大量の電磁波の効能あるか、森林再生。
さてそれで、6日12時15分前ごろ秩父鉄道秩父駅で落ち合った大将とおれが、まず向かったところは、きのう書いたように温泉だった。マジメなエコロジストではないおれたちにとっては、温泉に入るのも、酒を飲みながらやる重要な玉簾型森林再生作戦なのだ。そりゃっ、大将が運転するクルマで、秩父駅前からブーンと一直線、荒川の橋を渡り山をこえ、約20分ほどで着いたのが「小鹿野クアパレス」。
露天風呂に入ると、大将は周囲の木々を指差し、名前をいう。なにしろ大将は東京の江戸、八丁堀の人間なのに、某大学の林業科卒だ。そしていまは、山林を借りて営林している。
おれが知っていたのは、藤の木だけ。蔓だし、花がドライフラワー状でぶらさがっていたから、おれにもわかる。だいたいおれは、高校山岳部のときから、植物の名前を覚えるのは苦手だった。
あがって体重をはかると、65キロ。おおっ、北九州の取材で70キロになった体重が、高校卒業以来何十年と変らない数値にもどっている。おれって、素直にできているんだなあ。貧乏だから太れないだけだよ。
今夜の宿になる山奥の元林業家の古老の家へ。2時半ごろ着いた。すでに部屋にはコタツが用意されている。あったまりながら、ただちに飲みだす。そのまま、とにかく飲む飲む、食べる食べる。が、しかし、ただ泊まるのではない、ここで古老から、むかしのこのあたりの林業について聞かなくてはならない。最初は気むずかしげにしていた古老も、飲むうちにだんだん口もなめらかになった。ひさしぶりに林業の話ができるのがうれしいようだった。なにしろ、このあたりでも林業なんかやりたがるものはいないよ、と何度もいっていた。彼に林業の話を聞きに来るものなどいないのだ。
大将が、かねての疑問をぶつける。戦後の短期間に、なぜ急激に杉檜林がふえたのか。むかしから日本の国土の70パーセントぐらいが山林については大きな変化はないけど、その70パーセントのなかの植生が、なぜこうも簡単に変ってしまったのか。背景に戦後復興の木材需要があったにしても、ほかになにかあるのではないか。
すると古老がいった。それは、このあたりでは、桑やコウゾを、ぜんぶ杉や檜にかえたからだよ。
おおっ、なるほど~。おれたちは、スッと疑問が解けた。そうか、ふつうなら山林を伐採しながら植林するから、そうは一気に植生は変らないが、もともと林業家は養蚕のための桑、和紙のためのコウゾを栽培していたのだ。これは畑のように栽培するから、そこに杉や檜の苗を植えればよいだけだった。というわけで、畑のような、ほかに何も植わってない杉檜林が、一気に広がったのだ。もちろん、ほかの山林にも植林するのだけど、急激に短期間に杉檜林が拡大したのは、それがあったからだ。
これは、いろいろなことを考えるうえで重要なヒントになる。古老からは、たくさん話を聞いたし、醤油まで自給自足だった話は、とてもおもしろかったが、とにかく、このことがいちばんの収穫だった。
そして、おれたちは、腹も脳みそも満足し、明日もあるからと9時半ごろには、かけぶとんを二枚もかけ、眠りについたのだった。
翌7日朝は、9時半ごろ出発した。まず行ったところが、「新秩父開閉所」だった。
前日、大将がクルマを運転しながら、あの山のうえのカブトのツノみたいなのはなんだ、といった。木ではない、怪物のような。山の上に、このへんならではの巨大な送電線の塔が立っているのだ。その鉄塔の周辺は、山のてっぺんまで杉林。紅葉する落葉樹は少ない。上の画像。これが昭和の植生破壊の姿だ。エコロジーなんぞは、まさに「古きよき」で装飾された昭和の尻拭いなのさ。では、鉄塔で、森林再生ということか。
おれは、以前に群馬県上野村、例の日航機墜落で有名になった村、そこの知人を訪ねての帰り、志賀坂峠をこええ小鹿野町に入るとき、その鉄塔の下を通った。そこには、じつに奇怪な景色があって印象に残った。その話を大将にした。で、大将が行ってみたいというのだ。
そこは、各地からの送電線つまり送電を、一度ここに集め、また分配しなおす、というかんじの施設だ。地方から東京への送電経路は、こういう開閉所をいくつか経由する。そのため、どこかで事故があって送電がとまっても、開閉所で切換し、ほかの送電経路を利用して送電するから、東京の利用者には、なんら支障をきたさない。東京の人間は、ノホホホーンと永久に停電などない「美しい日本」はいいなあ、と思って暮らしていける。
あちこちから送電線が集まってくるから、その重みに耐えられる巨大な鉄塔が、あたりの山のテッペンに立っている。巨大なロボット生物のようだ。鉄柵で囲われた、開閉所のなかは、大人の倍以上の高さはありそうな、巨大な碍子。すべて、むき出しのまま。不気味。以前来たときは、ビチバチ音を立てていたが、この日は天候の加減もあるのか、静かな中にブーンというかんじの音だった。
おおっ、すごい電磁波だ、これを浴びれば、効能絶大。血液は、ただちにサラサラになる。ガンも、ただちに治る。インポもハゲもなおる。いくらでも酒を飲める身体になる。頭だってよくなるぞ。商売繁盛するぞ。森林再生だって、簡単だ。サッカーもラグビーも世界一になれる。すべての温泉、すべての神社、すべての詐欺師やペテン師が唱える効能が、これで簡単に実現するのだあああああ。もう政治家はいらない。みな、小鹿野クアパレスで風呂を浴びたあとは、新秩父開閉所で電磁波を浴びて拝め。どんな大願も成就するだろう。
と、われわれは、そこでタップリ電磁波あび、写真を撮りまくった。興奮し撮影に熱中している大将の画像。じつは、彼はカメラマンでもある。いや、それが「本業」か。おれは、以前に当ブログに書いたが、そもそも彼を知るまえに、雑誌の名前忘れたが、田口ランディさんがメキシコ紀行を連載していて読んでいたが(あとで『オラ!メヒコ』角川文庫)、そこに登場する同行のトラブルマンのような奇怪なカメラマンがいる、それが大将だったのだ。彼には、まだ別の職業の顔もあるのだが、ま、いいや。
そして最終目的地である元大滝村へ、元両神村を経由してむかったのだった。きのう書いたようにたずねながら、息を切らしながら、ついに、かえで植林地にたどりついた。そのあと、それでは帰ろうと、ついでに三峰神社におまいりをし、山門を出ようとする。そこで、「おっ、これを見て」とおれが見つけたのは……さらに周囲を見ると。おおっ、さっそく大量の電磁波様をあびた効果があらわれたのか。それとも三峰神社が信仰深いマジメなおれたちを導いてくれたのか(おれは、このときにかぎって、賽銭を100円も投げていた)。たぶんその両方だろう。これがまた森林再生のために大収穫だった。最後の、この画像。
この続きは、また後日。
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