ブログの読み方、人の読み方、街の読み方
ああ、今日は、なんだか胃のあたりが苦しい感じ。二日酔いとはちがうような。ありゃりゃりゃ、いよいよガタがきたか。
朝方書いたのを読み返したら、これまたいとおかし。どうか、どなたさまも、うふふふふと笑っておすませくださいよ。ま、「コンビニ」ワークショップの話しのほうは、メモのようなものだから、いいけど。
きのうの、そのワークッショップのときにも、「リアル」と「バーチャル」ということが出てきた。だいたい、時間と空間に特定された、あるいは特定できるものが「リアル」というかんじだった。しかし、ではコンビニがリアルな存在かというと、なかなか難しいなあと思った。それは、いわゆるハードだけでコンビにが成り立っているわけじゃないからだな。そもそも運営している人がいる、客も人間だ。となると、その人間がバーチャルな情報に支配されているという可能性があるし、実際かなり支配されている。顧客ニーズだのというが、たいがいはそういうものである。人間は幻想なしでは生きられない。そこに広告や情報がつけこむ。ところが、そういうニーズは、きのうも話にでたが、POSといったシステムで組み込まれ、リアルな商品の存在になる、それをまたバーチャルなニーズが購買する。というような関係があるような気がするのだ。どこからどこまでがリアルで、どこからどこまでがバーチャルかの仕切りの「境」が難しい。世の中、そのように成り立っているのじゃなかろうか。バーチャルはゲームの世界だけじゃない、ゲーム化している社会がある。とか、考えていたわけだが。
こういう「日記」の文章を読むと、ますます、そういう感じがする。つまりは、なにもかも不確かな存在だから、そこに「読む」という作業がつきまとう。ああ、「読む」ことの難しさよ。
ってえ、ことで、タイトル通りに書くのは、まだ頭痛があるので、やめた。こんなこと考えていたら、よけい頭痛がひどくなる。
しかし、いま昼なのだが、たしか今夜は、「地酒と料理の夕べ」なるものがあって、行くつもりじゃなかったが、たまたま知り合いがそれに関係していて、行こうといってきている、のだが、はて、どうしたものか調子が悪い。どうしようかねえ、行けばなかなか会えないやつらにも会えそうだが。
そうそう、きのうのワークショップの発表者の1人は実家が北九州でコンビニをやっている東大の院生。スタフライヤーを利用するので『雲のうえ』のことは知っていましたよ。
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