のばあいがある。これは、アンガイ読むのが難しい。

それは「おいしい」「好きです」といわれたばあいでも、ホントウにおいしくて好きで、そういっているのか、じつは何かの下心があっていっているのか、なかなか判断がつかないことがある。そこには当座の逃げや、つぎの逃げの手が潜んでいるばあいもある。

メールなどで、「いま忙しいのです」と離れているひとからいわれたばあいは、わりと、わかりやすい。これは、忙しい状態を説明されたわけではなく、「いまは、あなたとは会いたくない」ということだ。ほかのひとなら会う時間をつくるけど、あなたとなら「いま忙しいのです」という、含みもなきにしもあらず。あなたとはモウ会いたくないのですという意味が含まれているばあいもあるが、かりに、そこまでじゃないとしても、とりあえず、そういうことですよね。

そういうふうに「叙述」と「構造」のあいだにはギャップがある。それを意識的に利用するばあいもあれば、無意識のうちに利用するばあいもある。その「構造」を読まないと、いつまでも開くと思っていた扉の前で待ち続ける、なんていう、お人好しのおバカさんなんでしょう状態に置かれることもある。第三者からみたら、虚仮にされていると思われることもあるだろう。しかし、バカを承知でやるということもまたある。「いま忙しい」といわれて、一か月でも数か月でも待つこともある。ずっと待つばあいもあるのだから、そのばあいは、もうお人好しだのなんだのというレベルではなくなる。悲劇というか喜劇というか、たいがいそういうものであるらしい。

フィクションだのノンフィクションだのというけど、ようするに、「叙述」と「構造」のあいだのギャップを利用していることにおいては同じなのだ。

メールは、フィクションなのかノンフィクションなのか。「日記」にしてもだ。「この「日記」には事実しか書いていません」と、たいがいの著者はいう。だけど、事実のすべてを書いているわけではないし、そうはいってない。書くこと書かないことを選択することで、そこに「虚構」がつくられる。ま、「この「日記」には事実しか書いていません」とあるのを読んで真に受けるひとはいないと思うが、メールについていえば、いちいちそのような断り書きはない。

というわけで、いったい何を信じたらよいのだろうかという状態におかれることもあるだろう。ま、遠隔恋愛なんていうのは、それでダメになったり、それだから幻想としてうまくいくばあいもある。

信じる信じないのレベルになったら、何も信じないのがいいかもしれない。信じられることだけを選択するのは容易ではないからな。ただ、何も信じないというのも、けっこう切ないことではある。お人好しをつらぬく選択もあるが、それも切ないことではある。だから、何も期待しない、というていどがアンガイよいのだ。けっきょく、そこに落ち着く。

人間関係においては、「叙述」と「構造」のあいだのギャップが少なくてすむよう、お互いの努力がないかぎり、どんどん広がるものであるようだ。たいがい、それは破綻につながるらしい。それほど単純ではないような気もする。そもそも、ありのまま叙述されたら、みもふたもないことになりかねない。だからウソも方便という言葉があるのか。またウソと知りつつ信じるということもある。もともとみな赤の他人なのだからなあ。切ないことである。

ま、これがカフカの『城』を読んでの感想である。って書いて、どうして、『城』から、こういう感想になるのかと思われるかもしれないが、読む状況によっても、感想は異なるものなのだ。とくにこの小説のばあい、そうであってもよいらしい。

ちかごろ「叙述」と「構造」の関係に興味を持っている。じつは、これは、料理の素材と味覚の関係に似ている。上手なプロは、その関係を利用しながら、儲ける。

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